内容 地球表面の約70%は海洋で、その平均水深は3,800mと言われ、仮に水深1,000mより深い部分を深海域と定義するならば、海洋の体積の約75%がこの範囲に含まれることになる。深海環境においては、2℃前後の低温、数百気圧にもおよぶ高い水圧注1、太陽光の届かない暗黒などが卓越している。また、基礎生産からの距離も遠いため、有機物の濃度が低いこともで知られている。このような一見極限とも考えられる環境にもさまざまな生物が棲息していることは古くから知られているが、微生物は海洋の有機物の分解者、または生産者として重要な役割を果たしている。また、深海微生物は生きた状態で採取し増殖させることが可能であるため、深海生物の生理・生態を実験的にも理解するための対象として有用である。
注1 単位を分かり易くするための換算式を示す。 1MPa=10bars≒10kg/cm2≒10atm(気圧)
6,000mを超える海底から最初に微生物が発見されたのは1884年にさかのぼるが、本格的な深海微生物の研究は1940年代後半から主にZoBell、Morita、Johnson、米国の研究者によって始められ、水深1万メートルの最深部まで生きた微生物が広く分布していることが明かになった。また、常圧よりも高い圧力を好む微生物の一群(好圧微生物)の存在も1949年にZoBellとJohnsonによって確認され、偏性好圧細菌(加圧条件に増殖の至適域があり常圧では増殖出来ない細菌)についても1957年にZoBellとMoritaによって報告されている。1970年代に入って好圧細菌の純粋分離が試みられるようになり、1978年に初めて好圧細菌が単離された。この結果、減圧が細胞分裂に影響して形態異常を引き起こすこと、特に偏性好圧細菌は減圧によって急速に死滅してしまうこと、細胞膜の流動性を保つために圧力の上昇に応じて膜の高度不飽和脂肪酸画分を増加させていることなどが分かってきた。また、深海から採取された試料について、さまざまな基質を用いた代謝活性試験も古くから行われてきたが、それらの結果の多くは、深海域では微生物による有機物の分解速度が遅く、微生物の代謝活性も水圧によってかなり抑制されていること示すものであった。近年では使用される基質、あるいは培養条件によっては群集として好圧性を示すことを支持する報告も多数出されているが、好圧細菌の存在が証明された現在においても、深海においてどのような細菌群が有機物の分解に関与しているのかについては明かになっていない。本研究では、深海に棲息する細菌類を単離して、その生理に関する基礎的な知見を得るとともに、特に、高圧に対する深海細菌の応答に主題をおいて研究を行ったもので、その内容は以下の如く総括される。
1.深海における細菌の分布および細菌相 海洋における細菌群集の分布状態に関する基礎的な知見を得る目的で、研究船「白鳳丸」の研究航海の際に日本海溝、マリアナ海溝、赤道域、中部太平洋などにおいて調査を行った。蛍光顕微鏡を用いて海水中の全菌数を計数したところ、表層では平均して2〜3×105/ml前後、深度が増すにつれ急激に減少し、300〜400mを変曲点としてそれ以深はほとんど変動のないままゆっくりと減少し、最深部では8×103〜2×104mlとなる傾向が認められた。また、寒天平板法による海水中の好気性従属栄養細菌の生菌数(常圧、20℃)は、表層で8×101〜2×103cfu/mlであり、最深部では10-1〜101cfu/mlの範囲であった。海底堆積物中の好気性従属栄養細菌の生菌数は、3×102〜2×103cfu/g、嫌気性従属栄養細菌は4×101〜2×102cfu/g、硫酸還元細菌はほとんど出現しなかった。深層域の従属栄養細菌のなかでは、海水中ではVibrio属、Flavobacterium属、Pseudomonas-Alteromonas groupが優占した。一方、海水中に少ないBacillus属が堆積物では圧倒的に多く出現した。
海底付近の試料について圧力および温度を現場条件に設定して培養を行ったところ、最深部海水中では100〜101cfu/liter、堆積物で2×101〜5×102cfu/gの細菌が計数された。また、最深部以浅の海水においても加圧下でコロニーが得られたことから、好圧性を示す細菌が鉛直的にも分布していることが示唆された。
2.加圧条件下での細菌の増殖特性 SeaPrep低融点アガロース固形培地を用いる加圧培養法によって、日本海溝の海溝部の海水中から好圧性を有する細菌の純粋培養株を単離し、特にJT403株、JT761株および海洋細菌保存株Vibrio alginolyticusの3株について圧力-温度傾斜培養装置(PTG装置)を用いて増殖特性を調べた。例として水深7,484mの海水から単離したJT761株の増殖特性を三次元的に表した図をFig.1に示した。
Fig.1 JT761株の増殖特性圧力と温度を変化させたときの増殖速度を単位当たりの倍加率(K、単位:hr-1)で示した。(K値が1.0hr-1とは、1つの細胞が1時間に2つに分裂することを意味する。) これらの結果、JT403株は増殖可能範囲が0〜23℃、0.1-60MPaであり、至適条件は5.1℃,20MPaの通性好圧性を示した。これに対し、JT761株は-2〜16℃の範囲で増殖し、至適条件は1.8℃,60MPaにあり、圧力に関しては0.1〜20MPaの範囲では増殖を示さず、30MPaになって初めて増殖が可能となる偏性好圧細菌であることがわかった。これら両株ともグラム陰性、非運動性、酸化型(OF試験)、オキシダーゼ活性+の桿菌でMoraxella属に含まれると思われる。両株ともに採取された現場圧力よりも15〜20MPa低い圧力条件が増殖に至適である傾向が認められたが、採取された現場条件においても増殖が可能であることが確認できた。これに対し、表層細菌の代表として用いたV.alginolyticusにおいては、深層域の水温(2℃付近)ではどの圧力条件においても増殖がみられず、これら2株の好圧細菌株とは大きな性状の違いが認められた。
3.深海細菌群集の代謝活性の測定 前章では好圧細菌を分離培養し、その増殖特性が深海環境に適応したものであることが確認できた。しかし、深海から採取した試料中からは表層域の条件で生育する細菌も数多く得られることから、群集中の細菌の組成は圧力への適応段階についても均一ではないことが示唆される。このため、表層域から供給される細菌を含めて、現場環境における群集生理的性状を知るため、蛍光基質methylumbelliferyl(MUF)-phosphateを用いて、細菌外膜の加水分解酵素phosphataseの活性試験を行った。
試料は採取後5ml〜10mlを滅菌したポリエチレンバッグに分注し、MUF基質を5段階の濃度で添加し、船上においてただちに温度(4℃、20℃)と圧力(常圧、最深部の現場圧)を組み合わせた4種類の条件で24〜48時間培養した。蛍光物質の生成は365nmの励起波長のもと445nmで測定し、結果は最大反応速度(Vmax,単位:gPO43-/l/h)として表した。結果の例をTable.1に示した。
Table.1 LM-2(伊豆・小笠原海溝、29°04.75’N 142°50.02’E,Oct.5)およびLM-6(日本海溝、34°09.06’N 141°56.30’E,Oct.12)から採取した海水のフォスファターゼ活性 この結果、最も高い活性を示したのは全ての試料において20℃,常圧の条件であり、群集としての好圧性は見られなかったが、最も活性が低かった4℃,加圧条件においても、4℃,常圧の1/10程度の活性が認められた。また、同じ温度で比較した場合に深層水は表層水に比べ耐圧性があること、同じ圧力で比較した場合は表層水は常圧において低温側で活性が促進される傾向が認められた。
4.深海細菌群集の増殖におよぼす圧力の影響 比較的短い時間における酵素活性の測定では群集としての好圧性は認められなかったが、深海域の有機物濃度が極めて低いことを考えると、好圧細菌に限らず群集全体の活性が抑制されていることが考えられる。深海域に有機物が供給された場合の群集の応答を調べる目的で以下の実験を行った。
中部太平洋(4地点)およびマリアナ海溝から水深0m、2,000m、4,000m、海底直上の海水を採取し、栄養基質を添加し、2℃において0.1MPa、20MPa、40MPa、60MPa、80MPaの5つの圧力条件、および対照として常圧・20℃で培養を行った。この画分を定時的に分取し菌数の増殖を蛍光顕微鏡で計数した。例としてstation11の採取水深6,003mの海水試料についての結果をFig.3に示した。
Fig.3 圧力変化にともなう細菌群集の増殖特性試料は中部太平洋上の観測点station11(19°58.88’N,131°00.19’E)の水深6,003mから採取した海水を使用し、5段階の圧力で培養した結果を示した。実験開始時(0日目)の細菌数は8.0x103cell/mlであった。 結果は、どの水深の試料についても常圧・20℃で最も早く増殖し、菌数も高くなった。続いて、常圧・2℃での増殖が早い傾向が認められたが、加圧条件においては採水層によって特徴的な増殖形態が観察された。表層(0m)の海水はどの加圧条件においても目立った増殖は観察されなかったことは、深海においては表層型の細菌の大部分が増殖できず、好圧性・耐圧性を有する細菌が主に有機物の分解を行っていることを示唆している。また、深層水については、採取した水深付近の圧力条件で最も高い増殖を示したことから、現場においては水深に応じた圧力への適応能力をもつが細菌が棲息し、その水深において優位となりうる可能性を示唆している。
海洋においては表層のみならず、高圧・低温の深海まで多数の、そして多種の細菌が存在することがわかった。そして、その細菌群集の組成は圧力への適応能力についても多様であり、特に、深層域においては好圧性を有する細菌が広く分布し、これらの好圧細菌は表層の細菌が増殖出来ない領域において高い増殖を示す能力があることがわかった。さらに、これら好圧細菌は、それぞれの棲息水深付近の圧力条件に適応していて、現場において最も優位となりうる可能性が示唆された。これらのことから、深海においてはそれぞれの水深にあった好圧細菌が存在し、その増殖や代謝活性を通じて、有機物の分解や生物生産に寄与しているものと考えられる。