海洋に広く分布している超音波散乱層を構成する動物プランクトンやマイクロネクトンは、魚類や鯨類などの餌料生物となり、生態系の重要な部分を担っている。特に、地球環境の変化と海洋魚類資源をつなぐ動物プランクトンの役割を解明するためには、これらの生物の定量的計測法の確立が要求されている。 本論文では、音響リモートセンシングによる動物プランクトンのサイズ分布および量推定を行うための手法の確立に関して検討、評価を行った。 ツノナシオキアミの遊泳姿勢観察 ツノナシオキアミ (Euphausia pacifica)等のオキアミ類は、水平に遊泳しているとは限らず、この遊泳姿勢の変動が生物密度推定に必要なターゲットストレングス(TS)の決定に大きな影響を与えている。そこで、水槽内におけるツノナシオキアミの遊泳姿勢角を実際に測定し、ターゲットストレングスへの影響の評価を行った。 実験は、1994年4月12日〜19日に東京大学海洋研究所大槌臨海センターで行った。採集したオキアミを個体数別に水槽に入れ、ビデオカメラにより正面から姿勢観察を行い画像を収録し、後日画像解析装置を用いて解析を行った。その結果、遊泳姿勢はホバリング状態とそれ以外に分類することができ、平均遊泳姿勢角はホバリング状態で36.9°(SD=12.9°)、ホバリング状態以外で15.0゜(SD=24.4゜)で、全体の平均遊泳姿勢角は30.4゜(SD=19.9゜)であった。これらの遊泳姿勢角は、現在までに報告されているナンキョクオキアミ(Eupausia superba)の値と比較して10゜以上小さく、遊泳姿勢の力学モデルによる検討の結果、この差がツノナシオキアミとナンキョクオキアミの体型の違いを反映していることが示された。また、本実験で得た遊泳姿勢と理論散乱モデルからTSを計算した結果、与えた姿勢角によりTS値は大きく異なり、その差が資源量推定に大きな影響を与えることが示された。一方で自然状態下では、今回の水槽内での遊泳姿勢角の実験値とまったく異なった値も報告されており、今後さらに様々な条件下での遊泳姿勢の精密測定を行うとともに、自然状態下での姿勢分布を求めることがオキアミの音響計測にとって重要である。 理論散乱モデルの検討 動物プランクトンの生物密度推定を行うためには、ターゲットストレングスが必要であることは先に述べたが、その決定には理論散乱モデルが使用される。そこで、既往のTSの実験結果を基にツノナシオキアミの理論散乱モデルに関して検討を行った。理論散乱モデルとして、本論文ではハイパス球モデル、ストレートシリンダモデル、回転楕円体モデルの3つのモデルの比較検討を行った。なお、それぞれの理論散乱モデルの相互比較が行えるように、体長のパラメータを同一体積を基準にして統一して数値計算を行った。 その結果、背方向最大TSを考えた場合、理論値はレーリー散乱領域内では全てのモデルで一致した。幾何学領域ではハイパス球モデルとほかの2つのモデルでは変化の傾向が異なっていたが、Richter(1985)が報告した実測値と比較した場合はハイパス球モデルとストレートシリンダモデルの使用が可能であることが示唆された。 次に姿勢を考慮に入れた場合には、先に得た遊泳姿勢角を考慮に入れたストレートシリンダモデルが、Wiebe et al.(1990)の報告した実測値と近似していた。これは、Wiebe et al.(1990)の行った実験が、生きたツノナシオキアミを測定したものであるためだと考えられる。以上から、実際に調査を行う自然状態下では、姿勢を考慮に入れた場合のストレートシリンダモデルが、ツノナシオキアミの理論散乱モデルとして適当であると判断した。一方で、自然条件下においてカイアシ類やオキアミの幼生などのより小型の動物プランクトンは、乱流の影響を受けやすく、姿勢がランダムに変動していると考えられるため、その形状を球として扱うことが妥当であると考えられる。したがって、このような小型生物だけが分布している海域においては、ハイパス球モデルの使用が最も適していると判断した。 2周波法の検討 音響散乱特性を利用した動物プランクトン計測法には、2周波の体積散乱強度(SV)差からTSと体長を推定し生物密度を同時に推定する方法(方法1)がある。また、ネット採集物から得られた体長情報を利用した生物密度推定(方法2とする)の可能性が考えられる。そこで、両手法を用いた生物密度推定を50kHzと200kHzのフィールドデータを用いて実際に行い、その有効性について検討した。ここで、解析に使用した理論散乱モデルは先に得た条件にしたがい、小型の動物プランクトンが卓越している場合においてはハイパス球モデルを使用し、ツノナシオキアミの成体が卓越している場合においてはストレートシリンダモデルを使用した。また、体長のパラメータとしては、小型の動物プランクトンの場合はツノナシオキアミの成体などと比較して体高と体長の比が大きいことから等価球半径ae=0.5Lを使用し、ツノナシオキアミの成体の場合にはシリンダ半径ac=0.0675Lとac=0.135Lの両式を使用した。なお、ストレートシリンダモデルの姿勢角は、先に得た値を使用した。 その結果、方法1は、ある海域の卓越サイズ・生物量を把握するといった点で有効であり、かつ複数のサイズの生物が混じっている場合においても海域全体の平均サイズ・生物量を算出することができる可能性をもっていると考えられる。また、リアルタイムで生物量推定を行うことができる点がたいへん有効であると考えられる。方法2もまた、亜寒帯水域あるいは寒帯水域のような比較的単純な種組成をもった海域における厳密な生物量推定を行うのに有効であると考えることができ、さらにネット採集からの定性的なデータ(体長情報)を与えることにより生物量推定が可能である点も大きな利点である。一方、ツノナシオキアミの成体が分布している海域においては、両手法でネット採集物より生物密度が過大評価されたが、これはオキアミの遊泳能力が高いためネットに対する逃避によってネットサンプルは実際の生物密度と異なっているためだと考えられる。従ってこれらを考慮にいれた場合、方法1あるいは方法2で推定した重量密度はネット採集結果よりも信頼性が高いと考えられる。 多周波法の検討 周波数特性を利用した動物プランクトンの生物密度推定法には、先に述べた2周波法の他にさらに周波数を多くした多周波法がある。本研究では38、50、120、200kHzの4周波を持つ計量用魚群探知機を使用した多周波法による動物プランクトンのサイズ別密度推定を行いその有効性について検討した。 多周波法によるサイズ別密度推定は次のように行われる。各周波数fiの体積後方散乱係数sv(fi)を測定し、下式から最小2乗法により各サイズの密度n(Lj)を求める。 ここで、bs(fi,Lj)は周波数がfi、サイズランクがLjのときの後方散乱断面積であり、理論散乱モデルにより与える。ここで、理論散乱モデルは、音響計測と同時のネット採集結果から散乱層は主に小型の動物プランクトンからなると判断し、ハイパス球モデル(ae=0.5L)を使用した。これらの式を解くにあたり、非負最小2乗法を使用することにより精度を向上させた。また、本研究においてはサイズを4つのランクに分割した。すなわち(1mm,2mm,4mm,8mm)をAパターン、(5mm,10mm,15mm,20mm)をBパターンとしてこの2通りのパターンに関して計算を行い、サイズ別の個体密度の鉛直分布を得た。 その結果ほとんどのケースにおいて、AパターンとBパターンの両ケースとも鉛直分布の傾向は類似しており、浅い層にサイズの小さい動物プランクトン、深い層にサイズの大きい動物プランクトンが存在する傾向が見られた。また、昼に深い層に分布していたサイズの大きい動物プランクトンが、夜間に上昇することも示された。推定密度に関しては、浅い層ではAパターンの方がBパターンよりもネット採集結果に近似していたが、深い層では両パターンともに全く異なっていた。これは、比較に使用したネット(MTDネット)の口径が小さいため大きいサイズの動物プランクトンのネットに対する逃避が生じた可能性があることを示唆している。 以上から、多周波法による動物プランクトンのサイズ別密度推定は、適切なサイズランクと、理論散乱モデルの選別により有効であることが示唆されたが、本研究で使用したケースはカイアシ類が卓越している場合だけであったため、今後さらに様々な生物組成を持つサンプルを用いて多周波法の信頼性を高めていく必要がある。 |