世界的な人口増加に伴う食糧不足が起こりつつある昨今、穀物の収量予測、生育診断による、早い段階での食糧備蓄、作付け計画が求められている。リモートセンシング技術は、広域性、迅速性といった利点を持つため、この要求を満たすための手段として大いに期待され、研究されている。リモートセンシングによる穀物収量予測の一般的拡張のためには、穀物の状態とセンサーへ入力する光との物理的関係を把握し、定式化することが必要である。そこで、植物群落の物理状態と群落からの反射の関係に関する研究により、媒体モデルや幾何モデルといった解析的なモデルやコンピュータシミュレーションモデルが開発されている。これらの内、コンピュータシミュレーションモデルのみが群落の複雑さに起因する方向性分光反射特性を再現すると言われている。しかしながら、これらも実際の植物群落幾何学的構造の計測に基づいていないために、十分有効に適用できていない。特に、ある特定の作物個体群の物理量把握の観点からのシミュレーションは行われていない。 そうしたことから本論文では、世界の代表的な穀物の一つである水稲を対象とし、新たにその非破壊3次元ディジタル計測法およびそれに基づいた水稲個体群放射伝達シミュレーション方法を開発する。その際、群落内での個葉分光反射及び透過の変動特性を考慮することとする。さらに、水稲の実際の構造に基づいた水稲個体群放射伝達シミュレーションを行ない、鉛直葉面積密度や葉傾き分布関数などの水稲構造指標の違いによる方向性分光反射特性の違いとその機構を把握する。また、提案した3次元計測法は、これまでの方法である層別刈り取り法と比較して、十分な精度であることを示す。 第1章で研究の背景と目的を述べた後、第2章ではこれまで困難であると言われてきた水稲ステレオ画像のマッチング手法を開発した。既往のステレオ画像マッチングは、画像の前処理、用いる点の選択、相似性の評価、連続性の評価、画像の再構築からなる。これらの問題点を整理し、相似性の評価を水稲鉛直画像全体について行うのは困難であり、また不連続部分が多く存在するために、その認識が必要であることを示した。 そこで、相似性によって対応できる点として、投影による歪みの影響を受けない量によることができる個葉の先端を選び、連続性の判断が比較的容易な個葉の輪郭線をマッチングの対象とした。個葉内部の各点の高さは内挿により再構築する。個葉の重なり部における輪郭線の接続の判定、輪郭線の追跡においてノイズの影響を受けない、不連続部分への対処といったことを考え、新しいアルゴリズムを示した。 さらに、この手法を実際の画像に適用してマッチング状況を評価した。水稲(コシヒカリ)を密区、疎区を設け、栽培し、移植後45日目と66日目に、基線比約1/4、計16点の基準点を設け、一般カメラによって鉛直方向からの写真撮影を行なった。スキャナーによるディジタル画像化の結果、1画素が写真フィルム上の0.017mmに相当した。標定計算を行った後、ステレオ画像に本論文で提案した葉エッジマッチング法を適用した。マッチング状況の評価としては、マッチングの候補点の内約7割がマッチングされた。その内、約8〜9割が細線化画像との比較において、正しくマッチングされていた。この結果、水稲のような複雑な形状を持つ対象のマッチングが可能になったと言える。 第3章では、ステレオ写真法および第2章で提案した葉エッジマッチング法を用いて、栽植密度の異なる水稲を生育を追って個体群の構造解析を行い、これまでの植物群落反射モデルの変数である鉛直葉面積密度や葉傾き分布関数、葉方位角分布関数および葉面積指数、植被率、草丈等の生長による時系列変化を解析した。葉傾き分布関数、葉方位角分布関数の算出では、左画像水稲個葉輪郭線に相当する、5連結する線セグメント(水平距離約1cm)を単位とし、各葉層において、単位ごとに葉傾角を算出する。鉛直葉面積密度は、各葉層の水稲相当画素数をその層の葉傾き分布関数でたたみこみ積分することにより与える。 以上により、供試した水稲個体群の構造指標の特徴を把握した。また、本手法により算出した鉛直葉面積密度は、ポット栽培の水稲での層別刈り取り法によるものとよく適合していることを確認した。 第4章では、これまでの植物群落反射モデルであまり検討されてこなかった水稲個葉分光特性の変動を解析した。そのために、葉位、施肥条件の違いによる個葉分光特性の違いを調べ、一個葉に注目してその中での位置および反射、透過する方向による反射、透過特性の違いを調べる。 水稲は、温室内でポット栽培した。施肥条件は、多肥、中肥、無肥の3条件である。各施肥条件について3ポットを設け、その他の栽培条件を考慮して、乱塊法により整理した。280nm〜2500nmの波長帯で、入射角45°、反射角0°の個葉反射係数、透過係数を非破壊で分光測定する。 施肥量、葉位を要因とした2因子要因計画の分散分析および最小有意差による差の検定を行った。近赤外域では、施肥を行った区において施肥量、葉位による反射係数及び透過係数の有意差はなかった。可視域の反射係数では葉位による有意差があった。反射係数、透過係数の全サンプル(サンプル数41)による変動係数は、近赤外域で5%程度と小さい(図1)。一個葉中での位置および反射、透過する方向による反射、透過係数も、対応する変動係数の範囲内であった。これに対して、可視域では変動が大きい。 図1.個葉分光特性 以上より、水稲個体群において、近赤外域の波長帯では個葉間の反射係数、透過係数の相違が小さいため、個体群の反射特性から個体群構造を推定するのに適していることを確認した。これに対して、可視域は構造が既知の時に群落の反射特性から個葉の反射特性、個葉の状態を知る波長帯として適している。 第5章では、第2章の葉エッジマッチング法およびステレオ写真法により得たディジタル3次元構造データよりセルの情報を与え、モンテカルロ法により、水稲個体群の方向性反射をシミュレートし、実測データとの比較を行う。 コンピュータ上で、十分多くのフォトンの追跡を行えば、群落内の放射伝達及び群落からの反射をシミュレートできる。あるフォトンのたどる経路は、入射光の条件と群落の条件によって決まる。ここで、水稲個体群は一辺1cmの立方体のセルの集合より成るとした。 各セルは、空気、葉、土壌のいずれかの属性を持つ。葉という属性を持つセルには、その空間内の葉面積L、葉の方位角、葉の傾き及び反射係数、透過係数を情報として与える。構造の情報は第2章で提案したマッチング手法による3次元構造データにより与えた。葉の反射率を、透過率を、また入射ベクトルに垂直な面へのセルの投影面積をSc、葉の投影面積をSLとすると、フォトンが葉セルに入射すると、(SL/Sc)(+)の確率で散乱し、(SL/Sc)(1--)の確率で吸収し、1-SL/Scの確率でセルを透過する。散乱の仕方はランバートの余弦法則に従うとした。吸収された場合、フォトンは消滅し、透過した場合セルから力を受けず、フォトンは直進する。フォトンが土壌セルに入射すると、葉セルと同様に散乱する。 ステレオ写真撮影と同じ日の日没直後に人工照明下で各区中央株の草冠の分光反射測定を行った。個体群への入射角は15°、観測方位角は0°とし、観測天頂角は0,45,60°について行った。シミュレーションは、実測時の条件に準ずる条件で行った。個葉反射、透過係数及び土壌反射係数は、第4章の近赤外域での実測に基づいて一定値として与えた。シミュレーション結果を実測値と比較した。その結果、実際の方向性反射がよく再現され、モデルの有効性が確かめられた(図2)。 図2.方向性反射の実測値と計算値の比較 第6章では、各種物理条件下でのシミュレーションによる水稲3次元構造と分光反射特性の関係の解析を行った。十分広い圃場に平行光が入射する条件下でシミュレーションを行い、方向性分光反射特性を評価した(図3)。その結果、各観測角で葉面積の増加にともない反射係数が大きくなる傾向があること、疎区の生育初期は、他と異なる方向性反射特性を持つことが示された。さらに、観測天頂角45°方向と鉛直方向の反射係数の比は、葉傾きの平均値と0.84の高い相関係数を持つことが示された。 図3.シミュレーションによる方向性反射特性 以上の実験、測定、シミュレーションにより、本論文の結論は、次の5点に要約できる。 (1) 水稲画像マッチング手法を開発した。 (2) 本手法により、水稲構造指標の時系列及び空間特性が把握できた。 (3) 水稲個葉の分光特性の変動解析の結果、近赤外域で個葉による変動が小さいことが明らかになった。 (4) 実際の構造に基づいた水稲個体群放射伝達シミュレーションの方法の提案を行った。本方法による方向性分光反射は、実測値とよく適合していた。 (5) 各種観測条件、個葉分光特性条件下において、水稲個体群放射伝達シミュレーションを行い、構造指標と反射特性の関係を評価した。 |