学位論文要旨



No 111957
著者(漢字) 柴崎,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) シバザキ,ヒデキ
標題(和) バクテリアセルロースの構造および応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 111957
報告番号 甲11957
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1673号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 林産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 鮫島,正浩
内容要旨

 酢酸菌のつくるセルロースはバクテリアセルロースと呼ばれ、古くから結晶性で純粋なセルロースの一つとして注目され、セルロース自体の研究、またセルロース生合成経路の研究などに利用されてきた。しかしそれらの研究を経た今日でも未だに基本材料であるセルロースに解明されていない点は多く残されている。私たちはほぼ総てのセルロース源を森林資源に依存しているが、地球環境保全の視点から必ずしも好ましい状況ではない。森林資源に大きく依存しないセルロース生産の可能性を探索した場合、酢酸菌のセルロースが大いに注目を浴びるようになる。そこから導きだされるセルロース生合成と高次構造形成機構に関する知見は、セルロース素材の工業生産の道を開くキーポイントになるだけでなく、植物細胞における同機構の理解にもつながることから、国内外を問わず、工学や生物学など広い分野の多くの研究者の関心をひいている。本研究においては、まず第一に酢酸菌の基礎的な性状およびそれにより産生されるセルロースの性質を分析することを目的とし、微細構造の検討、重合度測定、酵素分解性などの評価を試みた。またバクテリアセルロースの高次構造形成機構、とりわけその発生期構造に対する理解を深める上で、直接染料存在下での酢酸菌培養で得た生成物の構造とその性質を分析することは非常に興味深い示唆を与えると思われる。そこで未だ明かされないセルロース構造への理解の一助となるべく、染料や水溶性高分子存在下で得られるセルロース・染料錯体を化学量論的な見地から分析を試みた。さらにバクテリアセルロースに関して興味深いことのひとつに、変異した酢酸菌株によって合成される帯状セルロースがある。この材料は通常の繊維状バクテリアセルロースとは異なり、生合成時からセルロースIIの結晶型を持っており、S.Kugaらの分析からセルロース分子鎖が規則的に折り畳まれた構造を持っていることが推測されている。この材料の固体構造および成因を明らかにすることにより、セルロースI、IIの結晶型についての新たな知見が得られるばかりでなく、それらをin vitro合成ひいては工業生産する際の制御の可能性にもつながる。そこでこの材料の酸および酵素による加水分解挙動を重合度の見地から調べ、他のセルロース材料との比較検討を行った。

 バクテリアセルロースは兼ねてから従来の素材とは異なる優れた特性を有することが知られているが、単独あるいは他のセルロース系および非セルロース系材料と組み合わせることにより、高度な機能を持った材料を与えることが期待される。そこで、基本材料としての物理特性を分析すると同時に、その応用分野を探求した。本研究においては製紙用機能化材料への応用と分離膜材料への応用に関して物理的な側面から検討を進めた。

 本研究によって以下の知見が得られた。

§1.酢酸菌の培養

 酢酸菌は培養中の物理的刺激に敏感であり、撹拌、振とうなどを加えるとセルロース合成活性を失うが、回転培養で気液界面を増大させることにより、セルロース収量の極大を与える条件を見い出せることが分かった。すなわち表面積がセルロース生産性に影響を与える重要な因子の一つであることが確認された。

§2.溶質排除クロマトグラフィーによるセルロースの分子量評価

 硝化混酸でナイトレートに誘導体化したセルロース試料を溶質排除クロマトグラフィーで分画し、そのクロマトグラムからセルロース分子量の分布を評価する手法を確立した。

§3.酢酸菌培養培地への試薬添加

 酢酸菌培養培地に、セルロースと強い相互作用をもつ染料を添加して得られるバクテリアセルロース・染料錯体は、透過電顕観察から通常のフィブリル凝集が阻害されているのが確認され、X線回折でも非晶パターンを与えることから微結晶集合体であることを推測した。

 バクテリアセルロース・染料錯体は酵素分解性が著しく減少し、セルロースと染料間に強い相互作用が働いていることが示唆された。

§4.バクテリアセルロース・染料錯体の組成分析

 熱分解ガスクロマトグラフィーでセルロース・染料錯体の組成分析を検討したが、セルロースの高次構造に取り込まれた染料の不均一な熱分解あるいはセルロース・染料間の2次的な熱分解作用のため、十分な定量は行えないことが分かった。

 漂白パルプ中の残留リグニンの代表的な定量法であるカッパー価測定法を応用してバクテリアセルロース・染料錯体の酸化剤による化学定量法を検討した。定量できない染料があったが、コンゴレッド、蛍光増白剤では定量分析が可能であった。その結果、染料錯体は培地への染料仕込み濃度に関らず化学量論的に一定の構造を持つことが分かった。

§5.バクテリアセルロースの酸加水分解挙動

 セルロース試料の酸加水分解挙動を重合度の見地から検討し、一定になる残渣重合度(レベルオフ重合度)の存在をいずれの試料においても確認した。しかし元の試料中にレベルオフ重合度に相当する周期性の存在は、X線回折およびヨウ素イオンによる直接染色では検出できなかった。

 酢酸菌の作るセルロースII(帯状セルロース)は酸による加水分解で重合度約20の残渣がほぼ単分散で得られた。この挙動はポリエチレンラメラの酸処理と同様、アクセシビリティーの大きい分子鎖の折れ曲がり部分が選択的に酸で分解されたことによると思われ、帯状セルロースの折り畳み鎖構造を強く示唆するものである。

§6.バクテリアセルロースの酵素加水分解挙動

 酵素による加水分解では通常のバクテリアセルロースに比べ、帯状セルロースは難分解性を示した。折り畳み鎖によって形成される逆平行鎖構造の非能率的分解または折れ曲がり部分を酵素が認識できないことを示唆している。

§7.バクテリアセルロースのマーセル化

 アルカリ処理したバクテリアセルロース試料は、顕著な形態変化および結晶形態の変化に対応して、酸加水分解挙動が異なった。マーセル化した試料のレベルオフ重合度は元の1/3になったことから、微結晶長が減少することが分かった。バクテリアセルロースではその生合成機構からミクロフィブリル内の分子鎖の極性は揃っており、マーセル化の際の繊維方向への顕著な収縮と横方向への膨潤挙動から分子鎖が折り畳まれる可能性は否定できない。

§8.帯状セルロースの固体構造

 真空中で金属を斜めから蒸着させた試料を電顕で観察すること(シャドウイング法)により、バクテリアセルロース試料のミクロフィブリルの厚さを測定した。その結果リボン状バクテリアセルロースは6-9nm、帯状セルロースは9-12nmの出現頻度が高いことが分かった。

§9.透析用分離膜への応用

 バクテリアセルロース膜は水系での透析膜として再生セルロース膜と同様にして使用できることが分かった。バクテリアセルロース膜は透析膜より薄い状態で使用することができそれゆえ透過速度が大きいが、拘束および無拘束でのアルカリ処理により溶質の最大透過分子量(カットオフ分子量)を小さい側へある程度調節することができた。またバクテリアセルロースを解繊して作ったシートに無定型セルロースの離解物を混合すると緻密なシートとなり、分離膜として使用できることが分かった。

§10.製紙用機能化材料への応用

 バクテリアセルロースと木材パルプとの混抄シートは優れた物理特性を発揮することが分かった。しかし高結晶性セルロースであるシオグサセルロースの場合は結晶性が高すぎて繊維間結合が阻害され、紙力増強の効果が小さかった。つまり混合する材料の結晶性の高いことが必ずしも弾性率や強度の向上につながらず、微細繊維の形状・柔軟性が重要な因子であることが推定された。バクテリアセルロースはその特徴的なミクロフィブリル形状のため、力学特性の制御・改善において複合化の効果が大きいことが分かった。

審査要旨

 セルロースは再生産が可能で、環境調和性が高いために、地球環境保全が強く求められる現在および将来において特に重要な材料である。しかし現在のように原料を森林資源に依存しすぎるのは問題で、新たなセルロース生産の方法が強く求められている。

 最近酢酸菌によるセルロース生産が注目されており、バイオリアクターによる工業生産も小規模ながらすでに始まっている。しかし基本的な問題としてセルロースの生合成経路の解明や高次構造形成の機構に関する諸問題は未解決のままであり、本格的な工業生産に移行させるには未解決な問題が多い。

 本論文は、まず酢酸菌の基礎的な性状と生産されるセルロースの性質を明らかにし、更に高次構造形成機構への洞察を深める目的で酢酸菌の培地の条件を種々に変化させ、生成されるセルロースの特性の検討をめざした。更に固体構造としてのセルロースの諸特性を調べ、セルロースの微細構造に関する情報を得ることをめざした。またバクテリアセルロースの応用実験から実用化の応用の可能性を検討した。

 第1章は序論であり、バクテリアセルロースに関する従来の知見、その研究の歴史、更に本研究の目的を総括している。

 第2章(本論I)は本論文の中心で酢酸菌を用いた基礎研究を扱っており、8部より構成されている。

 第1部は酢酸菌の培養について記述しており、酢酸菌は培養中の物理的刺激に敏感であり、回転培養により気液界面を増大させることによりセルロース生産の最適化を図れることが示唆され、工業化への基本的な問題を解明した。

 第2部は溶質排除クロマトグラフィーによるセルロースの分子量評価について記述しているが、誘導体化したセルロースのクロマトグラムからセルロース分子量の分布を評価する手法を確立した。

 第3部は酢酸菌培地への試薬添加について記述しているが、セルロース・染料錯体を透過電顕により観察し、染料分子がフィブリル凝集を阻害し、また錯体は酵素分解性が減少し、錯体内での強い分子間力の作用が示唆された。

 第4部はバクテリアセルロース・染料錯体の組成分析について記述しており、熱分解ガスクロマトグラフィーによると、セルロースの高次構造内の染料分子の不均一熱分解またはセルロース・染料間の二次的な熱分解作用が示唆された。

 第5部はバクテリアセルロースの酸加水分解挙動について記述しており、残査重合度に相当する周期性が存在する可能性があり、特に酢酸菌の作る帯状セルロースでは折り畳み構造の存在が強く示唆された。

 第6部はバクテリアセルロースの酵素加水分解挙動について記述しており、帯状セルロースは難分解性を示し、折り畳み鎖によって形成される逆平行鎖構造の非能率的分解または折れ曲がり部分を酵素が認識できない可能性を示唆した。

 第7部はバクテリアセルロースのマーセル化について記述しているが、アルカリ処理により酸加水分解挙動が異なり、微結晶長が減少し、マーセル化の際の収縮と膨潤挙動から分子鎖が折り畳まれる可能性が示唆された。

 第8部は帯状セルロースの固体構造について記述しているが、シャドウィング法によりミクロフィブリル厚さの測定の結果、リボン状バクテリアセルロースでは6〜9nm、帯状セルロースでは9〜12nmの出現頻度が高いことが分かった。

 第3章(本論II)はバクテリアセルロースの応用を扱っており、今後の実用化の可能性を検討したもので、2部より構成されている。

 第9部は透析用分離膜への応用を記述しており、水系でのバクテリアセルロース膜の検討結果を扱っているが、緻密な分離膜の形成が可能で、アルカリ処理条件より溶質の最大透過分子量を制御可能なことが示された。

 第10部は製紙用機能化材料への応用を記述しており、木材パルプヘバクテリアセルロースまたはシオグサセルロースを混抄してシート特性を調べた結果、シート弾性率や紙力強度の向上には特に微細繊維の形状や柔軟性が重要であり、結晶性のみが制御因子ではないことが示唆された。

 第4章では本論文の総括を行っている。

 以上本論文は多様な条件下で酢酸菌を用いたバクテリアセルロースの構造や組成の分析を行い、また実用化のための諸条件を明らかにしたもので、バクテリアセルロースの新たな応用可能性を開いたといえる。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)論文として価値あるものと認めた。

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