学位論文要旨



No 111961
著者(漢字) 林,錫杰
著者(英字)
著者(カナ) リン,シャクケツ
標題(和) 耐熱性プロテアーゼ(アクアライシンI)の熱安定性、構造及び機能に関する研究
標題(洋) Studies on the Thermostability,Structure,and Function of Aqualysin I,a Serine Protease Produced by Thermus aquaticus YT-1
報告番号 111961
報告番号 甲11961
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1677号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 アクアライシンIはダラム陰性高度好熱菌Thermus aquaticus YT-1が菌体外に分泌するセリンプロテアーゼである。アクアライシンIは281個のアミノ酸残基から成り、分子量は28,350である。本酵素の反応至適条件は80℃、pH10である。アミノ酸配列は他のサチライシン型セリンプロテアーゼと相同性が高く、プロテイナーゼKと43%、数種類のサチライシンとは37〜39%が同一である。熱安定性には1mMのカルシウムイオンが必須である。アクアライシンIには2つのS-S結合が存在し、そのS-S結合がアクアライシンIの安定性に寄与している。アクアライシンIは、シグナル配列(14残基)、N末端プロ配列(113残基)、成熟酵素領域(281残基)、C末端プロ配列(105残基)の四つの機能的ドメインを持つ51kDaの前駆体として合成される。N末端プロ配列はサチライシンのプロ配列と同様、アクアライシンIの前駆体構造の安定化と酵素の構造形成に関わる、分子内シャペロンとしての重要な機能を持っている。C末端プロ配列は、前駆体の膜通過の際、その構造を柔軟な状態に保つのに役立っていると考えられている。

 本研究は、アクアライシンIの熱安定性とカルシウムイオンとの関係、酵素の構造-機能相関と構造形成について解析した結果をまとめたものである。

第一部アクアライシンIのカルシウムイオン結合に関する研究1)アクアライシンIの熱安定性に対するカルシウムの効果

 大腸菌発現系を用いて調製したアクアライシンIの成熟酵素をカルシウム存在下でカラムクロマトグラフィーにより精製した。精製されたアクアライシンI標品をカルシウム非存在下、セファデックスG-25カラムにかけ、アクアライシンI Apo-1酵素を調製した。またEDTA処理後の酵素標品から同様にApo-2酵素を得た。ICP発光分析の結果、Apo-1及びApo-2酵素に結合しているカルシウムは、酵素1モル当たり、それぞれ1.00モルと0.33モルであった。Apo-1酵素とApo-2酵素の80℃での活性の半減期はそれぞれ33分と21分で、Apo-2酵素はApo-1酵素よりやや不安定であったが、1mMカルシウム存在下では両酵素とも3時間後の残存活性は90%以上と無処理の酵素同様安定であった。

 Apo-1アクアライシンIを試料として、断熱型示差滴定熱量計(マイクロキャル社)を用いてカルシウム溶液を滴下して測定した結果、カルシウムの結合数n=1.01mol/mol、結合定数K=3.1×103M-1、結合エンタルピー△H=3.23kcal/mol、結合エントロピー△S=24.1 e.u.が得られた。 アクアライシンIの弱いカルシウム結合部位とカルシウイオンの結合は吸熱反応であった。また、Apo-2酵素とQuin-2との間のカルシウムに対する競争的結合実験により、強い結合性をもつカルシウムの結合定数は106M-1より小さいと推定された。

 上記のApo-1に結合するカルシウムの数が1mol/molであることから、アクアライシンIの構造の安定化に必要な酵素1分子当たりのカルシウムは1分子では十分でなく、2分子が必要であることが分かった。

 Apo-1アクアライシンIの熱安定性はカルシウムイオンの濃度に依存することが分かった。DFPで失活させたApo-1アクアライシンIの種々の濃度のカルシウムイオン(1M〜1mM)存在下でのTm(変性温度の中点)を円偏光二色性の測定から求めた。その結果、Tmは85℃から102℃へと添加したカルシウムイオンの濃度に依存して上昇した。

 Apo-1酵素の熱安定性に対する希土類金属の効果を調べた結果、金属の電価(2価と3価)にかかわらず、金属元素のイオン半径(0.93〜1.06オングストローム)に依存して、カルシウム(イオン半径0.98オングストローム)と同様、酵素を耐熱化した。耐熱化効果を持つ金属はLa3+、Sr2+、Nd3+、Tb3+であった。

2)カルシウムの結合によるアクアライシンIの構造の変化

 カルシウムイオンの結合による立体構造の変化を調べるため、Apo-1とApo-2アクアライシンIの蛍光スペクトルを測定した。その結果、Apo-1アクアライシンIでは蛍光スペクトルの変化は認められなかったが、Apo-2アクアライシンIでは、1mMカルシウムイオンの添加により、320nmから450nmまでの蛍光スペクトルは若干(約1%)増えた。これは、カルシウムイオンの結合により、アクアライシンIのトリプトファン残基を含むポリペチド鎖が微小な構造変化をした結果であると考えられる。

3)139La-NMRによるアクアライシンIとLa3+との結合の研究

 先に述べたように、希土類金属であるLaはアクアライシンIの耐熱化に有効であった。La3+の化学的性質はCa2+と類似している。Apo-1アクアライシンIを用いて種々の濃度の塩化ランタンを加えて139La-NMRシグナルを測定した。その結果、La3+のアクアライシンIとの結合は非常に強いことを示唆する結果が得られた。

第二部アクアライシンIの変異型酵素の解析による構造-機能相関の解析1)アクアライシンIのN219S変異型酵素の安定性と活性上昇について

 サチライシンBPN’のAsn218をSerに置換した変異型酵素では熱安定性と活性が上昇することが知られている。サチライシンBPN’のAsn218に対応するアクアライシンIの残基はAsn219であるが、アクアライシンIの場合、長期保存により自己分解が起こり、その切断点はGln216-Thr217の間であることが分かっている。アクアライシンIの熱安定性と酵素活性に対するAsn219の寄与を検討する目的で、SerならびにThr置換型酵素(N219S,N219T)を作成し検討した。大腸菌の発現系を用い、熱処理、陽イオン交換カラムクロマトグラフィーにより野生型酵素と変異型酵素を精製した。合成基質N-サクシニル-Ala-Ala-Pro-Phe-p-ニトロアニリドを基質として用い、各酵素のkcat、Kmとkcat/Kmを求めた。その結果、N219S変異型酵素のKmは野生型酵素よりやや大きくなったが、kcatは野生型酵素の3信以上、kcat/Kmは2倍以上であった。N219T変異型酵素のKmは変わらなかったがkcatはやや低下していた。これら3種類の酵素の活性の至適温度は80℃であったが、N219Sの活性は低温(10〜40℃)でも野生型酵素の2倍以上であった。熱安定性については、2種の変異型酵素は野生型酵素と大きな違いを示さなかった。以上の結果より、アクアライシンIのAsn219は触媒能に大きな影響を与える残基であることが示唆された。

2)常温または酸性側で高い活性を示す変異型酵素のスクリーニング

 アクアライシンIの活性の至適温度は80℃(40℃では活性は80℃の10%以下)であり、至適pHは10.4(pH6ではその約40%の活性)である。これら酵素の性質に関与するアミノ酸残基を明らかにする目的で、常温(42℃)または酸性側(pH5.5)で高い活性を示す変異型酵素のスクリーニングを試みた。PCR(polymerase chain reaction)法でアクアライシンIの成熟酵素領域を含むDNAを増幅し、得られた0.9kbのSfiI-SphI DNA断片を発現プラスミドpAQN△C105の野生型DNA断片と置換し、大腸菌を形質転換した。形質転換体をpH7.5またはpH5.5のスキムミルクを含むLB plateにレプリカした。得られたpH7.5のLB plateは42℃で、pH5.5のLB plateは65℃で保温し、ハローが早く出てくる大腸菌株を選んだ。25.000株の中から、42℃或いは酸性側で高い活性を示す変異型酵素を生産するとおもわれる形質転換株21株を得た。現在、得られた変異株から酵素を精製し解析を行っている。

第三部アクアライシンIのin vitroフォールディングに関する研究

 アクアライシンIのN末端プロ配列領域は酵素の構造形成に関わる分子内シャペロンとして機能する。C末端プロ配列領域はプロテアーゼ領域を柔軟な構造に維持する分子内シャペロンとして機能していると推定されている。これらの解析は、これまでin vivoの実験系で行われてきたものであるが、ここでアクアライシンIのin vitroフォールディングの系を構築し、アクアライシンIのN末端及びC末端プロ領域の役割を解析した。

 アクアライシンIのN末端及びC末端プロ配列のHis-Tagとの融合タンパク質の発現系を作成し融合タンパク質を精製した。8M塩酸グアニジン溶液(pH2.2)を加えて、アクアライシンIを変性させ、その後、N末端プロ領域を添加し、脱塩カラムにより塩酸グアニジン溶液を除き、室温でアクアライシンIをリフォールディングさせた。現在、変性させたアクアライシンIの活性回復は約10%まで認められているが、さらに条件を検討中である。

審査要旨

 アクアライシンIはダラム陰性高度好熱菌Thermus aquaticus YT-1が菌体外に分泌するセリンプロテアーゼである。本研究は、アクアライシンIの構造と機能について解祈した結果をまとめたものであり、序論とそれに続く三部よりなる。

 第一部は、アクアライシンIのカルシウムイオンの結合に関する研究をまとめたものである。

 第一章では、アクアライシンIの熱安定性に対するカルシウムの効果について検討した。精製アクアライシンIをゲルろ過し、Apo-1酵素を調製した。また、EDTA処理後の酵素標品から同様にAPO-2酵素を得た。プラズマ発光分光分析の結果、Apo-1及びApo-2酵素に結合しているカルシウムは、酵素1モル当たり、それぞれ1.0モルと0.33モルであった。Apo-1アクアライシンIを試料として、断熱型示差滴定熱量計を用いてカルシウム溶液を滴下して測定した結果、カルシウムの結合数は酵素1モル当たり1.01モルであり、この結果からアクアライシンIに結合するカルシウムは酵素1モル当たり2モルであることが分かった。さらに、カルシウムの結合定数K=3.1×103M-1、結合エンタルピー△H=3.23kcal/mol、結合エントロピー△S=24.1 e.u.が得られた。また、Apo-2酵素とQuin-2との間のカルシウムに対する競争的結合実験により、強い結合性をもつカルシウムの結合定数は106M-1より小さいと推定された。Apo-2酵素はApo-1酵素よりやや不安定であったが、1mMカルシウム存在下では両酵素とも80℃、3時間後の残存活性は90%以上であった。したがって、アクアライシンIの構造の安定化には、結合性の弱いカルシウムの結合が必須であることが分かった。

 Apo-1酵素の熱安定性に対する希土類金属の効果を調べた結果、金属の電価(2価と3価)にかかわらず、金属元素のイオン半径(0.93〜1.06オングストローム)に依存して、カルシウムと同様、酵素を耐熱化した。耐熱化効果を持つ金属はLa3+、Sr2+、Nd3+、Tb3+であった。更に、90℃、30分の熱処理により、La3+はCa2+より高い耐熱性上昇効果を示した。

 第二章では、カルシウムイオンの結合により、アクアライシンIのトリプトファン残基を含むポリペチド鎖が微小な構造変化をすると考えられる結果について述べている。

 第三章では、Apo-1アクアライシンIとLa3+の結合を189La-NMRにより解析した。その結果、La3+のアクアライシンIとの結合定数は2.2×104M-1でカルシウムイオンの3.1×103M-1より一桁大きいことが分かった。

 第二部は、アクアライシンIの変異型酵素を解析し、構造-機能相関についてまとめたものである。

 第一章では、部位特異的変異の導入により作製した、Asn219のSerまたはThr置換変異型酵素の酵素活性について検討している。Thr置換型酵素は野生型酵素と大差なかったが、Ser置換型酵素の活性は測定した全温度範囲(10〜90℃)にわたって野生型酵素の2倍以上であった。Asn219はアクアライシンIの触媒能に大きな影響を与える残基であることが示唆された。

 第二章では、常温または酸性側で高い活性を示す変異型酵素のスクリーニングについて述べている。PCR(polymerase chain reaction)法によりアクアライシンIの成熟酵素領域を含むDNAを増幅し変異を導入し、大腸菌を形質転換した。約25,000株の中から、42℃あるいは酸性側で高い活性を示す変異型酵素を生産すると思われる形質転換株21株を得た。

 第三部では、アクアライシンIのin vitroフォールディングに関する研究について述べている。アクアライシンIのN末端及びC末端プロ配列のHis-Tagとの融合タンパク質の発現系を作製し、融合タンパク質を精製した。8M塩酸グアニジン溶液(pH2.2)を加えて、アクアライシンIを変性させ、その後、N末端プロ領域を添加し、脱塩カラムにより塩酸グアニジン溶液を除き、室温でアクアライシンIをリフォールディングさせた。変性アクアライシンIの活性回復は約10%であった。

 以上要するに本論文は、アクアライシンIの熱安定性とカルシウムイオンとの関係、酵素の構造-機能相関と構造形成(フォールディング)について解析したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク