プロテインキナーゼC(PKC)は、細胞内情報伝達系の中枢を占めるセリン/スレオニンリン酸化酵素で、細胞の増殖、分化、分泌、形態変化などの基本的な生命現象に深く関与している。ホルモンやホルボールエステルなどの細胞外刺激によって、特定のPKCアインザイムが細胞内から消失することがあり、ダウンレギュレーションと呼ばれている。選択的消失(ダウンレギュレーション)は、蛋白質合成の抑制ではなく、分解の促進であることが示されており、その機構や意義は不明であるが、PKCの活性化の指標の1つとされている。本論文は、ラット下垂体腫瘍由来GH4C1細胞を用いて、生理的刺激によるPKCのダウンレギュレーションの機構と情報伝達系における意義について検討したものであり、緒言に当たる第1章と終章の総合討論に当たる章を合め5章より構成されている。第1章ではこのような本研究の背景と目的を述べたものである。 第2章では、GH4C1細胞において、甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH)の刺激によって起こるnPKCのダウンレギュレーションに関与するプロテアーゼを同定している。GH4C1細胞では、6種類のPKCアイソザイム(cPKC:,;nPKC:,,;aPKC:)が発現しており、このうち、TRHによってnPKCのみがダウンレギュレーションされる。種々の低分子量プロテアーゼ阻害剤の効果を検討したところ、システインプロテアーゼの阻害剤であるAc-Leu-Leu-Nle-al(ALLNal)がダウンレギュレーションを阻害した。ALLNalは、細胞内システインプロテアーゼであるカルパインの阻害剤として開発されたものであることから、さらに、新規のカルパイン阻害剤(PD150606)と特異的阻害剤である合成ペプチド(カルパスタチンペプチド)を用いて、カルパインがTRHによるnPKCのダウンレギュレーションに関与していることを明らかにしている。これは、今まで報告されているPKCのダウンレギュレーションの機構に関する研究が、ホルボールエステルなどの薬理的刺激を用いた非特異的なものであるのに対して、生理的刺激によって起こるダウンレギュレーションの機構を明らかにした最初の例である。 第3章ではGH4C1細胞のカルパインーカルパスタチン系について酵素学的、免疫学的に解析している。この細胞にm-カルパイン(試験管内で活性化にmM濃度のカルシウムが必要)、-カルパイン(M濃度のカルシウムが必要)の両アイソザイムのカルパインと、内在性阻害蛋白質であるカルパスタチンが存在することを初めて明らかにした。さらに、TRHの刺激によって、活性化の指標であるm-カルパインの膜結合量が増加すること、および、カルパスタチンがアップレギュレーションされることを見いだし、TRHの情報伝達系で、両者が共同してnPKCのダウンレギュレーションを制御していることを示した。 第4章では、nPKCのダウンレギュレーションの生理的意義を明らかにすることを目的として、nPKCのダウンレギュレーションを阻害したときのPRLの分泌について検討している。TRHによるPRLの分泌は、細胞内の顆粒に蓄積していたPRLの刺激直後の分泌と、刺激によって新たに合成されたPRLの分泌との2相に分類できる。ALLNalで細胞を処理してnPKCのダウンレギュレーションを阻害すると、前者の分泌は変化がなかったのに対して、後者の合成を介する分泌のみが阻害された。また、このときTRHによる細胞内のPRLの蛋白量の増加が抑制されていたが、mRNA量はむしろ増加していた。TRHはPRLの遺伝子からmRNAへの転写、mRNAの細胞内蓄積、蛋白質への翻訳過程などの各段階を促進するが、本章では、以上の結果から、nPKCのダウンレギュレーションがPRL合成のmRNAレベルでの制御に関与している可能性を示している。 第5章では、以上の結果に基づき、他の報告もふまえて、nPKCのダウンレギュレーションの機構、選択性、生理的意義について全体的な考察をしている。 以上、本論文は、生化学的、細胞生物学的手法を用いてPKCの選択的減少の機構を明らかにし、さらに、その生理的意義について解析したものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、申請者に博士の学位(農学)を授与してしかるべきものと判断した。 |