近年、X線結晶回折、NMR構造解析などの物理的分析手法およびComputer Graphicsなどの情報処理技術の進歩につれ、生化学の研究はDNAレベルで遺伝学的メカニズムを解明することにとどまらず、生体機能を持つ蛋白質の構造、安定性、機能を解明する段階まで進んでいる。しかし、20種のアミノ酸残基から構成された蛋白質は複雑で、その構造も千変万化であり、構造、機能、安定性間の関連性はまだ完全に解明されていない状態である。これらの未解明の問題に対して、生化学者の立場から研究するのは重要な課題である。 cytochrome cは生物の呼吸鎖において重要な酸化還元電子伝達蛋白質であり、各々の生体において広く保存されている。また低分子量かつmonomerであるため、蛋白質の構造と安定性の関連、安定性と電子伝達性の関連などの研究には至適の研究材料と考えられる。 好熱性水素細菌Hydrogenobacter thermophilus由来のcytochrome c-552(c-552)は80アミノ酸残基からなり(分子量9.2KD)、熱安定性が高く100℃でも変性しないことから、他のcytochrome cより優れた耐熱性を持った蛋白質である。c-552はその耐熱性の酸化還元蛋白質としての性質を利用して人工電子素子等への応用も期待されている。従ってこの構造安定なcytochrome cを容易な方法で多量に生産することは非常に有意義と考えられる。一方、既に蛋白質の立体構造が解明されている中温菌Pseudomonas aeruginosa由来の82アミノ酸残基からなるcytochrome c-551(c-551)は一次構造上c-552と56%相同性があるにも関わらず、その熱安定性が極めて異なっていることが知られている。構造と熱安定性の異なる機構に関する知見を得るために、この両者は優れた研究材料である。 以上に基づいて、本研究では細菌のcytochrome c生合成システムの検討を行い、好熱菌H.thermophilus由来のcytochrome c-552遺伝子とP.aeruginosa由来のcytochrome c-551遺伝子を用いて機能的なcytochrome cの生合成システムを開発し、これを基礎としてc-552蛋白質のアミノ酸配列を参考にしてc-551蛋白質の熱安定性を向上させることにより、cytochrome c蛋白質の熱安定性機構の知見を得ることを目的とした。 1.P.aeruginosa由来のcytochrome c-551とH.thermophilus由来のcytochrome c-552の遺伝子の発現と生合成 E.coliにおいてc-551遺伝子が機能的に発現しないことと、c-552遺伝子が異常発現していることを確認してから、P.aeruginosaを自己宿主とする発現システムを検討した。cytochrome c-551はP.aeruginosaにおいて嫌気条件下で脱窒反応に関与するcytochrome cであり、好気条件下では発現されない。まず、外来cytochrome c遺伝子を発現するために、cytochrome c-551遺伝子を欠損した変異株P.aeruginosa RM490を作製した。この変異株を発現の宿主として、c-551、c-552について共に自身由来のsignal配列を持つ遺伝子および持たない遺伝子が発現ベクターpHA10のtac promoterの支配下、好気条件下で発現するかどうかを検討した。その結果、c-551のsignal peptideの存在下のみでc-551を発現させ得ることを確認した。一方、自己のsignal peptideが存在しないc-552はE.coliでの発現と同様に異常発現していることが分かった。そこで、c-552を正常に発現させるために、c-552のsignal配列をc-551のsignal配列に交換したhetero-signal peptideを有する融合遺伝子psc-552を作製した。psc-552の場合はc-551のsignal peptideにより、P.aeruginosaにおいてc-551と同じようにholo型c-552の大量発現に成功した。さらに、生合成されたcytochrome cのP.aeruginosa細胞内での局在性を解析した結果、c-552、c-551は共にperiplasmに存在し、heme cと共有結合していることが明らかになった。また、発現された両蛋白質のN末端アミノ酸配列はそれぞれnativeなc-551及びc-552と一致していることから、hetero-signal peptideにより、c-552のprocessingはP.aeruginosaの中でも正常に行われたことを確認した。以上の結果により、cytochromecの生合成にはsignal peptideが必要であること、H.thermophilus由来のcytochrome c-552のsignal peptideの配列の相違によって中温菌P.aeruginosaやE.coliにおいては分泌できないことが示された。 2.中温菌P.aeruginosaを用いて生合成されたcytochrome c-552の精製と性質 pH4.0の酸性変性処理とCM-Toyopearlクロマトグラフィーによる簡単なcytochrome cの精製方法を確立した。この精製方法により、c-551、c-552あるいは以後の変異cytochrome cを完全精製することが容易となった。P.aeruginosaにおいて生合成され、精製されたcytochrome c-552(PSC552)は蛋白質の一次構造、分光光学的性質、二次構造、熱安定性などの分析によって、H.thermophilus由来のcytochrome c-552(HC552)と完全に一致していることを確認した。その結果から、一次構造上N末端にMet残基が1つ多いことが、E.coliにおいて発現されたcytochrome c-552(MC552)の熱安定性がH.thermophilus由来のcytochrome c-552より低下した原因であることが明らかになった。以上のことより、蛋白質の構造安定性は一次構造によって決められており、アミノ酸残基の変化がなければ蛋白質構造の安定性は蛋白質の生合成あるいは成熟化の環境とは無関係であることが示唆された。この結果はさらに以後の変異蛋白質の熱安定性を討論する際の重要な知見である。 3.cytochrome c-551とcytochrome c-552遺伝子由来のキメラcytochrome cの熱安定性 c-551の立体構造を参考にし、PCR法を用いて、c-551のアミノ酸残基22-26のloop領域を選んで、c-551のN末端から1番目の-helix、heme cとの結合領域を含んでいる24残基までの部分をc-552のN末端から22残基までの部分と互いに交換しキメラ蛋白質H22P25とP24H23を作製した。同様にc-551の55残基目から4番目の-helixを含むC末端部分をc-552の53残基目からC末端まで部分と互いに交換し、キメラ蛋白H53P56とP55H54を作製した。精製したこれら4種類のキメラ蛋白質は分光分析とヘム染色の結果からすべてcytochrome cであり、heme cと共有結合していることを確認した。続いて、CDを用いてキメラcytochrome cの熱安定性と変性剤Gdn-HCl濃度に対しての安定性を調べた結果、1.5MGdn-HClの存在下でH22P25がc-551より熱安定性が低下した以外は他の三種類のキメラcytochrome cはc-551より熱安定性が増加したことが知られた。また、H22P25はc-551よりGdn-HClに対して不安定化していることが明らかになった。c-551のN末端を入れ換えたP24H23はc-552よりTm値がわずか5℃しか低くないことから、全体的なconformationを考えるとc-551のN末領域はc-552の安定性に対してあまり影響しないと推測した。またP24H23のN末端はc-552より、アミノ酸残基が2個多いこと、加えてMC552とc-552の熱安定性の相違から、N末端の残基の長さが蛋白質の熱安定性に関与している可能性があるとも推測されている。一方、H53P56とP55H54の安定性がc-551より高くなったこと、また、c-552の3分の2を含むH53P56の熱安定性がc-552のC末端の3分の1を含むP55H54の熱安定性より1℃低いことから、c-552のC末端には-helixを形成しやすい残基が多く存在することで蛋白質の熱安定性に関与していることが示唆された。 4.自然選択説に基づくcytochrome c-551蛋白質熱安定性の向上 機能類似の蛋白質において、その機能と関わる残基は一次構造上よく保存されている領域であるが、それらの残基の安定性に対する貢献度には差がないと考えられる。一方、非保存領域は温度因子など環境因子のストレスにより選択され、その結果、好熱菌と中温菌のアミノ酸残基の違いは熱安定性に対応していると考えられる。そのような考えに基づいて、cytochrome cの進化分類上同クラスに属する、異なる生育環境温度の8種類のbacteria(中温菌6種、高温菌1種、好熱菌1種)のcytochrome cの一次構造を比較分析することにより、中温菌相互間では類似しているが、高温菌と好熱菌において異なる残基、また、すべての菌において異なっている残基を選び、c-552のアミノ酸残基を参考にして新たにそれぞれ3、9、12個のアミノ酸残基を変化させた変異c-551蛋白質N3C551、N9C551、N12C551を合成DNAを用いて作製した。精製された変異蛋白質の熱安定性を調べた結果、3種類の変異蛋白質は1.5MのGdn-HCl存在下でそれぞれTm値が野生型のc-551より15℃、11℃、26℃上昇していることが分かった。更に、25℃で変性剤Gdn-HCl濃度に対して、3種類の変異蛋白質の安定性が共に増加していることが分かった。以上の結果から、本実験においては少なくとも見かけ上、耐熱性蛋白質の熱安定性にプラス効果をもつ様々な相関因子が独立して存在し、しかもその効果は付加的であると考察した。 まとめ 本研究で中温菌P.aeruginosaにおいて好熱菌由来の耐熱性cytochrome c-552の大量生合成システムの開発に成功した。このシステムにより生合成されたcytochrome cは好熱菌由来のcytochrome cと完全に相同な性質を持ち、以後のcytochrome cの熱安定性の検討の際に、良い材料系を提供した。更に、従来の蛋白質の構造と安定性を検討する際によく用いられる一点変異手法の代わりに融合蛋白質と多点同時変異の手法を用いて、生育温度の相違する細菌由来のcytochrome cの熱安定性についてその変化を検討することにより、蛋白質熱安定性に関わる有意な知見を見出した。将来、これらの材料を用いた構造解析が蛋白質の構造と安定性の関係についての完全解明に貢献することが期待される。 |