水素細菌は水素ガスを唯一エネルギー源、炭酸ガスを唯一炭素源として炭酸固定を行う絶対化学独立栄養性菌であり、地球上の炭酸ガスの調節及び微生物の炭酸固定反応の人為的利用面で重要な意義を期待されている。本論文は代表的な炭酸固定微生物である水素細菌のうちHydrogenobacter thermophilus TK-6株において、その還元的TCAサイクルの中心的な役割を果たすpyruvate synthase、2-oxoglutarate synthaseの酵素学的研究およびこれらの炭酸固定の両鍵酵素反応に対する還元力供給物質についての生化学的研究、さらに本菌のエネルギー獲得機構(電子伝達系)等に関する研究結果を述べたもので7章よりなっている。 第1章で序論として水素細菌の一般的性質および還元的TCAサイクルによる炭酸固定反応機構について述べたのち、第2章では本サイクルの一つの炭酸固定鍵酵素であるpyruvate synthaseの精製と性質を明らかにした結果について述べている。本酵素は好気的条件下では非常に不安定であったが、精製段階においてTriton X-100を緩衝液中に添加することによって安定化され、本酵素は無細胞抽出液から約39倍に精製されて比活性は3.5(U/mg)であった。Pyruvate synthase活性のための最適温度およびpHは80℃、pH7.6附近であり、精製酵素はmethyl viologen、FMN、FADを電子受容体として反応したがNAD、NADPおよびClostridiumならびにChlorella由来のferredoxinに対しては反応しなかった。またpyruvate以外は基質としなかった。本酵素は分子量約135kDaであり、46kDa、31.5kDa、29kDaおよび24.5kDaの4個のsubunitからなる蛋白質であることが判った。さらにEPRおよびUV-visible spectrum解析の結果、本酵素が[4Fe-4S]clusterを有していることを明らかにしている。 第3章では本サイクルのもう一つの炭酸固定鍵酵素である2-oxoglutarate synthaseの精製と性質を明らかにした結果について述べている。本酵素もpyruvate synthaseと同様に好気的条件下では非常に不安定であったが精製段階におけるTriton X-100の添加によって安定化されて、無細胞抽出液から約75倍に精製され、比活性は約18(U/mg)であった、本酵素活性の最適温度およびpHは80℃およびpH7.8附近であった。本酵素もFMN、FAD、methyl viologenを電子受容体としたがNAD、NADPおよびClostridiumならびにChlorella由来のferredoxinは電子受容体とせず2-oxoglutarate以外は基質としなかった。精製した2-oxoglutarate synthaseは約70kDaと35kDaの2個のsubunitを持つ、分子量約105kDaの蛋白質であることがわかった。さらにEPRとUV-visible spectrum解析の結果、本酵素も[4Fe-4S]clusterを有していることを明らかにしている。 第4章では本菌の還元的TCAサイクルの鍵酵素であるpyruvate synthaseおよび2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応の還元力供給物質として考えられたferredoxinを精製し、その性質を明らかにした結果について述べている。本菌由来の炭酸固定の両鍵酵素と同じようにferredoxinも非常に不安定であったが、精製段階においてn-octyl--D-glucosideを添加することにより安定化された。本菌のferredoxinは分子量約13kDaのsingle polypeptide構造をとっていることが示され、EPRおよびUV-visible spectrum解析の結果、このferredoxinが[4Fe-4S]clusterを有していることを明らかにしている。 第5章ではpyruvate synthaseおよび2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応について述べている。両酵素反応依存で本菌由来のferredoxinはデヒドロゲナーゼ反応方向ではあるがその還元活性が観察された。さらに、両酵素およびferredoxinを用いてin vitroにおいて炭酸固定反応を調べたところ、それぞれferredoxin依存のNaH14CO3交換反応および炭酸固定反応が示され、このことから本菌が還元的TCAサイクルにより炭酸固定反応を行っていることを最終的に証明している。 第6章では本菌のエネルギー代謝機構について論じている。従来、本菌には膜結合型のhydrogenaseだけが存在すると考えられていたが、本菌にNADを還元する可溶性のhydrogenaseも存在することを明らかにし、さらに本菌の無細胞抽出液中にNADH:ferredoxin reductase活性が存在することを明らかにして、本菌の水素から還元的TCAサイクルまでのエネルギー代謝機構を提唱している。 第7章では本研究のまとめを行い、生物炭酸固定の重要性と将来の研究方向について述べている。 以上要するに、本論文はこれまで研究例の少なかった絶対化学独立栄養性菌の炭酸固定酵素について多くの新規な知見を得たものであり、特に好気的条件下で働く還元的TCAサイクルを構成する酵素についての研究としては世界的にもこの研究結果が唯一の例である。この様な知見は、微生物を用いた炭酸固定機能の環境、有機物生産等への利用も含め学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |