学位論文要旨



No 111968
著者(漢字) 尹,基石
著者(英字)
著者(カナ) ユン,キソク
標題(和) Hydrogenobacter thermophilus TK-6株の還元的TCAサイクルに関する研究
標題(洋) Studies on the Reductive TCA Cycle of Hydrogenobacter thermophilus TK-6
報告番号 111968
報告番号 甲11968
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1684号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 五十嵐,泰夫
内容要旨 序論

 水素細菌とは水素をhydrogenaseによりelectronとprotonに分解し、最終的に酸素を使って水を生成する過程で生じるエネルギーを利用し生育できる細菌の総称である。本研究室で取得された水素細菌Hydrogenobacter thermophilus TK-6株は好熱・好気性の絶対化学独立栄養性菌であり進化系統的にも極めて特異な位置にあることが確認されている。本菌は好気性菌であるにもかかわらず、炭酸ガスを唯一炭素源として還元的TCAサイクルにより炭酸固定を行うことが示されている(図1)。本サイクルでは4か所で炭酸固定反応が起きるが、このうち二つの反応、即ちpyruvate synthase(pyruvate:ferredoxin oxidoreductase、POR)及び2-oxoglutarate synthase(2-oxoglutarate:ferredoxin oxidoreductase、OGOR)の反応が炭酸固定の鍵反応である。しかしながら、これらの炭酸固定の鍵反応に対する還元力供給物質は明らかにされておらず、好気性菌(本菌)において還元的TCAサイクルが機能していることの完全な証明はなされていなかった。

図1。H.thermophilusの還元的TCAサイクル

 本菌の還元的TCAサイクルによる炭酸固定反応系の研究において最大の課題は、本サイクルの特徴的な鍵酵素であるpyruvate synthase及び2-oxoglutarate synthaseがどのような性質を有しているか?還元的TCAサイクルを回すのに必要な酸化還元物質は何なのか?さらに本菌のエネルギー獲得機構(電子伝達系)はどのようになっているのか?の3点である。

 本研究では、これらの疑問に生化学的に答えて行くことにより、還元的TCAサイクルが好気性菌であるH.thermophilusで機能していることを証明するとともに同サイクルを特徴づけることを目的とする。

第1章 Pyruvate synthaseの精製と性質

 Pyruvate synthaseの酵素活性は、窒素気相下においてpyruvate、coenzyme A及び酵素液依存のmethyl viologen還元活性を70℃で578nmの吸光度を追うことにより測定した。Jar fermentorにより培養した細胞懸濁液を超音波処理後、超遠心により無細胞抽出液を調製した。その後ammonium sulfate分画、DEAE-Sepharose CL-6B、PA-QA、Hydroxyapatite及びSuperdex-200の各カラムクロマトグラフィーにより電気泳動的に単一な酵素を得た。本酵素は好気的条件下では非常に不安定であったが、精製段階においてTriton X-100を緩衝液中に添加することによって安定化された。本酵素は無細胞抽出液から約38倍精製され比活性は3.5(U/mg)であった。Pyruvate synthaseの最適活性温度及びpHは80℃及びpH7.6附近であり、精製酵素は、methyl viologen、FMN、FAD、triphenyltetrazoliumを電子受容体として反応したが、NAD、NADP及びClostridiumとChlorella由来のferredoxinに対しては反応しなかった。またpyruvate以外の2-oxoglutarate、2-oxobutyrate、oxalacetate、2-oxoisocaproate、oxomalonate、2-oxoisovalerate、phenylpyruvate、indol-3-pyruvate及びphosphoenolpyruvateなどは基質としなかった。本酵素は分子量約135kDaであり、SDS-PAGEにより46kDa、31.5kDa、29kDa及び24.5kDaの4個のsubunitからなる蛋白質であることがわかった。さらにEPR及びUV-visible spectrum解析の結果、本酵素は[4Fe-4S]clusterを有していることが分かった。

第2章 2-Oxoglutarate synthaseの精製と性質

 2-Oxoglutarate synthaseの酵素活性は窒素気相下において2-oxoglutarate、coenzyme A及び酵素液依存のmethyl viologen還元活性を70℃で578nmの吸光度を追うことにより測定した。本酵素の精製はpyruvate synthaseと同様な精製段階を経ることによって行われた。本酵素もpyruvate synthaseと同様に好気的条件下では非常に不安定であったが精製段階におけるTriton X-100の添加によって安定化された。本酵素は無細胞抽出液から約76倍精製され比活性は約18(U/mg)であった。本酵素の最適活性温度及びpHは80℃及びpH7.8附近であった。FMN、FAD、methyl viologen、triphenyltetrazoliumを電子受容体としたが、NAD、NADP及びClostridiumとChlorella由来のferredoxinは電子受容体としなかった。また2-oxoglutarate以外のpyruvate、2-oxobutyrate、oxalacetate、2-oxoisocaproate、oxomalonate、2-oxoisovalerate及びphosphoenolpyruvateなどは基質としなかった。精製した2-oxoglutarate synthaseはSDS-PAGEにより約70kDaと35kDaの2個のsubunitを持つ、分子量約105kDaの蛋白質であることがわかった。精製酵素のEPRとUV-visible spectrum解析の結果から[4Fe-4S]clusterを有していることが分かった。

第3章 Ferredoxinの精製及び性質

 本菌の還元的TCAサイクルの鍵酵素であるpyruvate synthase及び2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応の還元力供給物質として考えられたferredoxinを精製しその性質を明らかにした。Ferredoxinの精製はQ-Sepharose fast flow、DEAE-5PW及びSuperdex-75により行った。本菌由来の炭酸固定の両鍵酵素と同じようにferredoxinも非常に不安定であり、精製がきわめて困難であったが精製段階においてn-octyl--D-glucosideを添加することにより安定化された。本菌の無細胞抽出液中の約300mgの総蛋白質から約1mgの精製ferredoxinを得た。本菌のferredoxinは分子量約13kDaのsingle polypeptide構造をとっていることが示された。EPR及びUV-visible spectrum解析の結果、このferredoxinは[4Fe-4S]clusterを有していることが明らかになった。

第4章 Pyruvate synthase及び2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応

 H.thermophilusで還元的TCAサイクルが働いていることを証明するにはin vitroにおけるpyruvate synthase及び2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応を証明しなければならない。まず、ferredoxinが両酵素の電子受容体として機能するか否かを調べたところ、デヒドロゲナーゼ反応方向ではあるが両酵素反応依存で本菌由来のferredoxinの還元が観察された。次に、両酵素及びferredoxinを用いてin vitroにおいて実験を行ったところ、それぞれferredoxin依存のNaH14CO3交換反応及び炭酸固定反応が示された。このことから本菌が還元的TCAサイクルにより炭酸固定反応を行っていることが最終的に証明された。

第5章 H.thermophilus TK-6のエネルギー代謝機構

 水素細菌の特徴となる性質は、水素ガスをエネルギー源とし得ること、及び炭酸ガスを炭素源とし得ることの二点である。水素の利用の第一の段階を触媒する酵素であるhydrogenaseには膜結合型とNADを還元する可溶性の二種類の酵素の存在が知られている。本菌には膜結合型のものだけが存在すると考えられていたが、筆者らは、本菌にNADを還元する可溶性のhydrogenaseも存在することを明らかにした。

 さらに、人工電子受容体metronidazoleを用いたin vitroの実験から本菌の無細胞抽出液中にNADH:ferredoxin reductase活性が存在することを明らかにした。これらの結果及びこれまでの結果を総合して本菌のエネルギー代謝機構を図2のように提唱した。

図2。Hydrogenobacter thermophilus TK-6株のエネルギー代謝機構
まとめ

 H.thermophilus由来の還元的TCAサイクルの二つの炭酸固定の鍵酵素である、pyruvate synthase及び2-oxoglutarate synthaseを精製し、その性質を明らかにした。また、本菌からferredoxinを精製し本蛋白質が両酵素の酸化還元物質として機能していることを明らかにした。さらに、本菌由来のferredoxin及び両鍵酵素を用いて炭酸交換反応及び炭酸固定反応を示し、本菌が還元的TCAサイクルにより炭酸固定反応を行っていることを明らかにした。Pyruvate synthaseと2-oxoglutarate synthaseとは蛋白質の分子量、subunitの構造、基質特異性、クロマトグラフの特性によって全く別な酵素であることが判明した。さらに、水素から還元的TCAサイクルの炭酸固定反応の鍵酵素であるpyruvate synthase及び2-oxoglutarate synthaseまでのエネルギー代謝機構(電子伝達系)を示した。

 以上の研究結果によって、水素をエネルギー源、炭酸ガスを炭素源として還元的TCAサイクルにより炭酸固定を行っているH.thermophilus strain TK-6の代謝の概略を明らかにした。

審査要旨

 水素細菌は水素ガスを唯一エネルギー源、炭酸ガスを唯一炭素源として炭酸固定を行う絶対化学独立栄養性菌であり、地球上の炭酸ガスの調節及び微生物の炭酸固定反応の人為的利用面で重要な意義を期待されている。本論文は代表的な炭酸固定微生物である水素細菌のうちHydrogenobacter thermophilus TK-6株において、その還元的TCAサイクルの中心的な役割を果たすpyruvate synthase、2-oxoglutarate synthaseの酵素学的研究およびこれらの炭酸固定の両鍵酵素反応に対する還元力供給物質についての生化学的研究、さらに本菌のエネルギー獲得機構(電子伝達系)等に関する研究結果を述べたもので7章よりなっている。

 第1章で序論として水素細菌の一般的性質および還元的TCAサイクルによる炭酸固定反応機構について述べたのち、第2章では本サイクルの一つの炭酸固定鍵酵素であるpyruvate synthaseの精製と性質を明らかにした結果について述べている。本酵素は好気的条件下では非常に不安定であったが、精製段階においてTriton X-100を緩衝液中に添加することによって安定化され、本酵素は無細胞抽出液から約39倍に精製されて比活性は3.5(U/mg)であった。Pyruvate synthase活性のための最適温度およびpHは80℃、pH7.6附近であり、精製酵素はmethyl viologen、FMN、FADを電子受容体として反応したがNAD、NADPおよびClostridiumならびにChlorella由来のferredoxinに対しては反応しなかった。またpyruvate以外は基質としなかった。本酵素は分子量約135kDaであり、46kDa、31.5kDa、29kDaおよび24.5kDaの4個のsubunitからなる蛋白質であることが判った。さらにEPRおよびUV-visible spectrum解析の結果、本酵素が[4Fe-4S]clusterを有していることを明らかにしている。

 第3章では本サイクルのもう一つの炭酸固定鍵酵素である2-oxoglutarate synthaseの精製と性質を明らかにした結果について述べている。本酵素もpyruvate synthaseと同様に好気的条件下では非常に不安定であったが精製段階におけるTriton X-100の添加によって安定化されて、無細胞抽出液から約75倍に精製され、比活性は約18(U/mg)であった、本酵素活性の最適温度およびpHは80℃およびpH7.8附近であった。本酵素もFMN、FAD、methyl viologenを電子受容体としたがNAD、NADPおよびClostridiumならびにChlorella由来のferredoxinは電子受容体とせず2-oxoglutarate以外は基質としなかった。精製した2-oxoglutarate synthaseは約70kDaと35kDaの2個のsubunitを持つ、分子量約105kDaの蛋白質であることがわかった。さらにEPRとUV-visible spectrum解析の結果、本酵素も[4Fe-4S]clusterを有していることを明らかにしている。

 第4章では本菌の還元的TCAサイクルの鍵酵素であるpyruvate synthaseおよび2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応の還元力供給物質として考えられたferredoxinを精製し、その性質を明らかにした結果について述べている。本菌由来の炭酸固定の両鍵酵素と同じようにferredoxinも非常に不安定であったが、精製段階においてn-octyl--D-glucosideを添加することにより安定化された。本菌のferredoxinは分子量約13kDaのsingle polypeptide構造をとっていることが示され、EPRおよびUV-visible spectrum解析の結果、このferredoxinが[4Fe-4S]clusterを有していることを明らかにしている。

 第5章ではpyruvate synthaseおよび2-oxoglutarate synthaseの炭酸固定反応について述べている。両酵素反応依存で本菌由来のferredoxinはデヒドロゲナーゼ反応方向ではあるがその還元活性が観察された。さらに、両酵素およびferredoxinを用いてin vitroにおいて炭酸固定反応を調べたところ、それぞれferredoxin依存のNaH14CO3交換反応および炭酸固定反応が示され、このことから本菌が還元的TCAサイクルにより炭酸固定反応を行っていることを最終的に証明している。

 第6章では本菌のエネルギー代謝機構について論じている。従来、本菌には膜結合型のhydrogenaseだけが存在すると考えられていたが、本菌にNADを還元する可溶性のhydrogenaseも存在することを明らかにし、さらに本菌の無細胞抽出液中にNADH:ferredoxin reductase活性が存在することを明らかにして、本菌の水素から還元的TCAサイクルまでのエネルギー代謝機構を提唱している。

 第7章では本研究のまとめを行い、生物炭酸固定の重要性と将来の研究方向について述べている。

 以上要するに、本論文はこれまで研究例の少なかった絶対化学独立栄養性菌の炭酸固定酵素について多くの新規な知見を得たものであり、特に好気的条件下で働く還元的TCAサイクルを構成する酵素についての研究としては世界的にもこの研究結果が唯一の例である。この様な知見は、微生物を用いた炭酸固定機能の環境、有機物生産等への利用も含め学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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