本論文はイネの根圏に生息する窒素固定菌Azospirillum lipoferumの窒素固定能の制御機構について研究したものであり、7章より成っている。 第1章は序章であり、窒素固定菌の遺伝子の構造と発現制御に関する従来の知見をまとめると共に、イネ根圏の窒素固定菌の重要性について論じている。 第2章では、4株のAzospirillum属細菌の窒素固定能が外から加えるNH4+の濃度に応じて可逆的に制御されることを観察し、窒素固定酵素(ニトロゲナーゼ)の酵素活性レベルでの調節機構がこれら4株にも存在することを見出した。さらに、この調節に直接に関わっていると考えられる2種の酵素DRAT(dinitrogenase reductase ADP-ribosyltransferase)とDRAG(dinitrogenase reductase-activating glycohydrolase)の遺伝子draTとdraGをプローブとしてSouthern hybridizationを行い、4種の菌株すべてにおいて、両遺伝子を含むと考えられるDNA断片を検出した。 第3章では、第2章の実験で最も強いSouthern hybridizationを示したA.lipoferum FS株からdraT、draG遺伝子を含む6.7kb SalI断片をクローン化し、その塩基配列を決定することにより、両遺伝子がオペロン構造を成していることを明らかにした。 第4章では、窒素固定能の酵素活性レベルでの調節機構を本来持たないKlebsiella oxytocaにdraT、draG遺伝子を導入して発現させ、窒素固定活性への影響を調べた。すなわち、クローン化した6.7kb SalI断片のうち、draTおよびdraGの全域を含む1.9kbの断片をtacプロモーターの下流に連結したプラスミドを作製し、K.oxytoca NG13に導入した。得られた形質転換体を無窒素培地にて嫌気的条件で培養して窒素固定能を誘導し、NH4+の投与による窒素固定活性の変化を調べた。ベクターのみを導入した K.oxytoca NG13はNH4+を加えても窒素固定能は全く変化しなかったが、draT、draGを導入したものでは A.lipoferum FSと同様に外から加えたNH4+に応じた可逆的な窒素固定活性の阻害を起こした。 第5章ではA.lipoferumでのdraT、draG遺伝子の発現の制御について解析している。すなわち、draTのN末側212コドンをlacZの6番目のコドンにin-frameで連結して作成したdraT::lacZ融合遺伝子とdraTの上流域3.0kbとからなる6.7kbの断片を、広宿主域ベクターpKT230にクローン化してA.lipoferum FSに導入した。得られた形質転換体を、5mMグルタミン酸(窒素固定誘導条件)または20mM NH4Cl(窒素固定抑制条件)を含む最少培地にて好気的または微好気的条件で培養し、-galactosidase活性を指標にdraT::lacZ遺伝子の発現の有無を調べた。その結果、微好気的条件においてはいずれの窒素条件でもほぼ同等の-galactosidase活性が認められ、好気的条件ではいずれの場合も活性を検出できなかった。この結果より、draオペロンの発現は外界の酸素濃度によって制御され、NH4+による制御は受けていないことを明らかにした。 第6章ではNH4+やアミノ酸の存在下でも窒素固定能を示すA.lipoferumの改良株を作成し、その性質を解析した。すなわち、K.oxytoca NG13由来の窒素固定遺伝子の転写活性化遺伝子nifAをトランスポゾンTn5のカナマイシン抵抗性(Kmr)遺伝子の下流に挿入し、Tn5の転移を利用して A.lipoferum FSのゲノムに挿入した。得られたtransposant TA1株について軟寒天培地で窒素固定能を測定したところ、野生株FSの窒素固定能の発現を抑制するNH4+やグルタミン、アスパラギン、アルギニンの存在下でもNH4+-freeで培養した場合と比べて20%ないしは40%の窒素固定活性の残存(脱抑制)を示した。この脱抑制は、Kmr遺伝子のプロモーターにより構成的に産生されているNifA蛋白の作用によるものと考えられる。また、TA1株をNH4+-freeの液体最少培地にて微好気的条件下で培養し、窒素固定能を誘導した後にNH4+や前述のアミノ酸を加えると、野生株FSと同様にDRAT活性によると思われるニトロゲナーゼ活性の阻害が観測された。一方、NH4+-rich(NH4Clを10mM添加)な液体最少培地にてTA1株の窒素固定能を発現させた場合には、NH4+やアミノ酸を投与しても活性は全く変化しなかった。以上の結果は、NH4+-richな条件下で培養したA.lipoferum内ではDRAT/DRAG制御系が機能していないことを示唆している。 第7章では本研究全体を総括し、将来の展望について論じている。 以上本論文は、イネ根圏の窒素固定菌A.lipoferumの窒素固定能の制御機構を解析し、新しい知見をもたらすとともに、有用な窒素固定能強化株を造成したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |