学位論文要旨



No 111972
著者(漢字) 高谷,直樹
著者(英字)
著者(カナ) タカヤ,ナオキ
標題(和) 糸状菌のキチン分解酵素の機能と細胞壁形成機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 111972
報告番号 甲11972
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1688号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 太田,明徳
内容要旨

 糸状菌は菌糸状の形態をとって生育するが、これは様々な生命現象が複雑に関わってできるものである。菌糸は細胞壁溶解酵素処理によって菌糸形態を失い球状のプロトプラストとなることから、糸状菌の形態形成において細胞壁が重要な役割を占めると考えられる。一方、糸状菌の分泌は菌糸先端部への極性輸送によること、産業上有用な分泌能の高い糸状菌は同時に菌糸生長が速いことなどから、糸状菌の菌糸状の形態形成に菌糸先端部での分泌が関与することが示唆される。

 本研究では糸状菌の菌糸状の形態の形成機構を分子レベルで解明することを目的とし、主として、糸状菌の形態形成における細胞壁の機能について解析した。特に多くの糸状菌の細胞壁の主成分の1つであるキチンの代謝をつかさどる酵素のうち、現在まで分子レベルでの知見がほとんと得られていない糸状菌のキチン分解酵素とその遺伝子を単離し、その形態形成において果たしている役割について検討した。更に、Aspergillus nidulansを用い、細胞壁の形成または菌糸状の形態に異常を持つ変異株を取得、解析することによって、キチンの代謝に関わる酵素にとらわれずに菌糸型の形態形成に関与する遺伝子を発見し解析することを試みた。一方、菌糸状の形態と分泌性の関係を検討するため実用的にも利用される分泌能の高いRhizopus niveusを材料として解析することを試み、研究の第一段階として、R.niveusの宿主ベクター系の改良を行った。

1.Rhizopus niveusの形質転換系の改良

 R.niveusは接合菌類に属する糸状菌であり、産業上利用される有用菌株である。当研究室で既に形質転換系が開発されていたR.niveusについてその改良を行った。まず、R.niveusより3-ホスホグリセレートキナーゼをコードするpgk1、pgk2をクローン化し、それらのプロモーターを利用して異種蛋白質を発現させることに成功した。1)更に、pgk2のプロモーター領域の解析から転写活性を100倍程度上昇させる21bpからなるUASを接合菌類の遺伝子としては初めて発見した。2)更に、R.niveusよりleu1を単離した。leu1を選択マーカーとしたベクターはこれまでの形質転換用ベクターのいずれよりも形質転換頻度が高く、導入されたDNAの宿主内での安定性が上昇した。3)

2. 糸状菌のキチン分解酵素の機能2-1. Rhizopus oligosporus chitinase Iの機能の解析

 Rhizopusは先端生長が速く、その細胞壁は主としてキチンおよびキチンの脱アセチル化により生成されるキトサンからなることから形態形成におけるキチンの重要性が高く、キチン分解酵素の研究に適していると考えられる。既に当研究室の矢内等により、R.oligosporusよりchitinase I/II(Chi1/2)をコードする遺伝子(chi1/2)が単離されている4)が、抗Chi1抗体を用いたウエスタン解析によりChi1は菌糸の生長が少ない培養後期にのみ発現が見られることが示された。一方、胞子形成はChi1の発現がグルコースによって抑制した時にも変化がなかった。また、Chi1の発現には空気の存在とグルコースの欠乏が必要であったが、これは培養後期に見られる菌糸の自己溶菌が起こる条件と一致していた。以上の結果から、Chi1は菌糸の自己溶菌に関与することが示唆された。

2-2. Rhizopus oligosporus chitinase I II遺伝子の単離と解析

 R.oligosporusの菌糸生長期の菌体内より第3のキチン分解酵素であるchitinase I IIを3種のカラムクロマトグラフィーを用いてSDS-PAGE上単一にまで精製した。chitinase I IIの部分アミノ酸配列を決定し、推定DNA配列をプライマーとしてPCRを行い、得られた断片を用いてchitinase I IIをコードする遺伝子chi3を単離した。chitinase I IIの推定アミノ酸配列は、R.oligosporus chitinase Iなどの真核微生物型のキチナーゼよりもむしろ細菌型のキチナーゼと高い相同性を示した。ノーザン解析の結果、培養後期に誘導発現されるchitinase Iとは異なり、chi3は増殖が盛んな細胞で発現しており、chitinase I IIが菌糸型生長に関与する可能性が考えられた。また、これらの結果は、糸状菌において真核微生物型と細菌型のキチナーゼが異なる機能を担っていることを示唆するものである。

2-3.Aspergillus nidulansのchitinase遺伝子群の単離と解析

 遺伝学的な取り扱いが容易なA.nidulansより真核微生物型キチナーゼの遺伝子を単離し、キチナーゼの生理機能の詳細な解析を試みた。R.oligosporus chitinase I/II及びSaccharomyces cerevisiae chitinaseとの間で保存されたアミノ酸領域に対応するオリゴDNAを作製し、PCR法をもとにA.nidulansのDNAより遺伝子の全領域を単離し、chiAと命名した。塩基配列の決定の結果、chitinase Aは分泌シグナノ配列、触媒領域、セリン/スレオニン領域を含んでおり、真核微生物型キチナーゼの構造をとることが示唆された。chiAの遺伝子破壊株を作製したところ、野生株と同様の生育、分生子形成を示した。-galactosidaseをレポーターとしたin situ活性染色を用いchiAの発現制御を検討したところ、chiAは少なくとも分生子柄のメトレ以降の細胞で転写されていることが示された。また、液体培養による分生子が分化していない菌糸でも-galactosidase活性が認められた。以上の結果より、A.nidulans chiAはR.oligosporusのchitinase Iとは異なり分生子の分化、及び菌糸生長において機能を持つことが示唆された。一方、A.nidulansより細菌型のキチナーゼ遺伝子と相同性を持つDNA断片を単離した。これにより、A.nidulansにおいても2つのタイプのキチナーゼが存在することが示唆された。

3.Aspergillus nidulansの細胞壁形成異常変異株の取得と解析

 A.nidulansの高温感受性変異株514株を取得し、その中から制限温度下において低浸透圧感受性を示す株を165株得た。これらの株より、キチンに結合する色素であるCalcofluor white(CW)による菌糸先端の染色が見られない株(6株)を見い出した。遺伝学的解析よりこれらの変異は異なる相補群(acsA-acsF)に属することが示唆された。一方、先の165株の中から菌糸の膨脹する箇所が多く見られる株(5株)を見いだした。制限温度下において浸透圧安定化剤存在下で種々の薬剤感受性を検討したところ、このうち2株において、その生長がマンナン結合性の抗真菌剤であるbenanomicin A耐性を示し、更にキチンと結合するCongo Red及びCWに超感受性を示した。この2株の変異は同じ相補群(balA)に属することを示し、これらの変異遺伝子の連鎖群を決定した。以上の細胞壁形成異常変異株の中から、特にbalA1、acsF1変異株に遺伝子ライブラリーを導入したところacsF1変異が相補された株が得られた。

総括

 本研究により、糸状菌には複数のタイプの異なるキチン分解酵素が存在し、細胞壁の代謝に関して機能分担を行うことが示唆された(Table)。また、同じタイプのキチン分解酵素であっても種によって機能が異なることが示唆された。この結果はキチン分解酵素が単なるキチンの資化のために存在する加水分解酵素にとどまらない機能を持つことを直接的に示すものであり、今後の形態形成の機構の解明に大きな示唆を与えるものと考えられる。また、A.nidulansを用い細胞壁に欠陥を持つ変異株を取得、解析した。これにより、細胞壁の代謝に関与する遺伝子を発見し解析することが可能となった。本研究によって得られた知見は糸状菌の菌糸型生長の全貌を分子レベルで解明するために大きく貢献するものである。一方、接合菌類の糸状菌には実用菌株が多く、本研究によってR.niveusよりUASを同定できたことは応用的にも非常に意義のあることであると考えられる。

Table 真核微生物キチナーゼの推定される機能

 1)N.Takaya et al.1994.Curr.Genet.,25,524-530

 2)N.Takaya et al.1995.Gene,152,121-125

 3)N.Takaya et al.1996.Biosci.Biotech.Biochem,in press

 4)K.Yanai et al.1992.J.Bacteriol.,174,7398-7406

審査要旨

 本論文は、糸状菌のキチン分解酵素の構造と生理機能について遺伝・生化学的に解析し、また、糸状菌の細胞壁の形成機構についての研究を行ったものである。

 第一章では、産業上利用される有用菌株である接合菌類の糸状菌Rhizopus niveusの3-ホスホグリセレートキナーゼ2をコードするpgk2遺伝子のプロモーター領域の解析から、転写活性を100倍程度上昇させる21bpからなるUASを接合菌類の遺伝子としては初めて発見した。

 第二章では、R.niveusよりleu1遺伝子を単離した。これを選択マーカーとして用いることによって、これまでの形質転換用ベクターのいずれよりも形質転換頻度が高く、導入されたDNAの宿主内での安定性が上昇したベクターを構築することに成功した。

 第三章では、R.oligosporusのchitinase I(Chi I)及びその対立遺伝子産物ChiIIの生理機能の解明を目的に、抗ChiI抗体を用いたウエスタン解析を行い、ChiIは菌糸の生長が少ない培養後期にのみ発現することを示した。一方、胞子形成はChiIの発現がグルコースによって抑制した時にも変化がなく、また、培養後期に見られる菌糸の自己溶菌が起こる条件と同様に、ChiIの発現は空気の存在とグルコースの欠乏が必要であることを示唆した。これらの結果から、ChiIは主として菌糸の自己溶菌に関与することを示唆した。

 第四章では、R.oligosporusの菌糸生長期の菌体内よりChi I、Chi IIとは異なる第3のキチン分解酵素であるchitinase III(Chi III)を3種のカラムクロマトグラフィーを用いてSDS-PAGE上単一にまで精製した。更に、Chi IIIの部分アミノ酸配列を決定し、推定DNA配列をプライマーとしてPCRを行い、得られた断片を用いてChi IIIをコードする遺伝子chi3を単離した。ノーザン解析の結果、培養後期に誘導発現されるChi Iとは異なり、chi3は増殖が盛んな細胞で発現していることから、Chi IIIが菌糸型生長に関与する可能性を示唆した。Chi IIIは、R.oligosporus Chi Iなどの菌類型のキチナーゼよりもむしろ細菌型のキチナーゼと高い相同性を示した。これらの結果から、糸状菌において菌類型と細菌型のキチナーゼが異なる機能を担っていることを示唆した。

 第五章では、遺伝学的な取り扱いが容易なAspergillus nidulansより菌類型キチナーゼであるchiA、細菌型キチナーゼであるchiB遺伝子をそれぞれのタイプのキチナーゼ間で保存された配列を用いたPCR法をもとに単離し、A.nidulansにおいても2つのタイプのキチナーゼが存在することを示した。このうち、chiAの生理機能の詳細な解析を試みた。-galactosidaseをレポーター酵素としてchiAの発現制御を検討したところ、chiAは少なくとも分生子柄のメトレ以降の細胞で転写されていることを示した。また、分生子が分化していない菌糸でもchiAの転写が起こることを確認した。以上の結果より、A.nidulans chiAはR.oligosporusのChi Iとは異なり分生子の分化、及び菌糸生長において機能を持つことを示唆した。

 第六章では、A.nidulansの高温感受性変異株を取得し、その中から制限温度下において低浸透圧感受性を示す株を得、これらの株より、キチンに結合する色素であるCalcofluor white(CW)による菌糸先端の染色が見られない株(6株)を見い出した。遺伝学的解析よりこれらの変異は異なる相補群(acsA〜acsF)に属することが示唆された。一方、先の165株の中から菌糸の膨脹する箇所が多く見られる株(5株)を見いだした。制限温度下において浸透圧安定化剤存在下で種々の薬剤感受性を検討したところ、このうち2株において、その生長がマンナン結合性の抗真菌剤であるbenanomicin A耐性を示し、更にキチンと結合するCongo Red及びCWに超感受性を示した。この2株の変異は同じ相補群(balA)に属することを示し、これらの変異遺伝子の連鎖群を決定した。

 本論文は、糸状菌に複数のタイプの異なるキチン分解酵素が存在し、細胞壁の代謝に関して機能分担を行うことを示唆し、また、同じタイプのキチン分解酵素であっても種によって機能が異なることも示唆した。この結果は、今後の形態形成の機構の解明に大きな示唆を与えるものと考えられる。また、A.nidulansを用い細胞壁に欠陥を持つ変異株を取得、解析したことにより、細胞壁の代謝に関与する遺伝子を発見し解析することを可能にした。本研究によって得られた知見は糸状菌の菌糸状の形態形成を分子レベルで解明するために大きく貢献するものであると考えられる。一方、接合菌類の糸状菌には実用菌株が多く、本研究によってR.niveusよりUASを同定できたことは応用的にも非常に意義のあることであると考えられる。

 以上のように本論文は学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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