学位論文要旨



No 111974
著者(漢字) 升屋,正人
著者(英字)
著者(カナ) マスヤ,マサト
標題(和) Mathematical Morphologyを用いたタンパク質分子の形状解析とリガンドーレセプター結合に関する研究
標題(洋)
報告番号 111974
報告番号 甲11974
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1690号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,淳多
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 出口,光一郎
 東京大学 助教授 清水,謙多郎
内容要旨

 本研究ではタンパク質の立体構造を3次元データ(voxel)で表現し,mathematical morphologyを用いた処理手法を開発してタンパク質の形状解析を行い,リガンドーレセプター結合に関する新しい知見を得た.

1 Mathematical Morphologyを用いた3次元離散画像処理手法

 タンパク質分子のような複雑な3次元形状の形状解析はこれまで未着手である.このため本研究ではmathematical morphologyを用いた3次元形状処理手法を開発した.

 3次元形状の膨張・縮退をdilationとerosionとよばれるmathemamatical morphologyの演算によって実現した.対象とする離散形状をXとすると,mathematical morphologyの処理はXに対してプローブとなる離散形状Pを作用させることにより行う.プローブPをaで表されるベクトルにより平行移動した集合をPaとすると,形状Xに対しプローブPでerosionを施した結果XPと,dilationを施した結果XPをそれぞれ以下の集合演算で実現する.

 

 3次元形状のスムージングはopeningとclosingによって行う.これらはerosionとdilationの組み合わせにより実現する.対象となる形状に対して,erosionを行った後にdilationを行うのがopeningであり,dilationを行った後にerosionを行うのがclosingである.どちらもスムージングの手法として用いることができるが,openingでは形状の凸部を取り除くことができ,closingでは形状のくぼみを埋めることができる.このため,openingとclosingを用いることにより形状の凹凸の抽出が可能となる.

 形状XのPによるopeningXPとXのPによるclosing XPはそれぞれ以下の演算で実現する.

 

 細線化による骨格線抽出はerosionとdilationを組み合わせることにより実現するhit or miss transformationを用いて行う.細線化では複数のプローブをテンプレートとして用い,順序と組み合わせを変更して処理を行う.また,距離変換による骨格線抽出もerosionとdilationの組み合わせにより実現する.

2 タンパク質分子の形状解析

 本論文で開発した3次元形状処理手法を用いて以下のタンパク質分子の形状の解析を行った.

1.van der Waals表面とその内部の抽出

 各原子の中心の座標を3次元直交格子に配置し,それぞれの原子半径を持つ球でdilationを行うことによりvan der Waals表面とその内部を求めた.表面そのものは後述する方法3.で求めることができる.本方法を用いることで,従来の手法に比べ正確で高速なモデルの構築が可能となった.

2.溶媒接触表面とその内部の抽出

 溶媒接触表面には2つの定義がある.一つはvan der Waals表面を水分子の平均半径(1.4A)を持つ球が自由に移動したときの球の中心の軌跡により表される表面(solvent accessible surface),もう一つは水分子が接することのできる表面(solvent contact/reentrant surface)である.

 van der Waals表面とその内部をSv,solvent accessible surfaceとその内部をSa,solvent contact/reentrant surfaceとその内部をScとし,それぞれ以下の演算で求めた.

 

 ここで求めた形状は表面と内部を含む.表面のみの抽出は後述する方法3.で行うことができる.本方法により,従来は解析的に長時間を要して求めていた2種類の溶媒接触表面とも高速な処理,かつ離散的に求めることが可能になった.

3.溶媒接触表面積の算出

 表面積は表面にあたるvoxelの数を積算することにより求めることができる.溶媒接触表面とその内部の形状から表面のみを抽出するためにerosionを用いた輪郭抽出手法を用いる.

 原点とそれに6連結している6つの点からなる単位プローブをUとして,表面に含まれる点の集合SをS=Sc/(ScU)として抽出し,表面積を求めた.

 この場合,プローブを6連結の単位プローブとすれば,表面は26連結のものが得られる.逆に26連結の単位プローブを用いると,6連結で構成された表面を求めることができる.これは連結性をも同時に付加した形状モデルの作成に有効である.

 従来は,時間をかけて解析的に表面積が解かれてきた.このため実際のタンパク質への応用は容易ではなかった.しかし本方法では容易に表面積を得ることが可能であり,表面積の算出が必要な全ての場合に有用であるということができる.

4.タンパク質分子の体積の算出

 体積はタンパク質分子を表す3次元形状に含まれるvoxelを積算することにより求めた.体積の算出にはsolvent reentrant/contact surfaceとその内部を用いた.算出の結果は,実験値や他のアルゴリズムによる体積とよく一致し,本方法が有用であることを示している.

5.タンパク質分子表面のくぼみ(cavity)の抽出

 タンパク質分子に対してclosingを用することによりくぼみ(cavity)の抽出を可能とした.cavity C=Sc/(Sc・Rr)と求めることができる.ここで,Rrは半径rの球を表す.プローブとして用いる球の大きさによりcavityと外界との境界を可変とすることができ,それに対応したcavityを抽出し得た.

 これまではcavityと外界の境界面を定めることが困難であったが,本方法によれば,任意に近い境界面設定の上,cavityを求めることができる.また,解析的に求める場合に比べ高速な処理が可能となった.

6.cavityの体積・表面積による分類

 求めたcavityを体積によって分類した.活性部位の位置は総じて最大体積のcavityに存在することが認められた.そして,分離して,例えば2箇所に離れた活性部位を検出することも可能となった.

 また,cavityに対して前述の表面抽出手法3.を用いて表面積を求め,cavityの体積との関係および,結合部位となっているcavityの体積・表面積の特徴を得た.

7.タンパク質分子の凸部の抽出

 リガンドタンパク質分子の凸部の抽出をopeningを用い,P=Sc/(XRr)として求めた.プローブとして用いる球の半径により凸部の検出範囲を可変とした.従来はタンパク質のcavityのみを抽出する手法しか存在していなかったが,本手法ではリガンド側の凸部の同じ境界面を用いての抽出も可能となった.また,プローブとしてタンパク質に内接する最大の球を用いた場合に,最も多数の凸部が抽出できることが分かった.

8.タンパク質凸部の体積・表面積による分類

 タンパク質分子の凸部を,体積と表面積により分類し,他の分子に結合する凸部が持つ特徴を明らかにした.cavityの場合と同じく,最大の体積を持つ凸部が結合部位となる傾向にあることが分かった.

9.結合部位に存在する空隙の抽出

 結合したタンパク質分子(complex)に対して,前述のcavity抽出手法5.を適用し,結合部位にどの程度の空隙が存在するのかを明らかにした.ほとんどの結合分子において,結合部位が密に充填され,1A以上の空隙はほとんど存在しないことが分かった.すなわち,リガンドの検索では,レセプターに密に結合する形状を考慮すればよいとの示唆を得た.

10.タンパク質分子の骨格線の抽出

 タンパク質分子の骨格線を求めることにより,タンパク質の形状特徴を抽出した.また,レセプターに結合するリガンドの骨格線とレセプターの補形状の骨格線を求め,結合に関連する形状を解析した.また,骨格線を合致させることで形状の類似性を解析する手法を開発した.

11.cavityにおける静電ポテンシャルの算出

 本研究では抽出した凹凸構造はvoxel表現であるので,それぞれのvoxelに対して様々な属性を与えることができる.属性の例として静電ポテンシャルを与えたものと,水素結合の部位を与えたものの処理を行い,リガンドーレセプター結合の機構を解析した.静電ポテンシャルをレセプターのcavityとリガンドの凸部に対して与えた場合.結合している組合わせにおいて電気的に相補的な関係にあることが明らかになった.

 以上の,タンパク質外形に存在する凹部(cavity),凸部,および内部の空隙を抽出・処理し得る3次元形状処理手法の開発により,これまで未着手であったタンパク質分子の形状特徴を求めることができた.特にリガンドーレセプター結合においてその結合における形状的な特徴が明らかにされた.タンパク質分子を3次元データにより処理する試みは今後の課題として残されていたが,本研究により分子認識機構の解明や薬剤設計への応用が期待できる.

審査要旨

 タンパク質分子を対象としたこれまでの形状処理方法では境界表現が主に用いられているため、内部を取り扱うことができない、形状の相補性によるマッチングが難しい、分子表面のくぼみの抽出が簡単ではない、電気的な特性と形状の関係を求めることが難しい、などの諸問題が存在していた。本論文は、タンパク質分子を3次元離散画像として形状解析を行うことにより、これらの問題を解決するとともに、離散画像内の各格子点に対して属性を与え、リガンドーレセプター結合に際してレセプター分子表面のcavityにおける静電ポテンシャルとリガンド分子の結合部位の電荷によるエネルギーの効果に関する知見を得ることを目的としている。全体は5章から構成されている。

 第1章ではこれまでの研究と本論文の意義について述べている。第2章では、3次元離散画像処理、特に3次元形状の骨格線抽出を行う方法について述べている。これまでの方法では離散画像から3次元形状の骨格線を適切に求めることができていない。本章では、形状に含まれる格子点の連結を失わずに点の消去を行うことができるテンプレートを複数定義して、その順序と組み合わせを変更して処理を繰り返すことにより形状に内在しうる多数の骨格線を抽出可能な方法を提案している。さらに、求めた骨格線の評価基準を設定し、その中から目的に応じて最適な骨格線を求める方法も提案している。

 第3章では、タンパク質分子を離散画像化し、分子表面の抽出、体積・表面積の算出と、骨格線抽出を応用した例について述べている。分子表面には3つの定義があり、van der Waals surfaceは分子形状を把握するために用いられ、molecular surfaceは結合の解析に用いられ、solvent accessible surfaceは安定性の見積もりなどに用いられる。本論文ではこれらを全て離散画像処理の方法を用いて求めている。また、求めた分子表面を用いて、体積と表面積を算出する方法についても述べている。これまでは、解析的に定義された表面を用いて体積や表面積を求めており複雑な数値計算を必要としていた。本章の方法では、格子点の積算という簡単な方法で体積と表面積を求めることができる。これにより、これまで少数の分子を用いて求められていた分子量と体積・表面積の相関をより多くの分子を対象として求めている。さらに、第2章で述べた骨格線抽出方法をタンパク質分子へ応用し、分子の構造的な骨格線を求めることにより、これまでの主鎖をつないで表す構造とは異なる新しい表現方法を提案するとともに、異分子間の形状の一致を求める方法の一助としている。

 第4章では、第3章で求めた分子表面に対して、第2章で開発した3次元画像処理方法を適用することにより、分子表面および内部に存在するcavityと結合部位の候補となる凸部を求めている。タンパク質分子は複雑な境界面を持つため、これまではcavity内外の空間の境界を一意的に定義することができていなかった。本論文の方法では、球面を用いてこの境界を定義することにより、cavityの境界面の一意的な定義を可能としている。cavityの抽出により、タンパク質分子のcavityは多くの場合、分子の表面に浅く広く分布しており、結合に際して「鍵と鍵穴モデル」で直感されるような、リガンド分子が深くレセプター分子に結合するのではないことを示した。これまでの方法ではタンパク質分子のcavityに対して電気的な特性を付加することは行われていなかったが、本論文の方法では離散画像化したタンパク質分子に含まれる格子点に対して、電荷の値や静電ポテンシャルの値を与えている。これらの解析により、レセプター分子のcavityとリガンド分子の結合部位の間に電気的な相補性が存在することを初めて明らかにしている。

 以上要約すると、本論文では、3次元離散画像処理をタンパク質分子のような複雑な形状に対して適用する方法を開発し、特に形状に内在する全ての骨格線を抽出可能な方法を提案し、タンパク質分子の形状検索に有効な方法を示した。また、タンパク質分子の分子表面を離散画像処理によって求める新しい方法を開発し、求めた表面を用いて体積と表面積の算出を行う方法を提案するとともに、タンパク質分子の骨格線を抽出した。さらに、リガンドーレセプター結合においては、結合部位が多くの場合、広く浅く結合していることを明らかにするとともに、形状の相補性の他に電気的な相補性が存在し、結合に際してそれが重要であることを見いだしている。これらは分子認識や薬剤設計などにおいて、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位請求論文として価値あるものと判定した。

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