学位論文要旨



No 111975
著者(漢字) 金,東旭
著者(英字)
著者(カナ) キム,ドンウク
標題(和) アクアライシンI(耐熱性セリンプロテアーゼ)の菌体外分泌におけるカルボキシル末端プロ配列の役割
標題(洋) Role of a COOH-terminal Pro-sequence in the Extracellular Secretion of Aqualysin I(a Heat-stable Serine Protease)
報告番号 111975
報告番号 甲11975
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1691号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 山崎,眞狩
 東京大学 教授 高木,正道
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 堀之内,末治
内容要旨 序論

 生命現象とは遺伝子の産物である蛋白質の連続的な作用の結果と思われる。こういう蛋白質が生体内で機能を発揮するためには生成された蛋白質が適当な場所に輸送され、活性ある構造に折りたたまれねばならない。蛋白質のフォールディングは蛋白質自身が持っている1次構造、つまり、アミノ酸配列の情報によって自然におこることだと思われていたが、分子シャペロンや分子内シャペロンなどの役割が知られるようになり、蛋白質の輸送とフォールディングは、蛋白質によってはその蛋白質自身以外にある要素を必要とすることが分かった。特に、分子内シャペロンであるプロ配列の場合、主に蛋白質のホールディングに関心が集まってきたが、その他、蛋白質の細胞内ターゲティング、あるいは輸送における役割が報告されている。N末端プロ配列とC末端プロ配列を同時に持っている蛋白質の場合、N末端プロ配列は成熟酵素部分のフォールディングに役割を果たしていることが証明されているがC末端プロ配列の役割は明らかにされていない。

 アクアライシンIはグラム陰性の高度好熱菌Thermus aquaticusYT-1が菌体外に分泌するアルカリ性セリンプロテアーゼである。この酵素活性の最適pHは約10.4、最適温度はカルシウムイオン存在下で80℃である。アクアライシンIは4つのドメイン、つまりN末端シグナル配列(14アミノ酸残基)、N末端プロ配列(113残基)、成熟酵素部分(281残基)、C末端プロ配列(105残基)からなるユニークな前駆体として生成される。N未端プロ配列(Nプロ配列)はアクアライシンIのフォールディングと前駆体の安定化に関与していることが分かっている。そして、Nプロ配列はフォールディングに関与した後、速やかにオートプロセシングされるため、Nプロ配列を持つ前駆体は検出することができない。

 本研究では、Thermus thermophilus,Escherichia coliおよびSaccharomyces cerevisiaeの発現系を利用し、アクアライシンIの分泌におけるC末端プロ配列(Cプロ配列)の役割を明らかにした。

第1章 Thermus thermophilusの発現系におけるアクアライシンIの分泌の際のCプロ配列の役割

 アクアライシンIの分泌におけるCプロ配列の機能を調べるために、Cプロ配列部分に置換及び欠失変異を導入し、耐熱性カナマイシンマーカーを持っている発現ベクターを利用し、T.thermophilusで発現させた。野生型と変異型ともに菌の成長には影響がなかった。しかし、Cプロの完全欠失(105アミノ酸残基)変異型では野生型の約20%しか菌体外へ分泌されなかった。Cプロ配列のどの部分が分泌における重要な役割を果たしているかを調べるためにCプロ配列に部分欠失(10-39アミノ酸残基)ならびに置換(5番と8番目システインをそれぞれアラニンとセリンに置換)した変異型を作製し、発現させた場合、全ての部分欠失変異型で野生型の約10%のアクアライシンIしか菌体外へ分泌されなかった。一方、置換変異型では野生型とほぼ同程度のアクアライシンIが菌体外へ分泌された。この結果はCプロ配列がT.thermophilusの発現系でアクアライシンIの菌体外分泌に重要な役割を果たしていることを示しており、Cプロ配列のどの部分が欠失しても、Cプロ配列の分泌における機能はなくなると考えられる。野生型ならびに変異型の両方において細胞内でのアクアライシンIの活性は検出されなかった。したがって分泌されていない変異型の場合菌体内のアクアライシンIは分解されたと思われる。

 イムノブロッティングの結果、野生型ではCプロ配列を持っている前駆体として培地へ分泌された後成熟酵素にオートプロセシグされることがわかった。そして、置換変異型の場合でもCプロ配列を持っている前駆体として分泌されるが、野生型に比べて成熟酵素へのプロセシング速度が速かった。しかしながら、欠失変異型では少しの成熟酵素しか培地に検出されなかった。この結果は培地へ分泌されるまでのCプロ配列の重要性を示しており、欠失変異型の場合、Cプロ配列が速やかに菌体内でプロセシングされ、分泌におけるCプロ配列の機能を発揮できなくなったと考えられる。アクアライシンIの宿主であるT.aquaticusYT-1の場合でもCプロ配列を持つ前駆体として培地まで分泌され、その後成熟酵素へのプロセシングが起こり、T.thermophilusの発現系での野生型の発現の結果と一致することが分かった。

第2章E.coliの発現系におけるアクアライシンI前駆体の内膜通過の際のCプロ配列の役割

 T.aquaticusYT-1とT.thermophilusは内膜と外膜を持っているために、アクアライシンI前駆体は二つの膜を通過しなければならない。ここでCプロ配列は外膜だけではなく内膜通過の際も役割を果たしているのかどうかという疑問が提起される。E.coliの発現系で野生型を発現させるとCプロ配列を持っている前駆体が内膜を通過し、培地に分泌されずに、外膜に止まっていることが分かっている。そこで、E.coliの発現系で、tac promoter制御下で、イソプロピル-D-チオガラクトピラノシド(IPTG〉により発現を誘導後ペリプラズム、細胞質、細胞膜の各画分に分画し、熱処理後各画分のプロテアーゼ活性を調べた。野生型と置換変異型では膜画分に、Cプロ配列のN末端からのアミノ酸10個欠失の変異型(CN10)を除いて全ての5個以上のアミノ酸欠失変異型では細胞質画分に多く局在していた。どの場合でもペリプラズム画分にはアクアライシンIの活性は検出されなかった。これらの結果からCプロ配列がアクアライシンI前駆体の内膜通過の際も影響を与えていることが示唆された。注目されるのはCN10変異型の場合で、T.thermophilusの発現系では他の欠失変異型と同じように分泌に大きな影響があったが、E.coliの発現系での内膜通過の際は他の欠失変異型と違って影響がなかった。

第3章前駆体のin vitroプロセシング及び酵素の活性化に対するCプロ配列変異の影響

 野生型アクアライシンIの場合、T.thermophilusおよびE.coliの発現系でCプロ配列を持つアクアライシンI前駆体が検出される。アクアライシンI前駆体の成熟酵素へのプロセシングにおけるCプロ配列の役割を調べるために、野生型とCプロ配列変異型をE.coliで発現させ、65℃で熱処理し、プロセシングの様子を観察した。野生型では65℃で12hの熱処理により完全に成熟酵素へプロセシングされた。しかし、CN10変異型を除いて全ての5個以上のアミノ酸欠失変異型ではわずか1hの熱処理により完全に成熟酵素へプロセシングされた。そして、Cプロ配列のプロセシングが速い変異型は活性ある酵素への活性化も速かった。これはCプロ配列がアクアライシンI前駆体を活性化されない状態に維持している事を示唆している。従って、Cプロ配列の欠失変異型ではCプロ配列が速やかにプロセシングされ、その機能がなくなって、前駆体は速やかに活性型酵素となるため内膜と外膜の通過が出来なくなったと考えられる。一方、CN10変異型ではCプロ配列のプロセシング、酵素活性化ともに野生型と同様の性質を示していた。第1、2章の結果では、この変異は前駆体の内膜通過の際には影響がなかったが、細胞外への分泌の際、大きな影響を与えていた。これはCプロ配列が内膜と外膜で違うメカニズムで機能する可能性を示唆している。

第4章S.cerevis iaeの発現系におけるアクアライシンIの分泌の際のCプロ配列の役割

 アクアライシンIの分泌におけるCプロ配列の役割を酵母の発現系により検討した。S.cerevisiaeの発現系でGal l promoterの制御下で発現させた時、Cプロ配列をもつ野生型ではCプロ配列のない変異型の約30%のアクアライシンIしか菌体外へ分泌されなかった。一方、野生型で分泌されなかったアクアライシンIは菌体内の小胞体(ER)に前駆体として止まっていた。この前駆体を70℃で6時間加熱処理しても成熟型酵素へのオートプロセシングは行われなかった。このことはアクアライシンI前駆体がERにおいて不溶性凝集化蛋白質となっている可能性を示唆している。ERで蛋白質のフォールディングが起こらない時、うまく分泌経路に乗れなくなると言う例が報告されている。したがって、ERに輸送されたアクアライシンI前駆体の構造は野生型とCプロ配列の欠失したものとでは大きく異なるものと考えられ、Cプロ配列はERでの前駆体のフォールディングを妨げているものと考えられる。

第5章まとめ-アクアライシンIの細胞外分泌モデル

 以上の結果をまとめるとアクアライシンIの細胞外分泌モデルは次のようになる。まず、細胞質で合成されたアクアライシンI前駆体はCプロ配列の機能により不活性状態で安定に維持される。そして、Cプロ配列は前駆体を膜通過可能な、柔軟性のあるコンフォメーションに維持して内膜と外膜の通過を助けていると考えられる。Nプロ配列による前駆体のフォールディングとNプロ配列のプロセシングはペリプラズムで、もしくは外膜の外側でおこる可能性がある。ペリプラズムでフォールディングが起こる場合、Nプロ配列と成熟酵素部分だけがペリプラズムに出た時(この時、Cプロ配列はまだ細胞質膜に止まっている状態で、前駆体に対する自分の機能を発揮出来ないと思われる)、Nプロ配列の機能により成熟酵素部分のフォールディングが起こる。その後、すぐNプロ配列がオートプロセシングされ(そのため、Nプロ配列を持つ前駆体は検出されない)、Cプロ配列を持つ前駆体は外膜に組み込まれ、分泌されて、培地中でCプロ配列はオートプロセシングされる。外膜の外側でフォールディングが起こる場合には、Nプロ配列と成熟酵素部分だけが細胞外に出た時(この時、Cプロ配列はまだ外膜に止まっている状態で、前駆体に対する自分の機能を発揮出来ないと思われる)、Nプロ配列の機能により成熟酵素部分のフォールディングが起こる。その後、すぐNプロ配列がオートプロセシングされ、成熟酵素部分とCプロ配列から成る前駆体が培地へ遊離される。そして、培地中でCプロ配列はオートプロセシングされる。

 アクアライシンI前駆体のように、Nプロ配列とCプロ配列を持っている分泌蛋白質の場合、Cプロ配列は少なくとも成熟酵素部分のフォールディングに必須ではなく、親水性が高く、成熟酵素と一緒に培地まで分泌されるという共通点をもつ。これらの蛋白質のCプロ配列はアクアライシンI前駆体のCプロ配列と同じように蛋白質の分泌において機能をすると予想される。従って、N末端とC末端の両方にプロ配列を持つ蛋白質においてCプロ配列の関与する新しい分泌メカニズムが考えられる。このような種類の蛋白質はグラム陰性だけではなく、植物などでも発見されているので、Cプロ配列は外膜だけではなく細胞質膜の通過にも関連していると予想される。これらの蛋白質のN、C両末端プロ領域は特定のプロテアーゼの生産と分泌のためにそれぞれ分化した高い特異性を持つ分子内シャペロンの一つと考えられる。

審査要旨

 アクアライシンIはThermus aquaticusYT-1が菌体外に分泌するセリンプロテアーゼである。アクアライシンIは4つのドメイン(N末端シグナル配列、N末端プロ配列、成熟酵素部分、C末端プロ配列)からなるユニークな前駆体として生成される。N末端プロ配列(Nプロ配列)はアクアライシンIのフォールディングに関与していることが分かっている。本研究は、アクアライシンIの菌体外分泌におけるC末端プロ配列(Cプロ配列)の役割を明らかにすることを目的としたものであり、序章とそれに続く5章よりなる。

 第1章では、Thermus thermophilusの発現系によるアクアライシンIの菌体外分泌におけるCプロ配列の役割について検討した。遺伝子上でCプロ配列部分に変異を導入した変異型プラスミドを作製し、T.thermophilusで発現させた。Cプロ配列の完全欠失及び部分(10から39アミノ酸残基)欠失変異型では野生型の約10〜20%しか菌体外へ分泌されなかった。この結果は、Cプロ配列がTthermophilusの発現系でアクアライシンIの菌体外分泌に重要な役割を果たしていることを示している。

 イムノプロッティングの結果、野生型ではCプロ配列を持っている前駆体として培地へ分泌された後、成熟酵素にプロセシングされることがわかった。しかしながら、欠失変異型では少しの成熟酵素しか培地に検出されなかった。この結果は、欠失変異型の場合、前駆体が速やかに菌体内で分解され、分泌量が減少したものと考えられた。

 第2章では、E.coilの発現系におけるアクアライシンI前駆体の内膜通過の際のCプロ配列の役割について検討した。E.coilの発現系では、野生型の場合、Cプロ配列をもつ前駆体が外膜に止まっていることが分かっている。そこで、発現を誘導後、大腸菌をペリプラズム、細胞質、細胞膜の各画分に分画し、熱処理後の各画分のプロテアーゼ活性を調べた。野生型では膜画分に、Cプロ配列の5個以上のアミノ酸欠失変異型では細胞質画分に多く局在していた。これらの結果から、アクアライシンI前駆体の内膜通過にもCプロ配列が関与していることが示唆された。

 第3章では、前駆体のin vitroプロセシング及び酵素の活性化に対するCプロ配列の変異の影響を検討した。野生型とCプロ配列変異型をE.coilで発現させ、熱処理し、プロセシングの様子を観察した。野生型では65℃で12時間の熱処理により完全に成熟酵素へプロセシングされた。しかし、5個以上のアミノ酸欠失変異型では、わずか1時間の熱処理により完全に成熟酵素へプロセシングされた。そして、Cプロ配列のプロセシングが速い変異型は活性ある酵素への活性化も速かった。この結果から、Cプロ配列はアクアライシンI前駆体を活性化されにくい状態に維持しているものと考えられた。

 第4章では、Cプロ配列の役割を酵母の発現系により検討した。S.cerevisiaeの発現系で発現させた時、Cプロ配列をもつ野生型前駆体ではCプロ配列を欠失した変異型の約30%のアクアライシンI活性しか菌体外に検出されなかった。そして、野生型で分泌されなかったアクアライシンIは菌体内の小胞体(ER)に前駆体として止まっていた。この前駆体を70℃で6時間熱処理しても成熟型酵素へのプロセシングは行われなかった。このことは、アクアライシンI前駆体がERにおいてミスフォールディングした蛋白質となっている可能性を示唆している。したがって、Cプロ配列はERでの前駆体のフォールディングを妨げているものと考えられた。

 第5章では、以上の結果とこれまでの知見をまとめ、アクアライシンIの菌体外分泌機構のモデルを提案している。Cプロ配列の役割は細胞質で合成されたアクアライシンI前駆体を不活性状態で、膜通過可能な、柔軟性のあるコンフォメーションに維持して、内膜と外膜の通過を助けていると考えられた。このC末端プロ領域は、アクアライシンIの分泌のために分化した高い特異性を持つ分子内シャペロンと考えられた。

 以上要するに本論文は、アクアライシンI(耐熱性セリンプロテアーゼ)の菌体外分泌におけるカルボキシル末端プロ配列の役割を解明したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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