学位論文要旨



No 111977
著者(漢字) 楊,麗軍
著者(英字) Yang,Li-Jun
著者(カナ) ヤン,リージン
標題(和) ジャガイモYウイルスゲノムの5'末端領域の機能に関する研究
標題(洋) Studies on the functions of the 5' ternminal region of potato virus Y genome
報告番号 111977
報告番号 甲11977
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1693号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 魚住,武司
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 難波,成任
 東京大学 助教授 林,浩昭
 東京大学 助教授 正木,春彦
内容要旨

 PotyvirusはジャガイモYウイルス(potato virus Y;PVY)をタイプメンバーとする植物ウイルスの一属で、全植物ウイルスの約30%を含み、また多数の農作物に被害を及ぼしている。このウイルスのゲノムはmRNA活性を持つ約10kbの一本鎖RNAであり、5’末端には自身がコードする蛋白質(VPg)が結合し、3’末端にはpoly(A)鎖が存在する。ゲノムRNAからは約350kDの巨大な単一のポリプロテイン(PP)しか翻訳されず、翻訳後PP自身が持つ三種類のプロテアーゼ活性により少なくとも9個の機能性蛋白質へプロセシングされるという遺伝子発現の特徴を持つ。そして、これらの機能性蛋白質によりウイルスの複製がなされ、ウイスルは増殖拡散していく。一方、上述のようにそのゲノムの5’末端には真核生物のmRNAの翻訳開始に必要とされるcap構造が無く、代わりにVPgが結合しているため、その翻訳開始機構は一般的なscanning modelとは異なっていると考えられる。本研究では、potyvirusの増殖過程の機構を解明することを目的に、PVY普通系統(PVY-O)を研究材料として、まず、ゲノムRNAの5’側約5kbをクローン化し、塩基配列を決定することによりPVY-Oのゲノムの構造を明らかにした。さらに、ゲノムの5’末端非翻訳領域(5’UTR)及びPPのN末端に位置するP1蛋白質の機能の解析を行った。

1、PVYゲノムRNAのcDNAのクローン化と構造解析

 PVY-Oを感染させたタバコの葉からウイルスを分離し、ゲノムRNAを調製した。まず、その中央部(ゲノムの5017-5033ヌクレオチド部位)に相補的な17merの合成DNAをプライマーとして5’側5014bpのcDNAをクローン化し、その塩基配列を決定した。また、逆転写酵素を用いてウイルスRNAを直接sequenceすることにより、ゲノムRNAの5’末端部18塩基の配列を決定した。今回決定した5’側の塩基配列と本研究室ですでに決定されていた3’側の約5kbの塩基配列を合わせることにより、PVY-Oゲノムの全塩基配列が明らかになった。ゲノムは9699塩基より成り、3061アミノ酸からなるポリプロテインをコードするORFが唯一つ確認された。Potyvirusに属する他のウイルスで既に報告のあるポリプロテインのアミノ酸配列との相同性及び切断部位のコンセンサス配列から、PVY-OポリプロテインはN末端よりP1,HC,P3,CI,5K,VPg,NIa-Pro,NIb,CPの少なくとも9個の機能性蛋白質が結合したものであると推定できた。また、PVY-Oのポリプロテインの推定アミノ酸配列は、PVYのnecrotic株及びハンガリー株のものに対しそれぞれ96.4%と92.4%の相同性を示した。一方、ゲノムの5’UTRは185bpであり、この中には他のpotyvirusでよく保存されている7種の配列があった。また、この領域はAT-richであり、Gが非常に少ないという特徴があった。3’末端には331bpの非翻訳領域が存在していた。

2、PVY-Oゲノムの5’UTRの翻訳段階における役割の解析(1)5’UTRのGUS遺伝子の翻訳に対する作用

 幾つかのpotyvirusで5’UTRが蛋白質合成のエンハンサーとして機能することを示唆する報告がある。PVY-Oゲノムの185bpの5’UTRの蛋白質合成に対する作用を解析するために、植物細胞中での転写活性の高いCaMV35Sプロモーターの下流に-glucuronidase(GUS)遺伝子をつないだプラスミドpGUS、並びにプロモーターとGUS遺伝子の間にウイルスの翻訳開始コドンを含む5’UTRを挿入したプラスミドpENGUSを構築し、タバコプロトプラストにPEG法によって導入した。24時間培養したプロトプラストの示すGUS活性を蛍光法により測定した結果、どちらのプラスミドを導入した場合もGUS活性が見られたが、GUSの上流に5’UTRを挿入したpENGUSでは5’UTRを持たないpGUSに比べ16倍以上のGUS活性を示した。この結果からPVY-Oの5’UTRは蛋白質合成に対するエンハンサーとして機能することが認められた。

(2)5’UTRの機能部位の解析

 5’UTRがどの様なメカニズムで蛋白質合成のエンハンサーとして働らいているのかを調べるために以下の実験を行なった。コンピューターによる5’UTRの塩基配列の解析により、5’UTRには1〜130ヌクレオチド部位及び131〜185ヌクレオチド部位の領域で2つのステムループ構造を形成していることが予想された。そこで、それぞれの領域をGUS遺伝子の上流に連結した2種類のプラスミドを構築した。それらをエレクトロポレーション法によってタバコプロトプラストに導入したところ、1〜130の領域を持つプラスミドでは5’UTRの全長を含むプラスミドに比べGUS活性が約50%に低下した。それに対し、131〜185の領域を持つプラスミドでは全長を含むプラスミドと同等以上のGUS活性を示した。PVY-Oの5’UTR中にもpotyvirusでよく保存されている7個の配列が1〜16,19〜25,34〜46,68〜75,85〜89,136〜158及び176〜188(ATGを含む)の位置に存在する。そこで、5’UTR全長からそれぞれを欠失した7種類の断片を構築し、これらをGUS遺伝子の上流に連結したプラスミドを構築しタバコプロトプラストに導入した。それらが示すGUS活性を解析した結果、1〜130の領域に存在する5ケ所を欠失させた場合には、5’UTR全長を含むプラスミドの場合よりもむしろ高いGUS活性を示した。一方、130〜185の領域の2ケ所に欠失を導入すると、GUS活性の減少がみられた。以上の結果から、PVY-Oの5’UTRの131〜185ヌクレオチド部位中にあるエレメントの方がより強く蛋白質合成の増強に関っていると考えられる。

3、PVY-OのP1蛋白質の検出とそのC末端の切断部位の決定

 P1蛋白質はポリプロテインのN末端部に存在し、他のウイルス蛋白質と比べてpotyvirus間でのアミノ酸配列の相同性が最も低い蛋白質である。現在までにP1が一本鎖RNA分子或いは一本鎖DNAへ特異的に結合すること、そして植物体の何らかの因子の存在下で自身のC末端を切断することなどがわかっている。tobacco vein mottling virus(TVMV)とtobacco etch virus(TEV)のP1蛋白質については、in vitroの実験でその切断部位がわかっているが、それ以外のpotyvirusのP1蛋白質の切断部位についての報告は無く、またP1蛋白質を感染植物体内で検出したという報告も少ない。そこで、PVY-OのP1蛋白質を感染植物体中で検出すると共に、タバコプロトプラストを用いたin vivoの解析によりそのC末端の切断部位の決定を行った。

(1)P1蛋白質の抗血清の作製とP1蛋白質の検出

 プラスミドpMal-cを用いて、malE遺伝子の下流にPVY-OのP1蛋白質のORFの中央部約70%の領域をインフレームに連結した。このプラスミドを大腸菌に導入し、産生されるマルトース結合蛋白質とP1蛋白質との融合蛋白質を精製し、これに対する抗血清をウサギで調製した。これを用いてPVY-Oを感染させたタバコの葉の抽出液に対しウエスタンブロッティングを行った結果、感染葉を9M ureaを含むbufferで抽出した場合のみ約33kDaのP1蛋白質が検出された。したがって、P1蛋白質は植物細胞の膜成分に結合しているのではないかと予想される。

(2)P1蛋白質のC末端切断部位の決定

 TVMVとTEVにおけるP1蛋白質の切断部位をもとに、Glu275/Ser276,Phe284/Ser285,His327/Ser328の3ヶ所をPVYのP1蛋白質切断部位の候補として推定した。そこで、PVY-OのPPのN末端部369アミノまでの領域の下流にGUSを連結した融合蛋白質を生産する発現プラスミドを構築し、これよりタバコプロトプラスト中で産生される蛋白質の形態を抗GUS抗体を用いたウエスタンブロッティングにより解析した。検出された蛋白質の分子量が本来のGUSのものよりわずかにしか大きくなかったことから、産生された融合蛋白質は何らかの切断をうけていると結論できた。さらに、この3ヶ所のそれぞれに部位特異的変異を導入した3種類の変異体を構築し同様に解析したところ、Glu275/Ser276及びHis327/Ser328をGly/Alaに置換した場合には融合蛋白質の切断がGUS活性の発現により確認されたが、Phe284/Ser285をGly/Alaに置換した場合には切断により生じるGUS活性は全く検出されなかった。さらに、Phe284/Ser285部位周辺の283番から286番までのアミノ酸を1つずつ欠失した融合蛋白質をタバコのプロトプラストで生産したところ、Phe284を欠失した場合にのみ融合蛋白質の切断により生じるGUS活性は検出できなくなった。以上のことより、P1蛋白質のC末端はポリプロテインの284番のフェニルアラニンであると決定した。

 以上、本研究において、PVY-Oの全ゲノム構造を明らかにし、P1蛋白質のC末端の切断部位を初めて決定した。さらに、PVY-Oの5’UTRが蛋白質合成におけるエンハンサーとしての役割を持つことを明らかにした。これにより新しい蛋白質合成の調節機構の存在を示すことができた。

審査要旨

 本論文はジャガイモYウイルス(potato virus Y;PVY)のゲノムの5’半分の塩基配列の決定と機能の解析に関するものであり、5章からなっている。

 第1章は序論であり、植物ウイルスが農業に与える影響の重大性を論じるとともに、PVYをタイプメンバーとするpotyvirus属の遺伝子構造と遺伝子発現機構に関する従来の知見をまとめたものである。potyvirusは約10Kbの1本鎖RNAゲノムからなり、そこからただ1つのORFによって翻訳されて生じる約350kDのポリ蛋白が、自身のプロテアーゼ活性によって少なくとも9個の機能性蛋白質へとプロセッシングされる。

 第2章では、PVY-O株を感染させたタバコからウイルスを分離し、そのゲノムRNA(約10Kbの1本鎖RNA)を精製してその5’半分のcDNAをクローン化して塩基配列を決定した。これと従来得られていた3’半分のクローンとを合わせることにより、PVY-Oの全ゲノム構造を明らかにした。

 第3章では、PVY-Oの5’末端185塩基の非翻訳領域(5’UTR)が蛋白合成の効率に与える影響を解析するために、CaMV35Sプロモーターの下流に-glucuronidase(GUS)遺伝子をつないだプラスミドpGUS、並びにプロモーターとGUS遺伝子の間にウイルスの翻訳開始コドンを含む5’UTRを挿入したプラスミドpENGUSを構築し、タバコプロトプラストに導入し、発現するGUS活性を測定した。その結果、GUSの上流に5’UTRを挿入したpENGUSでは5’UTRを持たないpGUSに比べ16倍以上のGUS活性を示した。

 さらに、5’UTRのそれぞれの領域を一部づつ欠失したものをGUS遺伝子の上流に連結した9種類のプラスミドを構築し、タバコプロトプラストに導入したところ、5’UTRの前半1〜130の領域を持つプラスミドでは5’UTRの全長を含むプラスミドに比べGUS活性が約50%に低下した。それに対し、131〜185の領域を持つプラスミドでは全長を含むプラスミドと同等以上のGUS活性を示した。以上の結果から、PVY-Oの5’UTRの131〜185ヌクレオチド部位中にあるエレメントが特に強く蛋白質合成の増強に関っていることを明らかにした。

 第4章では、ゲノムの5’末端にコードされているP1蛋白質の機能を解析した。

 まず、大腸菌で生産させたP1蛋白質を用いてウサギで抗血清を調製し、PVY-Oを感染させたタバコの葉の抽出液に対しウエスタンブロッティングを行った結果、感染葉を9M尿素を含む緩衝液で抽出した場合のみ約33kDのP1蛋白質が検出された。これにより、P1蛋白質は植物細胞の膜成分に結合しているものと推定した。

 次に、TVMVとTEVにおけるP1蛋白質の切断部位をもとに、Glu275/Ser276、Phe284/Ser285、His327/Ser328の3ヶ所をPVYのP1蛋白質切断部位の候補として推定し、PVY-OのポリプロテインのN末端部369アミノまでの領域の下流にGUSを連結した融合蛋白質を生産する発現プラスミドを構築し、これよりタバコプロトプラスト中で産生される蛋白質の形態を抗GUS抗体を用いたウエスタンブロッティングにより解析し、GUS蛋白の少し上流で切断が起こり、GUS活性が発現することを確認した。

 さらに、上記の3ヶ所のそれぞれに部位特異的変異を導入した3種類の変異体を構築し同様に解析したところ、Gln275/Ser276及びHis327/Ser328をGly/Alaに置換した場合には融合蛋白質の切断がGUS活性の発現により確認されたが、Phe284/Ser285をGly/Alaに置換した場合には切断により生じるGUS活性は全く検出されなかった。次に、Phe284/Ser285部位周辺の283番から286番までのアミノ酸を1つずつ欠失した融合蛋白質をタバコのプロトプラストで生産させたところ、Phe284を欠失した場合にのみ融合蛋白質の切断により生じるGUS活性は検出できなくなった。以上のことより、P1蛋白質のC末端はポリプロテインの284番のフェニルアラニンであることを初めて決定した。

 第5章は本研究全体の総括である。

 以上、本研究は、PVY-Oの全ゲノム構造を明らかにし、P1蛋白質のC末端の切断部位をはじめて決定するとともに、PVY-Oの5’UTRが蛋白質合成におけるエンハンサーとしての役割を持つことを明らかにしたものであり、学術上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54530