哺乳類の生殖に特有の器官である胎盤は、妊娠の進行に従い、形態・機能の変化を伴いながら、胎仔と母体の双方にとって最適な環境を作り出している。主要な胎盤性ホルモンの一つである胎盤性ラクトジェン(PL)は、家畜、ヒトを含む多くの動物種に存在し、乳腺の発育に関与するホルモンであることが知られている。ラットではこれまでに6種類のPLについてcDNAのクローニングがなされ、これらの5種までが、他の動物種のPLと同様に妊娠後期特異的に発現しているのに対し、齧歯類に特有とされている中期特異的PLとしては、PL-Iのみが報告されていた。妊娠中期は、下垂体による妊娠時の卵巣の機能支配が終了し、胎盤による支配が開始するとされており、PLは妊娠中の黄体刺激因子として、古くから注目されてきたが未だ直接的な証明はなされていない。また妊娠中期は胎盤の形成と胎仔の発育が劇的に起こる時期に相当し、近年、母体に加えて胎仔へのPLの関与を示唆する多く生物現象が報告されてきている。 本研究では、妊娠中期特異的に発現するPLの機能を分子レベルで解析することを目的として、まず、ラット妊娠中期胎盤における発現遺伝子の探索を行い、妊娠中期特異的な新規PL、PL-ImcDNAのクローニングに成功した。次に得られたcDNAを用いて、バキュロウイルス発現系による組換えタンパク質の発現系を確立し、その組換えPL-Imの生物活性について解析を行った。 第1章ラットPL-ImのcDNAクローニング ラット妊娠中期胎盤について、PCR法とZAP-cDNAライブラリースクリーニング法による発現遺伝子の探索を行い、妊娠中期特異的な新規胎盤性ラクトジェン、PL-ImのcDNAクローニングに成功した。 まず、ラットPLファミリーの分子種間でも特に相同性が高い配列部位を含む複数のPCRブライマーを作製し、妊娠10日及び12日目胎盤のcDNAを鋳型としてPCRを行った結果、約700bpのPCR産物を複数得た。これらについてDNAシークエンスを行った結果、新たなラットPL分子の一部をコードしているDNA断片であることがわかった。 続いて、ラット妊娠12日胎盤から抽出したmRNAを用いてZAP-cDNAライブラリーを作製し、得られたPCR産物をプローブとしスクリーニングを行ったところ、完全長のcDNAを得ることができた。このcDNAは687bpのOpen Reading Frameからなる229個のアミノ酸をコードしている。また、そのアミノ酸配列中にはアスパラギン結合型糖鎖の結合部位を2ケ所持つことも明らかになった。さらに興味深いことに、このcDNAは、妊娠中期特異的PLであるPL-Iと、後期特異的PLでありながらPL-Iと90%以上の相同的塩基配列をもつPL-Iv、この両分子のモザイク型の塩基配列を有し、独自の配列は存在しないことがわかった。これより、この新規PLをPL-Iモザイク(PL-Im)と呼称することにした。 ラット胎盤から抽出したRNAを用いて、PL-Im cDNAをプローブとしたノザンブロッティングにより、そのmRNAの発現の解析を行った。その結果、妊娠10日から12日目にかけて強い発現が認められ、後期には発現していないことが明らかになった。したがってPL-Imは妊娠中期に特異的に発現するPLであると結論した。 ラット肝臓からゲノムDNAを抽出し、制限酵素で消化後、PL-Im cDNAをプローブとしたサザンブロッティングを行った結果、EcoRI消化したゲノムDNAにおいて900bp付近のバンドを含む複数のバンドが検出された。すでに報告されているPL-I及びPL-Ivの結果と比較して、PL-Im特異的なゲノムEcoRI消化パターンの存在が認められたことから、PL-Im、PL-I及びPL-Ivは、それぞれ90%以上の相同的配列を有してはいるが、同一ゲノム領域からの転写産物ではなく、それぞれゲノム上、異なる領域に独立してコードされていることが示唆された。 第2章ラットPL-Imの組換えバキュロウイルスによる発現系の確立 PL-Imの生理機能解析を目的として、バキュロウイルス発現系を用いた組換えPL-Imの発現系確立を試みた。本系は発現産物に糖鎖付加などの翻訳後の修飾が期待でき、しかも大量な発現が可能であるという利点を持っている。 まず、シグナルペプチドを含む229個のアミノ酸をコードしている690bpのPL-Im cDNAをトランスファーベクターpAcYM1に挿入した後、バキュロウイルスDNAとともにSf9細胞にトランスフェクトし、組換えバキュロウイルスAcImを得た。組換えウイルスAcIm感染96時間後の培養上清及び感染細胞を回収し、PL-ImのN端に対する特異抗体を用いたウエスタンブロットにより、組換えPL-Imの発現の確認を行った。その結果、培養上清中の組換えPL-Imは約29kDaであるのに対し、細胞内では約26.5kDaから約29kDaに渡ってPL-Imが検出された。 次に組換えウイルスAcImと同時にツニカマイシンを添加した培養上清について、同様にウエスタンブロットによる解析を行ったところ、ツニカマイシン処理による分子量の減少が認められた。cDNAから予想されるペプチド部分について算出した分子量から考えて、組換えPL-Imは約2.5kDaのアスパラギン結合型糖鎖の付加がなされている糖タンパク質であることが明らかになった。 バキュロウイルス発現系の培養条件は組換えタンパクの産生量やその活性に影響することが知られている。そこで、AcImをTn5細胞に感染させた後、24時間毎に4日間培養上清を回収したところ、感染48時間後では他に比べて約2倍の発現量が認めらた。次に、ラット肝臓の細胞膜画分と125I-プロラクチン(PRL)を用いた受容体アッセイにより、各培養上清の結合活性測定を行なった結果、いずれの培養上清も、PRL受容体への結合活性を有することが確認され、培養時間に依存して生物活性比が大きく異なることが明らかになった。特に感染48時間後の培養上清では比活性が高いことが判明したたため、以後、組換えPL-Imの精製及び生物活性の解析には、感染48時間後に回収した培養上清を用いることにした。 培養48時間後に回収した上清を陰イオン交換クロマトグラフィーに供し、組換えPL-Imの精製を行い、培養上清1リットルから約3.5mgの組換えPL-Imを得た。 第3章組換えPL-Imの生物活性の解析 本章においては、組換えPL-Imの生物活性の評価系として、まず、PRL及びGHの刺激による細胞増殖が知られているラットリンパ腫由来のNb2細胞を用いた。さらに、これまで推察の域を超えていなかった中期PLの持つ黄体刺激活性について、組換えPL-Imを用いて直接的な証明を得ることを試みた。 Nb2細胞(1.5x105cells/ml)に、組換えPL-Imを各種濃度で添加し、37℃で48時間培養後、細胞数の測定を行った結果、組換えPL-ImはNb2細胞の細胞増殖度に対して濃度依存的な効果を示した。このことより、組換えPL-Imは確かに生物活性を有していることが明らかとなったが、ovine PRLとの比較から、組換えPL-Imの有するNb2細胞に対する生物活性は、ovinePRLの約3分の1程度にすぎないことが判明した。 次に妊娠7日目、10日目の卵巣から、黄体初代培養細胞を調製し、組換えPL-Im及びovinePRLを各種濃度で添加し、37℃で24時間培養後、培養上清を回収し、プロジェステロン及び20-Dihydroprogesterone(20-OHP)の濃度をRIAによって測定した。その結果、妊娠7日目の黄体細胞に組換えPL-Imを添加しても、プロジェステロン及び20-OHPの分泌に対して、有意な効果が認められなっかたのに対し、10日目の黄体細胞においては、組換えPL-Imは、プロジェステロン分泌促進および20-OHP分泌抑制の効果を濃度依存的に示した。一方、ovinePRLは妊娠7日目及び10日目の黄体細胞のプロジェステロン分泌には効果を有しなかった。よって、PL-Imは黄体刺激活性を有することが直接的に証明された。 ラットPLの分子進化に関する考察 組換えPL-Imの生物活性解析において、PRLとPL-Imは、PRL受容体を共有してはいるものの、質的に異なることが示唆された。PRLとは異なる分子、PLの獲得が、胎盤の妊娠時期特異的な機能獲得に必須であり、それによりPLの分子多様性が生じたと推察される。塩基配列の相同性に基づいた分子系統樹から、妊娠後期特異的PLから中期特異的PLへの分子進化によりPLが多様性を獲得していく上で、PL-Imは重要な位置を占めていたことが推察された。妊娠中期PLは、PL-Imを含めて糖タンパク質であるが、中期PLの祖先分子に相当するPL-II(後期PL)はPRL同様糖鎖を持たない単純タンパク質である。PL-IIとPRLが妊娠黄体に対して、刺激活性を示さないことを考えると、分子進化の過程における糖鎖獲得との関係は大変興味深い。妊娠中期特異的に発現するPL-Imは、妊娠中期以降、黄体の機能支配を行う黄体刺激因子としての作用を有し、効率的な繁殖能力獲得に必須であったと思われる。 |