近年、c-mos遺伝子産物であるMosが細胞周期静止因子(cytostatic factor)として機能していることが明らかにされてきているが、哺乳類の卵におけるMosの役割は未だに不明な点が多い。最近、c-mos遺伝子の機能部分を欠損させたマウス(c-mosノックアウトマウス)が作製されたが、本論文はこのc-mosノックアウトマウスを用いて、卵成熟および受精におけるc-mos遺伝子の役割について解析したものであり、3章から構成されている。その内容は、以下のように要約できる。 第1章では、マウス卵のための無血清体外成熟培地の作製について検討している。透明帯硬化を防ぎ、卵丘膨化を誘起することが体外成熟卵の受精率向上につながるのではないかと推定し、透明帯硬化防止作用をもつフェツインと卵丘膨化誘起作用をもつ妊馬血清性性腺刺激ホルモン、卵胞刺激ホルモン、あるいは上皮成長因子を加えた培地で卵を成熟させたところ、血清添加培地に匹敵する受精率を得ることができた。このことから体外成熟培地に添加する血清を既知の物質に置き換えることが可能で、本無血清培地は卵成熟や受精のメカニズムの解析に有用であると考察している。 第2章ではc-mosノックアウトマウスの卵成熟過程について解析している。c-mos遺伝子ホモ欠損マウスの卵を培養したところ、卵核胞崩壊率、第一極体放出率の低下は認められなかったが、第一極体を放出したもののうち約38%が自然に活性化し核を形成した。また、分裂中期における染色体の配列や凝縮、抗チューブリン抗体により検出される微小管の配置にも異常が観察された。卵子成熟促進因子の活性の指標となるヒストンH1キナーゼ活性は野生型マウスの卵とほぼ同等の値を維持しながら推移した。これに対してMAPキナーゼ活性の指標となるMBPキナーゼ活性は、野生型マウスの卵では卵成熟に伴い上昇したが、ホモ欠損マウスではほとんど変動しなかった。さらに野生型マウスの成熟卵ではリン酸化型MAPキナーゼが同定されたが、ホモ欠損マウスでは観察されなかった。以上の結果を総合し、Mosは卵成熟の開始に必須ではないが、卵核胞崩壊後のMAPキナーゼ活性の上昇を制御しており、これによって微小管の再構成や染色体の凝縮を支配していると推察するとともに、卵の減数分裂が第一分裂以降、間期に入らず、中期に至るのもMosの影響ではないかと考察している。 第3章ではc-mos遺伝子ノックアウトマウスの受精過程について解析している。c-mos遺伝子へテロ欠損マウスの体外成熟卵を体外受精すると100%が「二前核+進入精子尾部+極体」型の受精卵になったが、ホモ欠損マウスの受精卵では、48%が「二前核+進入精子尾部+極体」型、16%が「一前核+進入精子尾部+極体」型、31%が「分裂中期像+進入精子尾部+極体」型を示し、Mosの欠損が異常受精をもたらすことを観察している。しかしながら、この場合観察された極体が第一極体なのか第二極体なのかの判定が困難であるとし、第二極体の放出を確認するため、透明帯および第一極体の除去後に体外受精を行った。その結果、ヘテロ欠損マウスの受精卵は、100%が「二前核+進入精子尾部+極体」型を示したが、ホモ欠損マウスの受精卵では、「二前核+進入精子尾部+極体」型を示したものが32%で、「一前核+進入精子尾部+極体」型が16%、「分裂中期像+進入精子尾部+極体」型が53%であった。「分裂中期像+進入精子尾部+極体」型の極体は第二極体であることが明らかなので、この型の中期像は「第三減数分裂中期」の像であるとしている。また、エタノール処理によっても、受精における場合と同様に「第三減数分裂中期」像を観察している。さらに体外受精卵の体外発生についても検討し、ヘテロ欠損マウスの体外受精卵の95%が胚盤胞にまで発生したが、ホモ欠損マウスでは7%のものしか胚盤胞に至らなかったことを示している。以上の結果から、c-mos遺伝子欠損マウスでは異常受精が誘起されること、特に異常受精卵のうちの多くが「第三減数分裂中期」像を示すことから、c-mos遺伝子は卵の減数分裂からの脱出に深く係わっているのではないかと考察している。 以上要するに、本論文は、マウス卵の成熟、受精の解析に必要な無血清培地を作製するとともに、本培地を用いて、c-mos遺伝子の卵成熟や受精における役割を解析したものであるが、今まで定説のなかったマウスの卵成熟や受精におけるc-mos遺伝子の役割について一つの考えを提出したことは評価される。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。 |