学位論文要旨



No 111981
著者(漢字) 荒木,一司
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,カズシ
標題(和) マウスの卵成熟および受精におけるc-mos遺伝子の役割
標題(洋)
報告番号 111981
報告番号 甲11981
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1697号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,英明
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
内容要旨 はじめに

 アフリカツメガエルの卵において細胞周期静止因子(cytostatic factor,CSF)が同定されて以来、CSFの実体の解明がなされてきたが、近年、c-mos遺伝子産物であるMosがCSFとして機能していることが明らかにされてきている。しかしながら、このような研究はアフリカツメガエルの卵を中心としてなされており、哺乳類の卵におけるMosの役割は未だに不明である。近年、胚性幹細胞を用いた遺伝子の相同組み替え法が開発され、c-mos遺伝子についても本法により機能部分を欠損させたマウス(c-mosノックアウトマウス)が作製された。本論文は、このc-mosノックアウトマウスを用いて、卵成熟および受精におけるc-mos遺伝子の役割について明らかにしたものである。

第一章マウス卵のための無血清体外成熟培地の作製

 無血清培地で体外成熟させたマウスの卵は、ウシ胎仔血清(fetal calfserum;FCS)を含んだ培地で成熟させた卵に比べて受精能が低いことが知られている。従って、卵成熟に加え、体外成熟卵を用いて受精現象を解析する場合、成熟培地にFCSが添加されることが多い。しかしながら、成熟培地へのFCSの添加は、FCSに多くの未知の物質が含まれるため、卵成熟、受精あるいは発生のメカニズムの解析に関する実験には必ずしも適しているとはいえず、FCSを他の物質で代替することが望まれる。本章では、化学的に構成成分が明確なWaymouth MB752/1培地を基本として、これにFCSの主な蛋白質の一つであるウシ血清アルブミン(bovine serum albumin,BSA)ないしフェツイン(fetuin)を添加し、さらに妊馬血清性性腺刺激ホルモン(pregnant mare’s serum gonadotropin,PMSG)、または卵胞刺激ホルモン(follicle stimulating hormone,FSH)、あるいは上皮成長因子(epidermal growth factor,EGF)を同時に加え、マウス卵を体外成熟させ、受精能を解析することにより、FCSを既知の物質に置き換え得る可能性について検討した。BSA、フェツイン、FCSを単独で成熟培地に添加した場合の受精率は、それぞれ35.3%、44.3%、95.5%でFCS添加群で有意に高かった。一方、フェツインの添加に加えて、PMSG、FSH、EGFのいずれか一つを添加して体外成熟させた卵の受精率はそれぞれ84.1%、88.4%、78.3%となりFCS添加群に匹敵するほどの受精率を得ることができた。従って、体外成熟培地にFCSを添加することによる体外成熟卵の高い受精能は、PMSG、FSH、EGFのうちの一つとフェツインの添加により置き換えることができ、この体外成熟培地は卵成熟や受精のメカニズムの解析に有用であると考えられた。

第二章c-mosノックアウトマウスの卵成熟過程の解析

 第一章で作製したマウス卵の体外成熟培地を用いて、c-mosノックアウトマウスの卵の成熟過程を解析した。c-mos遺伝子ホモ欠損マウス、ヘテロ欠損マウス、野生型マウスから得られた卵を体外で培養した場合、卵核胞崩壊率や第一極体放出率、およびこれらが誘起されるまでの所要時間に遺伝子型による差は認められなかった。一方、ホモ欠損マウスの卵では、第一極体を放出したものの約38%が自然に核膜を形成し活性化すること、また活性化を示さなかった卵は第二減数分裂中期に進行することが明らかとなった。これに対し、ヘテロ欠損マウスおよび野生型マウスから得られた卵は、それぞれ96%および99%が第二減数分裂中期に進行した。ホモ欠損マウスの卵で第一および第二減数分裂中期を呈したものの一部は、赤道面上での染色体の配列が乱れ、さらに、染色体の凝縮の程度も弱かった。また、抗-チューブリン抗体により検出されるホモ欠損マウス卵の紡錘体の形態は、野生型マウスの卵と異なり、卵全体に占める割合が大きく、微小管の走行も拡散していた。一方、細胞周期の進行に重要な働きをしていると考えられている卵成熟促進因子の活性の指標となるヒストンH1キナーゼ活性は、ホモ欠損マウスの卵では卵成熟開始後12,16時間でやや低いものの、ヘテロ欠損マウスや野生型マウスの卵とほぼ同等の活性を維持しながら推移した。これに対して、MAPキナーゼ(mitogen-activated proteinkinase;MAP kinase)活性の指標となるMBP(myelin basic protein)キナーゼ活性は、野生型マウスの卵では卵成熟に伴い上昇したが、ホモ欠損マウスの卵では活性の変動はほとんど認められなかった。また、ヘテロ欠損マウスの卵は両者の中間的な値を示しながら推移した。さらに、ウェスタンブロット法によりリン酸化されたMAPキナーゼの検出を試みたところ、野生型マウスおよびヘテロ欠損マウスの卵ではリン酸化型MAPキナーゼが同定されたが、ホモ欠損マウスの卵では同定されなかった。以上の結果、Mosはマウスにおいて、卵核胞崩壊や第一極体放出には必須ではないこと、卵成熟期における微小管の再構成と染色体の凝縮に関与すること、第一減数分裂中期から第二減数分裂への移行に促進的に関与すること、卵成熟期においてMAPキナーゼの活性化に影響しているが、ヒストンH1キナーゼの活性に対する影響は小さいことが明らかとなった。

第三章c-mosノックアウトマウスの受精過程の解析

 本章では、c-mos遺伝子へテロ欠損マウスおよびホモ欠損マウスから得られた卵を体外で受精させ、さらに体外受精卵を体外で発生させ、Mosの欠損が受精や初期発生に与える影響について解析した。c-mos遺伝子へテロ欠損マウスから得られた体内成熟卵を体外受精すると100%が「二前核+進入精子尾部+極体」型の受精卵となったのに対し、ホモ欠損マウスから得られた受精卵は、48%が「二前核+進入精子尾部+極体」型、16%が「1前核+進入精子尾部+極体」型、31%が「染色体分裂中期像+進入精子尾部+極体」型を示し、Mosの欠損が異常受精をもたらすことが示唆された。しかしながら、この場合、観察された極体が第一極体なのか第二極体なのかの判定が困難であったため、次に、第二極体の放出を確認することを目的とし、透明帯および第一極体の除去後に体外受精を行った。この結果、ヘテロ欠損マウスの受精卵は、100%が「二前核+進入精子尾部+極体」型を示した。これに対し、ホモ欠損マウスから得られた受精卵は「二前核+進入精子尾部+極体」型を示したものが32%しか存在せず、「1前核+進入精子尾部+極体」型が16%、「染色体分裂中期像+進入精子尾部+極体」型が53%であった。「染色体分裂中期像+進入精子尾部+極体」型の極体は、第二極体であることが明らかなことから、この型の中期像は「第三減数分裂中期」であることが強く示唆された。次に、このような形態異常が精子の進入によって特異的に誘起されるのかどうかを明らかにするため、エタノールによる活性化処理を行い、比較検討した。その結果、ホモ欠損マウスから得られた活性化卵のうち25%が第三減数分裂中期像を示したのに対し、ヘテロ欠損マウスではこのような卵は全く認められなかった。一方、受精卵の発生を調べたところ、ヘテロ欠損マウスから得られた胚の95%が胚盤胞にまで発生を進めたが、ホモ欠損マウスから得られた胚は7%のものしか胚盤胞に至らなかった。以上の結果より、Mosの欠損は受精・発生にも影響を与えていることが明らかとなった。また、ホモ欠損マウスから得られた異常受精卵およびエタノールによる活性化卵の一部は第三減数分裂中期にとどまり、減数分裂からの脱出が不可能となっていることが示唆された。

おわりに

 本論文は、マウスの卵成熟および受精におけるc-mos遺伝子の役割を体外培養下で明らかにしたものであるが、Mosは卵成熟の開始および第一極体の放出に必須ではないこと、卵の活性化を抑えていること、また、MAPキナーゼ活性の制御を通して、微小管の再構成などを制御していることなどが明らかにされた。さらに、Mosの欠損が異常な受精を誘起し、一部は第三減数分裂中期を呈したことから、Mosは、減数分裂からの脱出に重要な役割を果たしていることが示唆された。以上のようなことから、c-mos遺伝子はマウスの卵成熟および受精の進行において必須な遺伝子であると結論づけることができる。

審査要旨

 近年、c-mos遺伝子産物であるMosが細胞周期静止因子(cytostatic factor)として機能していることが明らかにされてきているが、哺乳類の卵におけるMosの役割は未だに不明な点が多い。最近、c-mos遺伝子の機能部分を欠損させたマウス(c-mosノックアウトマウス)が作製されたが、本論文はこのc-mosノックアウトマウスを用いて、卵成熟および受精におけるc-mos遺伝子の役割について解析したものであり、3章から構成されている。その内容は、以下のように要約できる。

 第1章では、マウス卵のための無血清体外成熟培地の作製について検討している。透明帯硬化を防ぎ、卵丘膨化を誘起することが体外成熟卵の受精率向上につながるのではないかと推定し、透明帯硬化防止作用をもつフェツインと卵丘膨化誘起作用をもつ妊馬血清性性腺刺激ホルモン、卵胞刺激ホルモン、あるいは上皮成長因子を加えた培地で卵を成熟させたところ、血清添加培地に匹敵する受精率を得ることができた。このことから体外成熟培地に添加する血清を既知の物質に置き換えることが可能で、本無血清培地は卵成熟や受精のメカニズムの解析に有用であると考察している。

 第2章ではc-mosノックアウトマウスの卵成熟過程について解析している。c-mos遺伝子ホモ欠損マウスの卵を培養したところ、卵核胞崩壊率、第一極体放出率の低下は認められなかったが、第一極体を放出したもののうち約38%が自然に活性化し核を形成した。また、分裂中期における染色体の配列や凝縮、抗チューブリン抗体により検出される微小管の配置にも異常が観察された。卵子成熟促進因子の活性の指標となるヒストンH1キナーゼ活性は野生型マウスの卵とほぼ同等の値を維持しながら推移した。これに対してMAPキナーゼ活性の指標となるMBPキナーゼ活性は、野生型マウスの卵では卵成熟に伴い上昇したが、ホモ欠損マウスではほとんど変動しなかった。さらに野生型マウスの成熟卵ではリン酸化型MAPキナーゼが同定されたが、ホモ欠損マウスでは観察されなかった。以上の結果を総合し、Mosは卵成熟の開始に必須ではないが、卵核胞崩壊後のMAPキナーゼ活性の上昇を制御しており、これによって微小管の再構成や染色体の凝縮を支配していると推察するとともに、卵の減数分裂が第一分裂以降、間期に入らず、中期に至るのもMosの影響ではないかと考察している。

 第3章ではc-mos遺伝子ノックアウトマウスの受精過程について解析している。c-mos遺伝子へテロ欠損マウスの体外成熟卵を体外受精すると100%が「二前核+進入精子尾部+極体」型の受精卵になったが、ホモ欠損マウスの受精卵では、48%が「二前核+進入精子尾部+極体」型、16%が「一前核+進入精子尾部+極体」型、31%が「分裂中期像+進入精子尾部+極体」型を示し、Mosの欠損が異常受精をもたらすことを観察している。しかしながら、この場合観察された極体が第一極体なのか第二極体なのかの判定が困難であるとし、第二極体の放出を確認するため、透明帯および第一極体の除去後に体外受精を行った。その結果、ヘテロ欠損マウスの受精卵は、100%が「二前核+進入精子尾部+極体」型を示したが、ホモ欠損マウスの受精卵では、「二前核+進入精子尾部+極体」型を示したものが32%で、「一前核+進入精子尾部+極体」型が16%、「分裂中期像+進入精子尾部+極体」型が53%であった。「分裂中期像+進入精子尾部+極体」型の極体は第二極体であることが明らかなので、この型の中期像は「第三減数分裂中期」の像であるとしている。また、エタノール処理によっても、受精における場合と同様に「第三減数分裂中期」像を観察している。さらに体外受精卵の体外発生についても検討し、ヘテロ欠損マウスの体外受精卵の95%が胚盤胞にまで発生したが、ホモ欠損マウスでは7%のものしか胚盤胞に至らなかったことを示している。以上の結果から、c-mos遺伝子欠損マウスでは異常受精が誘起されること、特に異常受精卵のうちの多くが「第三減数分裂中期」像を示すことから、c-mos遺伝子は卵の減数分裂からの脱出に深く係わっているのではないかと考察している。

 以上要するに、本論文は、マウス卵の成熟、受精の解析に必要な無血清培地を作製するとともに、本培地を用いて、c-mos遺伝子の卵成熟や受精における役割を解析したものであるが、今まで定説のなかったマウスの卵成熟や受精におけるc-mos遺伝子の役割について一つの考えを提出したことは評価される。よって、審査員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

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