学位論文要旨



No 111982
著者(漢字) 石井,圭司
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ケイジ
標題(和) ハタネズミの心機能ならびに自律神経機能特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 111982
報告番号 甲11982
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1698号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 西原,真杉
 東京大学 助教授 森,裕司
内容要旨

 ハタネズミは草食性の小型齧歯類である。この食性が注目され、ハタネズミは反芻家畜のモデル動物として実験動物化が進められている。その成果として、反芻獣と同様に活発な消化管内醗酵を行なっていることや、醗酵産物である揮発性脂肪酸を主たるエネルギー源としていること、飢餓ケトーシスや糖尿病が容易に誘発されることなどの事実が明らかにされている。

 しかしながらハタネズミはその草食性という性質以外にも、行動にみられる明瞭なウルトラディアンリズムや、生息域である冷涼な環境に適応した熱産生能など、きわめて興味深い特性を多数有している動物である。しかし、ハタネズミに関する基礎的な研究データの蓄積はいまだ充分とはいえず、特に循環生理学的、神経生理学的な見地からの研究は緒についたばかりである。したがって、生理学的な側面からの探求には多くの解明されるべきことが残されている。

 そこで本研究では、いまだ基礎資料の少ないハタネズミの生理的特性、特に無麻酔・無拘束下での心機能および自律神経機能の特性について明らかにすることを試みた。そのために、まずできる限り個体に侵襲を与えない状態で生理的指標を記録することが可能なテレメトリー法の実用性を確かめてその適切な手技を確立し、さらにテレメトリー心電図を記録することにより、小型齧歯類における心拍変動解析による非侵襲的な自律神経機能評価法について検討した。ついで、それらの手法を用いてハタネズミの心機能ならびに自律神経機能に関する生理的特性、特に環境変化に対する生理的反応の特性を、同じ小型齧歯類に属するマウスと比較する形で明らかにすることを研究の目的とした。

 まず最初に、テレメトリー法がハタネズミの生理的指標を記録するのに適当な手法であるか、また長時間の使用に耐え、生体に対して悪影響を与えていないかどうかを調べるために、同程度の体重を有する小型齧歯類であるマウスを対照として心電図および自発運動を連続的に記録し、得られた記録について特に生体リズムに注目した詳細な解析を行なった。

 その結果、ハタネズミの安静時心拍数レベルがマウスより低いこと、またハタネズミの心拍数および自発運動リズムには、両者が同調したウルトラディアンリズムが観察されること、マウスの心拍数と自発運動量は常に正の相関関係を示したのに対し、ハタネズミでは休息時に心拍増加を示す個体が観察されたこと等の特性を明らかにすることができた。またテレメトリー法はその低侵襲性ゆえにこれらの特性が把握できたことから、生理的指標の記録に有用であることが確認され、以後の実験においてはすべてテレメトリー法に準じた心電図記録を用いることに決めた。

 続いて、その有用性が確かめられたテレメトリー法を用いて、生理状態の変化、特に自律神経系の活動変化にともなう心拍動の変化を検討する目的で、ハタネズミおよびマウスを暑熱あるいは寒冷環境に暴露した時の心拍数、体温および自発運動の変化について同時記録を行なった。

 その結果、環境温度に対する自律神経活動を反映して心拍数等の生理的指標が変化することが観察された。すなわち、暑熱暴露による心拍数減少はハタネズミの方がマウスよりも小さく、寒冷暴露による心拍数増加もハタネズミの方がマウスより大きかった。また、ハタネズミの体温がマウスよりも高く、さらに寒冷暴露による体温低下はハタネズミよりもマウスで大きかったことから、寒冷暴露に対するハタネズミの交感神経活動増加がマウスに比して大きいことが示唆された。以上のように、環境温変化に対するハタネズミの生理的機構、とくに寒冷暴露に対しての反応性に特徴があることが明らかとなった。

 非侵襲的な新しい自律神経機能評価法として、心拍変動解析法が近年注目されてきている。そこで、心拍変動解析法、特に高速フーリエ変換によるパワースペクトル解析法を応用し、さらに従来行なわれている自律神経の薬物遮断と組み合わせることにより、ハタネズミの自律神経機能の特性について明らかにすることを目的として実験を行なった。

 その結果、ハタネズミおよびマウスといった小型齧歯類においても、テレメトリー心電図記録法を用いることにより、心拍変動解析を実施することが有効なことが確かめられた。またハタネズミの心拍変動における各種指標の分析により、この動物の副交感神経活動がマウスと比較して活発であることが明らかにされた。自律神経の薬物遮断による結果からも、ハタネズミの副交感神経緊張度が相対的に強いことが裏付けられた。すなわち、マウスが交感神経優位型なのに対し、ハタネズミはマウスに比べて副交感神経優位型の動物であることが判明した。

 このように、ハタネズミはマウスと比較して環境温度変化に対する反応性、特に低温環境に対する反応性に特徴を有することが明らかとなった。そこでその有用性が実証された心拍変動解析法を用いることにより、ハタネズミおよびマウスの環境温変化に対する自律神経活動の反応について比較した。

 その結果、ハタネズミおよびマウスともに、心拍数は高温域で減少し、低温域では増加する傾向を示した。また、マウスの心拍数は12℃以下の温度域ではあまり増加をみせなかったのに対し、ハタネズミの心拍数はほぼ一定の割合で増加した。ハタネズミのCVは12℃で増加を示した以外には特に温度依存性の変化を見せなかったが、マウスでは低温域で明瞭な減少を示した。これは低温での頻脈によりRR間隔が限界まで短縮し変動する余地をもたないためであると考えられるが、それは心拍変動のパワー値の変化にも反映されていた。

 このように、特に低温環境に対する心機能特性について、ハタネズミとマウスとの相違が存在する可能性が考えられた。そこで、寒冷暴露による頻脈下において陽性変時作用を持つ薬物を投与することで心拍数を増加させ、その反応についてハタネズミとマウスを比較したところ、6℃下においてハタネズミの心拍数はアトロピンあるいはイソプロテレノール投与により増加を示したが、マウスの心拍数はいずれの薬物投与によっても増加しなかった。すなわち、ハタネズミでは6℃環境下での頻脈時にもいまだ心拍亢進の予備力を有し、また副交感神経も機能しているが、マウスの心機能および自律神経機能は適応限界に達していることが示唆された。以上のように、ハタネズミとマウスの間には、特に低温環境に対する心活動および自律神経活動の反応性について差異がみられた。

 以上のように、ハタネズミはその心臓および自律神経機能において、低温環境において適応的と考えられる特性が存在することが明らかとなった。ハタネズミは高い基礎代謝率レベルを有することで産熱量を大きくし、それにより低温環境下で放散される熱量を補い、その結果体温を保持し得ているものだと考えられているが、高い代謝率はすなわち酸素消費量の多さを意味しており、それゆえにハタネズミの低酸素濃度下における反応はおのずからマウスとは異なるものになることが予想された。

 そこで、ハタネズミとマウスを常温・低温の両環境温度下で段階的な低酸素濃度の空気に暴露することにより、その低酸素耐性について比較検討した。

 ハタネズミ、マウスともに低酸素濃度暴露により心拍数、体温の減少が観察され、その傾向は低温条件下でより顕著になった。また両動物において、伝導障害に由来するものと考えられる不整脈が頻発した。しかしながら、ハタネズミの全例が全温度・酸素濃度条件下で低酸素空気に暴露し続けることが可能だったのに対し、マウスでは条件によって低酸素の暴露継続が不可能な個体が出現するなど、ハタネズミとマウスの低酸素耐性には明らかな差がみられた。この事実は、ハタネズミの高代謝率は単に酸素消費量が多いのみならず、酸素の利用効率の面で高い能力を有することを示唆するものであった。またハタネズミが有するいくつかの特性がこの低酸素耐性に寄与している可能性が考えられた。そしてハタネズミの低酸素耐性は、この動物が寒冷環境に適応する上で有利に働くものであると推察された。

 以上の成績を総合すると、ハタネズミの心拍数はマウスよりも少なく、またその心拍変動はこの種の動物としては極めて大きいものであることなどの心機能的特性が認められた。さらに自律神経活動についても、交感神経緊張型の動物であるマウスに対してハタネズミは相対的に副交感神経緊張型の動物であり、両種の間には明確な生理的差異が存在することが明らかとなった。

 一方、環境温度や酸素濃度の変化に対する心機能および自律神経機能の反応性からは、ハタネズミの低温耐性および低酸素耐性がマウスよりも大きいことが明らかとなり、それらの特性はハタネズミが冷涼な環境に適応するに際しては重要かつ有利な要素であると考えられた。

 このようにハタネズミは、体重が同程度の小型齧歯類で、実験動物として広く用いられているマウスとは、心機能ならびに自律神経機能の面で異なる生理的特性を備えた動物であることが明らかにされた。したがってハタネズミを実験動物として使用する場合には、今回判明したような生物学的特性を充分考慮にいれる必要がある。

審査要旨

 ハタネズミは草食性の小型齧歯類で、反芻動物と同様に活発な消化管内醗酵を行うこと、醗酵産物である揮発性脂肪酸を主たるエネルギー源としていること、飢餓ケトーシスや糖尿病が容易に誘発されることなどが知られており、反芻家畜のモデル動物として注目されている。また、その草食性という性質以外にも、行動にみられる明瞭なウルトラディアンリズムや、生息域である冷涼な環境に適応した熱産生能を有することなど極めて興味深い生物学的特性を備えている。しかしながら、ハタネズミに関する基礎的な研究成績の蓄積は未だ十分とはいえず、とくに循環生理学的、神経生理学的見地からの研究は乏しい。

 そこで、本研究では、ハタネズミの生理的特性、とくに無麻酔、無拘束下での心機能および自律神経機能の特性について明らかにすることを試みている。そのために、まず、できる限り個体に侵襲を与えない状態で生理的指標を記録することが可能なテレメトリー法の実用性を確かめてその適切な手法を確立し、さらに、テレメトリー心電図を記録することにより、小型齧歯類における心拍変動解析による非侵襲的自律神経機能評価法について検討している。ついで、それらの手法を用いてハタネズミの心機能ならびに自律神経機能に関する生理的特性、とくに環境変化に対する生理的反応の特性を、同じ小型齧歯類に属するマウスと比較する形で明らかにしている。研究の内容は5部に大別される。

 まず最初に、テレメトリー法によりハタネズミとマウスの心電図および自発運動を連続的に記録し、得られた記録について、とくに生体リズムに注目した詳細な解析を行い、ハタネズミの安静時心拍数レベルがマウスより低いこと、またハタネズミの心拍数および自発運動リズムには両者が同調したウルトラディアンリズムが観察されること、マウスの心拍数と自発運動量は常に正の相関関係を示したのに対し、ハタネズミでは休息時に心拍数が増加する個体が認められたことなどの事実を明らかにしている。

 つづいて、生理状態の変化、とくに自律神経活動の変化にともなう心拍動の変化を検討する目的で、ハタネズミおよびマウスを暑熱あるいは寒冷環境に暴露した時の心拍数、体温および自発運動の変化について調べ、暑熱暴露による心拍数減少はハタネズミの方がマウスより小さく、寒冷暴露による心拍数増加はハタネズミの方がマウスより大きいこと、また、ハタネズミの体温がマウスより高く、さらに寒冷暴露時の体温低下はハタネズミの方がマウスより小さかったことなどから、寒冷暴露に対するハタネズミの交感神経活動の増加がマウスと比べて大きいと推察している。

 つぎに、非侵襲的な新しい自律神経機能評価法として、近年注目されている心拍変動解析法、とくに高速フーリエ変換によるパワースペクトル解析法と、従来から行われている自律神経の薬物遮断法とを組み合わせる実験を行い、ハタネズミやマウスのような小型齧歯類でもテレメトリー心電図記録法を用いることにより、心拍変動解析が可能であること、またハタネズミの心拍変動における各種指標の分析により、この動物の副交感神経活動がマウスと比べて活発であることから、マウスが交感神経優位型なのに対し、ハタネズミはマウスより副交感神経優位型の動物であることを明らかにしている。

 さらに、ハタネズミとマウスの環境温変化に対する心機能および自律神経活動の反応について詳細な分析を行った結果、ハタネズミは6℃環境下での頻脈時にもまだ心拍亢進の余力を有し、副交感神経も機能しているが、マウスの心機能および自律神経機能は適応限界に達していることから、ハタネズミとマウスとでは、とくに低温環境に対する心活動および自律神経活動の反応性に差異がみられることを実証している。

 最後に、ハタネズミとマウスを常温および低温下で段階的に低酸素濃度の空気に暴露することにより、両者の低酸素耐性について比較検討しており、その結果、ハタネズミとマウスの低酸素耐性には明瞭な相違がみられたことから、ハタネズミの高代謝率は単に酸素消費量が多いだけでなく、酸素の利用効率の面で高い能力を有し、この低酸素耐性にはハタネズミがもついくつかの特性が寄与していること、また、このハタネズミの低酸素耐性はこの動物が寒冷環境に適応する上で有利に働くと推察している。

 以上を要するに、本論文は新しいモデル動物として注目されているハタネズミについて従来知見の乏しかった心機能および自律神経機能をテレメトリー法を用いて詳細に検討し、この動物が、体重が同程度の小型齧歯類で実験動物として広く用いられているマウスとは異なる生理的特性を備えた動物であることを実証したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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