鼻粘膜の感覚は、嗅覚という特殊感覚と痛覚や触覚、温度感覚などの一般感覚とに大別されるが、このうち後者に関する研究は世界的にみてもまだその緒についたばかりであり、鼻粘膜の一般感覚を担う受容器の生理学的性状や形態学的特徴に関する知見は極めて乏しい状況に置かれている。鼻粘膜の一般感覚は、三叉神経の一次求心性線維の興奮によって仲介されているが、この求心性線維は決して単一のものではなく、おそらく刺激の種類をある程度みきわめることが可能な少なくとも数種類の神経線維(受容器)を含むであろうことは、他の気道部位の感覚受容器に関する研究成果をみれば容易に推察される。鼻粘膜の何らかの刺激によって、くしゃみ反射、呼吸抑制、声門閉鎖、気道収縮、末梢血管収縮、心拍数低下といった全身反応が誘発されることがしばしば述べられている(Proctor and Andersen,1982;Widdicombe,1986,1988)。しかしながら、このような解釈は鼻腔から生じうる反射効果を一般化したものにすぎず、刺激の種類や求心路との明確な対応関係に基づいているものではない。 本研究では、呼吸気道の生理学的研究や病態発現の研究材料として、最も頻繁に用いられているモルモットに関して、鼻粘膜の一般感覚担っている三叉神経篩骨神経枝の中にどのような感覚受容器が存在するかを同定し、またそれぞれの感覚受容器に対する特異的な刺激によっていかなる呼吸循環反射が生じるかについて明らかにするための実験を行った。 まず序論として、鼻腔の気道としての意義と形態、呼吸粘膜に関連する神経支配、および鼻腔から誘発される呼吸循環反射の現在までの知見について概述した上で、本研究の目的を述べた。 次いで、鼻粘膜の機械的刺激に対する感覚受容機構ならびに関連する呼吸循環反射を検討した。鼻粘膜に負荷される機械的刺激を、圧刺激、努力性呼吸運動刺激(呼吸性ドライブ)および触刺激に分け、それぞれの刺激に対する篩骨神経の応答性を電気生理学的方法によって調べた。その結果、圧刺激や努力性呼吸運動刺激に応答する神経線維(圧受容器、動き受容器)の割合は低く、またその興奮閾値もかなり高かった。しかしながら、触刺激に対しては明瞭な応答性を示した。この受容器は速順応型の放電を示し、鼻粘膜の触刺激によるくしゃみ反射の求心性線維として関与するものとみなされた。一方、鼻腔内に負荷された陽圧ないし陰圧に対する応答性は弱かった。 次に、鼻粘膜への化学的刺激に対する篩骨神経の刺激受容特性ならびに呼吸循環反射について調べた。まず、侵害物質であるカプサイシン溶液に対する応答性を調べ、さらにニコチン溶液やアンモニア溶液に対する応答性も同時に検討した。その結果、篩骨神経はカプサイシンに対して応答する神経線維を多く含んでいることがわかった。カプサイシン溶液に対する放電様式は遅順応型で不規則な放電を示した。このようなカプサイシン感受性神経線維の一部はニコチン溶液やアンモニア溶液にも刺激された。ニコチン溶液に対する応答はカプサイシン溶液に類似し遅順応型であったが、アンモニア溶液では速順応型を示した。カプサイシン溶液には応答せず、ニコチン溶液またはアンモニア溶液にのみ応答した神経線維も見い出された。次に、これらの実験とは別に、篩骨神経中に他の気道部位でみられる刺激受容器(irritant receptor)と同等の受容器が存在するか否かを明らかにするために、鼻腔内にアンモニアガス刺激、蒸留水刺激、触刺激を負荷して、それらに対する応答性を調べた。その結果、上記3種の刺激の各々に対して特異的に応答する受容器が存在することが確かめられた。これまで知られている刺激受容器は、同一の受容器が機械的刺激と各種の化学的刺激によって広範囲に刺激されることを考慮すると、本実験における上記の受容器の刺激受容特性はかなり異なっており、他の気道におけるいわゆる刺激受容器は、モルモットの篩骨神経中には存在しない可能性が高いものと思われた。 次に、カプサイシン溶液、アンモニアガス、蒸留水の鼻腔内作用による呼吸循環反射を検討した。カプサイシン溶液では、呼吸数の増加が、アンモニアガス刺激では反対に呼吸抑制が出現した。また、カプサイシン溶液ではくしゃみ反射が持続的に出現した。いずれの刺激も循環系に対しては心拍数増加と血圧上昇をもたらした。これらの呼吸循環反応は篩骨神経を切断した動物では認められなかった。蒸留水刺激では、呼吸循環反応は不明瞭であった。 これらの成績からモルモットの篩骨神経は化学的感覚受容、とくに侵害受容機構に富むことが示唆された。 さらに、鼻粘膜の温度感覚受容機構について検討した。篩骨神経の神経束活動は、鼻気流量の増大に伴ってその活動を増加させた。そこで、鼻気流量を一定にして、室温空気(冷刺激)、強冷空気(強冷刺激)、温空気(温刺激)およびメントールを含む室温空気(メントール刺激)を作用させて、篩骨神経束活動ならびに同単一神経活動を調べた。その結果、冷刺激や強冷刺激に応答するが、温空気には応答しない受容器が存在することが明らかになった。これらの受容器はメントールによって強く刺激された。このような性質はイヌの喉頭部の冷受容器ならびにラットの鼻粘膜の冷受容器の興奮性状に類似した。これらの受容器にはカプサイシン溶液に応答するものと応答しないものとが存在した。また、一部の冷受容器はカプサイシン溶液の作用によって脱感作を受けることが示唆された。上記のすべての応答性は鼻粘膜の局所麻酔によって速やかに消失した。 鼻粘膜の冷刺激により、呼気時間の延長を伴った呼吸抑制が出現した。この効果は、メントール刺激においてより明瞭に出現した。また、メントール刺激によって1回換気量の増加、動肺コンプライアンスの減少、最大吸気流速の増大および鼻翼の活動増大が観察された。これらの呼吸性変化は最大吸気流速を除いて、篩骨神経の切断により消失した。循環系に対しては、メントール刺激時にとくに明瞭な反応が見られ、心拍数増加、血圧上昇が観察された。これらの循環反応は、鼻粘膜の局所麻酔によって消失した。 以上の成績により、モルモット鼻粘膜は豊富な冷受容機構を持ち、それには無髄神経線維と有髄神経線維の両方が関与している可能性があること、また、これらの受容器の刺激は呼吸系ならびに循環系に対して明瞭な反射性効果を及ぼすことが明らかとなった。 以上の成績を要約すると、鼻腔の呼吸粘膜には感覚神経として篩骨神経が分布し、機械的刺激、化学的刺激および温度刺激のそれぞれに対して比較的分化した感覚受容機構を有していることが明らかになった。この場合、それぞれの刺激の中でもさらに一部の刺激に対してはより感受性の高い、あるいは選択性の高い受容機構をもつ受容器が存在することも明らかになった。しかしその一方で、一部の感覚受容器では性質の異なる多種類の化学的刺激に対して応答しうるなど、刺激受容の範囲が広いことが示された。おそらく各々の受容器毎にそれらが対象とする至適刺激が存在し、ある1つの刺激が作用した場合には、それに対して最も選択性の高い受容器を中心にして、神経束全体に感覚受容のスペクトラムが形成されるものと思われる。これらの感覚情報は、延髄に到達して、刺激の種類と強さに応じて異なる呼吸循環反射をもたらすことが考えられる。本研究で調べられた呼吸循環反射の大部分は篩骨神経の切断によって消失したことから、篩骨神経の求心性刺激で生じる呼吸循環機能の性質が明白になった。また、モルモットの鼻粘膜は侵害受容に富むことが示されたが、この受容機構が亢進する場合には、中枢神経系を介す各種の気道防御機構が動員される一方で、粘膜局所では軸索反射による炎症効果が増強されるなど、病態発現にとって欠かせない役割を演じることが推測された。 |