脳心筋炎(Encephalomyocarditis,EMC)ウイルスは、ピコルナウイルス科カルジオウイルス群に属する一本鎖RNAウイルスである。獣医学領域では、EMCウイルスは幼豚の致死性心筋炎および妊娠豚の胎児の死亡や流産の原因として近年多くの国で問題となっている。日本では発症報告例はまだないが、日本各地55カ所の養豚場の80%以上にEMCウイルスに対する抗体を有する動物がいることが報告されている。一方実験医学領域では、1966年に豚の心筋病巣から分離されたウイルスがマウスに心筋炎および中枢神経病変を誘発することが報告され、現在では、EMCウイルスを用いてウイルス性糖尿病、心筋炎、脳脊髄炎および精巣炎に関して多くの研究が行われている。特に、EMCウイルスは、実験動物に糖尿病を誘発する他のウイルス(Reo,Coxcackie B,Mengo etc.)と比較して極めて高い発症率を示すことより、人のI型糖尿病のモデル作成の道具として繁用されている。 人のI型糖尿病(IDDM)は膵臓細胞に対する自己免疫疾患であると考えられている。膵島細胞にリンパ球の強い浸潤が認められ、また糖尿病発症前後に膵島細胞に対する自己抗体がしばしば認められる。これまでの研究により、IDDM発症には遺伝因子と環境因子(ウイルス、薬物、食物その他)が関与していることが指摘されている。IDDMの病因にウイルス感染の関与が考えられる根拠としては、1)ウイルス感染症の大流行の後に高頻度にIDDMの発症が認められる(Mumps virus)2)IDDM発症前後にウイルスに対する中和抗体価が高く、剖検膵臓組織からウイルスが検出される場合がある(Coxsackie virus)3)実験動物に糖尿病を誘発するウイルスがある、ことなどが挙げられる。しかしながら、現在のところ自己免疫性膵島炎とウイルス感染の直接的な関連を裏付ける確証は得られていない。 本論文は、EMCウイルス感染マウスはウイルス接種後早期から糖尿病を発症すること、また、マクロファージは急性ウイルス感染に対する防御に重要な働きを持つ多機能な細胞であることからマクロファージに着目し、EMCウイルス誘発糖尿病におけるマクロファージの役割を解明することを目的としている。第一章では高感染価(105PFU/head)の、第二章では低感染価(100PFU/head)のEMCウイルス感染におけるマクロファージの役割について検索した。 第一章 高感染価(105PFU/head)のEMCウイルスにより誘発される糖尿病の病態を、二つのウイルス株(糖尿病高誘発株[EMC-D]および糖尿病非誘発株[EMC-B])および二つのマウス系統(EMCウイルス感受性[BALB/c]およびEMCウイルス非感受性[C57BL/6])を用いて検索した。EMC-D接種BALB/cマウスは、EMC-B接種BALB/cおよびEMC-D接種C57BL/6マウスと比較し、糖尿病発症の頻度は高く、激しい病変が認められた。in vivoで高濃度の血中インターフェロン(IFN)を誘導するEMC-Bまたはマクロファージに対して賦活作用を有するCorynebacterium parvum(C.parvum)を前処置したEMC-D接種BALB/cマウスでは、糖尿病発症が有意に抑制された。また、マクロファージの抑制物質であるcarrageenanを前投与したC57BL/6マウスは、EMC-Dに対する感受性が変わり糖尿病の発症が認められた。BALB/c由来のマクロファージは、in vitroにおいてEMC-B刺激によりEMC-D刺激と比較してより早期にIFNを産生した。また、EMC-D刺激により、C57BL/6由来のマクロファージはBALB/c由来のマクロファージより多量のIFNを早期から産生した。加えて、C.parvumはEMC-D刺激によるBALB/c由来マクロファージのIFN産生を増強し、carrageenanはC57BL/6由来マクロファージのIFN産生を抑制した。 この章の検索では、EMCウイルス感染マウスにマクロファージ活性化物質または抑制物質を投与することにより、マウスのEMCウイルスに対する感受性が変化した。また、ウイルス刺激により培養マクロファージから産生されるIFNの産生量とウイルスの病原性またはマウスの感受性の間に相関が認められた。これより、高感染価のEMCウイルス感染防御にはマクロファージが重要な役割を果たしており、ウイルスの病原性およびマウスの感受性を決定する因子の一つはマクロファージより産生されるIFNであることが示唆された。EMC-DとEMC-Bの塩基配列には14カ所の変異が報告されており、ウイルス株間におけるIFN誘導能の相違にはウイルスの構造上の違いが関与していると考えられる。ウイルス刺激によるマクロファージのIFN産生量におけるマウスの系統差については、同様なことがHSVおよびNDVで認められており、今回認められた系統差はEMCウイルスに特異的な現象ではないと考えられる。また、EMCウイルス感染に対する防御因子としてIFNの有効性を論ずる報告はこれまでに数多くある。これらの報告は、血液中のIFNの測定、外因性IFNまたは抗IFN抗体の投与によるマウスの感受性の変化等に関する研究であり、その結果も様々であった。今回の検索は、EMCウイルス感染マウスの血液中IFNの産生細胞を同定するとともに、EMCウイルス感染防御におけるIFNの有効性に新たな知見を加えた。 第二章 低感染価(100PFU/head)のEMCウイルス(EMC-D)感染におけるマクロファージの役割を三系統のマウス(DBA/2、BALB/c:感受性、C57BL:非感受性)について検索した。低感染価のウイルスを接種したマウスの膵臓組織像は、高感染価のウイルスを接種したマウスのそれとは異なり、膵島内に単核球の浸潤を主徴とする膵島炎が認められた。免疫組織化学的検索では、浸潤細胞のほとんどはMac1陽性のマクロファージであり、CD4およびCD8陽性T細胞は認められなかった。また、電顕検索で正常な形態を有する膵島細胞に隣接してマクロファージが浸潤している像が認められた。ウイルス接種3日後の糖尿病の発症率(DBA/2:7/8、BALB/c:3/8、C57BL:0/8)は、膵島細胞へのマクロファージの浸潤の程度(DBA/2:重度、BALB/c:中程度、C57BL:軽度)と良く相関していた。マクロファージを抑制するためにシリカを投与したところ、糖尿病の発症率がDBA/2マウスで100%から40%に、BALB/cマウスで80%から0%に減少した。また、抗マクロファージ抗体を投与してマクロファージを除去したDBA/2マウスでは、糖尿病および心筋炎の発症は認められなかった。加えて、膵臓および心臓におけるウイルス濃度またはウイルスRNA陽性細胞数は、抗体処理マウスで有意に減少した。また、マクロファージにより産生される細胞傷害性物質の膵島内における発現をRT-PCR、in situ hybridizationおよび免疫組織化学法により検索した。その結果、糖尿病発症以前にIL-1、TNF-およびiNOSの発現が認められ、膵島に浸潤しているマクロファージに陽性所見が得られた。これらの結果から、低感染価EMCウイルス感染においては、マクロファージはウイルス増殖に影響を及ぼし、また、膵島細胞内に浸潤して細胞傷害性物質を産生することにより膵島細胞傷害に関与していることが示唆された。すなわち、マクロファージは、二つの異なったメカニズムにより低感染価EMCウイルス感染の病態の進展に関わっていることが明らかになった。 同じピコルナウイルス科に属する幾つかのウイルスのレセプターは、Immunogloburin superfamilyに属している。EMCウイルスのレセプターの一つとしてVCAMが報告されており、VCAMはTNF-、IL-1、IL-4およびIFN-等の幾つかのサイトカインにより発現すると考えられている。今回の検索において、マクロファージを抗体により除去したマウスではウイルスの増殖が抑制されたが、その理由としてEMCウイルスレセプターの発現がマクロファージにより産生されるサイトカインによって誘導されている可能性が予側された。 低感染価のEMCウイルス感染の目的は人のIDDMのモデルの作出であり、IDDM発症への環境因子の一つであると考えられているウイルスによる自己免疫疾患を実験動物に再現することであった。高感染価の感染においてはウイルスによる膵島細胞傷害が強く、人のIDDMの特徴とされるリンパ球浸潤を伴う膵島炎は観察されなかった。低感染価の実験系では、膵島炎は認められたが浸潤細胞はマクロファージであり、リンパ球の浸潤は認められなかった。これまで、他のIDDMの実験モデルであるNODマウス、BBラット等の自然発症モデルおよびストレプトゾトシン投与マウス等の薬物誘発モデルでは、膵島炎を形成する細胞はリンパ球であり、マクロファージの主な役割は抗原提示であると考えられてきた。しかしながら、近年これらの実験系においても、糖尿病発症以前に細胞傷害性マクロファージが存在することが明らかになってきている。これらのマクロファージは、今回認められた膵島浸潤マクロファージと共通すると考えられる。低感染価EMCウイルス感染マウスは、マクロファージによる"自己免疫"的な関与により糖尿病が進展する新しいタイプのIDDMモデルである。 以上、本研究では、EMCウイルス感染マウスの糖尿病発症におけるマクロファージの二面的な役割を明らかにした。本研究の成果が今後のEMCウイルス感染症およびIDDMの研究発展に寄与することを希望する。 |