プロゲステロンを生物学的に不活性な20-ダイハイドロプロゲステロン(20-OHP)に代謝する酵素である20-水酸化ステロイド脱水素酵素(20-HSD)はラット卵巣に高い活性が存在し、ゲッ歯類特有の短い排卵周期の回帰、あるいは妊娠・偽妊娠期の黄体の機能的退行の調節に重要な役割を演じていることが知られている。最近、ラット卵巣中にイオン強度と基質親和性の異なる20-HSD(1及び2、分子量ともに33kD)が存在することが明らかにされ、各アイソザイムの発現調節や機能分担が新たな問題点となっている。さらに、20-HSDは生殖機能の調節以外に、細胞の増殖や分化にも関与している酵素としても注目を受けつつあり、20-HSD活性の機能や発現調節機構の解明が待たれている。本研究においては、卵巣の20-HSDアイソザイムをコードするmRNAについて解析を行い、各アイソザイムの生理学的意義の存在の有無を検討した。また、20-HSD活性の阻害剤を開発するとともに、偽妊娠終了期に発現上昇が認められる遺伝子を単離した。開発した阻害剤と単離した遺伝子を用いて、黄体退行時における20-HSD活性と、単離した遺伝子の生理学的意義についての検討を行なった。 性周期を回帰するラットの卵巣から抽出したmRNAをショ糖密度勾配法により分画してツメガエルの卵母細胞に注入して翻訳産物中の20-HSD活性を測定したところ、HSD1と2をコードするmRNAはともに1.0から1.5kbpの範囲にあることが明らかとなった。次に2群のラットの卵巣を材料にして、それぞれサイトゾール中に含まれるHSD1と2の活性を測定する一方、mRNAをツメガエルの卵母細胞に注入し、その翻訳産物中のHSD1と2の活性を測定した。その結果、2群の卵巣サイトゾール中のHSD1と2の活性比率(HSD1/HSD2)とmRNAの翻訳産物の活性比率は極めてよく一致した。ツメガエル卵母細胞内にラット卵巣と全く同じタンパク質のプロセシング系が存在している可能性は少ないことから、HSD1と2をコードするmRNAは別個に存在し、活性の発現調節は転写レベルで行なわれていることが強く示唆された。 次に、20-HSD活性の阻害剤を検討するために、プロゲステロンに類似構造を持つ26種類のステロイド誘導体(STZ1〜26)を対象に、20-HSD活性に対する影響を調べた。性周期回帰ラットの卵巣サイトゾールにおいてはSTZ1,2,13,20,25および26が20-HSD活性を抑制した。しかし、培養機能黄体細胞中の20-HSD活性に対しては、STZ26と25に阻害効果が認められたが、他の誘導体はほとんど効果がなかった。性周期中の卵巣ではHSD1とHSD2が同程度存在するが、機能黄体においてはHSD1のみしか存在しないことが示されていることから、STZ25,26以外の誘導体はHSD2の活性を阻害するがHSD1の活性は阻害しないか、あるいは細胞内に浸透しにくいものと考えられた。また、STZ26はFDC-P2細胞におけるIL-3による20-HSD活性の誘導に対して影響を与えなかったので、STZ26の20-HSD活性抑制作用は転写・翻訳レベルでなく、タンパク質レベルで発現していると考えられた。この考えは、卵巣サイトゾールから分離精製した各アイソザイムに対するSTZ26の効果の速度論的解析によって確かめられた。すなわち、STZ26はHSD1アイソザイムの20-OHPからプロゲステロンへの代謝を拮抗阻害すること、その際の解離定数(Ki)は24.3Mであることが明らかとなった。さらに興味あることに、STZ26は用量依存性にFDC-P2細胞の増殖を抑えることが判明し、20-HSDが細胞の増殖にも関与していることが示唆された。ラット卵巣中のHSD1と2の構造的・機能的な相違については現在のところほとんどが不明であるが、今回同定されたSTZ26阻害剤は特にHSD1に対して親和性が高く、その活性を特異的に抑制するものであり、両アイソザイムの生理的な意義の解明に極めて有用なものと考えられた。 そこで、このSTZ26を偽妊娠ラットに投与して、血中プロゲステロンおよび20-OHP濃度を測定することで黄体の機能的退行期におけるHSD1の機能を検討した。STZ26の投与は偽妊娠期間の延長をもたらし、偽妊娠誘起後18日目の血中プロゲステロン濃度を用量依存性に増加させた。さらにSTZ26の投与は偽妊娠終了期の血中20-OHPの濃度増加を顕著に抑制し、偽妊娠誘起後18日目の血中20-OHP濃度を用量に依存して減少させた。以上の結果は、STZ26が20-HSD1アイソザイム活性を阻害していることを明らかに示しているが、一方、偽妊娠12から16日目にかけてのプロゲステロンの低下を完全に阻止することはできなかった。改めて、正常偽妊娠ラットの血中プロゲステロン濃度の動態をみると、血中20-OHP濃度の上昇が始まる以前の偽妊娠10日目頃から減少し始めている。このことから、黄体からのプロゲステロン分泌量は20-HSDによる異化作用に加えて、別の未知の機構によっても調節されていると考えられた。 cDNA Subtraction法により偽妊娠終了期に発現の上昇する遺伝子として単離された26-コレステロール水酸化酵素(P450C26)は、コレステロールを水酸化して26-ハイドロキシコレステロール(26-OHC)を生成する酵素であり、細胞内コレステロールのプールサイズを様々なメカニズムで負に調節していることが報告されている。コレステロールがプロゲステロンの唯一の前駆物質であること、およびP450C26の発現が偽妊娠終了期にに高まっていることから、黄体からのプロゲステロン分泌量はP450C26によっても調節されている可能性が考えられた。これを確認するために、偽妊娠ラットの卵巣から新生黄体だけを経時的に摘出し、6,10,16,18日目のP450C26発現量を調べたところ、P450C26の発現は次第に上昇し、黄体からのプロゲステロン分泌が偽妊娠10日目で最高値を迎え、以後継続的に減少していくことと合致した。また、STZ26を投与したラットの卵巣内で発現しているP450C26mRNAの発現の変化を偽妊娠誘起後20日目の試料で検討してみると、STZ26投与量に依存して増加していた。以上の結果は、黄体からのプロゲステロン分泌量の調節は20-HSDによる異化作用に加えて、P450C26の発現によるコレステロールプールの縮小という、少なくとも2つの調節機構が互いに補完的に働いて達成されていることが強く示唆された。 本研究ではまた、偽妊娠6と16日目のラット卵巣を材料にcDNA Subtraction法を行い、偽妊娠終了期に特異的に発現の上昇が認められる黄体退行関連遺伝子の単離を試みた。その結果、偽妊娠終了期の16日目の卵巣で発現が上昇している9個のクローンの単離に成功した。その内の1個は上述したP450C26遺伝子であり、残りの8個は未報告のものであった。この8個のクローンに関しては妊娠期を通してのmRNAの変化をさらに検討し、偽妊娠6日目,10日目の卵巣では発現が変化せず、16日目に発現が上昇する偽妊娠終了期に最も特異的と考えられる変化を示した2つのクローン、rOVSUB35およびrOVSUB45を選び、以下の解析を行った。 まず、rOVSUB35は偽妊娠終了期の16日目の黄体に存在する血管にのみ発現が見られた。塩基配列を決定した結果、相同性を示す物質は未だに報告されておらず、タンパク質翻訳領域(Open Reading Frame:ORF)と思われる部位がいくつか存在するものの、そのどれにも既知の特徴的な機能モチーフは存在しなかった。そこで可能なORFの中で、最も分子量が大きい読み枠を与えるもののペプチドを大腸菌に合成させ、合成蛋白(GST複合蛋白)に対する抗体をマウスで作出した。その抗体を用いてWestern Blotを行った結果、この読み枠のタンパク質は卵巣中には検出できず、恐らく他のORFが翻訳されているものと考えられた。 一方、rOVSUB45は、偽妊娠6,10,16日目の黄体内に存在しているマクロファージに発現しており、陽性マクロファージ数は16日目に激増した。rOVSUB45の塩基配列は、細胞内シグナル伝達系への関与が推定されている程度で、その機能に関しては未だ不明な点が多いヒトのERK5(Endothelial Regulated Kinase 5)に対し高い相同性を示した。rOVSUB45の塩基配列からは可能なORF部位が2つ存在し、その1つから推測されるアミノ酸配列(Peptide 1)がヒトのERK5類似したものであったが、Kinaseドメインが欠失しており、タンパク質として既知の特徴的な機能構造は他に認められなかった。さらに、このORFに対応した抗体を作製しWestern Blotを行ったが、作製した抗体で認識されるタンパク質は卵巣内に存在せず、rOVSUB45の真のORFはPeptide 1をコードするものではないと考えられた。 rOVSUB45の塩基配列から推定されるもう1つのORFにより与えられるアミノ酸配列(Peptide 2)は、相同性を示す物質が未だ報告されていないものであった。しかし、Peptide 2にはC端に1つのC2H2-typeのzinc-fingerのモチーフが認められ、DNAあるいはRNAに結合する能力を有する核タンパクであると想像された。また、このモチーフのN端側にプロリンに富む領域が存在した。プロリンに富んだ領域はアクチンに結合するといわれ、rOVSUB45由来のタンパク質が自身とあるいは他のタンパク質と2量体を形成するなどして役割を果たしている可能性も考えられた。Peptide 2に対応した抗体を作出してWestern Blotを行った結果、卵巣の核抽出物中にこの抗体と反応するタンパク質がが検出された。つまり、rOVSUB45に相当するタンパク質は黄体内マクロファージの核内タンパク質であり、何れかのゲノム遺伝子に結合し、その遺伝子の発現を調節することでマクロファージの分化に関与している可能性が考えられた。 本研究の結果、ラット黄体からのプロゲステロン分泌の低下は黄体細胞のP450C26によるコレステロールプールの縮小と、20-HSD1アイソザイムによるプロゲステロンの異化作用という2つの機構が互いに協調してもたらされいることが強く示唆された。また、偽妊娠終了期の黄体内に発現の上昇している血管特異的rOVSUB35、およびマクロファージ特異的rOVSUB45の2つのクローンの単離に成功した。これらのクローンに対応したmRNAの発現変化動態・発現様式から、これらが卵巣の機能的もしくは形態的退行に関与していると思われた。以上の結果は、偽妊娠・妊娠の維持機構および終了の決定機構ばかりではなく、性周期卵巣の機能の調節機構などの解明に貢献すると思われた。 |