B細胞はその表面上に発現する膜結合型の免疫グロブリン(membrane-bound immunoglobulin,mIg)を介して特異抗原を認識する。mIgが細胞膜に移行するためには、mb-1およびB29遺伝子によってそれぞれコードされる2つの摸貫通型蛋白質Ig-およびIg-とともにB細胞抗原レセプター(B cell antigen receptor,BCR)複合体を形成することが必要である。また、mIgのC末端細胞内領域はきわめて短いため、B細胞表面上でmIgとBCR複合体を形成するIg-,Ig-分子が抗原認識の細胞内シグナル伝違に関与することが想定されている。 牛ではレトロウイルスである牛白血病ウイルス(bovine leukemia virus,BLV)の感染によるB細胞系の持続的リンパ球増多症およびB細胞リンパ腫・白血病の発生が認められる。このBLVのエンベロープ蛋白であるgp30には種々の抗原レセプター蛋白の細胞質内領域に存在するantigen recognition activation motif(ARAM)が存在することから、BLVによる牛B細胞の増殖や腫瘍化においてはBCR複合体を介するシグナル伝達機構が関与しているものと推測された。したがって、B細胞の分化ステージに特異的に発現されるmb-1遺伝子を解析することは、B細胞の増殖、分化および腫瘍化の分子機構を明らかにしていく上で重要であると考え、牛Ig-をコードするmb-1遺伝子に関する研究を行った。 第一章牛Ig-をコードするmb-1cDNAの単離とその発現 ヒトおよびマウスmb-1遺伝子の塩基配列の間で保存されている領域に対応した1組のプライマーを用い、牛末梢血単核細胞(PBMC)のpolyARNAから作成したcDNAをtemplateとしてpolymerase chainreaction(PCR)を行ったところ、286bpのDNA断片が増幅された。その塩基配列を決定したところ、ヒトおよびマウスのmb-1遺伝子と高い相同性が認められた。そこで牛PBMCのcDNAライブラリーについて、このDNA断片をプローブに用いてスクリーニングを行い、222のアミノ酸をコードするfull-lengthの牛mb-1cDNAクローン(pBMB.1)を得ることができた。pBMB.1によってコードされるアミノ酸配列はヒトおよびマウスのmb-1 cDNAのアミノ酸配列と細胞外領域ではそれぞれ41.9%および34.8%、膜貫通領域から細胞質内領域おいてはそれぞれ89.2%および91.9%の相同性を示した。この牛mb-1 cDNAにおいても、その細胞外領域ではシステインやトリプトファンなどのいくつかの特徴的なアミノ酸残基が保存されており、膜貫通領域では全体で22のアミノ酸残基のうち21残基が保存されていた。さらに細胞質内領域に存在するリン酸化される可能性のある2つのチロシン残基も保存されていた。また、pBMB.1クローンを導入したCOS細胞には、抗Ig-抗体と反応するタンパクの発現が認められた。次にmb-1遺伝子の発現をノザンブロット解析によって検討したところ、正常牛PBMCおよび牛白血病細胞株(BL2M3,BL312,Ku-17)において約1.4kbのmRNAが検出された。また、BLVの感染が認められない仔牛型白血病由来細胞株においてもmb-1の発現が認められた。 さらに、今回得られた牛mb-1cDNAの細胞質内領域には、BLVgp30,CD3,TCRおよびFcなどの抗原レセプターを構成する分子に共通するARAMが存在することが明らかとなった。ARAMは細胞内シグナル伝達系の制御に必須の構造であることから、何らかの細胞質内分子と結合する領域と考えられている。したがってBLVのgp30およびmb-1遺伝子産物(Ig-)はそれらのARAMへの細胞質内分子の結合を介してB細胞の増殖を引き起こす可能性が示唆された。 第二章牛BCRIg-をコードするgenomic mb-1遺伝子の単離とその構造解析 牛の肝臓genomicDNAライブラリーから、Ig-をコードする遺伝子を含む6.2kbのDNAクローン(pGMB.3)を単離し、その塩基配列を決定した。牛mb-l遺伝子は、シグナルペプチドと5’非翻訳領域をコードするエキソン1、mb-1蛋白の細胞外領域の大部分をコードするエキソン2、主に膜貫通領域をコードするエキソン3、細胞内領域をコードするエキソン4、および細胞内領域と3’非翻訳領域をコードするエキソン5から構成されており、その全体の構造はヒトおよびマウスのmb-1遺伝子と類似していた。、牛mb-1の5’非翻訳領域の塩基配列を解析した結果、EBF,Sp1,MUF2/Ets-1,NF-BおよびAP-2といった転写因子結合部位のコンセンサス配列が存在することが明らかになった。その他、TCF-1,TCF-2,IRE,E2Aなどの転写因子の結合部位と考えられる配列も認められた。また、牛mb-1遺伝子のプロモーター領域にはTATAボックスが認められなかった。以上の結果から、ウシ、マウス、ヒトの3種のmb-1遺伝子領域において保存されているEBF,MUF2/Ets-1などの転写因子結合部位は細胞の分化ステージに特異的なmb-1遺伝子の発現と密接に関与しているものと考えられた。さらに、BLV感染B細胞においては、BLVTaxによるNF-B結合部位を介したmb-1遺伝子の発現増強が存在する可能性が示唆された。また、牛mb-1遺伝子はTATAボックスを持たないため、複数の転写開始位置から転写されるものと考えられた。 第三章牛BCRIg-をコードするmb-1遺伝子のaltemative 牛白血病細胞株であるBL2M3細胞から作成したcDNAライブラリーをmb-1プローブを用いてスクリーニングしたところ、2つのcDNAクローン(pBMB.3およびpBMB.5)が得られた。pBMB.5は正常牛PBMCから得たmb-1cDNAクローン(pBMB.l)と同一の塩基配列を示し、ヒトやマウスのmb-1と同様の構造を持つ25KDの分子をコードすることが示唆された。一方、pBMB3の5’ならびに3’両端の塩基配列はpBMB.1と同一であったが、その中央部にframe shiftを起こす119bpの欠損が認められた。この欠損した領域は第二章で明らかになったgenomic mb-1遺伝子のエキソン3の部分と完全に一致し、ゲノムDNAを用いたサザンブロット解析で牛mb-1は単一の遺伝子に由来することが明確なことから、pBMB.3はmb-1遺伝子のalternatively spliced transcriptに相当することが示された。pBMB.3の塩基配列から予想されるアミノ酸配列を解析したところ、pBMB.3は細胞膜貫通領域ならびに細胞質内領域を欠くl2KDの分子をコードすることが推測された。そこで、欠損領域をはさむプライマーペアを用いてRT-PCRにより解析した結果、正常牛PBMCにおいては286bpのnormal type transcriptに相当するDNAの増幅しか検出されなかったが,4つの異なる牛白血病細胞株(BL2M3,BL312,Ku-1,Ku-17)のいずれにおいてもnormal type transcriptの他に167bpのalternatively spliced transcriptの増幅が検出され、その塩基配列はpBMB.3と同一であることが判明した。また各種マイトジェンならびに牛白血病細胞株の培養上清で刺激した正常牛PBMCについて解析した結果、同様にalternatively spliced transcriptが誘導されることが確認された。これらの所見から、B細胞抗原レセプターにおいても共通の遺伝子からalternative splicingにより2種類の分子が産生されるものと考えられた。 以上の研究結果から、牛BCR Ig-をコードするmb-1遺伝子について、cDNAおよびgenomic DNAの構造、転写調節に関与する領域、正常B細胞およびB細胞系腫瘍細胞における発現、さらにalternatived spliced transcriptの存在を明らかにすることできた。これら研究成果は牛のB細胞の免疫学、細胞生物学、腫瘍学における今後の研究に重要な知見を提供するものと考えられる。 |