学位論文要旨



No 111999
著者(漢字) 金,在英
著者(英字)
著者(カナ) キム,ゼヨン
標題(和) 泌乳時期が異なるマウス乳腺においてミルク貯留がプロラクチン受容体とカゼイン遺伝子発現に及ぼす影響
標題(洋) Effects of Accumulation of Milk on the Expression of Prolactin Receptor and Casein Genes in the Mouse Mammary Gland at Different Stages of Lactation
報告番号 111999
報告番号 甲11999
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1715号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河本,馨
 東京大学 教授 舘,鄰
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 酒井,仙吉
内容要旨

 泌乳は乳腺において最終的な分化機能の過程で起こる現像であり、プロラクチンはミルクの合成に密接に関係する。プロラクチンが作用するには乳腺細胞膜に存在するレセプターに結合しなければならない。プロラクンチンは、乳腺においてプロラクチンレセプターに結合して標的細胞の機能を調節する。泌乳中においてはミルクの合成を調節する。乳腺のプロラクチンレセプター数は泌乳の開始時から増加し泌乳の末期に向かって徐々に減少する。

 乳腺を含め多くの器官で分子量の異なる2種類のプロラクチンレセプターが存在する。プロラクチンレセプターmRNAにおいても長さの異なる2種類が同定され、ロングとショートに区別されている。この違いは遺伝子からの転写後におこるRNAのプロセッシングの過程で生じることが明らかにされた。近年、乳腺では特にロングタイプのプロラクチンレセプターがミルク合成に深く関与することが解明され、事実、乳腺で主要なものとなっている。肝臓等に多く含まれるショートタイプの役割、機能とも不明である。泌乳中の動物に吸乳や搾乳を中止すると泌乳が停止し、乳腺の退行が始まる。この過程におけるプロラクチンレセプターとそのmRNAの消長は明らかではない。又、泌乳を再開した時の消長も不明である。

 本研究では、プロラクチンレセプターと泌乳能力との関係を明らかにする目的で泌乳の停止及び再開過程におけるプロラクチンレセプターとそのmRNAの消長を調べた。最初にプロラクチンレセプターmRNAを測定する方法を確立した。次に泌乳時期の異なる乳腺でmRNAレベルの変化を調べた。しかし、mRNAのレベルは合成と分解の速度のバランスで決定される。分解する速度の推定は離乳により、また、合成速度の推定は再噛乳することによって行った。

 泌乳ICRマウスを用いた。分娩した日を泌乳0日とし、子供の数を10匹に合わせた。泌乳1、5、10、15日に子供を親から隔離した(離乳0時)。再哺乳は離乳24時に里子を同居させることにより行った。ミルク合成の有無はカゼインmRNAの測定により行った。プロラクチンレセプターは標識プロラクチンを用いたレセプターアッセーを行い、スカッチャードの方法で解析し、レセプター数と解離係数を求めた。グアニジンチオシアネート法を用いてRNAを抽出した。ランダムプライマーと逆転写酵素を用いてcDNAを合成した。cDNAを含んだ反応液にコンペティターDNAを加え、PCRを行った。PCRに用いたコンペティターDNAは、プロラクチンレセプターとカゼイン(分子量22k)の2種類、プライマーはプロラクチンレセプターのロングとショート用の2組、カゼイン用の1組を用いた。コンペティターDNAの量を連続的に変化させ、競合的PCRによるmRNAの定量を行った。1.5mg chlorpromazineと0.1mgCB-154を腹腔内に投与し、6時間後で実験に使用した。離乳6時間に1IU oxytocinを腹腔内に投与し離乳9時間で実験に使用した。血清中の乳糖の定量は血清に等量の10%TCAを加えて除タンパクを行い、Chloroformで処理して抽出液とした。乳糖を-galactosidaseでglucoseとgalactoseに分解し、glucose oxidase法で測定した。組織学的検索では乳腺をブアンで固定し、通常の方法でパラフィン切片とした。ヘマトキシリンーエオジンで染色した後、ルーメンの面積を画像処理装置で計測した。

 泌乳5日のマウス乳腺細胞は、約2千個のプロラクチンレセプターを持っているが、離乳1日で70%減少し、細胞当たり600個となった。その後,続いて離乳すると少しずつ減少した。一方、再哺乳した群では元のレベルに回復した。生理的食塩水(対照群)、1.5mg chlorpromazine、0.1mg CB-154投与し、6時間後にレセプター数の変化を調べた。対照群と比べてchlorpromazine投与した群は54%減少し、CB-154投与した群は69%増加した。離乳開始供にCB-154投与し、1日後のプロラクチンレセプター数の変化は1日離乳したものと同じレベルであった。離乳によるプロラクチンレセプター数の減少は内在性プロラクチンの影響でなく、実際にプロラクチンレセプター数が減少したことを示している。解離係数変化しなかった。

 泌乳5日のマウスを用いて離乳によりプロラクチンレセプターmRNAの分解と再哺乳により合成を調べた。ロングタイプのmRNAのレベルは離乳6時間まで一定したが、6時間から12時間に大きく減少し、2/5の濃度となった。18時で約70%と最低になった。以後、離乳を続けると徐々に増加した。1日離乳により減少したロングタイプmRNAのレベルは再哺乳6時間後に元のレベルまで増加し、以後時間の経過と共に徐々に減少した。-カゼインmRNAは、離乳1日で90%以下減少し、再哺乳によりmRNAは増加した。本研究から、プロラクチンレセプターののmRNAの分解速度及び合成速度を推定するには24時間の離乳及び6時間の再哺乳が適当であると判断した。

 プロラクチンレセプターmRNAレベルの変化の要因としてミルク存在の有無が考えられた。このため次の実験を行った。0、0.1、1IUのoxytocinを離乳6時に投与し、3時間後で測定した。投与量に対応してロングタイプのプロラクチンレセプターmRNAレベルは低下した。oxytocin投与のレプセターmRNAの減少に相応するカゼインmRNAの変動は見られなかった。ミルクの再吸収は,血液中の乳糖の濃度により調べた.離乳18時で乳糖の濃度が急激に増加した。過度のミルク貯留は12から18時間の間でおこっていることが分かった。オキシトシン投与により同様な現像を起こすことが出来る。オキシトシン投与した群においても用量依存的にプロラクチンレセプターmRNAの減少が認められた。離乳1日後、2-3日齢の子供4または8匹を、9-11日齢の子供4または8匹を里子とし6時間再哺乳させ、吸乳刺激の程度によるプロラチンレセプターとカゼインmRNAの変化を調べた。4匹の2-3日齢の里子をの群ではロングタイプレセプターmRNAレベルが他の群より2/5以下のレベルを示した。カゼインmRNAレベルはレセプターmRNAレベルとほぼ平行して変化した。又、5日齢の4匹里子で再哺乳させ、ミルクを貯留している乳腺とミルクがない乳腺でレセプターmRNAレベルを調べた。ミルクが吸乳された乳腺で約2.5倍高かった。吸乳刺激の弱い群でプロラクチンレセプターmRNAの増加が少なかった。以上の結果からミルクの貯留の有無がレセプター遺伝子発現と関係することを明らかにした。

 泌乳初期から末期までのプロラクチンレセプターmRNAレベルの変化は泌乳1日に高く得られた。以後、一定した割合を持って徐々に減少した。変化したプロラクチンレセプターmRNAはロングタイプに対応したので,ショートタイプに対応したレセプターmRNAレベルは低く、変動も余り見られなかった。カゼインmRNAレベルは大きな変動が認められず、徐々に増加し、泌乳10日に最高になってその以後低下した。泌乳1、5、10、15日に子供を親から隔離した。また。離乳24時に各々の泌乳日に相応しい里子10匹に合わせ、6時間の再哺乳を行った。離乳によりプロラクチンレセプターmRNAレベルは低下し、再哺乳を行うと6時間で急激に増加した。カゼインmRNAはレセプターmRNAに相応する変化を示した。泌乳15日のマウスでは再哺乳によりレプセターmRNAレベルが増加し、離乳を行うとレセプターmRNAが少しずつ増加した。プロラクチンレセプター数が急激する時期(泌乳5日目)以降の乳腺でmRNAレベルの減少が大きく、また、増加の程度も大きかった。この時期最も活発に遺伝子発現が起こっていることを明らかにした。

 乳腺に存在するプロラクチンレセプターmRNAは大部分ロングタイプである。本研究のより乳腺プロラクチンレセプターは遺伝子発現の段階で調節され、特に泌乳中ではミルク貯留の有無により大きく影響を受けることを明らかにした。又、プロラクチンレセプター数とレセプターmRNAレベルとは必ずしも対応していない。その原因として遺伝子レベルでは活発に発現しているが、分解も活発であり、従ってmRNAレベルが低いという結果であった。本研究により、mRNAレベルを生理機能との関係で研究する実験においてはmRNAの合成と分解の各程度を考慮する必要があることを明らかにした。

審査要旨

 プロラクチンは、泌乳中では、乳腺細胞に存在するプロラクチン受容体に結合し、ミルクタンパク質の合成を調節する。プロラクチン受容体数が多く存在することが活発なミルクの生産とその継続に大切である。現在、プロラクチン受容体メッセンジャーRNAが分離され、その遺伝子も同定されている。本研究は、遺伝的に泌乳能力を改善する目的でプロラクチン受容体の調節機構を遺伝子発現との関連で解明したものである。また、泌乳を反映する指標としてカゼインを用いている。その論文内容は5章から成る。

 第1章(序論)においては、研究の背景と論文全体を総括的に述べている。

 第2章においては本研究の遂行に要した実験方法を述べている。特異的メッセンジャーRNAの測定は、逆転写・ポリメラーゼチェーン反応(RT-PCR)を用いている。メッセンジャーRNAを正確に測定するため、プロラクチン受容体相補DNAと同一のプライマーと結合し、プロラクチン受容体相補DNAの一部をプラスミドDNAで置換したコンペティター(キメラ)DNAを構築した。コンペティターDNAを用いて行う競合的RT-PCRを確立した。この方法を用いてプロラクチン受容体及びカゼインのメッセンジャーRNAを測定した。

 第3章においては泌乳中のマウスを用い、乳腺のプロラクチン受容体を変化させる方法を述べている。乳子を24時間隔離すると受容体は乳腺細胞当たり2000から600と減少し、離乳24時間後に再哺乳させると24時間後で2000にまで回復する。受容体の増減という蛋白質レベルで変化が起こることを明らかにした。

 第4章においては第2章及び第3章で得られた成果に基づき、メッセンジャーRNAレベルでの解析を行ない、転写を調節する要因を述べている。乳子を隔離するとプロラクチン受容体メッセンジャーRNA量は離乳後9時間から12時間の間で急速に減少し、18時間で85%が減少し最低となった。一方、離乳後24時間で再哺乳を行なうと6時間で元のレベルにまで回復した。離乳により急速に減少し、また、再哺乳により急速に回復し、プロラクチン受容体は転写レベルで調節されていることを明らかにした。

 乳腺の組織学的解析と血液中の乳糖の分析から、ミルク蓄積量は離乳後12時間で最大であると結論した。この結果から乳腺内圧が影響すると推測した。オキシトシン投与により乳腺内圧を高めた結果、投与量に対応してメッセンジャーRNAが減少した。また、乳子数を減らしミルクが飲まれた乳腺と飲まれなかった乳腺を区別しメッセンジャーRNAを測定した結果、ミルクが飲まれた乳腺でのみ増加し、両者で明確な差が認められた。受容体遺伝子発現を調節する要因として内分泌要因というより、乳腺内に存在するミルク(物理的要因)が強く影響することを明らかにした。カゼインメッセンジャーRNAにおいても同様な結果を得た。

 第5章においては第4章で得られた結果に基づき、泌乳1、5、10、15日のマウスを用いて解析を行なった。プロラクチン受容体メッセンジャーRNAは、泌乳1日で最も高く、以後一定の割合で減少した。一方、カゼインメッセンジャーRNAは泌乳10日で最も高い。この違いは、プロラクチン受容体は細胞膜等の膜に結合し長期間細胞に留まること、カゼインは合成された後細胞外に排出されることに起因する。泌乳初期(1日)でプロラクチン受容体メッセンジャーRNAの合成能が最も高く、泌乳の末期(15日)で最も低い。泌乳の初期から中期に乳腺のミルクを十分に除くことがプロラクチン受容体遺伝子発現を活発にすることを明らかにした。

 以上、要するに、申請者は乳腺のミルクタンパク質合成を調節するプロラクチン、その受容体に着目し、泌乳機構を明らかにした。そのため、コンペティターDNAを用いた競合的RT-PCR法を構築し、更に、メッセンジャーRNAの解析に単に量を計るのでなく、合成・分解の概念を導入して解析を行なった。本研究は泌乳能力の遺伝的改良に基礎的知見を与えるものであり、学術上ならびに実用上貢献するところ少なくない。よって審査委員会委員一同は、申請者に博士(獣医学)の学位を与えてしかるべきものと判断した。

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