学位論文要旨



No 112000
著者(漢字) 種村,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) タネムラ,ケンタロウ
標題(和) マウス精巣の老年性退行変化
標題(洋)
報告番号 112000
報告番号 甲12000
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1716号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 佐藤,英明
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 板垣,慎一
内容要旨

 本論文はマウス精巣に生じる加齢変化について検討し、その老年性退行変化を明らかにするとともに老化に関する知見を深めようと試みたものである。

 第1章老齢マウス由来精子を用いた体外受精 老齢動物の雄性繁殖能力を解析するため、老齢マウス(33ヵ月齢)の精巣上体から精子が得られるのか、また精子が得られたならば、その精子を用いて体外受精が可能か、そして正常な産子を得ることができるのかを検討した。その結果、繁殖行動を示さない老齢マウス由来の精巣上体、14個中6個から精子を採取でき、それらを用いた体外受精による受精率は正常の範囲内であった。さらに前核形成、2細胞期胚子への発生も正常であった。産子の生産成功率は老若マウス精子ともに約60%であり、ただ1匹の例外を除いて、得られた老齢マウス由来精子による産子には繁殖能力が認められた。これは、高齢化し繁殖行動を示さない雄動物においても潜在的繁殖能力が維持されているケースがあるということを明確に示したものであり、雄の高齢化のために絶滅の危機にある動物種の保存への応用が期待できよう。一方で、精子を採取できなかった老齢個体の精巣においては、精子発生不全像が顕著に観察された。従って加齢にともなうBDF1マウス雄に繁殖能力の低下は、主として精巣における老年性精子発生不全と対応していると推測された。

 第2章マウス精巣組織の老年性退行変化 光顕および電顕観察によってマウス精巣組織に生じる加齢変化を検討した結果、生後18ヵ月齢マウスの精細管の精上皮に空胞の出現が観察された。この空胞は精母細胞から円形精子細胞にかけての精細胞が存在すべき部位に認められたため、有糸分裂第一期から減数分裂期にかけて精細胞の退行性変化が生じた結果、精上皮から精細胞が脱落したものと推測された。精上皮における空胞の出現頻度は加齢とともに増加傾向にあり、生後27ヵ月齢においては、円型および成熟精子細胞が存在しない薄層化した精上皮が観察された。さらに生後30ヵ月齢では精子細胞のみならず、精母細胞もほとんど存在しない極めて薄層化した精上皮が観察された。こうした精上皮では、セルトリ細胞は極性を失い扁平化しており、その細胞質内において多量の脂肪滴やライソゾームが観察され、精細管管腔側にはセルトリ細胞の突起の積み重なりが認められた。また精細胞の脱落による網目状の精上皮も観察された。しかし、精子発生不全像を示す精細管の精上皮においてもセルトリ細胞間の血液精巣関門は正常な形態像を示したため、老年性精子発生不全は自己免疫疾患である可能性は低いと考えられた。こうした精細管では、精細管基底膜の肥厚、凹凸化も顕著であり、コラーゲン様線維も増加傾向にあった。一方、老齢マウス精巣間質域ではPAS陽性の単核系食細胞、PAS陽性の細胞外物質の出現が認められた。加えて、精巣横断面における精子発生不全像を呈する精細管の出現は白膜近位に集中していたことから、必ずしも全ての精細管における精子発生不全が同時に進行するわけでは無いことが明らかになった。

 第3章セルトリ細胞の細胞内骨格系の加齢変化 セルトリ細胞の細胞内骨格系を構成するタンパク分布の加齢変化について、免疫組織学的手法を用いて観察した結果、老齢マウスのセルトリ細胞における特徴的所見として、核周囲および精細管管腔近位に基底膜と水平方向にビメンチン(VM)の分布が認められた。またサイトケラチン(CK)の発現は若齢マウスのセルトリ細胞には全く認められなかったが、老齢マウスの薄層化した精上皮においては、セルトリ細胞の細胞質にCKの分布が観察された。これは、セルトリ細胞に生じる形質加齢変化の一つであると考えられる。なお、CKは細胞間の正常な相互関係が損なわれた場合に発現すると考えられていることから、セルトリ細胞を含めた精巣を構成する細胞間の相互関係に何らかの退行性変化が生じた結果、CKが発現したと推測された。さらに微小管の分布は若齢マウス・セルトリ細胞ではVM同様にセルトリ細胞幹のみならず、精細管管腔側に微小管の分布が観察された。これはVMの発現様式と併せてセルトリ細胞の極性消失を裏付けるものと考えられた。アクチンフィラメント(AF)の分布は、老齢マウスの薄層化した精上皮においても基底膜近位のセルトリ細胞間に観察され、さらに微小管の分布同様、精細管管腔側において認められた。これは成熟精子細胞の欠損にも関わらず、AFは消失せずに集積するという老齢マウス・セルトリ細胞の特徴的所見と考えられた。

 第4章マウス精細胞の増殖能の加齢変化 マウス生体内における精細胞の増殖能の加齢変化を検討するために、増殖細胞核抗原(PCNA)に対する抗体を用いて免疫組織化学を行った。老齢マウスの薄層化した精上皮を持った精細管横断面においても若齢マウス同様に精祖細胞から精母細胞にかけてPCNA陽性細胞が認められたが、若齢マウスに比較して減少傾向にあった。さらにサイミジンのアナログであるブロモデオキシウリジン(BrdU)を投与後、精巣組織切片上に一定時間の間に精祖細胞に取り込まれたBrdUを免疫組織化学的手法で検出したところ、BrdUの取り込み率は加齢にともない明らかに低下していた。しかし老齢マウスの極めて薄層化の進行した精上皮においても精祖細胞は増殖能をある程度まで保持していることが明らかとなった。すなわち生殖細胞系列に細胞周期の加齢変化が生じている可能性があることから、生後3および33ヵ月齢マウス精細管からRNAを回収後、RT-PCRにてサイクリンA、B1、B2、D1、D2、D3およびEの加齢変化を検討した。得られたサイクリン発現パターンの加齢変化は、特にG2期サイクリンと考えられているサイクリンB類の発現レベルの上昇を示した。従って、老齢マウスの何れかのタイプの精細胞ではG2期の精細胞のG1期の精細胞に対する存在比が若齢マウスに比較して高いのではないかという推論に達した。これは高齢ヒト精巣に報告されているDNA高含有量の精祖細胞数の増加とも一致した結果と考えられ、加齢性の形態変化はまったく認められなかったBDF1マウス精祖細胞においても老年性の退行変化が生じていることが推測された。

 第5章マウス血清中FSHレベルおよび精巣におけるアクチビン・レセプターmRNA発現の加齢変化 マウス精巣における生殖細胞系列およびそれらを取り巻く環境の加齢変化を観察し、これまでに得られた結果との関連を検討するためにマウス血清中のFSHレベルの加齢変化を経時的に測定した。さらにマウス精巣におけるアクチビン(AV)、インヒビン(IB)のサブユニットおよびアクチビン・レセプター(ActR-II)mRNAの発現パターンの加齢変化をRT-PCRにて検討した。その結果、マウス血清中FSHレベルは生後24ヵ月齢以降に低下していた。また、老齢マウス精巣によるActR-IIのRT-PCRバンドは若齢マウス精巣のそれに比較して低かった。精巣におけるAVとIBの発現の増減を推測するためサブユニットに対するAサブユニットおよびBサブユニットの比率を算出したところ、ともに老齢マウス精巣における比率は若齢マウス精巣のそれに比べて小さかった。従って、老齢マウス精巣においてIB産生能が上昇しているかAV産生能が低下していることが強く示唆された。これは加齢にともなうマウス血清中FSHレベルの低下との間で相関を示す。一方、若齢および老齢マウス精巣組織上のActR-IIシグナルの発現パターンをin situハイブリダイゼーションによって明らかにしたところ若齢マウスではシグナルは精祖細胞に強く検出され、精細胞の分化とともにシグナルは減少し、精子細胞ではシグナルは全く認められなかった。老齢マウスの極めて薄層化の進行した精上皮においても、若齢マウスにおけるシグナルに比較して弱いシグナルが精祖細胞に認められた。従って、こうした老年性退行変化が顕著な部位においても精祖細胞のAVに体する感受性は維持されている可能性が高いと推測された。

 第6章精細管移植による老齢マウス精細胞の分化誘導 老齢マウス精巣において精細胞自体よりも精細胞を取り巻く環境が老年性退行変化を引き起こしていることが示唆された。そこでW/Wvマウスの精巣内へ老齢マウスの極めて薄層化の進行した精細管を移植し、精祖細胞の分化の誘導を試みた。また対照実験のために腹腔内精巣BDF1マウスの精細管を用いた。その結果、両群ともに移植2週間後に精母細胞までの分化誘導が観察された。従って、老齢マウス由来の極めて薄層化の進んだ精細管に残された精祖細胞は、それを取り巻く環境を整えてやることによって精母細胞へと分化することが明らかとなった。さらに移植4週間後には、対照群では精子細胞が認められたが、実験群では精母細胞が観察されたにとどまり精子細胞は全く認められなかった。なお、レクチン組織化学の結果、移植によって誘導された実験群の精母細胞はアクロゾームの前駆体を形成する以前の、ステージIからVに相当するパキテン期の精母細胞であると考えられた。

 本論文によって老齢マウス精巣の特徴的所見が明らかにされた。これは生理的老化(successful ageing)の結果、マウス精巣に生じた老年性退行変化と判断されるものを含む。しかし、こうした退行変化の原因として、生殖細胞系列自体が老化しているか否かについては、明確な回答を導くことができなかった。この点に関しては分子生物学的手法を取り入れることで、今後に検討を重ねる必要があると考えられる。

審査要旨

 本論文はマウス精巣に生じる加齢変化について検討し、その老年性退行変化を明らかにするとともに老化に関する知見を深めようと試みたものである。

 まず第1章にて老齢雄マウス(33ヵ月齢)の繁殖能力を解析した。繁殖行動を示さない老齢マウス由来の精巣上体を用いた体外受精による受精率、さらに受精卵の前核形成、2細胞期胚子への発生、さらに産子の生産成功率も正常であった。これは高齢化し、繁殖行動を示さない雄動物の潜在的繁殖能力の維持を明確に示した。一方、精子を採取できなかった個体の精巣では、精子発生不全像が観察され、加齢性の繁殖能力低下は老年性精子発生不全と対応していると推測された。

 第2章では光顕および電顕観察によってマウス精巣組織に生じる加齢変化を検討した。精巣における初発加齢変化として、生後18ヵ月齢マウスの精細管の精上皮に空胞の出現が観察された。この空胞の発現部位から有糸分裂第一期から減数分裂期にかけて精細胞の退行性変化が生じた結果、精上皮から精細胞が脱落したものと推測された。精上皮における精細胞の脱落は加齢とともに増加傾向にあり、生後27ヵ月齢においては、精子細胞が存在しない薄層化した精上皮が観察された。さらに生後30ヵ月齢では精子細胞のみならず、精母細胞もほとんど存在しない極めて薄層化した精上皮が観察された。こうした精上皮では、セルトリ細胞は極性を失うとともに、精細胞の脱落による網目状の精上皮も観察された。

 第3章では老年性形態変化の著しいセルトリ細胞の細胞内骨格系タンパク分布の加齢変化について、免疫組織学的手法を用いて観察した。最も顕著な相違は若齢マウスのセルトリ細胞には発現が全く認められないサイトケラチンが老齢マウスのセルトリ細胞の細胞質に観察されたことであり、これは、セルトリ細胞に生じる形質加齢変化の一つであった。

 第4章ではマウス生体内における精細胞の増殖能の加齢変化を検討した。サイミジンのアナログであるプロモデオキシウリジン(BrdU)を投与後、精巣組織切片上に一定時間に精祖細胞に取り込まれたBrdUを免疫組織化学的手法で検出したところ、その取り込み率は加齢とともに低下していた。従って精祖細胞の増殖能は、ある程度まで保持されてはいるものの加齢とともに衰退することが明らかとなった。さらに各種サイクリン発現パターンの加齢変化をRT-PCRによって検討した結果、精細管内にて、特にG2期サイクリンと考えられているサイクリンB類の発現レベルの上昇が示唆された。

 第5章ではマウス精巣における生殖細胞系列を取り巻く環境の加齢変化を検討した。血清中FSHレベルは生後24ヵ月齢以降に低下していた。また精巣におけるアクチビンとインヒビンの発現の増減をRT-PCRに基づく各サブユニットの比率から推測したところ、老齢マウス精巣においてインヒビン産生能が上昇しているか、アクチビン産生能が低下していることが示唆された。さらに若齢および老齢マウス精巣組織上のアクチビンレセプター、ActR-2シグナルの発現パターンを検討した。若齢マウス精巣ではシグナルは精祖細胞に強く検出され、精細胞の分化とともにシグナルは減少した。一方、老齢マウスでもシグナルは精祖細胞に認められたため、精祖細胞のアクチビンに対する感受性は維持されている可能性が推測され、精祖細胞は、それ自体というよりは精祖細胞を取り巻く環境因子の劣化によって分化不全に陥っていると推測された。

 第6章では老齢マウスの精祖細胞を取り巻く環境を整えてやるためにWマウスの精巣内へ老齢マウスの極めて薄層化の進行した精細管を移植し、精祖細胞の分化の誘導を試みた。また対照実験に腹腔内精巣マウスの精細管を用いた。両群ともに移植2週間後に精母細胞までの分化誘導が観察され、老齢マウス由来の極めて薄層化の進んだ精細管に残された精祖細胞は、それを取り巻く環境を整えてやることによって精母細胞へと分化することが明らかとなった。さらに移植4週間後には、対照群では精子細胞が認められたが、実験群では精母細胞が観察されたにとどまり精子細胞は認められなかった。

 本論文によって老齢マウス精巣の特徴的所見が明らかにされた。これは生理的老化の結果として、マウス精巣に生じた老年性退行変化と判断され、老化研究の基礎的なデータとしても価値のある研究である。以上の研究内容は、学術的に貢献するところが大きく、博士(獣医学)にふさわしいものであると、審査員一同が認めた。

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