学位論文要旨



No 112001
著者(漢字) 前田,健
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ケン
標題(和) ネコヘルペスウイルス1型糖蛋白の分子生物学的研究
標題(洋) Molecular Biological Studies on Feline Herpesvirus Type 1 Glycoproteins
報告番号 112001
報告番号 甲12001
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第1717号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 小野寺,節
内容要旨

 ネコヘルペスウイルス1型(Feline herpesvirus type 1:FHV-1)はネコのおいて呼吸器症状を主徴とする重篤な感染症を引き起こし小動物臨床上あるいは実験動物学上非常に問題となっている。

 本研究はFHV-1糖蛋白の分子生物学的な解析を目的とし、8章より構成される。

第1章 gB相同糖蛋白をコードする遺伝子の同定と塩基配列の決定

 ヒト単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)でウイルスの吸着・侵入に関与すると共に、宿主において液性・細胞性免疫を誘発し、ウイルスに対する防御免疫を誘導すると報告されている糖蛋白gBに相同性のあるFHV-1の遺伝子解析を行った。

 HSV-1のgB遺伝子をプローブとして、サザンブロット解析を行なったところ、Sa/I 9.6kbp断片にFHV-1のgB相同遺伝子が存在した。gB相同遺伝子は948アミノ酸残基をコードし得る2844塩基配列よりなっていた。またその5’領域にはHSV-1で蛋白の輸送に関与すると報告されているICP18.5相同部位の3’領域がオーバーラップして存在した。10個の予見されるN-リンクの糖鎖付加部位、予測される開裂部位が存在した。gB相同遺伝子をプローブとしたノーザンブロット解析を行った結果、約3.9と3.3kbのRNAが検出された。また、アミノ酸配列と塩基配列で系統樹を作製したところFHV-1はアルファヘルペスウイルス亜科の中でHSV-1よりも帯状庖疹ウイルス(VZV)に近いことが示された。

 今回のgB相同遺伝子の同定により、FHV-1 gB相同糖蛋白を発現しこの糖蛋白の生物学的性状の解析が可能となるのみならず、ヘルペスウイルス間に最も良く保存されているこの遺伝子はヘルペスウイルス間の進化を研究するのに有用であると思われる。

第2章 FHV-1 gB(gp143/108) の発現と同定

 第1章で同定されたFHV-1 gB遺伝子を発現プラスミドに挿入し、gB発現プラスミドpRVSVgBneoを作製した。このpRVSVgBneoをCRFK細胞にトランスフェクションした後、間接蛍光抗体法(IFA)並びに免疫沈降法を行った。IFAの結果、CRFK細胞に発現されたgBはgp143/108に対するMAbとのみ反応し、細胞膜表面に発現していることが示唆された。免疫沈降法の結果、発現gBは非還元状態で分子量143と108kDa、還元状態で分子量108、70、64、58kDaであり、ジスルフイド結合による複合体を形成していることが示唆された。

 また1991年に初めて報告されて以来、盛んに研究が行われているDNAワクチンの接種方法を用いて、マウスに発現プラスミドpRVSVgBneoを2回筋注したところ、gB特異的抗体を有する血清が得られた。従って、この手法が抗体を誘導するのに簡単な方法であることが示され、今後の応用ならびにDNAワクチンとしての展開が期待される。

第3章 gH相同糖蛋白をコードする遺伝子の同定と塩基配列の決定

 HSV-1においてgHは、ウイルスの侵入・細胞融合に関与すると共に、補体非存在下で中和活性を有するMAbを誘導することが知られている。

 SacI 3.8kbp断片の塩基配列を決定した結果、821アミノ酸残基をコードし得る2463塩基よりなるオープンリーデイングフレームが存在した。予測されるN-リンクの糖鎖付加部位、N末端およびC末端には疎水性領域が存在することよりgH相同蛋白は膜糖蛋白の性状をもつと考えられた。gH特異的RNAは3.0kbと予測された。また、ヘルペスウイルスのgHで比較的良く保存されている2つの領域も存在した。

 今回のgH相同遺伝子の同定により、FHV-1 gH相同糖蛋白を発現しこの糖蛋白の生物学的性状の解析が可能となるのみならず、ヘルペスウイルス間にgB遺伝子に次いで良く保存されているこの遺伝子はヘルペスウイルス間の進化を研究するのに有用であると思われる。

第4章 FHV-1野外株の制限酵素切断パターンによる解析と変異部位の同定

 FHV-1は他のヘルペスウイルスと比較して変異が少なく安定しており、これまで遺伝学的マーカーが存在しなかった。今回、78株の野外株の感染細胞より抽出されたDNAの制限酵素MluI切断パターンを比較検討した。その結果、FHV-1野外分離株は3つのタイプに分類された。78株中64株はプロトタイプ株のC27株および教室継代株C7301株と同じ切断パターン(C7301タイプ)を示した。残り14株中8株はワクチン株F2タイプに、6株は他の教室継代株C7805タイプに分類された。F2タイプにおける変異はUs領域の4.3kbp EcoRI断片に、C7805タイプにおける変異はUL領域の5.5kbp XbaI断片に存在することが示された。ノーザンブロット解析の結果、これら変異領域における転写産物には変化は見られなかった。次に、これら変異部位を同定するために塩基配列を決定したところ、C7301株と比較してF2株はgI領域に、C7805株はUL5領域に変異が存在した。F2株における変異によってアミノ酸配列はスレオニンからメチオニンに変わっていたが、C7805株における変異によるアミノ酸配列の変化はなかった。野外株における遺伝子の変異は初めての報告であり、今後、FHV-1の疫学調査に役立つものと期待される。

第5章 イムノブロット解析による FHV-1野外株の比較

 堀本ら[1992]は教室継代株とワクチン株のイムノブロット解析を行い、36kDa蛋白を欠損している株が存在することを報告した。この章では同様の実験を野外株を用いて行った。

 第4章で用いた野外株をCRFK細胞に感染させた後、その抽出物を用いてイムノブロット解析を行った結果、野外分離株は77株中31株に36kDa蛋白が存在したが、残りの46株には36kDa蛋白は欠損していた。また、唯一91-58株において70kDa蛋白が75kDaに変化していた。第4章の結果と合わせるとFHV-1野外分離株は少なくとも4種類に分類されることが示唆された。これらの分類はFHV-1野外分離株の疫学調査に役立つことが期待される。

第6章 FHV-1 gD相同遺伝子は赤血球凝集素 (gp60)をコードしている

 HSV-1のgDは補体非依存性の中和活性を誘導し、ウイルスの培養細胞での増殖に必須で、細胞への侵入の際にレセプターを認識することが知られている。一方、FHV-1は猫の赤血球を凝集し、その赤血球凝集素はgp60であると報告されているが、その遺伝子は同定されていなかった。

 FHV-1 gD遺伝子は374アミノ酸残基をコードし得る1122塩基よりなっていた。予測されるN-リンクの糖鎖付加部位、N末端およびC末端には疎水性領域が存在することよりgDは膜糖蛋白の性状をもつと考えられた。このFHV-1 gDをCOS細胞で発現し、IFAを行った結果、発現gDは補体非依存性中和活性と赤血球凝集抑制(HI)活性を有するgp60を認識するMAbと反応し、gDは細胞膜表面に発現していることが示唆された。免疫沈降法の結果、発現された糖蛋白gDの分子量は60kDaであった。このgD発現細胞を用いて赤血球凝集(HA)反応並びにHI反応を行った結果、gDは猫の赤血球を凝集し、この活性はHI活性を有するMAbにより阻害されることが示された。以上の結果より、FHV-1 gDは赤血球凝集素であることが示された。ヘルペスウイルスのgDが赤血球を凝集するという報告はヘルペスウイルスでは初めての報告で興味深い現象である。

第7章 FHV-1 gD(赤血球凝集素)を発現している昆虫細胞の猫の赤血球あるいは猫由来の培養細胞への付着

 FHV-1 gD(赤血球凝集素)をバキュロウイルス発現系を用いて昆虫細胞で大量発現を試みた。昆虫細胞で発現されたgDの分子量は、FHV-1感染CRFK細胞における分子量60kDaより小さく、約50kDaであった。しかし、発現gDは用いた全てのFHV-1 gDに対するMAbによってIFAで認識され、またHA活性を有していた。gD発現昆虫細胞をアジュバントとともにマウスに接種したところ、高いウイルス中和活性ならびにHI活性を有する抗体が誘導された。gDを細胞膜上に発現している昆虫細胞は猫の赤血球を吸着した。また、この発現細胞は猫由来培養細胞には付着したが、他の動物種由来の培養細胞には付着しなかった。これらの結果より、FHV-1 gDは猫由来の赤血球並びに培養細胞と特異的に結合することが示された。この現象はFHV-1の宿主域と相関していることより、FHV-1 gDは宿主規定因子の1つである可能性が示された。

第8章 イヌヘルペスウイルスの gD(赤血球凝集素)発現とN-リンクの糖鎖付加部位の欠損株

 イヌヘルペスウイルス(CHV)もFHV-1と同様に宿主域が狭く、イヌの赤血球を凝集することが知られている。第7章でたてた仮説がCHVに適用できるかを検討した。

 CHVのYP2株とYP11変異株のgD、cgD(YP2)とcgD(YP11mu)、をCOS細胞を用いて発現した。IFAの結果、CHVgDはgp47に対するMAbにより認識され、細胞膜上に発現されることが示唆された。イムノブロット解析の結果、発現されたcgD(YP2)は分子量47kDa、cgD(YP11mu)は分子量41kDaであった。これら2株のgDにおける分子量の差を検討するために塩基配列を決定したところ、YP11mu株のgDは本リンクの糖鎖付加部位を含む4つのアミノ酸残基(NKTI)をコードする12塩基を欠損していた。FHV-1gD発現COS細胞はネコの赤血球のみを、cgD(YP2)とcgD(YP11mu)発現細胞はイヌの赤血球のみを吸着した。CHV gDの結合は宿主(イヌ)の細胞に特異的である可能性が示された。

 これらの結果は第7章での仮説を支持しているものと考えられる。

 第1、3、6章で3種類の糖蛋白gB、gH、gDをコードしている遺伝子を同定し、そのうち2種類の糖蛋白gB、gDの発現に成功した。これらの結果は、FHV-1糖蛋白の生物学的性状解析ならびに感染防御の研究に役立つものと考えられる。また、第4、5章ではFHV-1野外株の疫学調査を可能にすることが出来たと思われる。第6、7、8章でgDが宿主域を規定する因子の1つである可能性を示すことにより、ヘルペスウイルスの宿主域の研究に新たな示唆を与えることが出来るものと考えられる。本研究によりFHV-1の分子生物学的研究の基礎は確立されたものと考えられ、今後の更なる発展が期待される。

審査要旨

 ネコヘルペスウイルス1型(Feline herpesvirus type 1:FHV-1)はネコのおいて呼吸器症状を主徴とする重篤な感染症を引き起こし小動物臨床上あるいは実験動物学上非常に問題となっている。

 本研究はFHV-1糖蛋白の分子生物学的な解析を目的とし、8章より構成される。

 第1章では、ヒト単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)の糖蛋白gBに相同性のあるFHV-1の遺伝子解析を行なった。gB相同遺伝子は948アミノ酸残基をコードし得る2844塩基配列よりなっていた。またその5’領域にはHSV-1で蛋白の輸送に関与すると報告されているICP18.5相同部位の3’領域がオーバーラップして存在した。gB相同遺伝子をプロープとしたノーザン・ブロット解析を行なった結果、約3.9と3.3kbのRNAが検出された。また、アミノ酸残基と塩基配列で系統樹を作製したところFHV-1はアルファヘルペスウイルス亜科の中でHSV-1よりも帯状庖疹ウイルス(VZV)に近いことが示された。

 第2章では、第1章で同定されたFHV-1gBの発現を試みた。CRFK細胞に発現されたgBはgp143/108に対するMAbとのみ反応した。FHV-1gBは細胞膜表面に発現していることが示唆された。発現gBは非還元状態で分子量143と108kDa、還元状態で分子量108、70、64、58kDaであった。FHV-1gBはジスルフィド結合による複合体を形成していることが示唆された。DNAワクチンの方法を用いて、マウスに発現プラスミドpRVSVgBneoを2回筋注したところ、gB特異的抗体を有する血清が得られた。この手法の今後の応用ならびにDNAワクチンとしての展開が期待される。

 第3章では、HSV-1の糖蛋白gHに相同性のあるFHV-1の遺伝子解析を行った。FHV-1gHは821アミノ酸残基をコードし得る2463塩基よりなっていた。予測されるN-リンクの糖鎖付加部位、N末端およびC末端には疎水性領域が存在することよりgH相同蛋白は膜糖蛋白の性状をもっと考えられた。gH特異的RNAは3.0kbと予測された。また、ヘルペスウイルスのgHで比較的良く保存されている2つの領域も存在した。

 第4章ではFHV-1野外株の制限酵素MluI切断パターンの解析と変異部位の同定を行った。その結果、FHV-1野外分離株は3つのタイプ(C7301、F2、C7805タイプ)に分類された。F2タイプにおける変異はUs領域の4.3kbp EcoRI断片に、C7805タイプにおける変異はUL領域の5.5kbp XbaI断片に存在することが示された。これら変異部位の塩基配列を決定したところ、C7301株と比較してF2株はgI領域に、C7805株はUL5領域に変異が存在した。F2株における変異はアミノ酸をスレオニンからメチオニンに変えていたが、C7805株における変異によるアミノ酸の変化はなかった。少なくとも、野外株における遺伝子の変異は初めての報告であり、今後、FHV-1の疫学調査に役立つものと期待される。

 第5章では、イムノブロット解析によるFHV-1野外株の比較を行った。第4章で用いた野外株をCRFK細胞に感染させた後、そのライセートを用いてイムノブロット解析を行った結果、野外分離株は77株中31株に36kDa蛋白が存在し、残りの46株には36kDa蛋白は欠損していた。また、唯一、91-58株において70kDa蛋白が75kDaに変化していた。第4章の結果と合わせるとFHV-1野外分離株は少なくとも4種類に分類されることが示唆された。これらの分類がFHV-1野外分離株の疫学調査に役立つことが期待される。

 第6章で、FHV-1gDの塩基配列を決定したところ、374アミノ酸残基をコードし得る1122塩基よりなっていた。FHV-1gDをCOS細胞で発現した結果、発現されたgDの分子量は60kDaであった。このgD発現細胞を用いて赤血球凝集(HA)反応並びにHA抑制(HI)反応を行った結果、gDは猫の赤血球を凝集し、この活性はHI活性を有するMAbにより阻害されることが示された。以上の結果より、FHV-1gDは赤血球凝集素であることが示された。ヘルペスウイルスのgDが赤血球を凝集するという報告はヘルペスウイルスでは初めての報告で興味深い現象である。

 第7章で、FHV-1gD(赤血球凝集素)をパキュロウイルス発現系を用いて昆虫細胞で大量発現を試みた。昆虫細胞で発現されたgDの分子量は、約50kDaであった。発現gDはHA活性を有していた。昆虫細胞発現gDはマウスに高いウイルス中和活性ならびにHI活性を有する抗体を誘導した。gDを細胞膜上に発現している昆虫細胞は、猫の赤血球を吸着した。また、この発現細胞は猫由来培養細胞には付着したが、他の動物種由来の培養細胞には付着しなかった。これらの結果より、FHV-1gDは猫由来の赤血球並びに培養細胞と特異的に結合することが示された。この現象はFHV-1の宿主域と相関していることより、FHV-1gDは宿主規定因子の1つである可能性が示された。

 第8章で、イヌヘルペスウイルス(CHV)のYP2株とYP11変異株のgD、cgD(YP2)とcgD(YP11mu)、をCOS細胞を用いて発現を試みた。間接蛍光抗体法によりgp47に対するMAbで認識された。発現されたcgD(YP2)は分子量47kDa、cgD(YP11mu)は分子量41kDaであった。これら2株のgDの塩基配列を決定したところ、YP11mu株のgDはN-リンクの糖鎖付加部位を含む4つのアミノ酸残基をコードする12塩基を欠損していた。FHV-1gD発現COS細胞はネコの赤血球のみを、cgD(YP2)とcgD(YP11mu)発現細胞はイヌの赤血球のみを吸着した。CHVgDの結合は宿主(イヌ)の細胞に特異的である可能性が示された。

 以上の通り、本研究は主要なFHV-1糖蛋白の分子生物学的研究を行うとともに、制限酵素Mlu1切断パターンとイムノブロット解析によりFHV-1野外株を4つのタイプに分類し、さらにFHV-1gDが猫の赤血球を凝集し、その発現細胞が猫由来の培養細胞とのみ結合すること、また同様な特異現象がCHVgDでもみられたことから、FHV-1gDとCHVgDが宿主域を規定している因子の一つである可能性が示された。これらの知見は学術上貢献するところが少なくない。よって審査一同は、申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。

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