ネコヘルペスウイルス1型(Feline herpesvirus type 1:FHV-1)はネコのおいて呼吸器症状を主徴とする重篤な感染症を引き起こし小動物臨床上あるいは実験動物学上非常に問題となっている。 本研究はFHV-1糖蛋白の分子生物学的な解析を目的とし、8章より構成される。 第1章では、ヒト単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)の糖蛋白gBに相同性のあるFHV-1の遺伝子解析を行なった。gB相同遺伝子は948アミノ酸残基をコードし得る2844塩基配列よりなっていた。またその5’領域にはHSV-1で蛋白の輸送に関与すると報告されているICP18.5相同部位の3’領域がオーバーラップして存在した。gB相同遺伝子をプロープとしたノーザン・ブロット解析を行なった結果、約3.9と3.3kbのRNAが検出された。また、アミノ酸残基と塩基配列で系統樹を作製したところFHV-1はアルファヘルペスウイルス亜科の中でHSV-1よりも帯状庖疹ウイルス(VZV)に近いことが示された。 第2章では、第1章で同定されたFHV-1gBの発現を試みた。CRFK細胞に発現されたgBはgp143/108に対するMAbとのみ反応した。FHV-1gBは細胞膜表面に発現していることが示唆された。発現gBは非還元状態で分子量143と108kDa、還元状態で分子量108、70、64、58kDaであった。FHV-1gBはジスルフィド結合による複合体を形成していることが示唆された。DNAワクチンの方法を用いて、マウスに発現プラスミドpRVSVgBneoを2回筋注したところ、gB特異的抗体を有する血清が得られた。この手法の今後の応用ならびにDNAワクチンとしての展開が期待される。 第3章では、HSV-1の糖蛋白gHに相同性のあるFHV-1の遺伝子解析を行った。FHV-1gHは821アミノ酸残基をコードし得る2463塩基よりなっていた。予測されるN-リンクの糖鎖付加部位、N末端およびC末端には疎水性領域が存在することよりgH相同蛋白は膜糖蛋白の性状をもっと考えられた。gH特異的RNAは3.0kbと予測された。また、ヘルペスウイルスのgHで比較的良く保存されている2つの領域も存在した。 第4章ではFHV-1野外株の制限酵素MluI切断パターンの解析と変異部位の同定を行った。その結果、FHV-1野外分離株は3つのタイプ(C7301、F2、C7805タイプ)に分類された。F2タイプにおける変異はUs領域の4.3kbp EcoRI断片に、C7805タイプにおける変異はUL領域の5.5kbp XbaI断片に存在することが示された。これら変異部位の塩基配列を決定したところ、C7301株と比較してF2株はgI領域に、C7805株はUL5領域に変異が存在した。F2株における変異はアミノ酸をスレオニンからメチオニンに変えていたが、C7805株における変異によるアミノ酸の変化はなかった。少なくとも、野外株における遺伝子の変異は初めての報告であり、今後、FHV-1の疫学調査に役立つものと期待される。 第5章では、イムノブロット解析によるFHV-1野外株の比較を行った。第4章で用いた野外株をCRFK細胞に感染させた後、そのライセートを用いてイムノブロット解析を行った結果、野外分離株は77株中31株に36kDa蛋白が存在し、残りの46株には36kDa蛋白は欠損していた。また、唯一、91-58株において70kDa蛋白が75kDaに変化していた。第4章の結果と合わせるとFHV-1野外分離株は少なくとも4種類に分類されることが示唆された。これらの分類がFHV-1野外分離株の疫学調査に役立つことが期待される。 第6章で、FHV-1gDの塩基配列を決定したところ、374アミノ酸残基をコードし得る1122塩基よりなっていた。FHV-1gDをCOS細胞で発現した結果、発現されたgDの分子量は60kDaであった。このgD発現細胞を用いて赤血球凝集(HA)反応並びにHA抑制(HI)反応を行った結果、gDは猫の赤血球を凝集し、この活性はHI活性を有するMAbにより阻害されることが示された。以上の結果より、FHV-1gDは赤血球凝集素であることが示された。ヘルペスウイルスのgDが赤血球を凝集するという報告はヘルペスウイルスでは初めての報告で興味深い現象である。 第7章で、FHV-1gD(赤血球凝集素)をパキュロウイルス発現系を用いて昆虫細胞で大量発現を試みた。昆虫細胞で発現されたgDの分子量は、約50kDaであった。発現gDはHA活性を有していた。昆虫細胞発現gDはマウスに高いウイルス中和活性ならびにHI活性を有する抗体を誘導した。gDを細胞膜上に発現している昆虫細胞は、猫の赤血球を吸着した。また、この発現細胞は猫由来培養細胞には付着したが、他の動物種由来の培養細胞には付着しなかった。これらの結果より、FHV-1gDは猫由来の赤血球並びに培養細胞と特異的に結合することが示された。この現象はFHV-1の宿主域と相関していることより、FHV-1gDは宿主規定因子の1つである可能性が示された。 第8章で、イヌヘルペスウイルス(CHV)のYP2株とYP11変異株のgD、cgD(YP2)とcgD(YP11mu)、をCOS細胞を用いて発現を試みた。間接蛍光抗体法によりgp47に対するMAbで認識された。発現されたcgD(YP2)は分子量47kDa、cgD(YP11mu)は分子量41kDaであった。これら2株のgDの塩基配列を決定したところ、YP11mu株のgDはN-リンクの糖鎖付加部位を含む4つのアミノ酸残基をコードする12塩基を欠損していた。FHV-1gD発現COS細胞はネコの赤血球のみを、cgD(YP2)とcgD(YP11mu)発現細胞はイヌの赤血球のみを吸着した。CHVgDの結合は宿主(イヌ)の細胞に特異的である可能性が示された。 以上の通り、本研究は主要なFHV-1糖蛋白の分子生物学的研究を行うとともに、制限酵素Mlu1切断パターンとイムノブロット解析によりFHV-1野外株を4つのタイプに分類し、さらにFHV-1gDが猫の赤血球を凝集し、その発現細胞が猫由来の培養細胞とのみ結合すること、また同様な特異現象がCHVgDでもみられたことから、FHV-1gDとCHVgDが宿主域を規定している因子の一つである可能性が示された。これらの知見は学術上貢献するところが少なくない。よって審査一同は、申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与してしかるべきものと判定した。 |