学位論文要旨



No 112004
著者(漢字) 張,静華
著者(英字)
著者(カナ) チャン,ジンホワァ
標題(和) 脳切片のプラスティネーションに対する新素材(BIODURTM P-40)の適用
標題(洋) Application of a New Material(BIODURTM P-40)for Plastination of Brain Slices
報告番号 112004
報告番号 甲12004
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1060号
研究科 医学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 高取,健彦
 東京大学 助教授 貫名,信行
 東京大学 助教授 佐々木,富男
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 目的

 この論文では、新しいポリエスティル樹脂であるBIODURTMP-40を用いて、脳スライスのシート・プラスティネーションを行なう方法をのべ、これを、従来のBIODURTMP-35による方法と比較検討する。とりわけ、それぞれの方法のありうべき難点について、詳述する。標本作製の失敗がどのように起こるか、そうした難点がどういう原因で発生するかについて、詳しく検討し、それをどうやれば防止できるかについて議論する。

方法と材料1.P-40法について

 P-40は、透明なポリエステル樹脂であって比較的粘性が低い(14.5mPa・s)。感光性があり、近紫外線(315〜400mm波長)の照射によって硬化する。

(1)固定とスライス作製

 死後2〜3時間に採取したヒトの脳を、5%フォルマリン水溶液(固定液)に浸し、室温で少なくとも4週間経過させる。固定によって硬化した脳から、家庭用スライサーを用い脳スライス(厚さ:4〜8mm)を作る。

(2)脱水

 脳スライスの脱水には、-25°Cに冷却したアセトンを用いる。第一槽アセトンの濃度は90%以上、第二槽アセトンの濃度は99%以上である。脳スライスを+5°Cに予冷したあと、冷却アセトンに浸す。脱水に要する時間は、厚さ4mmスライスで2〜4日、厚さ6mmで6〜8日、厚さ8mmで10〜15日である。脱水が完了する時点で、第二槽に含まれる水分は2%未満でなければならない。

(3)樹脂モノマーの浸透

 脱水が完了したのち、これを行なう。最初、モノマー槽に浸漬したのち、真空ポンプを用いて強制浸透させる。浸漬も強制浸透も、低温下(-25°C)で行なう。浸漬は、厚さ4mmの切片の場合で24時間、強制浸透は24時間を要する。これらはすべて、遮光して行なう。真空度は、最終的に1〜2mmHgになるように調節する。24時間(厚さ8mmスライスの場合は48時間)の強制浸透ののち、樹脂の表面にアセトンの泡が発生してこなくなったら、標本からアセトンが取り除かれて、強制浸透は終了したと考えてよい。

 そのあとで、単層ガラス板のflat chamberを組み立てる。

(4)硬化

 flat chamberを水平に置く。脳スライスと樹脂モノマーを入れたflat chamberを上下、約25cmの距離から同時に、近紫外線(315-400mm波長)で照射する。その間、flat chamberの温度が+35°Cを超えないようにする(超えればそのつど照射スイッチを切る)。厚さ4mmのスライスの場合、硬化に約3時間(400ワットの光源使用時)を要する。

2.従来のBIODURTMP-35法と新しいP-40法の比較

 P-35法では、P-40法の場合と違い、樹脂モノマー(使用直前にBIODURTMP-35と硬化剤A9とを混ぜ合わせたもの)を満たした二つの液槽を用意し、+5°Cで48時間(それぞれの液槽で24時間ずつ)浸漬する。樹脂の強制浸透も、室温下で24時間行なう。そのあと、二層ガラス板のflat chamberを組み立てる。硬化は、45分間だけ近紫外線を照射したのち、+40°Cの恒温槽に標本を移し、4日間にわたり熱硬化させる。

結果

 P-40法では、脳の灰白質と白質の、これまでになくくっきりした色彩の対照がえられる。フォルマリンで固定した段階では、灰白質と白質の違いはわずかで、きわだたないが、アセトンで脱水すると、全体に色調が明るくなる。硬化を終えると、灰白質と白質の違いが非常に鮮明になる。

 従来行なわれていたP-35法と比較すると、P-40法は、灰白質と白質の色彩の対照がより鮮明であって、脳の小血管もよく見えるうえ、脳組織の収縮もよりわずかである。いっぽう、どちらの方法にも、つぎのような失敗例がある。

 白い斑点……硬化の際に現れる。脱水時に気泡が脳切片の周囲にとどまっていたため、または、硬化の際の過熱が原因で起きる。

 赤い斑点または線条……硬化の段階で、脳の皮質に現れる。硬化を急ぎすぎたせいで起こる。

 フォルマリン・エッジ……硬化がすんでから、脳皮質の縁が黄色くなる。固定に用いるフォルマリンの濃度が高すぎる(5%以上)と起こる。

考察1.P-35の不利な点

 P-35は粘性が高い(7.26×102mPa・s)。またP-35法では、二層のガラス板を用いなければならない。さらに硬化の際にも、短時間の近紫外線照射(長時間では樹脂が劣化)に続けて、+40°Cで4日間にわたる熱硬化を行なわなければならない。

2.P-40の有利な点

 P-40は粘性が低いので、モノマー浸漬ならびに強制浸透を-25°Cで行なうことができる。浸漬の時間も短い(24時間)。硬化は、近紫外線照射のみで行なうことができる。またP-40は、硬化剤、活性剤その他の添加剤を用いることなく、そのまま使用できる。ガラス板は、単層で厚さ2mmのものですむ。また、脱水のために厳密な時刻予定表を組む必要がない。

3.BIODURTMP-35ならびにP-40の用途

 正常な脳切片には、P-40法を用いる。血液の多い脳スライス(脳出血巣をもつもの)にはP-40法は向かない。血液塊は、近紫外線だけでは固まらず、加熱硬化の必要があるので、P-35法が適当である。

4.脳切片の標本が失敗する原因と対策

 収縮、ならびに硬化の急ぎすぎが、二つの大きな原因である。

 flat chamberと紫外線照射源の距離を縮めたり、光量を増したりして、硬化を急いではいけない。ゆっくり硬化させた脳シートのほうが、力学的に安定している。

 収縮は、脱水の際、脳スライスの下面の気泡が取り除かれないために起こる。そこで脱水と浸透の間、標本を少し傾けておく必要がある。また脱水の間、定期的に揺する必要がある。flat chamberに標本を移す際も、標本表面に気泡がつかないようにしなければならない。

審査要旨

 本研究は、BIODURTMP-40を用いて、脳スライスのシート・プラスティネーションを行なう方法を実施し、従来のBIODURTMP-35による方法と比較検討するものである。

 P-40は、新しく開発された透明なポリエステル樹脂であり、粘性が低く、感光性がある。P-40法は、(1)脳の固定とスライス作製、(2)脱水(-25°Cに冷却したアセトンを用いる)、(3)樹脂モノマーの浸透(-25°Cの低温下で、1〜2mmHgの真空度に達するまで行なう)、(4)硬化(315〜400mm波長の近紫外線を照射する)の4段階からなる。従来のP-35法は、P-35と硬化剤A9とを使用直前に混ぜ合わせる点、強制浸透を室温下で行なう点、近紫外線照射に加えて+40°Cの恒温槽での熱硬化を必要とする点が、P-40法と異なる。

 二つの方法を比較して、つぎの結果を得た。

 P-40法では、脳の灰白質と白質の、これまでにないくっきりとした色彩の対照がえられる。P-40は粘性が低いので、浸透を-25°Cで行なうことができ、時間も短くてすむ。硬化は、近紫外線の照射のみで十分である。また、硬化剤、活性剤そのほかの添加を必要としない。(4)の過程で使用するガラス板も薄いものですむなど、P-35法に比べて多くの利点を有する。

 このためP-40法は、正常な脳スライス全般に対して用いることができる。いっぽう、脳出血巣をもつ脳スライスには、P-35法が適している(血液が加熱硬化を必要とするため)。

 以上のように本研究は、医学標本作製のための基礎的資料を提供するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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