学位論文要旨



No 112005
著者(漢字) 程,錦雁
著者(英字)
著者(カナ) チェン,ジンイェン
標題(和) 白血球を用いた脳腱黄色腫症(CTX)の遺伝子診断と病態解析
標題(洋) Genetic Diagnosis of Cerebrotendinous Xanthomatosis(CTX)Using Leukocytes and Pathophysiological Investigations
報告番号 112005
報告番号 甲12005
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1061号
研究科 医学系研究科
専攻 第一基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中堀,豊
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 水流,忠彦
 東京大学 助教授 斎籘,泉
 東京大学 講師 郭,伸
内容要旨 序論

 脳腱黄色腫症(cerebrotendinous xanthomatosis,CTX)は先天性の脂質代謝異常症で、小脳やアキレス腱における黄色腫、若年性の白内障、小脳症状、運動障害、痴呆、知能低下、および動脈硬化等の症状を呈し、また、血中コレスタノール濃度の上昇が認められる。本症はコレステロールから胆汁酸にいたる代謝経路に障害があり、胆汁酸の合成阻害によって組織内のコレスタノールの蓄積がもたらされた結果発症すると考えられている。この代謝異常に関与する酵素として諸説報告がなされたが、近年になりステロール27位水酸化酵素の活性阻害が主要な原因として考えられるようになった。この酵素は肝臓のミトコンドリア内に存在し、胆汁酸の生合成に必須の酵素である。CTXの生化学的診断は血清コレスタノールの定量や胆汁酸中あるいは血清中における胆汁アルコールの検出により行われてきたが、1990年代に入り米国の研究グループおよび当研究室において線維芽細胞を用いた研究により患者とその家族にステロール27位水酸化酵素の点突然変異が同定され、その遺伝子診断の基礎が確立された。

 しかし、これまでの研究には次に挙げるような問題点があった:

 1.CTXは常染色体性劣性遺伝と考えられており、家族でもヘテロ接合体は発症しない。またホモ接合体でも発症年令は多くが20歳代で、症状がかなり進行した状態でないと判断が難しく、早期の発見・治療がしにくい。

 2.被験者やその家族から組織検体を採取するのは倫理的に難しく、また採取した細胞を培養するための時間がかかる。

 3.臨床症状が極めて多様であり、その発症機構は不明な点が多い。

 本研究はこのような背景に基き、被験者の白血球を用いた診断法を開発し、安全かつ迅速な診断を可能にすることを目的とした。また、CTXがもたらす多様な臨床症状とこの酵素の遺伝子の変異がどのように結び付くのか、すなわち、その発症機構を解析するため、疾患モデル動物を作製し、組織の詳細な分析を行った。

方法および結果1.白血球を用いたステロール27位水酸化酵素活性の測定

 被験者の静脈から30〜40ml採血し白血球を分離した。その一部からRNAとゲノムDNAを抽出し、残りの白血球からミトコンドリア画分を調製した。ミトコンドリア画分のステロール27位水酸化酵素の活性を[3H]で標識した基質を用いて測定し、正常人13人の白血球について酵素活性の測定が可能であることを見いだした。一方、この酵素の遺伝子に変異を持つ被験者(ホモ・ヘテロ接合体)11人から得られた画分の活性は正常人に比較して著しく低下していた(正常v.s.ホモ:p<0.0001、正常v.s.ヘテロ:p<0.0002)。またヘテロ接合体の活性はホモ接合体と比較して高い値であったが有意差はなかった。

2.被験者のステロール27位水酸化酵素の遺伝子解析

 被験者の白血球から得られたRNAとDNAを用い、これまでの報告でステロール27位水酸化酵素遺伝子の突然変異が認められた部位を含む領域をRT-PCR法とPCR法により増幅した。PCR産物を制限酵素StuIあるいはHpaIIを用いて切断し、Restriction Fragment Length Polymorphism(RFLP)による分析を行ったところ、線維芽細胞を出発材料として用いた場合と同様に点突然変異(Argm72→Gln、Arg441→Gln)の検出が可能であり、特に患者の家族の12歳の子供に発症前ながら遺伝子の変異が確認された。この際、2つの変異がそれぞれのalleleに由来するcompound heterozygoteの可能性も考えられたので、PCR産物についてNonRI-Single-Strand Conformational Polymorphism(Non-RI-SSCP)分析を行ったところ、CTX患者である1被験者にcompound heterozygoteが確認された。なお、酵素遺伝子のゲノムDNAの分析では、イントロン部位に変異は確認されなかった。

3.ステロール27位水酸化酵素のCOS細胞内発現実験

 正常人及びCTX患者のステロール27位水酸化酵素のゲノムDNAをクローニングし、発現ベクターに組み込んだ。これらをCOS細胞内にリン酸カルシウム法により導入して酵素の発現の確認および活性の比較を行ったところ、CTX患者から得られた変異を含む酵素遺伝子を導入した細胞では酵素タンパク質の合成は確認できたが、その活性は正常なものに比べて著しく低い値であった。

4.CTX疾患モデル動物の作製

 雄性および雌性BALB/cマウスに1%の高コレスタノール食を給餌して、CTX患者と同様の高コレスタノール血症を示すCTXの疾患モデル動物を作製した。12ヶ月後、一部のマウスにCTXに見られるものと同様の黄色腫および白内障の症状が認められた。

 白内障が認められたマウスについて、形態学的観察を行い発症機序の解析を行った。すなわち、マウスを動脈灌流し、眼球を固定後、実体顕微鏡下で毛様体、レンズ、および角膜に分離した。それぞれの組織切片を作製し、HE染色またはズダンIII染色後、光顕下で組織化学的分析を行った。その結果:1)角膜に血管の新生と血管腔の形成が確認され,2)また網膜色素上皮(特に鋸状縁の部分)と毛様体内に高濃度の脂質の沈着が認められた,3)組織の一部を固定し電子顕微鏡下でさらに分析したところ、毛様体内の毛細血管の内腔および内皮中に正常なマウスには見られないマクロファージが観察され,4)これらの毛細血管の一部では基底膜周辺にcollagen(コラーゲン)と細胞外脂質の顕著な増加が確認された,5)また毛様体細胞間のgap junctionが正常と比較して広がっていることが確認された。

考察

 ステロール27位水酸化酵素活性の測定と遺伝子解析により、従来より簡易かつ迅速なCTXの遺伝子診断法が確立できた。この方法を用いてCTXの8家系の19名患者の遺伝子変異に関する情報を得ることがでた。また、CTX患者においてステロール27位水酸化酵素のcDNAに1箇所あるいは2箇所の点突然変異が存在することが確認でき、1名については発症前ながら変異の存在が確認できた。さらに酵素遺伝子のCOS細胞内発現実験において変異を持つものは活性が低下していることから、これらの変異は酵素活性の発現に必須な領域に含まれていることが裏付けられた。

 本法は従来の線維芽細胞を用いた方法に比べて極めて安全であり、発症の危険性が予測される低年令の被験者やその家族に対する検査法としても適切なものと考えられる。本法を用いることで将来の発症の可能性の予測と、早期治療の開始が可能になり、CTX診断法として有益である。

 さらに本研究ではCTXの発症の鍵となるステロール27位水酸化酵素の細胞内発現に成功したが、これは対症療法のみという現在のCTX治療に対し、将来の遺伝子治療という根本的治療方法を開発するための端緒となる研究と言えよう。今後、この発現系を患者の肝細胞において確立する研究を進めることが重要と考えられる。

 一方、CTXでは多様な臨床症状が認められるが、それらがステロール27位水酸化酵素の変異やコレスタノールの蓄積とどのように結び付いて発症するのかは依然不明な点が多い。そこで本研究ではマウスに高コレスタノール食を給餌して、CTX疾患モデル動物の作製を行ったが、12ヶ月間に60%の動物でCTXに見られる白内障および黄色腫が観察された。特に白内障に関連して、角膜の血管新生や血管腔の形成が確認されたほか、眼球内の毛様体部分へのコレスタノールの蓄積やマクロファージ細胞の出現・増殖、毛細血管の内皮細胞基底膜のコラーゲンの異常増加が確認された。毛様体は角膜縁を眼球内で取り巻く毛細血管に富んだ組織であり、角膜とレンズの間腔を満たす眼房水を絶えず供給している。従ってCTX患者の眼球においては、本研究で確認されたいくつかの形態的変化が起こり、眼房水の微小循環系が変化して毛様体の正常な機能が阻害され、角膜やレンズが非生理的状態におかれて白内障が惹起されるという作業仮説が考えられる。CTX患者には86%という高い割合で白内障が見られるが、その発症機構については現在まで有力な説はなく、本研究において示された作業仮説は今後の白内障の発症機構の研究に新たな視点を築いたといえよう。また、眼房水の組成は血漿とは異なり、脳脊髄液と類似していることが知られている。これは毛様体を構成する血管細胞が、脳神経系に存在する血管細胞と形態学的に極めて類似していることが関係していると考えられる。そこでCTX患者にみられる脳神経系の障害の発生機構は今回の白内障のマウスで観察されたものと同様に細胞や組織中の微小循環系にコレスタノールが異常蓄積し、形態的変化がもたらされることで惹起される可能性が強く示唆された。

審査要旨

 本研究は脳腱黄色腫症(CTX)に関して、被験者の白血球を用いた安全かつ迅速な診断法を開発し、早期の発見、治療を可能にすることを目的としている。CTX患者検体の酵素活性の測定、遺伝子の異常の解析を行い、更に疾患モデル動物の作製を試みて、下記の結果を得た。

 1.白血球を用いたステロール27位水酸化酵素活性の測定系を確立して、正常人13人と,この酵素の遺伝子に変異を持つ被験者11人(ホモ/ヘテロ接合体)について酵素活性を測定したところ、CTX患者では正常人に比較して著しく低下していた。

 2.被験者のステロール27位水酸化酵素の遺伝子をnon-RI-SSCP法、direct sequence法、及びRFLP法により解析したところ、新たな点突然変異(Arg372→Gln)が発見され、特に患者の家族(12歳の女子)では発症前ながら遺伝子の変異が確認された。また別の家系において、新たな点突然変異型(Arg372→Gln及びArg441→Glnのcompound heterozygote)が確認された。

 3.正常人及びCTX患者のステロール27位水酸化酵素のcDNAをクローニングし、COS細胞内で酵素の発現を行ったところ、CTX患者から得た変異を含む酵素タンパク質は合成されたものの、その酵素活性は正常な酵素に比べて著しく低い値であった。

 4.マウスに高コレスタノール食(1%含有)を給餌して、高コレスタノール血症マウスを作製したところ、一部のマウスに黄色腫および白内障の症状が認められた。特に白内障に関連して、角膜を生化学的及び形態学的に分析したところ、血管新生と血管腔の形成が確認されたほか、毛様体部分にコレスタノールの蓄積やマクロファージ細胞の出現、増殖、毛細血管の内皮細胞基底膜の増大等が確認された。CTX患者において白内障は高率で発症するが、本研究で確認された形態的変化は、眼房水の微小循環系を障害して、毛様体の正常な機能を阻害し、角膜や水晶体が非生理的状態におかれて白内障が惹起されるという作業仮説が考えられた。

 本研究において確立されたCTXの診断法は安全かつ迅速なものである。本法を用いることで発症の可能性の予測と、それに基いた早期治療が可能になるものと期待される。

 更に本研究ではステロール27位水酸化酵素の細胞内発現に成功したが、これは対症療法のみが行われている現在のCTX治療に対して、遺伝子治療という根本的治療方法を開発するための端緒となる成果といえよう。

 また、本研究で得られたCTXモデル動物における白内障の発症機構に関する作業仮説は、CTXのもたらす多様な臨床症状の発症機構を解明する上で重要な示唆を与えたといえよう。

 したがって本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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