学位論文要旨



No 112011
著者(漢字) 福田,光則
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ミツノリ
標題(和) 神経伝達物質放出におけるイノシトールポリリン酸の役割
標題(洋) Role of inositol high-polyphosphate in neurotransmitter release
報告番号 112011
報告番号 甲12011
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1067号
研究科 医学系研究科
専攻 第二基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 助教授 河西,春郎
 東京大学 助教授 中田,隆夫
内容要旨 目的

 ホルモン・神経伝達物質・成長因子等の細胞外シグナルを細胞内に伝える情報伝達の過程にはイノシトールl,4,5-三リン酸(IP3)が細胞内Ca2+濃度の上昇を引き起こすセカンドメッセンジャーとして重要な役割を演じていることが知られている。細胞内にはこのIP3以外にもイノシトールl,3,4,5-四リン酸(IP4)、イノシトール1,3,4,5,6-五リン酸(IP5)、イノシトール1,2,3,4,5,6-六リン酸(IP6)などの様々なイノシトールリン酸化合物が存在しており、新しい生理活性物質として注目されてきた。しかしながらこれまでこれらの受容体蛋白質の実体が全く不明であったため、その生理作用に関しては種々の仮説が出されていたのが現状である。そこでまず筆者はマウス小脳よりIP4結合能を指標としてイノシトールポリリン酸結合蛋白質を精製し、この蛋白質が神経伝達物質の放出に重要なシナプトタグミンであることを明らかにした。本研究ではシナプトタグミン分子のイノシトールポリリン酸結合能を主に生化学的・生理学的な側面から解析し、神経伝達物質放出におけるイノシトールポリリン酸の生理学的意義について検討する。

結果・考察イノシトールポリリン酸結合蛋白質の同定及びその結合領域の解析

 本論文ではまず可溶化したマウス小脳膜画分から[3H]IP4の結合活性を指標として一連のカラムクロマトグラフィーによりIP4結合蛋白質(IP4BP-IP4 binding protein)を単離・精製した。IP4BPは非常に高親和性でIP4を結合したが、種々のイノシトールリン酸に対する特異性を調べたところ、IP4BPはIP4結合蛋白質というよりはIP5,IP6を含むイノシトールポリリン酸結合蛋白質であることが明らかとなった。IP4BPの部分アミノ酸配列をもとにマウス小脳cDNAライブラリーを検索した結果、この蛋白質はシナプス小胞に多量に存在し、神経伝達物質の放出に重要とされているシナプトタグミン2であった(Niinobe et al.,1994)。シナプトタグミンはN末端側に膜貫通領域を一カ所持ち、C末端側の細胞質内領域にはプロテインキナーゼのC2調節領域とホモロジーを有する配列が二回繰り返しておりそれぞれC2A,C2Bドメインと呼ばれている。このC2ドメインはCa2+及びリン脂質の結合の機能を担っており、シナプス小胞の開口放出におけるシナプトタグミンの機能部位であると考えられている(Perin et al.,1990)。またシナプトタグミンcDNAを発現ベクターに組み込みCOS7細胞に強制発現させ、その膜画分を用いてIP4結合能について検討した結果、ベクターのみを導入した場合に比べて有意なIP4結合活性が観察され、シナプトタグミンがイノシトールポリリン酸結合蛋白質であることが示された(Fukuda et al.,1994)。

 次にシナプトタグミンの様々なデリーションミュータントをグルタチオンS-トランスフェラーゼとの融合タンパク質として発現させ、イノシトールポリリン酸結合部位について検討した。9つのデリーションミュータントの解析の結果、イノシトールポリリン酸はC2Bドメインの中央約30アミノ酸にのみ結合し、C2Aドメインには全く結合しなかった(図1;Fukuda et al.,1994)。この領域には線虫からヒトにいたるまで非常によく保存されたリジン・アルギニンのクラスターが存在し、部位特異的アミノ酸置換により327,328,332香目のリジン残基が高親和性でのIP4の結合に重要なことが明らかになった(Fukuda et al.,1995a)。また非常に興味深いことにこのイノシトールポリリン酸結合部位は1993年にBommertらが報告した神経伝達物質の放出に重要とされている領域とほぼ一致していた。彼らはこの領域の20アミノ酸からなるペプチドをイカの巨大軸索のプレシナプスにマイクロインジェクションすると、神経伝達物質の放出が可逆的に阻害されることを見い出した。このことがらイノシトールポリリン酸の神経伝達物質放出の調節因子としての機能が示唆される。

図1シナプトタグミン2の各種欠失変異体(A)とそのIP4結合能(B)アミノ酸配列はイノシトールポリリン酸結合領域を示す。太字のアミノ酸はBommertらが1993年に用いた20アミノ酸からなるペプチドに相当する。

 本研究によりシナプトタグミンのC2AとC2Bドメインはイノシトールポリリン酸の結合能という点で明らかに異なる性質を示したことから、さらに二つのドメインのリン脂質結合能ついても比較を行った。その結果C2AドメインはCa2+依存的に、C2BドメインはCa2+の有無に関係なくリン脂質に結合した。以上の結果からシナプトタグミンの二つの機能ドメイン(C2A,C2B)は神経伝達物質の放出においておそらく異なる機能(C2A-Ca2+センサー;C2B-イノシトールポリリン酸センサー)を担っているものと予想される。

神経伝達物質放出におけるイノシトールポリリン酸の機能-イカ巨大軸索プレシナプスへのマイクロインジェクション-

 イノシトールポリリン酸が神経伝達物質の放出にどのような影響を及ぼすかを検討するため、イカの巨大軸索を用いてIP4(IP5,IP6)のプレシナプスへのマイクロインジェクションを試みた。IP4(IP5,IP6)はプレシナプスの活動電位及びCa2+電流には何ら影響を与えずに、神経伝達物質の放出を抑制することが明らかとなった(図2;Llinas et al.,1994)。

図2イノシトールポリリン酸による神経伝達物質放出の阻害

 また比較としてIP3をインジェクションしても、このような抑制効果は全く観察されなかった。このイノシトールポリリン酸による神経伝達物質放出の阻害はマーカーとして加えた色素が神経終末に到達しないと起こらないこと、また神経伝達物質の放出に関与するシナプトタグミンがイノシトールポリリン酸結合蛋白質であることから、阻害部位はおそらくシナプトタグミン分子ではないかと考えられた。

 さらにシナプトタグミンの二つの機能ドメインの神経伝達物質放出における役割の違いを明らかにするため、上述のin vitroでの性質の違いを利用して(C2A-Ca2+ dependent phospholipid binding;C2B-inositol high-polyphosphate binding)それぞれのドメインに対する特異抗体を作製した(Fukuda et al.,1995a;1995b)。C2Aドメインに対する抗体をイカの巨大軸索に導入すると、イノシトールポリリン酸の場合と同様に神経伝達物質放出の阻害が観測された。また電子顕微鏡による観察からC2A抗体をインジェクションしたプレシナプスではシナプス小胞の数がコントロールに比べ30%増大しており、シナプス小胞の融合の過程が阻害されているものと考えられた(Mikoshiba et al.,1995)。これに対しC2Bドメインに対する抗体を用いた場合には、プレ及びポストの活動電位に何ら変化は見られなかったが、IP4と同時にインジェクションするとIP4による神経伝達物質放出の阻害効果を完全に回復することができた(Fukuda et al.,1995b)。また最近Zhang(1993)らはシナプス小胞のリサイクルに重要とされるclathrin assembly protein(AP2)がシナプトタグミンのC2Bドメインにin vitroで特異的に結合することを明らかにした。そこでC2B抗体を導入したプレシナプスに高頻度刺激を加えその電子顕微鏡像を観察したところ、シナプス小胞の数がコントロールに比べ90%近く減少しており、シナプス小胞のリサイクルがシナプトタグミン分子のC2Bドメインを介して行われていることを強く示唆していた(Fukuda et al.,1995b)。

 本研究をまとめてみると、シナプトタグミン分子はC2Aドメインを介してシナプス小胞融合時のCa2+センサーとして機能し、またC2Bドメインはイノシトールポリリン酸を結合することにより、C2Aの機能(シナプス小胞の融合)を阻害するだけでなく、シナプス小胞のリサイクルにも関与する多機能分子であることが明らかとなった。

審査要旨

 本研究は細胞内情報伝達に重要な役割を演じていると考えられているイノシトールポリリン酸(イノシトール1,3,4,5-四リン酸(IP4)、イノシトール1,3,4,5,6-五リン酸(IP5)、イノシトール1,2,3,4,5,6-六リン酸(IP6))の生理的機能を明らかにするため、マウス小脳よりこれらの結合蛋白質の分離・精製試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.可溶化したマウス小脳膜画分から[3H]IP4の結合活性を指標として一連のカラムクロマトグラフィーによりイノシトールポリリン酸結合蛋白質を分離・精製した。部分アミノ酸配列をもとにマウス小脳cDNAライブラリーを検索した結果、この蛋白質はシナプス小胞に多量に存在し、神経伝達物質の放出に重要とされているシナプトタグミン2と同定された。

 2.シナプトタグミンはN末端側に膜貫通領域を一カ所持ち、C末端側の細胞質内領域にはプロテインキナーゼのC2調節領域とホモロジーを有する配列が二回繰り返しておりそれぞれC2A,C2Bドメインと呼ばれている。これらのドメイン構造をもとに様々なデリーションミュータントをグルタチオンS-トランスフェラーゼとの融合タンパク質として発現させイノシトールポリリン酸結合部位についで検討したところ、イノシトールポリリン酸はC2Bドメインの中央約30アミノ酸にのみ結合し、C2Aドメインには全く結合しなかった。このイノシトールポリリン酸結合部位は神経伝達物質の放出に重要とされている領域とほぼ一致することからイノシトールポリリン酸の神経伝達物質放出の調節因子としての機能が示唆された。

 3.IP4(IP5,IP6)をイカの巨大軸索のプレシナプスへマイクロインジェクションしたところ、IP4(IP5IP6)はプレシナプスの活動電位及びCa2+電流には何ら影響を与えずに、神経伝達物質の放出を抑制することが明らかとなった。また比較としてIP3をインジェクションしても、このような抑制効果は全く認められなかった。

 4.C2Aドメインに対する抗体をイカの巨大軸索のプレシナプスに導入したところ、イノシトールポリリン酸の場合と同様な神経伝達物質放出の阻害が観測された。電子顕微鏡による観察からC2A抗体をインジェクションしたプレシナプスではシナプス小胞の数がコントロールに比べ30%増大しており、シナプス小胞の融合の過程が阻害されているものと考えられた。

 5.C2Bドメインに対する抗体をイカの巨大軸索のプレシナプスに導入したところ、プレ及びポストの活動電位に何ら変化は認められなかったが、IP4と同時にインジェクションすることによりIP4の神経伝達物質放出の阻害効果を完全に回復することが示された。またC2B抗体を導入したプレシナプスに高頻度刺激を加えその電子顕微鏡像を観察したところ、シナプス小胞の数がコントロールに比べ90%近く減少しており、シナプス小胞のリサイクルがシナプトタグミン分子のC2Bドメインを介して行われていることが示唆された。

 以上、本論文はシナプトタグミン分子のイノシトールポリリン酸結合領域の生化学的解析、及びイカ巨大軸索のプレシナプスへのマイクロインジェクションを用いた生理学的解析から、イノシトールポリリン酸が神経伝達物質放出の負の制御因子である可能性を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、イノシトールポリリン酸の生理学的機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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