学位論文要旨



No 112012
著者(漢字) 中川,康史
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ヤスシ
標題(和) 血液系、神経系の増殖と分化を制御する遺伝子群の構造と発現に関する研究
標題(洋) Structure and expression of genes regulating the development of hematopoietic and nervous systems
報告番号 112012
報告番号 甲12012
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1068号
研究科 医学系研究科
専攻 第二基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 中畑,龍俊
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 助教授 生田,宏一
内容要旨

 血液系と神経系では、その構成細胞の相互作用を通して、生体防御、運動、知覚、学習と記憶など様々な高次機能が発揮される。両系は、構成する細胞の種類や相互作用の様式は異なるが、いずれも、未分化な多能性幹細胞が細胞外からのシグナルや自身の持つプログラムに従って増殖・分化を行い、多様な細胞群を形成するという点で共通している。本研究では、それぞれの機能系の分化で重要な役割を果たす遺伝子の構造と発現についての解析を行った。第1部では、血液系のうち主に骨髄系の細胞の増殖・分化を制御するGM-CSFの受容体a鎖遺伝子の構造と発現を明らかにし、サイトカイン受容体ファミリーの進化について議論した。第2部では、中枢神経系幹細胞由来の細胞株において、胎児の前脳領域における領域特異的遺伝子の発現が保持されていることを見いだし、その意義について議論した。

第1部ヒトGM-CSF受容体遺伝子の構造と発現の解析序論

 サイトカインは、免疫・造血系や神経系をはじめとする哺乳動物のさまざまな機能系における重要な調節因子である。現在までに、20種類以上におよぶ多様なサイトカインとそれぞれに特異的な受容体からなるシステムが、生体の発生、恒常性の維持における巧妙なな調節機構を担っていることが多くの例において明らかにされてきた。顆粒球・マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)は未分化な造血系細胞の増殖、生存、分化を支持するサイトカインであり、同時に、分化した好中球、単球、マクロファージなどにおける機能発現にも重要な役割を果たす。高親和性GM-CSF受容体は、GM-CSFに特異的な鎖と、IL-3,IL-5,GM-CSFの受容体に共通の鎖の2つのサブユニットから構成される。これらおよび他のサイトカイン受容体を構成する蛋白質は、細胞外領域にいくつかの共通した構造した構造、1)WSXWSモチーフ、2)通常4つの、ほぼ等間隔で並んだCystein残基、3)通常2つの、約100アミノ酸からなり特徴的な2次構造を持つドメイン(フィブロネクチンのタイプIIIドメインに類似しているため、Fn3ドメインと呼ぶ)がある。申請者は、ヒトGM-CSF受容体鎖の染色体遺伝子の単離、構造の決定と、組織における発現の検討を行った。またこの遺伝子を含めすべてのサイトカイン受容体遺伝子のエクソン・イントロン構造を、蛋白質の構造と対比させながら比較することにより、サイトカイン受容体遺伝子ファミリーの進化に関する考察を行った。

結果と考察

 ヒトGM-CSF受容体鎖遺伝子はX,Y両染色体の偽常染色体領域に存在する。これを利用して、XまたはY染色体に特異的なゲノムDNAライブラリーをスクリーニングし、全長をカバーするcontigを得、その制限酵素地図を作成した。遺伝子の全長は約45kbであり、13のエクソンからなっていた。ゲノムDNAを用いたSouthern解析の結果は、スクリーニングで得られたクローンの制限酵素地図とほぼ一致した。さらに、この遺伝子について以下の点を明らかにした。

(1)エクソン・イントロン構造

 GM-CSF受容体鎖は、サイトカイン受容体ファミリー間で保存された2個のFn3ドメインに加え、N末端側に第3のFn3ドメインを有する。これら3個のFn3ドメインはそれぞれ2個ずつのエクソンにコードされており、各ドメインの境界はエクソン・イントロンの境界とほぼ一致していた。機能ドメインの境界とエクソン・イントロンの境界が一致するような遺伝子構造は、複数の機能ドメインを持つ、いわゆるモザイク蛋白質においてしばしば見いだされる。このことは、進化の過程において各ドメインをコードするエクソンが挿入、重複、欠失により混ぜ合わされ、少ない種類の機能ドメインから膨大な種類のモザイク蛋白質が生じたとする説(エクソンシャフリング説)を支持している。申請者は、既知のサイトカイン受容体遺伝子全てのエクソン・イントロン構造を比較することにより、エクソンシャフリングがサイトカイン受容体ファミリーの形成にも関与してきたことを支持する結果を得た。すなわち、すべての受容体遺伝子においてFn3ドメインの境界にはイントロンが存在し、境界部に位置するコドンを、常に、第1番目のヌクレオチドの後ろで分断していた(このようなイントロンをphase 1のイントロンという)。このように、同じphaseのイントロンに挟まれていることは、混ぜ合わせによって機能ドメインをコードするエクソンが読み枠のずれ(frameshift)を起こさないための必要条件である。また、2つのFn3ドメインの内部にも、それぞれphase 2とphase 0のイントロンが存在する。以上より、単一のFn3ドメインをコードする遺伝子断片が重複を起こすことによってサイトカイン受容体の祖先遺伝子の形成が行われたと考えられる。受容体のなかには、祖先遺伝子のもつ基本構造に加えて、さらに免疫グロブリン様ドメインを持つもの(G-CSF受容体、IL-6/LIF/CNTF/IL-11受容体に共通のgp130)、基本構造自体が重複して4つのFn3ドメインを持つもの(c-mpl,IL-3/IL-5/GM-CSF受容体に共通の鎖)、第3のFn3ドメインを持つもの(GM-CSF受容体、IL-3受容体、IL-5受容体の各鎖)などいくつかのグループが存在し、進化の過程において、受容体の多様化が、いくつかのサブファミリーの形成を経て多段階的に行われたことをうかがわせる。

(2)転写開始部位の決定と、各組織における発現の検討

 Primer extension法および5’RACE(rapid amplification of cDNA end)法により転写開始部位を決定した。ここから、2つの方法のどちらにおいても見いだされる主要な開始点を一つ同定し、その5’上流約0.5kbの塩基配列を決定した。この遺伝子のプロモーター領域には、TATAボックスは存在せず、その代わりにGGGAGGGというプリンに富んだ配列が見いだされた。プロモーター領域内のエレメントとして特記すべきものとしては、転写開始点より45bp上流に位置する、骨髄系細胞、B細胞に特異的な転写因子PU.1の認識配列であるGAGGAA配列があげられる。ごく最近、骨髄系細胞株においてこのエレメントにPU.1が結合し、GM-CSF受容体鎖の転写活性化において重要な役割を果たしていることが示されたが、申請者が行ったNorthem解析によれば、成人の心臓、脳、胎盤、肺、肝臓、骨格筋、腎臓、膵臓においてGM-CSF受容体鎖が発現していた。したがって、PU.1が発現していない組織においては、他の臓器特異的な転写因子が鎖遺伝子の転写を活性化している可能性があると考えられる。また、上記のGGGAGGG配列と、転写開始点の10bp上流付近のTGACACAGA配列は既知の転写因子の結合配列ではないものの、マウスおよびヒトのIL-2受容体g鎖遺伝子のほぼ対応する位置にも見られることから、これらの遺伝子に共通の転写調節機構の存在が示唆され興味深い。

第2部中枢神経系幹細胞株を用いた、神経上皮における領域特異的遺伝子の発現制御の解析序論

 成熟した哺乳動物の脳を構成する細胞のほとんどは、胎児の脳の脳室周辺に存在する神経上皮細胞が増殖、分化を行うことによって生じる。主要な細胞系列としてニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトがあるが、さらに、分化した各系列の細胞は著しい多様性を示す。とりわけニューロンは、細胞の形態、神経伝達物質の種類、他の細胞との結合様式などの異なる細胞群が、集団として機能的な神経回路網を形成することによって、知覚や学習、記憶といった脳の高次機能を実現している。しかし、脳の発生過程のどの段階で、またいかなる分子機構によって、神経系細胞の多様化が決定されるのかについては、現在のところ未知の点が多い。この問題に取り組む手がかりとして、申請者は胎児脳の特定の領域においてのみ発現する転写調節因子に着目した。これら領域特異的遺伝子の多くは、胎児脳の神経上皮組織の特定の領域だけでなく、そこから発生したと考えられる分化したニューロンにも引き続き発現しているため、神経系細胞の多様化の決定において何らかの機能を果たしている可能性がある。そこで申請者は、胎生11.5日ラットの前脳、中脳の神経上皮細胞から樹立された複数の不死化細胞株を用いて、前脳あるいは中脳領域における領域特異的遺伝子の発現を解析した。

方法と結果

 c-mycとエストロゲン受容体のリガンド結合領域の融合遺伝子がコードする蛋白質、MycERは、培養液中のエストロゲンの存在に依存して線維芽細胞を形質転換することが知られている。この融合遺伝子を持つ組み替えレトロウィルスを用いて初代培養の神経上皮細胞を不死化して得られた約40の細胞株(MNS細胞株、Nakafuku and Nakamura(1995)Joumal of Neuroscience Research,4,153-168)のうち、5株について解析を行つた。まずこれらに共通の性質として、未分化神経上皮細胞のマーカーであるnestin,vimentin,RC1抗原の発現、生体内における神経上皮細胞の増殖因子とされるbFGF,EGFに対する増殖応答性、細胞の凝集塊の形成を促進する培養条件下でのニューロンおよびグリアへの分化能を見いだした。このことから、解析した5種類のMNS細胞株はいずれも、未分化神経上皮細胞の性質を有していると考えられた。次に、定量RT-PCR法により、各細胞株における領域特異的遺伝子の発現を検討した。胎児の前脳領域で領域特異的に発現している転写因子であるPax-3,Pax-5,Pax-6,Dlx-1,Dlx-2,Dbx,Otx1,Emx2などの発現パターンは細胞株により大きく異なっていた。一方、En-1,Hox-B.1,Hox-B.3など、中脳あるいはそれよりも後方においてのみ発現している遺伝子はいずれの細胞株にも発現していなかった。さらに各細胞株に分化を誘導すると、未分化状態で発現していた遺伝子の発現はさらに増大するかあるいは少なくとも同程度のレベルに維持されており、未分化状態で発現していなかった遺伝子の発現が誘導されることはなかった。次に、背腹軸の決定に重要な役割を果たす誘導シグナルであるSonic hedgehog(SHH)に対するMNS細胞の反応を検討した。この分泌性因子は、中枢神経系の前後軸の全長にわたって、腹側の神経上皮細胞あるいはニューロンに特異的に発現するIsl-1,Nkx-2.1,Nkx-2.2などの遺伝子を誘導するが、どの遺伝子が誘導されるかはは、標的組織の前後軸上の位置によって異なる。申請者は、SHHを過剰発現するCV1細胞株の培養上清の添加、あるいはMNS細胞とこの細胞株との共培養を行い、異なる細胞株がSHHに対して、上記の腹側特異的遺伝子の誘導という点において異なる応答性を有することを見いだした。

考察

 以上の解析で用いた試験管内細胞培養系においては、由来を異にする細胞からの誘導シグナルが存在しない条件で領域特異的遺伝子の発現を解析することができるが、各MNS細胞株は、増殖や分化を行っても特定の組み合わせの領域特異的遺伝子の発現を維持していた。同様の結果は、不死化細胞株でなく神経上皮由来の初代培養細胞を用いた場合でも得られた。以上の結果より、神経上皮細胞は、部位特異的遺伝子の選択的な発現を維持する何らかの機構を、細胞内在的に保持していることが示唆される。さらに、SHHに対する応答性の検討結果より、このような細胞内在的機構は同時に、細胞外シグナルに対する神経上皮細胞の応答性をも規定していると考えられる。したがって、胎児脳の神経上皮組織においては、細胞内在的な機構と外的な因子の両者が、領域特異的な遺伝子発現の制御を行っており、この状況がMNS細胞株において再現されているのではないかと推察される。今後は、このような単純なモデル系を用いて、神経上皮細胞の領域特異性の決定の分子機構をさらに明らかにしていきたいと考えている。

審査要旨

 本研究では、血液系および神経系の分化において重要な役割を果たす遺伝子の構造と発現についての解析を行い、下記の結果を得ている。

I.ヒトGM-CSF受容体遺伝子の構造と発現の解析

 1.血液系のうち主に骨髄系の細胞の増殖・分化を制御するGM-CSFの受容体鎖(hGMR)遺伝子の全長をクローニングし、そのエクソン・イントロン構造および転写の開始部位を明らかにした。hGMR遺伝子の全長は約44kbで13のエクソンからなっていた。また、プライマー伸長法と5’RACE(Rapid amplification of cDNA end)法を行ったところ、どちらの方法においても見いだされる主要な転写の開始部位を一つ同定した。

 2.hGMR遺伝子のエクソン・イントロン構造はhGMR蛋白質の構造によく対応していた。すなわちエクソン・イントロンの境界部が細胞外領域に3つ存在するファイブロネクチンタイプIII様ドメイン(Fn3ドメイン)の境界部によく一致し、各ドメインがそれぞれ2つあるいは3つのエクソンによりコードされていた。さらに、エクソン・イントロン境界部のコドンにおけるイントロンの挿入部位を詳細に検討し、他の既知のサイトカイン受容体遺伝子のそれと比較した結果、単一のFn3ドメインをコードする遺伝子断片が重複、挿入を繰り返すことによってすべてのサイトカイン受容体に共通の祖先遺伝子を作り出したという進化上のシナリオが遺伝子構造のなかに明瞭に現れていることを明らかにした。さらに、異なる受容体遺伝子の構造を比較することにより、受容体ファミリーの各メンバーの進化上の関係について一つのモデルを提唱した。

 3.転写開始部位の上流約400bpの塩基配列を決定したところ、hGMR遺伝子のプロモーター領域にはTATA boxが存在せず、その代わりにGGGAGGGというプリンに富んだ配列が見いだされた。プロモーター領域内のエレメントとして、転写開始点より45bp上流に、骨髄系細胞、B細胞に特異的な転写因子PU.1の認識配列であるGAGGAA配列が認められた。さらに、Northern解析により成人の各臓器におけるhGMR遺伝子の発現を検討した結果、心臓、脳、胎盤、肺、肝臓、骨格筋、腎臓、膵臓といった多くの非造血組織がこのこの遺伝子を発現していることを明らかにした。

II.中枢神経系幹細胞株を用いた、神経上皮における領域特異的遺伝子の発現制御の解析

 1.ラット胎児の前脳、中脳の神経上皮細胞から樹立された中枢神経系幹細胞株(MNS細胞株)を用いて、胎児の神経上皮の特定の領域のみに限局する種々の転写因子の発現がどのように制御されているかを検討した。試験管内でニューロン及びグリアに分化しうる5種類の異なるMNS細胞株について、未分化状態における領域特異的遺伝子の発現を定量RT-PCR法を用いて解析した結果、異なる細胞株が、前脳において領域特異的に発現しているFax-3,Pax-5,Pax-6,Dlx-1,Dlx-2,Otx1,Emx2,Dbxなどの遺伝子をそれぞれ異なった組み合わせで発現していることが明らかとなった。これに対して、後脳よりも後方、あるいは中脳より後方のみに発現している遺伝子であるHox-B1,Hox-B2およびEn-1は、いずれの細胞株においても発現していなかった。この結果は、用いた細胞株が前脳と中脳の神経上皮に由来していることとよく一致していた。

 2.これらの細胞株をニューロンおよびグリアへと分化誘導しても、上記の領域特異的遺伝子の選択的発現は基本的に変化しなかった。また、単一細胞レベルでの発現を検討したPax-6の場合は、未分化状態でPax-6を高いレベルで発現している細胞株においては、分化誘導によって発生したMAP2陽性のニューロンにFax-6の発現が受け継がれていることが明らかとなった。このことから、未分化な神経上皮細胞における領域特異的遺伝子の発現(の少なくとも一部)は、その子孫であるニューロンにおける領域特異性を規定していると考えられた。同様の結果は、初代培養した神経上皮細胞でも観察された。上記の実験結果は、神経上皮細胞において自身の領域特異的な性質を維持する何らかの細胞内在的な機構が存在しており、これが領域特異的な遺伝子発現の維持、さらには分化したニューロンやグリアのサブタイプを規定していることを示唆していると考えられる。

 3.次に、腹背軸を決定する細胞外シグナルであるSonic hedgehog(SHH)をMNS細胞株に加え、遺伝子発現の変化を解析した。用いた各細胞株は内在的にはSHHを発現していないが、外部からSHHを作用させることにより、胎児脳の腹側の神経上皮あるいはニューロンに発現しているIsl-1,Nkx-2.1,Nkx-2.2の3遺伝子の誘導能の点において、それぞれ異なる応答性を示した。このことから、各細胞株に内在する領域特異性の違いがSHHに対する異なった応答性を生じていることが示唆された。

 以上、本論文の前半は、造血の重要な制御因子であるGM-CSFの受容体の発現制御に関する知見を与え、また、造血系が進化の過程でどのようにして、数多くのサイトカイン受容体遺伝子を生じるに至ったかについての新たな考察を行った。後半では、未分化神経上皮における領域特異的遺伝子の発現制御機構を解析する有用な実験系を確立することにより、中枢神経系を構成する多様な細胞がどのような分子機構で生じるかという、重要な生物学上の問題の解明に道を開いた。以上の点より、本論文は学位の授与に価するものと考えられる。

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