学位論文要旨



No 112015
著者(漢字) 廣瀬,謙造
著者(英字)
著者(カナ) ヒロセ,ケンゾウ
標題(和) イノシトール三リン酸による細胞内Ca2+動員調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 112015
報告番号 甲12015
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1071号
研究科 医学系研究科
専攻 第二基礎医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 助教授 河西,春郎
 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 芳賀,達也
内容要旨

 カルシウムは筋収縮をはじめとして分泌、記憶、発生を司る多様な細胞において作用を持つ細胞内セカンドメッセンジャーである。アゴニストによる受容体刺激に続く細胞内カルシウムストアからのカルシウム放出は、細胞外からのカルシウム流入経路とともに重要な細胞内カルシウム動員機構である。横紋筋細胞などを除くと、カルシウム放出では、イノシトール三リン酸(IP3)によるカルシウム放出機構が中心的役割を担う。すなわち、受容体にアゴニストが結合するとGTP結合蛋白質あるいはチロシンキナーゼを介してホスホリパーゼCが活性化され、細胞質内にIP3が産生され、IP3受容体に結合しカルシウム放出を起こす。しかし、近年、カルシウム動態が細胞レベルで明らかになるにつれ、アゴニストによるIP3受容体を介したカルシウム放出は複雑な時間的、空間的パターンをとることが分かってきた。

 第一に、カルシウム振動とよばれる現象がある。カルシウム振動は周期的に細胞内カルシウム濃度が増減する現象であり、しばしば細胞内をカルシウム濃度上昇が空間的に伝播する現象であるカルシウム波を伴う。第二に、量子的カルシウム放出とよばれるカルシウム放出パターンがある。量子的カルシウム放出はアゴニストに対するカルシウム放出様式として膵外分泌細胞、肝細胞を始めとして多種の生細胞で認められ、また、IPに対する反応として多種の細胞の膜透過性標本、ミクロゾーム分画で認められる。これは低濃度のアゴニストまたはIP3では、カルシウムを完全に放出する前に放出速度がほとんど停止してしまうが、さらに高濃度のアゴニストあるいはIP3を加えると再びカルシウム放出が起こり、カルシウムがあたかも量子的に放出されるようにみえる現象を指す。これら複雑なカルシウム放出パターンがどのような機構によるのかは明らかでない。

 量子的カルシウム放出の機構として2つの仮説が存在する。ひとつは、IP3感受性が異なるIP3受容体をもったストアが、多数存在するという仮説である。この仮説によると、低濃度のIP3では、IP3高感受性IP3受容体をもつストアからのみカルシウム放出が起こり、さらに高濃度のIP3では、IP3に感受性の低いIP3受容体を持ったストアからのカルシウム放出が可能になる。もうひとつの仮説では、ストア内カルシウム濃度の減少によってIP受容体のIP3感受性が下がるという機構が提唱されている。この仮説によると、ストア内のカルシウム濃度が高い時は、低濃度のIP3でもカルシウム放出が起こるが、ストア内のカルシウムが減少してくると、同じ濃度のIP3ではもはやカルシウム放出を続けることができなくなり、さらに高濃度のIP3によってのみカルシウム放出を起こすことができる。

 この複雑なカルシウム動員機構を解き明かすには、そのキーであるIP3によるカルシウム放出機構のキネティクス及び制御機構を詳細に調べる必要がある。しかし、従来、必要とされる解析力を持った実験系が存在しなかったため、2つの仮説は充分に検証されていない。そこで、細胞内カルシウムストア内腔のカルシウム濃度を直接測定できる新しい実験系を確立し、IP3によるカルシウム放出機構のキネティクスと制御機構の研究を行った。

 実験系のモデルとなる細胞としてモルモット門脈平滑筋束を用い、ストア内カルシウム濃度測定に用いる蛍光色素としてFuraptraを用いた。Furaptraを平滑筋細胞に負荷したのち、細胞膜をエスチン処理で透過性にすることで細胞質内のFuraptraを除き、細胞内小器官に取り込まれたFuraptraの蛍光を測定することができた。この標本は細胞膜を透過性にしてあるため、様々に組成を変えた細胞内液を適用することができる。

 MgATP存在下にカルシウムを適用し、カルシウムポンプを活性化させたところ、Furaptraの取り込まれている細胞内小器官内のカルシウム濃度上昇が観察できた。逆にIP3を適用しカルシウム放出を起こさせると、ストア内のカルシウムが減少することが観察された。カルシウム取り込みとカルシウム放出は何回も繰り返すことができ、それぞれの抑制薬であるサイクロピアゾン酸とヘパリンで抑制された。これらの実験結果は、Furaptraがカルシウムストアに取り込まれており、Furaptraの蛍光強度変化によって、カルシウムストア内のカルシウム濃度をリアルタイムで評価できるということを示している。この全く新しい実験法を用いて、量子的カルシウムに対し以下の解析を行った。

 先ず、報告されているような量子的に見えるカルシウム放出の時間経過が本実験系でも観測されるかを調べた。低濃度のIP3を適用するとカルシウム放出速度はしだいに減少して、この後高濃度のIP3を適用すると再び速いカルシウム放出を認めた。しかも、以前の報告でしばしば用いられている、MgATP存在下、低カルシウムバッファー条件では、この2相性の時間経過はさらに強調されて観測された。

 このカルシウム放出速度の時間依存性減少は、ナトリウムチャネルに見られるようなチャネルの不活化では説明できない。なぜなら、カルシウム放出の時間経過が減少した後で、IP3を洗い去ってもカルシウム放出速度は回復しなかったからである。しかし、再びカルシウムをストア内に取り込ませた後では、カルシウム放出速度は回復していた。そこで、カルシウム放出速度がストア内カルシウム濃度により制御されるという仮説について調べた。この仮説が正しければ、カルシウムを放出させてストア内のカルシウム濃度を減らした場合と、カルシウムを予め少しだけストアに負荷した場合で、カルシウム放出速度は等しくなるはずである。しかし、カルシウム放出が進んでストア内カルシウムが減少した後のカルシウム放出速度は、はじめからストア内に少量のカルシウムを負荷しておいた場合のカルシウム放出速度と比べ小さかった。この結果は、ストア内腔のカルシウム濃度がカルシウム放出速度を決定するのではないことを示す。

 時間依存性にチャネル活性が変わらず、また、ストア内カルシウム濃度がチャネル活性を決めるのではないことが分かったので、カルシウムストアが1つのコンパートメントからなるというモデルでカルシウム放出速度の減少を説明することは不可能である。一方、カルシウムストアが複数のコンパートメントに別れていて、それらコンパートメントが不均一な性質を持つと考えれば、カルシウム放出速度の減少を説明できるかもしれない。そこで、IP3感受性が異なるストアが存在することによって、カルシウム放出の時間経過が説明できるとする、もうひとつの仮説を調べた。もし、IP3感受性の異るストアが存在するなら、IP3とカルシウム放出速度の用量反応曲線は低濃度のIP3処理を行った後では、右にシフトするはずである。なぜなら、低濃度IP3の処理によっては、IP3高感受性のストアだけからのカルシウム放出がおこる結果、IP3低感受性のストアのみにカルシウムが残存するはずだからである。しかし、低濃度IP3処理によって用量反応曲線のEC50は変わらず、単に最大放出速度が減少し、用量反応曲線は下方にシフトした。この結果は、IP3感受性の異なったストアを考えても、観察された時間経過が説明できないことを示している。

 カルシウム放出の速度は、チャネル活性とストア単位表面積当りのチャネル数で決定される。従って、IP3感受性は同じでも、あるコンパートメントにはチャネルが多く、あるコンパートメントには少ないといった、チャネル密度の差がストアの不均一性を作るのかもしれない。観察されたカルシウム放出の時間経過が、チャネル密度の不均一性で説明できるのかどうかを調べた。この仮説が正しければ、カルシウム放出の時間経過の時間軸をt1/2(カルシウムを半分放出するのに要する時間)に対して標準化すれば、すべての濃度のIP3にるカルシウム放出が完全に同じ時間経過になるはずである。なぜなら、各々のコンパートメントの速度定数の比は、IP3濃度に依存しないからである。30nM、100nM及び10MのIP3によるカルシウム放出の時間経過をt1/2に標準化するとこれらの時間経過は完全に一致し、この仮説が支持された。カルシウム放出の時間経過は2つの指数関数の和で近似され、65%のコンパートメントが残りのコンパートメントに比して約7倍のチャネル密度を持つことが示唆された。

 今回の研究によって、カルシウムストア内腔のカルシウム濃度をリアルタイムで測定することが可能となった。さらに、量子的カルシウム放出という現象が、少なくとも平滑筋細胞では既存の仮説では説明されず、IP3感受性カルシウムストアのチャネル密度の不均一性によるということが明らかになった。IP3受容体には、カルシウム感受性という重要な制御機構があることがわかっている。すなわち、カルシウム放出の活性化が起こると、ストア周囲のカルシウム濃度上昇により、さらにカルシウムが放出が促進される性質がIP3受容体にはある。カルシウムによる正帰還は、IP3受容体の密度が高いストアでは低いストアに比較して容易に起こり、IP3に対して鋭敏にカルシウム放出を起こしうると考えられる。このようにIP3受容体密度の不均一性は細胞内局所のIP3反応性の違いを作り出すことができ、カルシウム波の初発点形成を担っている可能性がある。

審査要旨

 細胞内カルシウム濃度変化は複雑な時間的、空間的パターンをとることが知られているが、アゴニストによる細胞内カルシウム動員において中心的役割を担うIP3受容体の性質について十分に解析できる実験系が存在しなかった。本研究は、細胞内カルシウムストア内腔のカルシウム濃度を直接測定できる新しい実験系を確立し、IP3によるカルシウム放出機構のキネティクスと制御機構の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.実験系のモデルとなる細胞としてモルモット門脈平滑筋束を用い、ストア内カルシウム濃度測定に用いる蛍光色素としてFuraptraを用いた。Furaptraを平滑筋細胞に負荷したのち、細胞膜をエスチン処理で透過性にすることで細胞質内のFuraptraを除き、細胞内小器官に取り込まれたFuraptraの蛍光を測定することができた。MgATP存在下にカルシウムを適用し、カルシウムポンプを活性化させたところ、Furaptraの取り込まれている細胞内小器官内のカルシウム濃度上昇が観察できた。逆にIP3を適用しカルシウム放出を起こさせると、ストア内のカルシウムが減少することが観察された。カルシウム取り込みとカルシウム放出は何回も繰り返すことができ、それぞれの抑制薬であるサイクロピアゾン酸とヘパリンで抑制された。これらの実験結果は、Furaptraがカルシウムストアに取り込まれており、Furaptraの蛍光強度変化によって、カルシウムストア内のカルシウム濃度をリアルタイムで評価できるということを示している。

 2.先ず、報告されているようカルシウム放出速度の時間依存性の減少が本実験系でも観測されるかを調べた。低濃度のIP3を適用するとカルシウム放出速度はしだいに減少して、この後高濃度のIP3を適用すると再び速いカルシウム放出を認めた。しかも、以前の報告でしばしば用いられている、MgATP存在下、低カルシウムバッファー条件では、この2相性の時間経過はさらに強調されて観測された。

 3.このカルシウム放出速度の時間依存性減少は、ナトリウムチャネルに見られるようなチャネルの不活化では説明できなかった。なぜなら、カルシウム放出の時間経過が減少した後で、IP3を洗い去ってもカルシウム放出速度は回復しなかったからである。しかし、再びカルシウムをストア内に取り込ませた後では、カルシウム放出速度は回復していた。そこで、カルシウム放出速度がストア内カルシウム濃度により制御されるという仮説について調べた。この仮説が正しければ、カルシウムを放出させてストア内のカルシウム濃度を減らした場合と、カルシウムを予め少しだけストアに負荷した場合で、カルシウム放出速度は等しくなるはずである。しかし、カルシウム放出が進んでストア内カルシウムが減少した後のカルシウム放出速度は、はじめからストア内に少量のカルシウムを負荷しておいた場合のカルシウム放出速度と比べ小さかった。この結果により、ストア内腔のカルシウムによる単純な制御のみでは、カルシウム放出速度の時間依存性減少が説明できないことが示された。

 4.IP3感受性が異なるストアが存在することによって、カルシウム放出の時間経過が説明できるとする仮説を調べた。もし、IP3感受性の異るストアが存在するなら、IP3とカルシウム放出速度の用量反応曲線は低濃度のIP3処理を行った後では、右にシフトするはずである。なぜなら、低濃度IP3の処理によっては、IP3高感受性のストアだけからのカルシウム放出がおこる結果、IP3低感受性のストアのみにカルシウムが残存するはずだからである。しかし、低濃度IP3処理によって用量反応曲線のEC50は変わらず、単に最大放出速度が減少し、用量反応曲線は下方にシフトした。この結果によって、IP3感受性の異なったストアを考えても、観察された時間経過が説明できないことが示された。

 5.カルシウム放出の速度は、チャネル活性とストア単位表面積当りのチャネル数で決定される。従って、IP3感受性は同じでも、あるコンパートメントにはチャネルが多く、あるコンパートメントには少ないといった、チャネル密度の差がストアの不均一性を作る可能性がある。観察されたカルシウム放出の時間経過が、チャネル密度の不均一性で説明できるのかどうかを調べた。この仮説が正しければ、カルシウム放出の時間経過の時間軸をt1/2(カルシウムを半分放出するのに要する時間)に対して標準化すれば、すべての濃度のIP3にるカルシウム放出が完全に同じ時間経過になるはずである。なぜなら、各々のコンパートメントの速度定数の比は、IP3濃度に依存しないからである。30nM、100nM及び10MのIP3によるカルシウム放出の時間経過をt1/2に標準化するとこれらの時間経過は完全に一致し、この仮説が支持された。カルシウム放出の時間経過は2つの指数関数の和で近似され、65%のコンパートメントが残りのコンパートメントに比して約7倍のチャネル密度を持つことが示唆された。

 以上、本研究によって、カルシウムストア内腔のカルシウム濃度をリアルタイムで測定することが可能となった。さらに、カルシウム放出速度の減少が、少なくとも平滑筋細胞では既存の仮説では説明されず、IP3感受性カルシウムストアのチャネル密度の不均一性で説明できることが明らかになった。本研究はIP3受容体を介した複雑なカルシウム動員機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位に値するものと考えられる。

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