学位論文要旨



No 112023
著者(漢字) 元井,亨
著者(英字)
著者(カナ) モトイ,トオル
標題(和) 上皮様分化を示す2つの肉腫、滑膜肉腫及び類上皮肉腫におけるhepatocyte growth factor及びc-met proto-oncogene産物の発現について
標題(洋)
報告番号 112023
報告番号 甲12023
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1079号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 松谷,章司
 東京大学 助教授 村上,俊一
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨

 一般に肉腫は間葉系由来の悪性腫瘍の総称であるが、肉腫の中には上皮様の形態や上皮系のマーカーを発現するものが少数ながら認められる.滑膜肉腫及び類上皮肉腫はこれらの特異な肉腫の代表的な2つである.

 滑膜肉腫は滑膜肉腫は通常、二相性型(BSS)、単相線維性型(MESS)、単相上皮型の3型に分類されている.BSSの上皮成分では腺管形成や粘液産生が見られることがある.一方、MFSSは紡錘形細胞成分のみより構成されるが症例によっては上皮様細胞よりなる胞巣が少数見られる.

 類上皮肉腫は1970年にEnzingerにより提唱され、新しく分類されるようになった肉腫で、若年成人の四肢に好発する.肉腫細胞の起源は不明であるが、組織学的には上皮様の細胞が敷石状に配列する.

 肝細胞増殖因子(hepatocyte growth factor,HGF)は肝部分切除を行なったラットの血清中より同定され,1989年に分子クローニングが行なわた比較的新しい増殖因子である.HGFの主要な作用として細胞増殖促進(mitogen)、細胞運動促進作用(motogen)、形態形成作用(morphogen)がある.一方、HGF受容体はc-met proto-oncogene産物(c-Met)と同一で受容体型チロシンキナーゼであり、ヘテロダイマーを形成している.HGFは主として間葉系由来細胞で産生され、c-Metは様々な上皮系細胞に発現し、HGFは上皮-間様相互作用のメディエーターとして働き,器官の発生や臓器の再生に関与している.

 本研究の目的は滑膜肉腫及び類上皮肉腫における各種の上皮系マーカー及び間葉系マーカーの発現について免疫組織化学的に検討し、その特異な組織像について理解した上でHGF及びc-Metの腫瘍組織内での発現について検討し、これらの肉腫におけるその特異な組織像形成へのHGF/c-Met systemの関与について検討することである.

研究対象

 生検及び手術検体として、滑膜肉腫12例(BSS6例、MFSS6例)及び類上皮肉腫11例を用いた.また培養細胞株として、二相性滑膜肉腫由来細胞株(SW982)、単相線維性滑膜肉腫由来細胞株(HS-SY-II)、HGF産生がある胎児肺由来線維芽細胞株(MRC5)、c-Metの発現がある扁平上皮癌由来細胞株(A431)を用いた.

研究方法1.生検、手術検体を用いた研究方法1)ヘマトキシリンエオジン(HE)染色、特殊染色、免疫組織化学的染色

 滑膜肉腫12例、類上皮肉腫11例のホルマリン固定パラフィン包埋切片を作成し、HE染色、鍍銀染色、アルシャンブルー染色を施行した.免疫組織化学的染色にはsABC法を用いた.上皮系マーカー(5種類の抗サイトケラチン抗体及び抗EMA抗体,抗CEA抗体),間葉系マーカー(抗ビメンチン抗体,抗Desmin抗体)を用いた.抗HGFモノクローナル抗体,抗c-Met抗体を用いた.

2)新鮮凍結切片を用いた免疫組織化学的染色

 滑膜肉腫3例(BSS1例、MFSS2例)、類上皮肉種2例について、抗HGFモノクローナル抗体、抗HGFポリクローナル抗体、抗c-Met抗体を用いて検索した.

3)HGFメッセンジャーRNA(HGFmRNA)の発現の検出

 滑膜肉腫3例(BSS1例、MESS2例)、類上皮肉種2例、3種類の培養細胞株(MRC5,SW982,A431)について、HGFmRNAの発現をRT-PCR法及びSouthern blot法を用いて検出した.

4)In situ hybridization(ISH)

 HGFmRNAの発現が確認された二相性滑膜肉腫の1例、類上皮肉種の1例の凍結切片ついて、cRNAプローブを作成し、ISHを施行した.

2.培養細胞株を用いた研究方法1)Northern blot法について

 total RNAを抽出し、Southern blot法と同様のプローブを用いてNorthern blot法を施行した.

2)免疫沈降法及びWestern blot法について

 4つの細胞株よりタンパク質を抽出し、抗c-Met抗体による免疫沈降を行なった.Western blot法については抗c-Met抗体と一晩反応させて検出を行なった.

3)抗リン酸化チロシン抗体を用いたc-Metのチロシンリン酸化の検出について

 c-Metの発現が確認されたSW928について、リコンビナントヒトHGF(rhHGE)を培養上清中に一定時間加え,抗c-Met抗体及び抗リン酸化チロシン抗体による免疫沈降法及びWestern blot法を行なった.

4)rhHGF添加後のSW982の形態変化について

 SW982を培養し、rhHGFを添加して72時間培養後、形態の変化を観察した.

結果1.生検、手術検体を用いた解析結果1)性、年齢、発生部位について

 性、年齢、発生部位については他の報告と大差はなく、症例の偏りはないと結論した.

2)各種マーカーの免疫組織化学

 滑膜肉腫においては、BSSでは上皮成分の細胞に低分子量から中分子量のケラチンサブセットがびまん性に陽性であった.紡錘形細胞成分及びMFSSでは低分子量から中分子量のケラチンサブセットが散在性に陽性になった.EMAはBSSの上皮成分にびまん性に陽性となり、紡錘形細胞成分及びMFSSでは散在性に陽性であった.CEAは陽性所見は殆ど認められなかった.ビメンチンは紡錘形細胞成分及びMFSSにびまん性に陽性であったがBSSの上皮成分及び上皮様胞巣には殆ど陰性であっだ.

 類上皮肉種においては低分子量から中分子量のケラチンサブセットがびまん性に陽性であったが、腫瘍細胞は同時にビメンチンも発現しており、上皮系マーカーと間葉系マーカーを同時に発現する特異な腫瘍細胞であった.デスミンの発現は認められなかった.

3)HGF及びc-Metの免疫組織化学

 滑膜肉腫については、HGFは6例中5例のBSSの上皮成分に陽性所見を認めた.紡錘形細胞成分及びMFSSには陽性所見は認められなかった.c-MetはBSSの上皮成分及びMFSSの上皮様胞巣に陽性所見がみられた.紡錘形細胞成分には陽性像は認められなかった.類上皮肉種においてはHGF及びc-Metの両者とも腫瘍細胞にびまん性の陽性所見を認めた.

4)新鮮凍結切片を用いた免疫組織化学

 2つのHGE抗体染色態度はほぼ同様であり、BSSの上皮成分及び類上皮肉種に陽性であった.またc-Metはパラフィン切片と同様の染色態度を示した.

5)HGFメッセンジャーRNAの腫瘍組織内での発現について

 PCR産物の泳動ではMRC5の他に類上皮肉種の1例及びBSSでバンドを認めた.またSouthern blot法ではさらに上皮様胞巣を伴うMFSSの1例でバンドを認めた.

6)HGFメッセンジャーRNAの腫瘍組織内での局在について

 ISH法ではいずれの症例の腫瘍細胞にも明らかな陽性所見は検出されなかった.これはHGEmRNAが検出感度以下である可能性が考えられた.

2.培養細胞株を用いた検索結果1)各培養細胞株におけるHGEmRNAの発現について

 MRC5ではHGFmRNAの6kbのバンドが認められた.しかし、2つの滑膜肉腫細胞株では明らかなバンドは検出できなかった.

2)各培養細胞株におけるc-Metの発現について

 A431ではc-Metの鎖の145kDaのバンドが認められた.SW982では同じ強さの145kDaのバンドが認められたが、HS-SY-IIではバンドは弱く、両者には明らかな差が見られた.これはそれぞれの細胞株の由来する組織型でのc-Metの免疫組織化学的染色結果と一致していると考えられた.

3)SW982におけるチロシンリン酸化の検出について

 SW982ではrhHGF添加で145kDaのバンドが認められ、rhHGF添加によるc-Metのリン酸化が確認された.

4)rhHGFを添加した場合のSW982の形態変化について

 HGFを添加した場合にも明らかな形態変化は認められなかった.通常の培養状態では上皮様分化を誘導するのには適当でない可能性が考えられた.

考察

 肉腫は間葉系細胞起源であり上皮への分化はないと考えるのが一般的であった.免疫組織化学の発達により滑膜肉腫の上皮成分が上皮系マーカーを発現していることが明らかになり,滑膜肉腫の上皮への分化を確定的なものとした.現在では滑膜肉腫、類上皮肉腫はむしろ上皮性分化を特徴とする骨軟部腫瘍と考えるのが一般的になってきた.しかし、これらの上皮系マーカーを発現する肉腫は新たな問題を提起している.なぜ本来上皮成分のない骨軟部組織から上皮性分化を示す腫瘍が発生するのか?、上皮成分と間葉成分の二相性を示す肉腫の組織像はどのようにして形成されるのか?.現在までに免疫組織化学的に調べられてきたことは上皮への分化の結果を示しているのであって、上記の疑問に対する答えは充分に出されていない.

 そこで、滑膜肉腫及び類上皮肉腫を用いて、上皮-間葉相互作用のメディエーターの1つであるHGF及びc-Metの発現及び作用について検討を行なった.その結果、二相性滑膜肉腫の組織学的に明らかな上皮性部分に限局したHGFとc-Metの陽性像が認められ、オートクリンループの形成により上皮様形態形成に関与している可能性が考えられた.また二相性滑膜肉腫細胞株を用いたc-Metの検索では活性化が認められたことより、実際の腫瘍においてもc-Metが機能し、上皮成分の細胞のみに特別な作用、即ち上皮様の形態形成に関与する可能性が強く示唆された.

 肉腫の上皮様分化について詳細に検討することは,その発生組織由来や組織型形成機序などの腫瘍病理学的側面の理解だけではなく,広く上皮間葉間相互作用の解析や発生初期に見られる間葉系細胞から上皮細胞への転換現象を解明する上でも重要な知見を提供すると考えられる.

審査要旨

 本研究は上皮様分化を示す2つの代表的な肉腫,滑膜肉腫及び類上皮肉腫について,上皮系マーカー及び間葉系マーカーの発現態度を検討し,さらにその上皮様分化へのhepatocyte growth factor(HGF)及びHGFレセプターであるc-met proto-oncogene産物(c-Met)の関与について検討したものであり,以下の結果を得ている.

 1.滑膜肉腫12例(二相性型6例,単相線維性型6例)及び類上皮肉腫11例の生検,手術検体のホルマリン固定,バラフィン包埋切片を用いた上皮系マーカー(サイトケラチン)及び間葉系マーカー(ビメンチン)の発現に関する免疫組織化学的検索を行った.サイトケラチンについては低分子量から中分子量のサブセットが二相性滑膜肉腫の上皮成分及び単相線維性型の上皮様胞巣にびまん性の陽性所見が見られる一方,二相性型の紡錘形細胞成分及び単相線維性型の上皮様胞巣以外の部分では疎らな陽性所見を認めるのみであった.ビメンチンは二相性滑膜肉腫の上皮成分及び単相線維性型の上皮様胞巣はほぼ陰性であるが二相性型の紡錘形細胞成分及び単相線維性型の上皮様胞巣以外の部分にはびまん性の陽性所見を認めた.高分子量のサイトケラチンの発現には乏しかった.滑膜肉腫の上皮様分化は特定の上皮への分化傾向を示していないと考えられた.

 類上皮肉腫のすべての腫瘍細胞は上皮系マーカーと間葉系マーカーを同時に発現している特異なものであった.

 2.1と同様の検体に対してHGF及びc-Metの発現を免疫組織化学的に検討したところ,二相性滑膜肉腫では上皮成分にHGF及びc-Metのびまん性の陽性所見がみられたが紡錘形細胞成分及び単相線維性型ではいずれも陰性であった.但し,単相線維性型の上皮様胞巣にはc-Metのみの陽性所見が見られた.類上皮肉腫ではHGF及びc-Metは腫瘍細胞にびまん性かつ同時に陽性であった.二相性滑膜肉腫及び類上皮肉腫ではHGF/c-Metシステムがオートクリン的に働いて上皮様形態形成に関与する可能性が示された.

 3.二相性滑膜肉腫1例,単相性滑膜肉腫2例,類上皮肉腫2例の凍結検体よりtotal RNAを抽出し,Reverse Transcriptase Polymerase Chain Reaction(RT-PCR)法によりHGEcDNA(743塩基対)を増幅し,HGFcDNAプローブを用いてSouthern blottingを行った.この結果,二相性滑膜肉腫,上皮様胞巣を伴う単相線維性滑膜肉腫の1例及び類上皮肉腫の1例において陽性のバンドを検出し,これらの症例では腫瘍内でのHGFメッセンジャーRNA(HGEmRNA)の存在を確認した.これにより腫瘍組織内でのHGEの産生の可能性が支持された.

 4.HGFmRNAの発現が確認された二相性滑膜肉腫及び類上皮肉腫の各1例に対してその局在を知る目的でHGFcRNAプローブを用いたin situ hybridizationを行った.しかし,いずれの症例においても腫瘍細胞にシグナルは検出されず,HGEmRNAの発現量が検出感度以下であったと結論した.

 5.HGF及びc-Metの発現についてさらに解析を行うため二相性滑膜肉腫由来細胞株(SW982)及び単相線維性滑膜肉腫由来細胞株(HS-SY-II)を用いた.これらの細胞株よりtotal RNAを抽出しHGFcDNAプローブを用いてNorthern blottingを行った.いずれの細胞株でもバンドは検出されず,HGFmRNAの発現は細胞株では殆ど無いと結論した.

 6.これらの細胞株よりタンパク質を抽出し,抗c-Met抗体を用い免疫沈降法及びWestern blottingを行った.SW982では陽性コントロールである扁平上皮癌由来細胞株(A431)と同様の強さのバドが見られたがHS-SY-IIでは陽性のバンドは微弱であった.両者発現には差があり,それぞれの由来する組織型でのc-Metの免疫組化学的検索結果との相関性が見られた.

 7.c-Metの発現が強く見られたSW982について,培養上清中にリコンビナントヒトHGE(rhHGF)を添加し,c-Metの活性化をチロシンリン酸化を指標とし検出した(抗c-Met抗体及び抗リン酸化チロシン抗体を用いた免疫沈降法及びWestern blot法).その結果,rhHGF刺激によりレセプターの活性化が確認された.

 8.さらにrhHGF添加後72時間培螢し,形態の変化を観察したが明らかな変化は見られなかった.通常の培養条件下では形態形成は誘導できないと結論した.

 以上,本論文では二相性滑膜肉腫及び類上皮肉腫でのHGE及びc-Metの免疫組織化学的同時発現を示し,さらに二相性滑膜肉腫については培養細胞株を用いてHGEによるc-Metの活性化を確認した.これらの肉腫ではその上皮様形態形成にHGE/c-Metシステムがオートクリンあるいはパラクリンの様式で関与する可能性を示唆している肉腫の上皮様分化について検討することは,その発生組織由来や組織型形成機序などの腫瘍病理学的な側面の理解だけでなく,広く上皮間葉系相互作用の解析や発生初期に見られる間葉系細胞から上皮細胞への転換現象を解明する上でも重要な知見を提供すると考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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