学位論文要旨



No 112025
著者(漢字) 秦,秀生
著者(英字)
著者(カナ) チン,シュウセン
標題(和) 生体皮膚における紫外線DNA光産物の生成と除去
標題(洋) Formation and repair of UV-photoproducts in the skin in vivo
報告番号 112025
報告番号 甲12025
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1081号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 広川,信隆
 東京大学 教授 黒木,登志夫
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
 東京大学 講師 酒井,一夫
内容要旨

 殆どの発癌物質はDNAと共有結合する。DNAに発癌物質が結合した状態をDNA付加体という。DNA付加体の形成は発癌のイニシエーションの段階に非常に重要な役割を果たしている。鋳型となるDNA上にDNA付加体が存在するとDNA複製に際し、コピーされたDNAに103-104倍も突然変異が入りやすくなる。DNA修復は鋳型から付加体を除く機構で、結果としてコピーされたDNAのエラーは少なくなる。従って、器官及び組織での発癌物質-DNA付加体を直接検出することは環境からのDNA損傷の証明及び生体内におけるDNA修復能についての評価に有用である。

 紫外線は太陽光の成分であり、DNAにヒットするといくつかのDNA光産物を形成する。これらの光産物は太陽光照射に関連して生じてくる皮膚発癌の原因になると考えられている。中でも重要な光産物はピリミジン二量体と(6-4)光産物である。光産物はDNA塩基間の架橋によって生じる構造変化であるが突然変異の生成についてDNA付加体と同じような効果を生じる。生物はこれらの光産物をDNAから除去し、正常の塩基配列に戻す機構を持っている。DNA修復機構は大腸菌で詳しく研究され、4種類の機構が知られている。1)ヌクレオチド除去修復: 損傷を含む部分を近傍の塩基を含め少し広めに切り出したあと、相補鎖を鋳型にして修復合成を行い、最後にライゲーションによる鎖の結合回復。2)光回復: 光回復酵素の触媒により、可視光のエネルギーの存在下でピリミジン二量体の架橋を特異的に瞬時に開裂させる直接復帰型の修復。3)相同組み換えによる娘鎖ギャップの充填(複製後または「組み換え」修復とよばれる): DNA複製が鋳型(親)鎖のピリミジン二量体または(6-4)光産物によってブロックされ、少し離れた場所で再開される結果、娘鎖にギャップが生ずるが、これを同一細胞内にある相同DNA(例えば姉妹染色分体)との組み換えによって埋める機構。4)トランスリージョン複製: 親鎖上のピリミジン二量体や(6-4)光産物は娘鎖の伸長をブロックするが、複製の忠実性を犠牲にしても損傷部を越えて複製を続行する機構。

 哺乳類ではヌクレオチド除去修復は最も重要な機構と考えられている。ヒトの正常細胞は除去修復機構によってピリミジン二量体や(6-4)光産物の2種類の光産物を効率よく除くことが出来る。この除去修復系の異常としてはヒトの遺伝性疾患である色素性乾皮症(Xeroderma pigmentosum,XP)がある。この患者由来の細胞はDNA除去修復能力が欠如ないしは低下しており、患者は紫外線に高感受性で、太陽光の当たる部位に皮膚癌が早期高頻度に発生することが知られている。しかし、マウス由来の培養細胞についてはピリミジン二量体は修復できず、(6-4)光産物のみ修復することが可能であると報告されている。一般に、培養系に移したマウス細胞は修復能力が低下することからピリミジン二量体の修復能力の有無について相反する見解がある。生体皮膚での修復についても、一定の結論が得られていない。本研究では、DNA光産物を特異的に認識するモノクローナル抗体(抗DNA付加体抗体)を用いて、パラフィン切片上で免疫組織化学を行い、生体皮膚で光産物を高感度に検出することができた。これをマウス、カニクイザル皮膚に応用し、光産物の生成、DNA修復のkineticsを明らかにした。この方法を用い、これまでに証明されていなかった太陽光照射が皮膚にDNA光産物をつくることを明らかにした。

 実験はC3H/HeNマウスを用い、マウス背部の毛を脱毛し、人工紫外線源からのUV-B(波長280-320nm)を照射した。照射後各時間でマウスを屠殺し、皮膚を通常の方法で固定、包埋、薄切、免疫組織化学染色(ABC)法を行った。その結果ピリミジン二量体と(6-4)光産物とも表皮細胞及び真皮間葉細胞の核に陽性に染色された。ピリミジン二量体は125J/m2以上のUV-B照射を受けたマウスの皮膚の表皮細胞に用量相関を持って検出された。(6-4)光産物は250J/m2以上の線量で陽性に染色された。従来から行われている凍結切片を用いた蛍光抗体法による報告に比べ、このパラフィン切片を用いる方法はより低線量で検出可能であり、極めて感度が高く、多数の検体について同時処理のできる、再現性の良い方法であることが示された。

 光産物の修復過程については、500J/m2のUV-B照射後のマウスの皮膚での光産物の染色性の経時変化を調べた。(6-4)光産物はピリミジン二量体より速やかに除去された。照射後24時間以内にほぼ50%の(6-4)光産物は細胞核より除去され、72時間で殆ど消失した。これに対して、ピリミジン二量体の場合は24時間以内に大きい変化を認めず、核の染色性低下は10%以下であった。その後、染色強度が徐々に減少し、照射後120時間の時点で表皮細胞核からほぼ完全に消失した。しかし、一般に紫外線等によりDNA損傷を受けた場合には細胞周期がG1期に一時的に停止し、その後、細胞が増殖を開始し、ほぼ48時間の時点で細胞の増殖がピークになることが知られている。光産物の染色強度の減少は除去修復以外に細胞の増殖によるDNA希釈による影響を考慮しなければならない。この細胞増殖による影響について、抗BrdUrd抗体を用いた免疫組織化学染色法を用いて検討した。500J/m2のUV-B照射後48時間に50mg/kg BrdUrdを腹腔内注射し、その後、陽性に染色された細胞の染色強度の経時変化を同様の方法で追跡したところ、その減少程度はピリミジン二量体の減少に比べ有意に低かった。したがってUV照射後の光産物の経時的減少は細胞増殖によるDNA希釈が重要な原因ではないことが明らかにされた。また、マウス皮膚細胞は2種類の光産物を除去修復できることを確認した。更に、表皮細胞と真皮間葉細胞の修復を比較したところ、修復能力は表皮細胞の方が高いことも本研究で証明された。

 光産物の修復能力の動物種による差について、サルを用い検討を行った。実験はカニクイザル(Macacafascicularis)の両側腹部の皮膚にUV-BまたはUV-C(波長254nm)の照射を行った。その結果マウス皮膚の場合と同様に照射量に依存した光産物の形成が認められた。光産物の修復については(6-4)光産物がピリミジン二量体よりも速やかに修復が進行したが、サル皮膚表皮細胞ではマウスに比べ光産物の修復は速く、(6-4)光産物のほぼ50%が照射後3-時間以内に細胞核より除去され、48時間の時点で殆ど消失した。ピリミジン二量体も24時間内に30%程度修復され、照射後72時間の時点で表皮細胞核から殆ど消失した。以上の結果からDNA除去修復能力の程度は動物種によって異なることが明らかにされた。

 以上の結果は人工光源からの単波長ないしピーク状の波長を持つ紫外線を用いて得られた結果である。しかし、日常生活で生物が暴露されている紫外線は単純な紫外線ではなく、太陽光線中にブロードに含まれる紫外線であるので、その構成成分及び自然条件での生物体への影響について解明することが重要なことはいうまでもない。地球表面に到達する光線の中にはエネルギーに換算してUV-Bは0.3%しか含まれていない。波長290nm以下の光線は殆どなく、波長の長いUV-A、可視光及び赤外線が日光の主な成分であることがすでに報告されている。既に示したように光産物は波長の短い紫外線、即ちUV-BまたはUV-Cの領域の暴露により形成される。波長の長い紫外線(UV-A)はDNA鎖の断裂を生じるが、光産物を殆ど作らない。波長の長いUV-Aについては発癌性或いは発癌のプロモーターとして作用する可能性が示唆されている一方、UV-Bの発癌性を抑えるという報告もあり、一定の結論は得られていない。紫外線の発癌性と直接相関している光産物への影響は解っていない。一般に哺乳類では光産物の光回復機構はないと考えられているが、有袋類ではその存在が報告されている。波長の長い光線の照射がマウス皮膚で生成された光産物に影響を与える可能性はある。ヒトを含む動物皮膚に太陽光を暴露した場合の生体内光産物の生成についての報告はこれまでない。

 本研究ではマウスを用いて快晴時の真夏の正午(東京本郷)の太陽光に暴露し検討した結果、5分より60分間の照射に対して、ピリミジン二量体は照射時間に依存して形成された。(6-4)光産物及びDewar isomersについては極くわずかに検出された。またピリミジン二量体の検出限界である太陽光5分暴露量は約167J/m2で、UV-Bに対しヒト皮膚の最小紅斑量の1/2に相当する。対照実験として、2kJ/m2のUV-B照射を行い、UV-Aを34kJ/m2照射したところ、(6-4)光産物の染色性は減少するが、まだよく認められる。また、Dewar isomersについては2kJ/m2のUV-B照射によりよく染色され、その上に34kJ/m2のUV-A照射を行うと染色強度が明らかに強くなる。用いたUV-BとUV-Aの照射量は60分間太陽光の各々の照射量に相当する。以上の結果から、太陽光の発癌性は紫外線DNA損傷のうちピリミジン二量体と最もよく相関していると考えられた。太陽光照射による(6-4)光産物とDewar isomersの低生成についての解釈は期待されている。

 本研究で以下の点を明らかにしたと考える。

 1. 光産物に対するモノクローナル抗体を用いて、ピリミジン二量体、(6-4)光産物及びDewar isomerをパラフィン切片を応用することにより紫外線を照射した皮膚で免疫組織化学的に検出した。

 2. マウス皮膚はピリミジン二量体と(6-4)光産物共に修復できることを証明した。(6-4)光産物はピリミジン二量体より速やかに除去された。

 3. 表皮細胞の方が真皮細胞(間質細胞)に比べDNA修復能が高いことを証明した。

 4. カニクイザル皮膚でのDNA修復は、ピリミジン二量体と(6-4)光産物共にマウスより速やかに行われた。

 5. 生体内において太陽光照射による光産物をはじめて証明できた。主な光産物はピリミジン二量体であった。太陽光の発癌性は光産物のうちピリミジン二量体と最もよく相関している考えられた。

審査要旨

 本研究は、DNA光産物を特異的に認識するモノクローナル抗体(抗DNA付加体抗体)を用いて、従来染色が困難と考えられていたパラフィン切片を用いる免疫組織化学的方法を工夫し、これまでモノクローナル抗体によって染色ができないとされたマウスの皮膚に応用解析した。また、比較のためサルの皮膚での検討を行い、さらに自然太陽光照射によるDNA光産物の検出も行い、下記の結果を得ている。

 1. 皮膚を通常のホルマリン固定、パラフィン包埋、薄切、免疫組織化学染色(ABC)法を行い、マウス生体皮膚で光産物を高感度に検出することが初めてできた。ピリミジン二量体と(6-4)光産物とも表皮細胞及び真皮間葉細胞の核に陽性に染色された。この方法に画像分析を併用することにより、光産物の生成を定量的に検出することができた。ピリミジン二量体は125J/m2以上のUV-B照射を受けたマウスの皮膚の表皮細胞に用量相関を持って検出された。(6-4)光産物は250J/m2以上の線量で陽性に染色された。従来から行われている凍結切片を用いた蛍光抗体法による報告に比べ、このパラフィン切片を用いる方法はより低線量で検出可能であり、極めて感度が高く、多数の検体について同時処理のできる、再現性の良い方法であることが示された。

 2. 光産物の修復過程については、500J/m2のUV-B照射後のマウスの皮膚での光産物の染色性の経時変化を調べた。(6-4)光産物はピリミジン二量体より速やかに除去された。照射後24時間以内にほぼ50%の(6-4)光産物は細胞核より除去され、72時間で殆ど消失した。これに対して、ピリミジン二量体の場合は24時間以内に大きい変化を認めず、核の染色性低下は10%以下であった。その後、染色強度が徐々に減少し、照射後120時間の時点で表皮細胞核からほぼ完全に消失した。光産物の染色強度の減少は除去修復以外に細胞の増殖によるDNA希釈による影響が考えられるので、抗BrdUrd抗体を用いた免疫組織化学染色法を用いて検討した。500J/m2のUV-B照射後48時間に50mg/kg BrdUrdを腹腔内注射し、その後、陽性に染色された細胞の染色強度の経時変化を同様の方法で追跡したところ、その減少程度はピリミジン二量体の減少に比べ有意に低かった。したがってUV照射後の光産物の経時的減少は細胞増殖によるDNA希釈が重要な原因ではないことが明らかにされた。マウス皮膚細胞は2種類の光産物を除去修復できることを確認した。更に、表皮細胞と真皮間葉細胞の修復を比較したところ、修復能力は表皮細胞の方が高いことも本研究で証明された。

 3. 光産物の修復能力の動物種による差について、サルを用い検討を行った。実験はカニクイザル(Macaca fascicularis)の両側腹部の皮膚にUV-BまたはUV-C(波長:254nm)の照射を行った。サルの生体皮膚でも照射量に依存した光産物の形成が認められた。光産物の修復については(6-4)光産物がピリミジン二量体よりも速やかに修復された。また、サル皮膚表皮細胞ではマウスに比べ光産物の修復は速く、(6-4)光産物のほぼ50%が照射後3時間以内に細胞核より除去され、48時間の時点で殆ど消失した。ピリミジン二量体も24時間内に30%程度修復され、照射後72時間の時点で表皮細胞核から殆ど消失した。カニクイザル皮膚でのDNA修復は、ピリミジン二量体と(6-4)光産物共にマウスより速やかに行われることが明らかにされた。

 4. マウスを用いて快晴時の真夏の正午(東京大学本郷キャンパス)の太陽光に暴露し光産物の生成を検討した。5分より60分間の照射に対して、ピリミジン二量体は照射時間に依存して形成された。(6-4)光産物及びDewar isomersについては極くわずかに検出された。またピリミジン二量体の検出限界である太陽光5分暴露量は約167J/m2で、UV-Bのヒト皮膚の最小紅斑量の約1/2に相当する。この研究は生体内において太陽光照射による光産物を組織切片上で初めて証明したもので、主な光産物はピリミジン二量体であった。太陽光により生じる光産物のうちピリミジン二量体がDNA障害及び発癌性と最もよく相関していると考えられた。

 以上、本論文はDNA光産物に対するモノクローナル抗体を用いて、ピリミジン二量体、(6-4)光産物及びDewar isomerをパラフィン切片を応用することにより紫外線を照射した皮膚で免疫組織化学的に初めて検出したものである。この方法をマウス、カニクイザル皮膚に応用し、光産物の生成、DNA修復のkineticsを明らかにした。さらに、この方法を用い、これまでに証明されていなかった太陽光照射が皮膚にDNA光産物をつくることを明らかにした。本研究は紫外線及び太陽光の生体皮膚におけるDNA障害性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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