学位論文要旨



No 112029
著者(漢字) 倉持,敏美
著者(英字)
著者(カナ) クラモチ,サトミ
標題(和) Srcファミリーチロシンキナーゼの活性調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 112029
報告番号 甲12029
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1085号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 黒木,登志夫
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 新井,賢一
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨

 細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化は、細胞の活性化、増殖や分化、あるいは癌化に重要な役割を果たしている。これは主としてチロシンキナーゼ(Protein Tyrosine Kinase;PTK)とチロシンフォスファターゼ(Protein Tyrosine Phosphatase;PTP)の可逆的な反応により保たれ、生理機能を調節していると考えられている。中でも細胞膜周辺に存在するPTKやPTPは、外来情報の細胞内への伝達過程に関与していることが明らかとなっている。

 Srcファミリーチロシンキナーゼは非受容体型PTKに属するが、最近、細胞表面のレセプター蛋白質と会合して情報伝達反応に関わっていることが示された。そのSrcファミリーチロシンキナーゼの活性自体は主に、キナーゼドメイン内のチロシン残基とC末端近くのチロシン残基のリン酸化によって調節されている。近年、このC末部位のチロシン残基を特異的にリン酸化し、Srcファミリーのネガティブレギュレーターとして機能するチロシンキナーゼCskが見出された。一方、チロシンフォスファターゼに関しては、CD45がT細胞中でFynおよびLckのC末端のチロシン残基を脱リン酸化し、T細胞抗原受容体を介したシグナル伝達を促進することが報告された。

 このような背景をふまえて、本研究では、Srcファミリーチロシンキナーゼ、Cskチロシンキナーゼ、チロシンフォスファターゼに注目しシグナル伝達機構の解析を行った。まず、T細胞におけるFynを介したc-fos,IL-2遺伝子の活性化を指標にCskがin vivoにおいてもSrcファミリーチロシンキナーゼの活性をネガティブに調節することを明らかにした(第1章)。また、Fynが過剰に発現しているlprマウスのT細胞から新規のチロシンフォスファターゼ遺伝子をクローニングし、細胞・組織での発現、染色体上の局在、遺伝子産物の生化学的解析を行い、Srcファミリーチロシンキナーゼとの物理的会合を示した(第2章)。

第1章チロシンキナーゼFynのCskによる活性調節

 T細胞は、抗原受容体を介して抗原提示細胞上の主要組織適合抗原と外来抗原の複合体を認識し、抗原受容体刺激に伴うT細胞の活性化反応の初期にはLckやFynが深く関わっていることが数多く報告されている。そこで、Fynのキナーゼ活性がどのように制御されて、抗原受容体から核への情報伝達にかかわるのかを明らかにするために、まず、T細胞活性化に伴って誘導されるc-fos遺伝子やIL-2遺伝子の転写活性を指標にしてFynの効果を調べた。c-fos,IL-2遺伝子の発現はそれぞれの遺伝子プロモーターの下流にCAT遺伝子を接続したレポータープラスミドを用いて、ヒトT細胞株JurkatにおけるCATアッセイにより調べた。この結果Fynのキナーゼ活性の亢進はc-fos遺伝子の転写を促進し、また、この転写活性はc-fosプロモーター中のエンハンサー配列のCREやTREよりはむしろSREを介して行われていることが示された。一方、IL-2プロモーターはFynの高発現のみでは活性化されないが、Fynに加えてConAとTPAの刺激を行うことによって活性化された。

 以上よりSREおよびIL-2プロモーターの活性がFynの活性を反映する標的となることがわかったので、次に、T細胞内でCskがFynを介するシグナル伝達を抑制するか否か、上記のCATアッセイの系にCskを加えて検討した。その結果、野生型Fynによるc-fosおよびIL-2プロモーター活性の上昇は、Cskによって抑制されることが示された。しかし、Cskによるリン酸化部位であるC末のチロシン残基をフェニルアラニンに置換したFynの活性はCskで抑制されなかった。これらのことからCskがT細胞抗原受容体からのシグナル伝達系でもFynのC末端のチロシンのリン酸化を介して、抑制的に機能していることが示唆された。今後はSrcファミリーチロシンキナーゼのポジティブレギュレーターとしてのチロシンフォスファターゼの解析が、細胞内シグナル伝達を理解する上で重要であると考えられる。

第2章新規チロシンフォスファターゼ遺伝子のクローニングと機能解析

 lprマウスはFas抗原(CD95)の異常により全身性のリンパ節腫脹をもたらす自己免疫疾患マウスである。このマウスの胸腺及びリンパ節中で異常増殖している、CD4-CD8-T細胞中では、Fynチロシンキナーゼの発現が非常に亢進し、活性化されている。そこで本研究では、lprマウスのT細胞中に過剰発現しているFynと相互作用するPTP、あるいはFynによって発現や活性が亢進しているPTPが発現していると仮定し、lprマウスのリンパ節に含まれるPTP遺伝子を解析することを試みた。

 まず、lprマウスのリンパ節からRNAを調製し、RT-PCR法を用いてPTP遺伝子群のcDNAを増幅した。この中には新規のPTP遺伝子cDNAが含まれていた。そこで、このcDNA断片をプローブとしてcDNAライブラリーをスクリーニングし全コード領域を含むcDNAクローンを得た。塩基配列の解析結果からこの新規PTPは、細胞外領域に8つのファイブロネクチンタイプIII様ドメインを持ち、細胞内に1つのPTPドメインを持つ、1238アミノ酸から成る受容体型PTP(RPTP)であることが推測された。推定構造が、HPTPに類似していたことからこのPTPはByp(HPTPbeta like tyrosine phosphatase)と命名された。Bypは、蛋白質一次構造から、DEP-1(HPTP),HPTP,SAP1,GLEPP1,PTP-U2およびDPTP10Dと同様のtype III RPTPに属すると考えられ、その中でもヒトDEP-1と細胞内領域で95%、細胞外領域で63%のアミノ酸相同性を示した。また、マウスのbyp遺伝子は第2染色体のE1-2に、ラットでは第3染色体のq32-33にマップされた。この領域はマウス、ラットおよびヒトの間で保存された領域であり、ヒトでは第11染色体のp11-13に相当するが、最近HPTP遺伝子がヒト第11染色体のp11.2にマップされることが報告された。アミノ酸の相同性や染色体マッピングの結果より、BypはDEP-1(HPTP)のマウスホモローグと考えられた。

 マウスの各組織、及び細胞株での、byp遺伝子の発現レベルを調べたところ、調べたすべての組織において約7.7kbのmRNAの発現が見られたが、特に脳、腎臓、脾臓で発現が高かった。マウス培養細胞株では骨髄球細胞株で発現が高かった。また、計算上のBypの分子量は134,000であるが、ウエスタンブロッティングや免疫沈降では200〜250kDaにバンドが認められた。tunicamycin処理により分子量が約130kDaに減少したことからByp蛋白質は高度にN型糖鎖結合修飾を受けており、その修飾は組織や細胞株により違いがあると思われた。

 byp遺伝子は最初、Fynが高発現しているlprマウスのリンパ節で見出されたので、その産物はFynによってリン酸化されるのではないかと考えられた。そこで、COS7細胞にbypとfynの発現ベクターを同時に導入し、pervanadate(1 mM H2O2/1 mM Na3VO4)処理後に免疫沈降したBypのチロシンリン酸化を検討したところ、Fynとの共発現によって明らかにBypのチロシンリン酸化レベルが上昇していた。すべてのPTPには共通のアミノ酸配列モチーフ(I/V)HCXAGXGR(S/T)GがPTPドメインのC末側に存在する。その中のシステイン残基(Cys)が活性中心と考えられているが、BypのこのCysをSerに置換した変異体(BypCS)ではPTP活性が失われた。また、COS7にFyn、Src、LynまたはYesをBypまたはBypCSと共に発現させ、抗Byp抗体による免疫共沈を行った。その結果、Bypのチロシンリン酸化は、調べたSrcファミリーチロシンキナーゼ全てによって亢進することが示され、また同時に導入したSrcファミリーはチロシンリン酸化蛋白質としてBypCSと共沈することが示された。リン酸化されたBypのチロシン残基にSrcファミリーのSH2ドメインが会合しているのか、Bypの基質としてSrcファミリーが会合しているのかは不明であるが、Srcファミリーの活性化がBypのリン酸化や両者の物理的会合を促し、Srcファミリーを介するシグナル伝達の一端を担っているものと考えられる。今後は、Bypのリン酸化がPTP活性の変化を生じるかどうか、Bypが脱リン酸化する基質は何か、そしてBypの細胞外領域に結合するリガンドは何かを調べていく必要がある。

審査要旨

 細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化は、細胞の活性化、増殖や分化、あるいは癌化に重要な役割を果たしているが、これは主としてチロシンキナーゼ(Protein Tyrosine Kinase;PTK)とチロシンフォスファターゼ(Protein Tyrosine Phosphatase;PTP)の可逆的な反応により保たれ、生理機能を調節していると考えられている。本研究は、Srcファミリーチロシンキナーゼ、Cskチロシンキナーゼ、チロシンフォスファターゼに注目しシグナル伝達機構の解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.T細胞の活性化反応の初期にFynのキナーゼ活性がどのように制御されて、抗原受容体から核への情報伝達にかかわるのかを明らかにするために、T細胞活性化に伴って誘導されるc-fos遺伝子やIL-2遺伝子の転写活性を指標にしてFynの効果を、ヒトT細胞株JurkatにおけるCATアッセイにより調べた。この結果Fynのキナーゼ活性の亢進はc-fos遺伝子の転写を促進し、また、この転写活性はc-fosプロモーター中のエンハンサー配列のCREやTREよりはむしろSREを介して行われていることが示された。一方、IL-2プロモーターはFynの高発現のみでは活性化されないが、Fynに加えてConAとTPAの刺激を行うことによって活性化されることを示した。

 2.T細胞内でのCskの効果を確かめるために、1のCATアッセイの系にCskを加えて検討した。その結果、野生型Fynによるc-fosおよびIL-2プロモーター活性の上昇は、Cskによって抑制されることが示された。しかし、Cskによるリン酸化部位であるC末のチロシン残基をフェニルアラニンに置換したFynの活性はCskで抑制されなかった。これらのことからCskがT細胞抗原受容体からのシグナル伝達系でもFynのC末端のチロシンのリン酸化を介して、抑制的に機能していることが示唆された。

 3.lprマウスのリンパ節から新規PTP遺伝子cDNAを単離し、全長の塩基配列を決定した。その結果このcDNAは、細胞外領域に8つのファイブロネクチンタイプIII様ドメインを持ち、細胞内に1つのPTPドメインを持つ、1238アミノ酸から成る受容体型PTP(RPTP)をコードすることがわかった。この構造が、HPTPに類似していたことからこのPTPをByp(HPTPbeta like tyrosine phosphatase)と命名した。

 4.FISH法による染色体マッピングの結果から、マウスのbyp遺伝子は第2染色体のE1-2に、ラットでは第3染色体のq32-33にマップされた。この領域はマウス、ラットおよびヒトの間で保存された領域であり、ヒトでは第11染色体のp11-13に相当する。アミノ酸の相同性や染色体マッピングの結果より、BypはDEP-1(HPTP)のマウスホモローグと考えられた。

 5.マウスの各組織、及び細胞株での、byp遺伝子の発現レベルを調べたところ、調べたすべての組織において約7.7kbのmRNAの発現が見られたが、特に脳、腎臓、脾臓で発現が高かった。マウス培養細胞株では骨髄球細胞株で発現が高かった。また、計算上のBypの分子量は134,000であるが、ウエスタンブロッティングや免疫沈降では200〜250kDaにバンドが認められた。tunicamycin処理により分子量が約130kDaに減少したことからByp蛋白質は高度にN型糖鎖結合修飾を受けており、その修飾は組織や細胞株により違いがあると思われた。

 6.pNPPを基質としてin vitro PTPアッセイを行った結果、Byp蛋白質はPTP活性を保持していたが、PTPの活性中心と考えられているシステイン残基をセリン残基に置換した変異体(BypCS)ではPTP活性が失われた。

 7.COS7細胞にFyn、Src、LynまたはYesをBypまたはBypCSを共発現させ、抗Byp抗体による免疫共沈を行った結果、Bypのチロシンリン酸化は、調べたSrcファミリーチロシンキナーゼ全てによって亢進することが示され、また同時に導入したSrcファミリーはチロシンリン酸化蛋白質としてBypCSと免疫共沈することが示された。

 以上、本論文は、T細胞においてCskがin vivoにおいてもSrcファミリーチロシンキナーゼの活性をネガティブに調節することをc-fos,IL-2遺伝子の活性化を指標に明らかにし、また、Fynが過剰に発現しているlprマウスのリンパ節から新規のチロシンフォスファターゼ遺伝子をクローニングし、細胞・組織での発現、染色体上の局在、遺伝子産物の生化学的解析を行い、Srcファミリーチロシンキナーゼとの物理的会合を示した。本研究は、Srcファミリーチロシンキナーゼを介するシグナル伝達機構を解明する上で、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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