1緒言 動脈硬化病変、再狭窄病変をはじめとする血管病変は、中膜の主な細胞成分である血管平滑筋細胞の遊走・増殖、およびその結果として形成される新生内膜によって特徴づけられる。こうした変化は、血小板、マクロファージ、内皮細胞、平滑筋細胞自身などから分泌される多くの増殖因子やサイトカインにより、パラクライン的、オートクライン的に制御される。血管平滑筋細胞は、増殖状態、発生時期、病態などに応じて、発現する蛋白が異なり、それにより、合成型と収縮型の2種類の表現型(phenotype)が区別される。バルーンカテーテルによる血管損傷により、傷害部位の中膜の血管内腔側に内膜が形成されるが、この新生内膜の平滑筋細胞は、低分化型の合成型が主体をなす。つまり、バルーン傷害により、平滑筋細胞は、個体発生時にみられた変化を概ね逆行するといえる。したがって、こうした血管平滑筋細胞の形質変換や増殖の機構を明らかにすることは動脈硬化の進展や冠動脈再狭窄の予防方法を開発する上で必須である。 最近、骨格筋細胞の分化や筋細胞特異的な遺伝子発現を抑制するヘリックスループヘリックス型転写調節因子として同定されたIdが、骨格筋細胞のみならず、心筋細胞、神経細胞、リンパ球においても増殖、分化に伴って調節的に発現することが知られている。さらに、Id遺伝子は、細胞型によらず、増殖期には高いレベルで発現するが、休止期には急激に発現が低下することから、細胞の増殖段階に密接に関連していることが示されている。この現象は、細胞周期を負に調節し、細胞の増殖を抑制するのに必須な網膜芽細胞腫の遺伝子産物pRBの機能を阻害することによると考えられており、Idの増加が、直接的に細胞周期を正の方向に進行する役割を持つことが推定されている。したがって、Id遺伝子の発現調節機序を明らかにする目的の研究を行った。 2血管損傷によるId遺伝子の発現誘導 バルーンカテーテルにて、ウサギ総頚動脈の内膜を損傷した、血管再狭窄モデルを作成し、肥厚内膜における平滑筋細胞に特異的な遺伝子(平滑筋ミオシン重鎖)の発現及びIdの発現を検討した。バルーンによる内膜損傷後2週間後には、明らかに新生内膜の形成が見られ、血管壁より抽出したRNAを用いたRNaseプロテクションアッセイ(RPA)にて、平滑筋ミオシン重鎖遺伝子の発現の減少及びその組織特異的な転写因子の機能を抑制することが知られているIdの明らかな発現増加を認めた。 3ヒトId2遺伝子プロモーターの血清、Cキナーゼ、c-Junによる活性化 マウスId1cDNAをプローブとして、ヒト遺伝子ライブラリーをスクリーニングすることにより得られたヒトId2遺伝子クローンからプロモーター領域(-1214〜+40)を含むDNA断片を切断、単離し、リポーター遺伝子(ルシフェラーゼ遺伝子)の上流に連結することにより、キメラ遺伝子(Id-1214-luc)を構築した。ラット大動脈血管平滑筋細胞にトランスフェクトした後、血清濃度が0,0.5,5,10%となるように培養中に血清を添加した。その結果、Id-1214-lucのプロモーター活性は、血清濃度依存的に増加した。また、c-Junの発現ベクターのコトランスフェクションにより、Id-1214のプロモーター活性は有意に増加した。また、種々の5’隣接領域の欠失ミュータントを作成し、同様に一過性のトランスフェクション法にて、血清添加に反応性を示すDNA領域を決定した。その結果、-1214から-103までの欠失にては、血清に対する反応性はId-1214のそれとほぼ同程度に保たれていたが、-89まで欠失させると反応性がほとんど失われた。このことは、-103〜-89の間に血清に対する反応に重要なエレメントが存在することを示唆している。そして、この部位の塩基配列はATFファミリーの転写因子結合配列と非常に類似していたため、IdATF部位と命名した。実際に、IdATF部位に変異を加えることにより、Id2 プロモーターの血清に対する反応性は明らかに低下した。 さらに、血清中に含まれる種々の増殖因子はC-キナーゼ(PKC)を活性化することが知られていることから、活性型C-キナーゼの発現ベクターをId2プロモーターコンストラクト(Id-150-luc)とコトランスフェクションし、PKCがId2プロモーターに与える効果について検討した。その結果、Id-150-lucはPKCにより、活性が有意に増加した(〜6倍)のに対して、IdATF部位に変異をもつ変異では、PKCの影響がみられなかった。これらの結果は、IdATF部位が血清刺激及び活性化PKCの反応エレメントとして機能することを示している。 4IL-1 によるId2プロモーターの活性化 平滑筋細胞の遊走・増殖を促進する因子として重要なインターロイキン1 (IL-1 )がId遺伝子の発現に及ぼす効果について検討した。ヒト大動脈由来の平滑筋細胞にId-150をトランスフェクトした後、培養液中にIL-1 (10ng/ml)を添加し、20hr後にルシフェラーゼアッセイをおこなった。その結果、IL-1 はId2プロモーター活性を2倍増加させた。また、IL-1によって活性化されることが報告されているキナーゼ(JNK;Jun N-terminus kinase)をコトランスフェクトすることにより、更にId2プロモーター活性は増加した。 5NF-IL6によるヒトId2遺伝子プロモーターの活性化 次に、IL-1 よって発現が誘導されることが明らかにされている転写因子NF-IL6の強制発現がId2のプロモーターに及ぼす効果を検討した。NF-IL6の発現ベクターとのコトランスフェクションによって、Id2プロモーター活性は40〜50倍にも増加した。一方、NF-IL6の転写活性に関与する領域を欠失した変異NF-IL6(NF-IL6 spl)は、Id2プロモーター活性にほとんど影響を及ぼさなかった。また、NF-IL6はコントロールベクター(SV40プロモーターをもつルシフェラーゼ遺伝子)に対しては、1.6倍の増加を与えたのみであった。これらの結果は、NF-IL6は、塩基配列特異的に、Id2遺伝子の発現を誘導することを示している。また、NF-IL6はc-junや、zif268(egr-1)などの早期反応遺伝子のプロモーター、あるいは、SRE(serum response element)や,CRE(cAMP response element)などのシス配列による転写活性も明らかに増強させた。したがって、NF-IL6は、免疫反応、炎症反応における遺伝子発現に重要な転写因子であるばかりでなく、細胞増殖に関連する遺伝子の発現調節にも関与していることが考えられる。更に、NF-IL6がId2遺伝子プロモーターを活性化する機序を明らかにするために、Id2遺伝子の5’隣接領域を欠失させたプロモーターあるいは部位特異的な変異を加えたId2プロモーターをもつレポーター遺伝子を構築し、NF-IL6の発現ベクターとともにコトランスフェクトした。その結果、NF-IL6の過剰発現による活性化は、Id-40,Id-150( -103〜-89)においても認められた。したがって、NF-IL6による活性化には、40〜+30の領域が必須であることが明らかとなった。 6NF-IL6による内因性のId2遺伝子の活性化 NF-IL6が内因性のId2遺伝子を活性化させるか否かの検討のため、NF-IL6の発現ベクターを一過性にトランスフェクトしたCOS-7細胞からRNAを抽出し、ノーザンブロットを行った。その結果、対照のCOS-7細胞では、Id2mRNAは検出されなかったのに対して、NF-IL6を過剰発現したCOS-7では、明らかなId2mRNAの発現がみられた。一方、c-jun mRNAのレベルは対照とほとんど変わらなかった。このことは、ゲノム中のId2遺伝子がNF-IL6によって調節をうけている遺伝子であることを示し,NF-ILがId2遺伝子の発現を調節する生理的な転写因子である可能性を示している。 7総括 動脈硬化病変の主要な特徴である平滑筋細胞の増殖の機序を分子レベルで明かにするため、細胞増殖を促進する機能が示唆されているIdの遺伝子発現調節機構を解析した。その結果、増殖因子によって発現や転写活性化能が調節される転写因子c-Jun/AP-1及びATFが、ヒトId2遺伝子のプロモーター中の、それぞれ-634,-103bpの部位に結合し、Id2遺伝子のプロモーター活性を増加させること、サイトカイン誘導性の転写因子NF-IL6が-40〜+30の領域に結合して転写を活性化することが明かになった。こうした、増殖因子やサイトカインによって誘導される少なくとも3つの転写因子は、血管平滑筋細胞の増殖、及び形質の変化に重要な役割をもつ可能性が考えられた。 |