学位論文要旨



No 112043
著者(漢字) 加藤,昌義
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサヨシ
標題(和) 肥大型心筋症の遺伝子解析と点変異スクリーニング法の開発
標題(洋)
報告番号 112043
報告番号 甲12043
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1099号
研究科 医学系研究科
専攻 第一臨床医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 助教授 小塚,裕
 東京大学 講師 山沖,和秀
内容要旨 背景

 肥大型心筋症(HCM)は、心筋肥大をきたす原因不明の疾患である。肥大は非対称性で心室中隔や心尖部に起こりやすく、心室腔の容量は正常か減少している。通常、収縮能はほぼ正常であるが、左室拡張コンプライアンスの低下がみられる。その臨床症状は、無症状から重症心不全、突然死と多岐にわたる。近年心エコーの発達により診断が容易になり、約半数の症例で家族内発症が確認されており、常染色体優性遺伝疾患と考えられている。HCMは上記のように一見正常人に突然死をきたすためその早期診断と予防は社会的にも重要である。また、高血圧症を合併するとHCMは除外されてきたが、遺伝子診断が進歩すれば高血圧による肥大とHCMによる肥大の鑑別が一部可能になると考えられる。

 Seidmanらは原因遺伝子を検索するためHCM患者が多発する家系で連鎖解析を行い、第14染色体長腕に存在するマーカーD14S26との連鎖を報告し、その後、同グループは第14染色体長腕上の心筋ミオシン重鎖(cMHC)遺伝子エクソン13コドン403の点変異によるArgからGlnへのミスセンス変異を報告した。他の遺伝子解析から、心筋トロポニンT遺伝子、-トロポミオシン遺伝子にもそれぞれ点変異が報告されている。cMHC、心筋トロポニンT、-トロポミオシンは、全て心筋に発現しているsarcomeric proteinであり、HCMの少なくとも一部は収縮要素変異によるsarcomere病であると考えられている。

 本研究では75名のHCM患者のcMHC変異のスクリーニングを2種類の方法で行うとともに、変異による収縮機能への影響を解析した。

1. cMHC変異のスクリーニング方法

 標準12誘導心電図検査、超音波心エコー検査、心臓カテーテル検査でHCMと診断された東大病院及びその関連施設の75名の患者を対象とした。患者の同意を得た後に末梢血を採血し、ゲノムDNAを抽出した。75名中、2名は家族性HCM、73名は明らかな家族歴が確認されず孤発性HCMと判断した。

 これまで報告されているcMHC遺伝子変異は2.4kbの欠失がみられた1家系以外は全て点変異であるため、点変異を高感度に検出する方法を用いることが必須と考えた。そこで、従来点変異の検出に用いられてきたsingle-strand conformation polymorphism(SSCP)法とともに、ダイレクトシークエンス法の一種であるOrphan Peak Analysis(OPA)法で、75名のHCM患者のcMHC変異のスクリーニングを行った。変異がこれまで多く報告されているミオシン頭部、頭部ロッド結合部位のエクソン13、16、20、21、22、23をSSCP法で検索した。同時にOPA法でエクソン20を検索した。

 SSCP法は塩基の変異によりDNAの立体構造が微妙に変化し、塩基の長さが同じであっても電気泳動による移動度が変わることを利用して塩基置換を検出する方法である。目的とする領域をpolymerase chain reaction(PCR)法で増幅し、ポリアクリルアミドゲルで電気泳動し、バンドのパターンの差から変異を検出する。

 OPA法は遺伝子の目的の領域をPCR法で増幅した後に、シークエンス反応を行い、蛍光自動シークエンサーに各塩基ごとにアプライして蛍光シグナルのパターンから変異を検出する方法である。

結果

 SSCP法により1名の患者のエクソン20に異常バンドを認めた。また、OPA法により同一の患者のエクソン20コドン731にCCT(Pro)からCTT(Leu)へのへテロのミスセンス変異を認めた。患者は女性で、19歳時に運動中に心停止を起こしたが、心肺蘇生に成功し救命されている。患者の父親のcMHC遺伝子は正常であり、また、HCMは認められなかった。母親は心不全で42歳で死亡しており、剖検時に拡張型心筋症と診断されていた。母方の祖母は28歳で突然死により死亡している。

2. ミオシン変異の収縮機能への影響方法

 これまでcMHCの変異による蛋白レベルの変化としてミオシンフィラメントの形態異常、アクチン活性化ミオシンATPase(adenosine triphosphatase)活性の低下、ミオシン溶解性の低下、in vitro motility assayにおける移動速度の低下が報告されている。これらからミオシン変異により収縮機能に変化が生じると予測した。

 今回のスクリーニングにより発見されたミオシン変異(731Pro→Leu)はアクチン結合部位の比較的近傍にあるため、peptide competition法でアクチン・ミオシン相互作用への効果を解析した。

 peptide competition法はタンパクの機能部位のアミノ酸配列を持った短いペプチドによりタンパクの相互作用が拮抗されることを利用して、タンパクの機能を解析する方法である。今回cMHCのアミノ酸配列の一部からなる正常ペプチドと変異ペプチドを合成し、張力とATPase活性への効果を解析した。

 ブタ心筋乳頭筋をグリセリン処理し、細胞膜を透過性にして外部からペプチドが近接可能にしたスキンドファイバーを作成した。スキンドファイバーを張力測定装置に固定し、等尺性張力をペプチドを含まない溶液中(コントロール)、およびペプチド(50Mのペプチド20-Nまたは20-M)を含む溶液中で測定した。ペプチド20-NはcMHCの正常配列の一部(コドン726から735、NPAAIPEGQF)であり、ペプチド20-Mは今回発見した変異の影響を解析するために20-Nのコドン731ProをLeuに置換したペプチドである。3段階のCa2+濃度(pCa8.0、5.8、4.3)で測定を行った。ペプチド16-N、16-Mについても同様に張力への効果を測定した。16-NはcMHCの正常配列の一部(コドン602〜611、NETVVGLYQK)であり、16-Mは16-Nのコドン606のValをMetに置換したペプチドである。この変異のHCM患者の予後は良いと報告されており、今回発見した変異(731Pro→Leu)による効果と比較した。

 また、ブタ左室心筋よりミオフィブリルを抽出し、ミオフィブリルATPase活性を各Ca2+濃度(pCa8.0、7.0、6.2、5.8、5.4、4.8、4.3)で、ペプチド非存在下(コントロール)、および5Mのペプチド存在下(20-N、20-M)で測定した。16-Nと16-MのミオフィブリルATPase活性への効果についても同様に測定した。

結果グリセリン筋張力

 pCa8.0ではペプチド20-N、20-Mともに張力へ効果はなかった。

 pCa5.8では20-Nが張力をコントロールに対して43%増加させた。20-Mは張力を変化させなかった。

 pCa4.3では20-Mが張力をコントロールに対して35%低下させた。20-Nは張力を変化させなかった。

ミオフィブリルATPase活性

 pCa8.0、7.0ではペプチド20-Nと20-MはともにミオフィブリルATPase活性を変化させなかった。

 pCa6.2、5.8では20-Nはコントロールに対して、それぞれ24%、15%ATPase活性を増加させたが、20-Mは変化させなかった。

 pCa4.8、4.3では20-Mはコントロールに対して、それぞれ9%、11%ATPase活性を減少させたが、20-Nは変化させなかった。

 ペプチド16-N、16-Mはともに全てのCa2+濃度でミオフィブリルATPase活性を変化させなかった。

考察

 (1)1名の女性患者のエクソン20、コドン731にPro(CCT)からPro(CTT)へのミスセンス変異を同定した。コドン731のミスセンス変異はこれまで報告がない。患者の母親は心筋症ですでに死亡しているが、父親のcMHC遺伝子は正常であることから、この変異は母親由来と考えられた。祖母も28歳で突然死により死亡しており、母方の祖母由来の家族性HCMと推定された。

 (2)今回ミスセンス変異を検出したエクソン20はアクチンとの結合部位の近傍にあるためpcptide competition法によりこのcMHC変異が、アクチン・ミオシン相互作用へ影響するかを検討した。その結果、最大収縮を示すCa2+濃度であるpCa4.3で変異ペプチド20-Mが張力とATPase活性を低下させた。これは20-Mが20-Nより強力にミオシンに拮抗して、アクチンと相互作用するために、ミオシンとアクチンの相互作用による張力発生とアクチンにより活性化されるミオシンATPase活性が低下したと考えた。本症例の患者心筋には変異型cMHCが正常cMHCとともに発現し、変異ミオシンは正常ミオシンより強くアクチンと相互作用し、より多くのATPを消費していると推定される。20-NによりpCa5.8でグリセリン筋張力が増加し、pCa6.2、5.8でATPase活性が増加したのは、おそらくペプチドによるミオシンのCa2+感受性亢進と考えられる。同様の現象が骨格筋ミオシンにおいても報告されている。16-N、16-Mはともに張力、ATPase活性への効果が認められず、この部位はアクチン・ミオシン相互作用に重要でないと考えた。

 (3)ミオシンのアミノ酸の電荷の変化を伴わない変異は予後が良好であると報告されているが、本家系では予後不良である。予後を決定するのは電荷の変化よりむしろ変異によるミオシンの構造、機能への影響であると示唆された。

 (4)75名のHCM患者(2名家族性、73名孤発性)のcMHC遺伝子のスクリーニングの結果、家族性患者2名中1名(50%)に変異が確認され、73名の孤発性患者に変異は発見されなかった。孤発性HCMでは、cMHC遺伝子変異の頻度は低い。

 (5)SSCP法は変異部位と泳動条件に大きく影響され、全ての変異を検出できるとは限らない。一方、ダイレクトシークエンス法であるOPA法はやや技術的に複雑であるが、本研究で示したとおりに実験操作を行なうことにより多数のサンプルの遺伝子変異スクリーニングを高感度に行うことが可能であり、今後の応用が期待される。

審査要旨

 本研究は肥大型心筋症(HCM)患者の心筋ミオシン重鎖(cMHC)遺伝子変異スクリーニングを行なうとともに、同定したミオシン重鎖変異の収縮機能への影響を解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.75名のHCM患者のよりゲノムDNAを抽出し、cMHC遺伝子変異スクリーニングを、従来用いられてきたsingle-strand conformation polymor-phism(SSCP)法と今回初めてcMHC遺伝子変異スクリーニングに応用されたOrphan Peak Analysis(OPA)法で行い、両方の方法で1名の女性患者にミスセンス変異(731Pro→Leu)を同定した。家族歴および遺伝子解析から、母方の祖母由来の家族性HCMと推定された。cMHCコドン731の変異はこれまで報告がない新しいミスセンス変異である。

 2.cMHCコドン731はアクチン結合部位の比較的近傍にあり、変異によるアクチン・ミオシン相互作用への影響をpeptide competition法で解析した。その結果、変異ミオシンは正常ミオシンと比較し、より強力にアクチンと相互作用することが示唆された。

 3.ミオシンのアミノ酸の電荷の変化を伴わない変異は予後が良好であると報告されているが、本家系では予後不良であり、予後を決定するのは電荷の変化よりむしろ変異によるミオシンの構造、機能への影響であると示唆された。

 4.75名のHCM患者(2名家族性、73名孤発性)のcMHC遺伝子のスクリーニングの結果、家族性患者2名中1名(50%)に変異が同定され、73名の孤発性患者に変異は発見されなかった。孤発性HCMでは、cMHC遺伝子変異の頻度が低いことが示された。

 5.OPA法は技術的に複雑であるが、本研究で示したとおりに実験操作を行なうことにより多数のサンプルの遺伝子変異スクリーニングを高感度に行うことが可能であることを示した。

 以上、本論文は、OPA法を遺伝子点変異スクリーニング法として実用化し、HCM患者に新たなcMHC変異を同定するとともに、peptide competition法を用いて今回発見した変異の収縮機能への影響を明らかにしたものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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