内容 1950年代にJostは性腺分化以前の兎の胎仔から外科的に性腺を除去する実験を行い、兎がすべて雌型の性器になることを発見した。この結果より哺乳類において性分化の原則は雌であり、睾丸の存在が雄の性器の発生に必要であると理解されるようになった。1950年代後半には、性染色体が発見され、性染色体の数的異常による性器の表現型が同定可能となった。ターナー症候群などY染色体を持たない染色体異常の患者では男性にならず、Yを持つ場合は男性になることが示され、Y染色体上に睾丸決定遺伝子(testis determining factor:TDF)の存在が想定された。 分子遺伝学の発展とともに、性染色体の構造は染色体レベルから遺伝子レベルへと変遷していき、Y染色体上の短腕末端部に存在する偽常染色体領域(pseudoautosomal region: PAR)近傍に幾つかTDFの候補が挙がった。PARは1986年に存在が示され、常染色体と同様、男性の減数分裂の際にX染色体と対合し、染色体の部分的組み替えを起こす。TDFはPARのすぐ動原体側に存在しているため、稀であるが、男性の減数分裂の際、本来、PARの内部で生ずるべき組み替えがここまでおよぶことがあり、性分化異常の発症原因として説明された。TDFを欠いたY精子が受精すると、核型が46,XYであるにもかかわらず女性型生殖器を持つXY女性が生じ、TDFをもったX精子では46,XXであるのに男性型性器を持つXX男性が生ずるとされるものである。HY抗原、ZFYなどがTDFの候補として挙がったが、いずれもそれが否定され、1990年Sinclair et al.はその遺伝子(SRY:sex determining region Y)のクローニングに成功した。1991年、Koopman et al.は遺伝的雌マウスにSRYを導入し、雄マウスを誘導が可能であることを証明し、その存在が決定した。一方で性分化異常症ではTDFが転座したものばかりではなく、SRY遺伝子内に点突然変異、欠失をもつ性分化異常の患者が報告され始めた。現在、SRY遺伝子は原始生殖腺を男性器に分化させる発端となる遺伝子であることが確実視され、約2kbの長さを持ち、その転写領域は、イントロンをもたない612塩基対(204アミノ酸)より成り、この配列のなかにhigh mobility group(HMG)とよばれるDNA結合蛋白にみられる構造の一つを持つと考えられている。 本研究では性分化に関与することが最初に解明された、Y染色体の性決定遺伝子SRYにつき、まだほとんど報告のない本邦でのXY女性患者につき、分子遺伝学的方法によりその遺伝子解析をおこない、その機能につき検討を加えた。 対象と方法 東京大学医学部産婦人科学教室、同人類遺伝学教室にて経験した性分化異常症例の患者のうち、特にXY女性17例をその解析の対象とした。これらはすべて診察所見にて内外性器が女性型であり、核型が検索結果が46,XYあるいはY染色体の部分をあきらかに持っており、Y染色体を含むモザイクのものも含めた。 これらの患者リンパ球よりphenol処理、ethanol沈殿法にてDNAを抽出し、SRYの有無を調べるためにSRY上のプライマー対によるPCRを実施した。SRYの増幅が確認できなかった症例の検体に関しては、Y染色体全位置にわたる特異的塩基配列からデザインした9組のプライマー対によるPCRにより、Y染色体の詳細な構造を解析した。 次にSRY遺伝子内の点突然変異の検出を目的とし、PCR-SSCP (PCR-single strand comformation polymorphism)によるスクリーニングをおこなった。本法の検出限界は一般的に約300bp程度であり、今回PCRにて増幅する範囲もこの程度を原則とした。プライマーを約200bp毎にSRY転写領域全体をカバーするように3組設定し、調節領域にも2組設定した。 この後、さらに全例につき、SRY全長を直接塩基配列決定法にて解読した。この方法として、5’端をビオチン標識したプライマーによる方法を用いた。得られたPCR産物を磁気ビーズの磁力により+鎖のみを選別し、この一本鎖DNAに対してdideoxy法による塩基配列決定を行った。次にSRYに変異の見られた患者につき、家族内での変異の検索を実施した。変異の場所を同定後、変異部位の塩基配列を認識する制限酵素による切断の有無により、診断する方法(制限酵素法)を用いた。前記方法により抽出したDNAを変異部位を含んだプライマー組を用いて増幅した後、フェノール処理、エタノール沈殿にてDNAの洗浄を行い、このDNAを制限酵素の至適温度、塩濃度により消化した。 最後に以上の実験で得られた結果より、SRY遺伝子の変異の状態と、患者の臨床症状で特長的だった患者の身長とを対照検討した。 結果 17症例の解析を実施し、15例にPCRによりSRYの存在が認められた。残り2例ではSRYが全領域で増幅されず、欠失が疑われた。この2例については、PCRによるY染色体の詳細な構造解析を実施し、いずれもY染色体短腕がSRY周辺を含め、欠失が確認された。 SRYの存在する15症例について、PCR-SSCPにより前記5組のプライマーによりSRY全長をすべて検索し、1例に泳動度の差を認めた。この症例の検体DNAの直接塩基配列決定法の結果、転写開始コドンより320番目の塩基GがAに、即ち107番目のコドンTGG(Trp)が終止コドンTAGに変異していた。本患者につき、患者の父、ならびに妹のDNAを検索した。変異部位を認識する制限酵素BalIにより、PCRにて増幅したDNAを消化(189+81bp)したが、変異体では同部位が変異のため切断を受けず270bpのままであった。妹ではSRYが検出されず、父では正常男性と同じく切断された。 本研究の患者群の身長を検討し、SRY欠失のあった患者とSRY変異のみられた患者は女性として高身長(2例で+2.0SD以上)であるのに対し、塩基配列が正常のSRYが存在した患者群ではいずれの年令においても平均身長を大きく下回っている(-1.4から-4.4SD)ことを確認した。 考察 XY女性のSRY遺伝子の変異解析はSRYのクローニングとともにみられていたが、変異例の報告が相次ぎ、SRY正常例、変異例の頻度の議論はこれまで殆どなされていない。Hawkins et al.の報告例を合計すると5例のXY女性中、2例にSRYの欠失を、1例にフレームシフト変異が存在し、SRYに異常を認めなかったのは2例である。Affara et al.は初めてXY女性のSRY解析を患者群を対象として実施し、22例の患者のうち5例に遺伝子内変異を検出し、変異例の報告をすると同時に17例ではSSCPによる泳動ではSRY変異を同定できず、正常である可能性を示唆している。本研究では17例のXY女性を分子遺伝学的手法により解析し、2例のSRY欠失例を、1例のSRY変異例を検出した。これまでSRY欠失例の多くは男性の生殖細胞形成時における組み替えの異常が原因とされ、その症例の報告はいくつかみられていた。本研究ならびにAffara et al.の結果により、微細なY染色体の欠失による発症例の実数が少ないことが解明された。本研究では全患者につき塩基配列を決定し、14例の患者にSRY遺伝子内に実際に異常がないことを確認した。SRYが正常なXY女性の報告はこれまでいくつか見られ、その頻度は変異の存在する患者ほど多くはないとされていたが、本研究によりSRY遺伝子の変異が原因となるXY女性は、少なくとも本邦においては、必ずしも多くないということが明らかにされた。 また、本研究でのSRY変異例を含め、これまで報告された変異はSRYの広範囲に散在し、同じ部位の変異は全く存在することはない。SRY遺伝子内に変異の好発点(hot spot)は存在しないと考えられる。この事実はSRY蛋白の機能を考えるうえで重要とおもわれる。 今回解析したXY女性をSRY遺伝子が全く正常であったものと、変異あるいは欠失を持ったものの2群間で、身長に関する表現型の差異が特長的と考えられた。SRY遺伝子正常の患者群で低身長が大半であったのに対し、SRYが存在しない患者群では、正常男性と同程度の身長を示していた。Ogata et al.は性染色体の構造異常の患者例の検討から、PARの数とY染色体長腕上のある身長決定領域の存在の重要性を示したが、本研究の症例では、Y染色体上のPARが存在しないにもかかわらず高身長であった例や、SRY正常のXY女性患者群では低身長であったことなど、この説と矛盾していた。SRYにより調節をうける遺伝子の機能が身長抑制に関与しているものと考えられるが、その詳細な機能に関しては今後の解析の課題である。 XY女性の父や、姉妹との間に同一のSRYの変異を認める家族例の存在することも興味深い。Jager et al.は、SRY変異を持つXY女性患者の父のSRY遺伝子内に同一の変異を見いだし、2人の子供がこのSRYを受け継いだにもかかわらず、XY女性と正常男性の表現型をそれぞれ持つ兄弟例を報告している。この原因として、マウスにおけるSry転写活性を観察した結果から、SRY転写時に調節を行うと想定されるY以外の染色体上の遺伝子との相互関係、温度環境による転写活性の変化を示す蛋白質の関与などを挙げている。本研究では変異をもつ患者家系も同時に検索したが、本症例では患者のみに変異が存在しているだけで、de novoの変異と考えられた。 最近、SRYの構造あるいは蛋白そのものに注目した報告として、転写産物が単一ではなく、これまで考えられていたものの他、より上流に調節領域をもつものも存在し、そのうち一方は成人でも発現しているとした報告や、塩基配列の類似性に着目し、核磁気共鳴を導入してSRYの高次構造を解析することでその結合する遺伝子の候補を指摘したものがある。その候補としてAMH(anti-Mullerian Hormone)、Aromataseなどの遺伝子がその候補として挙げられているが、いずれも確定的なデータは得られていない。 SRYにより調節を受けるとされる遺伝子の存在が推定される一方、原始生殖腺ができる以前の生殖堤に作用すると考えられる遺伝子、すなわちSRYが機能する以前の段階で性分化に関わる遺伝子が存在する可能性も示唆されている。それらには性分化と直接関係しないと考えられていた遺伝子である、DAX-1、SOX遺伝子群などがある。しかし、これらの遺伝子異常では重篤な合併奇形を持ち、本研究の対象のように、無月経や低身長といった症状しかもたないXY女性ではこれらの遺伝子に異常が見られるとは考えられない。 変異マウスの研究などから予想外の遺伝子が性分化に関与していることがわかってきたが、今後、こうした解析方法の発達にともない、性分化に関する遺伝子(群)ならびにこれらと相互に関与し合う遺伝子の機能の解析が急速に進むものと期待される。 |