はじめに 原発性小腸癌(以下、小腸癌)は、小腸の粘膜上皮に発生する癌腫である。小腸癌は極めて稀な疾患であり、その発生頻度は消化器癌の0.1〜0.3%とされている。発症年令は広範にわたるが、平均すると50才後半から60才前半であり、大腸癌に比べて5年から10年近く若いとされている。また、小腸癌患者は他臓器悪性腫瘍を合併しやすいことが知られている。小腸癌の治療は、リンパ節郭清を含めた腫瘍の外科的切除が唯一の根治手段であるが、予後は不良で術後の5年生存率は現在でも約30%と言われている。一方、形態学的には輪状狭窄型の高分化型腺癌が多く、この点では大腸癌と類似している。 小腸癌はこのような臨床病理学的特徴を持つが、その発癌過程に関与する遺伝子変異に関しては、ほとんと報告が見られない。一方、小腸と隣接する大腸に関しては腫瘍疾患の症例数が多く、家族性腺腫性ポリポーシス(familial adenomatous polyposis:EAP)の如く遺伝性に腺腫および癌を生ずる疾患が存在すること、各種異型度を示す腺腫から癌に至るまで臨床病理学的に検討が十分なされていることなどにより、大腸癌は遺伝子レベルでの解析が最も進んでいる癌の1つである。大腸癌においては、癌遺伝子や癌抑制遺伝子に生ずる遺伝子変異が蓄積することにより多段階に発癌することが明らかになってきた。本研究では、小腸癌の発生に関与する遺伝子変異を大腸癌と比較検討し、大腸癌の発癌過程に関与しているK-ras、p53、APCの各遺伝子の変異について解析した。 対象症例および材料と方法 東京大学医学部第3外科および関連施設で外科的に切除された原発性小腸癌15例を対象とした。患者は男性8例、女性7例で、平均年令は58.9才であった。発生部位は、十二指腸2例、空腸12例、回腸1例である。本研究では、乳頭部を除いた小腸癌を研究の対象とした。全例深達度はssからsiの進行癌であり、組織型は高分化癌10例、中分化癌4例、胃癌との同時多重癌症例の低分化癌1例であった。いずれもFAPおよびPeutz-Jeghers症候群の家族歴はない。転移性小腸癌の頻度が高いため、各症例が小腸粘膜上皮原発の癌であるか否か、画像診断・手術所見および肉眼的・組織学的所見を十分に検討した。小腸癌切除標本のホルマリン固定パラフィンブロックより腫瘍部と非腫瘍部のDNAを抽出した。このDNAをtemplateとしてPCR法によりK-ras、p53、APCの各遺伝子の目的の領域を増幅し、その変異を検討した。K-ras遺伝子については、codon12、13、61の検索を行った。p53遺伝子については、ヒト癌において変異が集中しているexon5〜8の4つのexonを増幅するため、各々intronにPCRプライマーを設定した。APC遺伝子は、exon15のMCR(mutation cluster region)を含むcodon1268-1569を13のsegmentに分割し、sequenceを行う際に読めない部位を作らないように留意し、PCRプライマーを設定した。このようにして得られた目的のPCR産物を、2.5%低融点アガロースゲルを用い、電気泳動にて精製した。これを pBluescript ‖ SK(-)(Stratagene,La Jolla,CS,USA)のEcoRV siteにligationし、コンピテントセルを用いてサブクローニングした。少なくとも50個のrecombinant coloniesを混合培養したものから得られたDNAの両方のstrandについてT7 sequence kit(Pharmacia)を用い、サンガー法にて塩基配列を決定した。 また、APC遺伝子に関しては、ヘテロ接合性の消失(loss of heterozygosity:LOH)の検索も行った。方法としては、APC遺伝子の近位にあるマイクロサテライトD5S299の多型を利用し、D5S299を含む領域をPCRで増幅し、PCR産物を8%ポリアクリルアミドゲルで電気泳動して臭化エチジウム溶液に浸した後、紫外線照射下で観察した。MCC遺伝子はAPC遺伝子の近傍に位置しているので、MCC遺伝子のLOHに関する情報も有用と考えられる。MCC遺伝子のexon10にvariant insertionがあることを利用し、variant insertionを含む領域をPCRにて増幅して、PCR産物を3%低融点アガロースゲルを用いて電気泳動し、同様に観察した。判定は、正常組織でヘテロ接合性を示し、腫瘍部で2本のいずれかのバンドが消失あるいは高度にバンドの強度が減弱している症例をLOH(+)とした。 さらに、免疫組織化学により小腸癌におけるp53タンパクの過剰発現を検討した。1次抗体としてヒトp53タンパクに対するマウスモノクローナル抗体(DO-7)およびウサギポリクローナル抗体(CM-1)(両者ともNovocastra Lab,New Castle upon Tye,UK)の2種類を用いた。いずれもwildおよびmutantのp53タンパクを認識する。染色手技はSAB法に準じた。判定は陽性症例を3段階に評価し、ほぼ全ての腫瘍細胞が染色されるもの(+++)および腫瘍細胞の50%程度が染色されるもの(++)をp53タンパク過剰発現陽性と判定した。 結果 K-ras遺伝子の点突然変異は15例中8例(53%)に認められた。内訳は、codon12が5例、codon13が2例、codon61が1例である。Codon12ではGGT→GAT(Gly→Asp)が2例、GGT→GCT(Gly→Ala)が2例、GGT→GTT(Gly→Val)が1例に認められた。Codon13にはGGC→GAC(Gly→Asp)が2例、codon61にもCAA→CAC(Gln→His)が1例認められた。 p53遺伝子の変異は、exon5〜8の検索した範囲で15例中4例(27%)に認められた。全てアミノ酸置換を伴うミスセンス変異であった。内訳はexon 7に2例、exon 5、exon 8に1例ずつである。4例中2例(50%)がG→Aのトランジション型変異であった。変異を認めた4例は、非癌部正常組織についても同様の解析を行ったが、いずれも変異は認められなかった。 p53タンパクの発現を免疫組織化学的に検索したところ、15例中8例(53%)に過剰発現が認められた。陽性例は全て核に一致してp53タンパクの発現がみられ、CM1とDO7の染色結果は一致していた。非癌部正常粘膜および併存する腺腫は全て陰性であった。分化度と陽性度との相関を調べると、極めて分化度の高い腺癌や低分化腺癌症例は陰性となる傾向がみられた。 APC遺伝子の変異は15例中1例(7%)に認められた。この1例は、codon1554-1556にadenine 1塩基のinsertionが生じており、frame shiftによりcodon1558が終止コドンに変化していた。APC遺伝子のLOHの解析では、D5S299に関しては15例中7例で評価が可能であったが、LOHは認められなかった。MCC遺伝子のexon10に関しては15例中6例でLOHの判定が可能であったが、やはり明らかなLOHは認められなかった。 考察 小腸癌の症例数が極めて少ないため、本研究では、retrospectiveな検討によらざるを得なかったが、ホルマリン固定パラフィン包理材料からDNAを抽出してPCRで増幅することにより、遺伝子変異の評価が可能となり、小腸癌における遺伝子変異を解析することができた。15例の原発性小腸癌を対象に、K-ras、p53、APC遺伝子の変異を解析した結果、K-ras遺伝子の変異は8/15(53.3%)、p53遺伝子変異は4/15(26.7%)、APC遺伝子の変異は1/15(6.7%)であった。従来の大腸癌におけるこれらの遺伝子変異に関する報告と比較すると、小腸癌では、APC遺伝子の突然変異の頻度が極めて低いことが、大腸癌との大きな相違点であると考えられた。APC遺伝子の変異は、大腸癌においては、発癌のinitiationの段階で、正常粘膜から増殖能が亢進する際に関与すると考えられている。小腸癌においては、この段階でAPC遺伝子の関与は極めて低いことが示された。1例において認められたCodon1554-1556のframe shift型の変異は、FAP患者の胃、十二指腸の腺腫や乳頭部癌のsomatic mutationで多く認められるとの報告がある。 本研究では、APC遺伝子内のMCRおよびその近傍のみの検索のため、検索した範囲外にAPC遺伝子の変異が生じている可能性は否定できない。しかしLOHの検索では、APC遺伝子近傍に明らかなLOHは認められないこと、胃癌や膵癌のAPC遺伝子を検索した報告でもMCR領域に変異が認められていることから、小腸癌におけるAPC遺伝子変異はやはり低率であると考えられる。 またp53タンパクの過剰発現を免疫組織学的に検索した結果、53%にp53タンパクの過剰発現が認められた。p53遺伝子の突然変異との相関をみると、腫瘍細胞全体が染まっている強陽性例は、3例全てに変異が見つかっている。一方、中等度陽性例では、5例中1例に変異が認められた。p53タンパク過剰発現とp53遺伝子変異との結果が必ずしも一致しない理由として、変異を持つ腫瘍細胞の量が相対的に少ないため、検出率が低くなることのほか、今回検索したp53のexon5〜8以外にmutationがある可能性、転写因子の調節異常やp53タンパクが安定化し変異がなくても陽性となる可能性なども考慮する必要があると考えられる。 結論 1.原発性小腸癌における癌関連遺伝子の変異を調べるため、小腸癌切除標本を用いて、K-ras、p53、APC各遺伝子の変異を解析した。 2.K-ras遺伝子は15例中8例(53%)、p53遺伝子は15例中4例(27%)に変異が認められた。大腸癌と比較すると、K-ras遺伝子変異はほぼ同程度、p53遺伝子変異はやや低率であったが、小腸癌の発癌過程にもこれらの遺伝子変異が関与している症例があることが示された。 3.APC遺伝子の変異は、検索した範囲で15例中1例(7%)に認められた。これはcodon1554-1556のframe shift型の変異であった。しかしその他の症例は検索した領域に変異は認められず、LOH検索の結果も考慮すると、APC遺伝子の変異が小腸癌の発癌過程に関与している症例は少ないと考えられ、この点で小腸癌における遺伝子変異は、大腸癌のそれと異なっていることが示唆された。 |