学位論文要旨



No 112056
著者(漢字) 鈴木,康俊
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヤストシ
標題(和) 皮膚三次元培養法を用いた創傷治癒機構の解析
標題(洋)
報告番号 112056
報告番号 甲12056
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1112号
研究科 医学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 助教授 古江,増隆
 東京大学 助教授 上西,紀夫
内容要旨 目的

 皮膚は、表皮層と真皮層および皮膚付属器から構成される器官である。この皮膚の機能の細胞生物学的な解析は、一般的には表皮角化細胞や線維芽細胞等の単一の細胞系で行なわれている。近年表皮角化細胞を、コラーゲンと線維芽細胞よりなる真皮モデル上に播種し、その表面を空気に露出して培養することにより(皮膚三次元培養法)、生体皮膚類似の多層化した表皮層および真皮層構造をもつ組織(皮膚モデル)をつくることが可能となった。

 一方皮膚の創傷治癒の研究には、in vitroでの方法およびin vivoで動物背部皮膚に創部を作成する方法などが従来用いられている。後者は、生体という利点はあるものの、系が複雑で操作性に限界があり、またヒトでおこる現象を必ずしも正確に反映していない可能性がある。

 本研究では、ヒト由来の細胞を使用した皮膚モデルに欠損部を作成することにより、in vitroで表皮角化細胞の増殖と分化の過程を検討することの出来る、『創傷治癒モデル』の樹立を試みた。またこのモデルを用いて、表皮層の再生過程に対する増殖因子および線維芽細胞の影響を検討した。さらに、構成細胞の修飾操作が出来るという本実験系の特長を生かして、表皮角化細胞および皮膚モデルに遺伝子導入を行い、形態形成操作する可能性を検討した。

方法(1)皮膚三次元培養法

 ヒト皮膚より初代培養を行った線維芽細胞を、300×104個をDulbecco’s Modified Essential Medium(DMEM)20mlに懸濁し、0.3%type Iコラーゲン10mlを加えよく混合した後、直径6cmのシャーレ3枚に分注し、37℃で7日間培養して収縮コラーゲン(真皮モデル)を作成した。真皮モデル上に円筒形のガラスリングを置き、ヒト皮膚より初代培養を行った表皮角化細胞を、DMEMとKeratinocyte Growth Medium(KGM)を等量混合した培地に懸濁し、30×104/cm2個播種した。培養3日目より培地のカルシウム濃度を1.8mMとし、また培養4日目より細胞培養表面を空気にさらすAir-liquid interface法により培養を継続した。

(2)皮膚三次元培養創傷治癒モデル作成法

 作成した皮膚モデルの中央部に、直径4mmの皮膚生検用トレパンを用いて、4×8mmの大きさの全層の欠損部を作成し、これを別に作成した真皮モデル上にのせ皮膚三次元培養創傷治癒モデルとした。

 また、増殖因子(TGF-10ng/ml、TGF-15ng/ml、IL-6 10ng/ml、KGF 10ng/ml、HGF 10ng/ml、PDGF 10ng/ml)を培地中に添加し、欠損部表皮化への影響を検討した。

(3)単層培養創傷治癒モデル

 表皮角化細胞の単層培養面に欠損部を作製し(単層培養創傷治癒モデル)、三次元培養系と比較した。24multiwell plateの中心部に、直径4mmのシリコンゴムを固定し、表皮角化細胞30×104/cm2個を、三次元培地と同じ培地を用いて播種した。培養3日目よりカルシウム濃度を1.8mMとし、7日目にシリコンゴムを除去して欠損部を作成した。このモデル系で、線維芽細胞の馴化培地を使用して、欠損部の表皮化に対する線維芽細胞の分泌する液性因子の影響を検討し、またコラーゲンをコートした培養シャーレを使用して、細胞培養面に於けるコラーゲンの影響を検討した。

(4)表皮角化細胞への非増殖型アデノウイルスベクターによる遺伝子導入とその皮膚モデルの作成

 非増殖型アデノウイルスベクターを用いて表皮角化細胞に遺伝子を導入し、皮膚モデルを作成した。実験には、CAGプロモータの下流にLac-Z遺伝子を挿入したアデノウイルスベクターを使用した。直径10cmの培養シャーレでサブコンフルエントの表皮角化細胞に、ウイルスタイター107又は108のウイルス液を1001添加し、37℃で1時間インキユベートしてウイルスを感染させた。皮膚モデルは、遺伝子導入操作の2時間後に細胞を回収し、真皮モデル上に播種して作成した。また、三次元培養4日目および7日目の組織にウイルス感染を行い、皮膚モデル及び創傷治癒モデル内での遺伝子発現を検討した。

結果(1)皮膚三次元培養組織

 表皮角化細胞が、真皮モデル上で7〜8層に重層化し、真皮側より基底層、有棘層、顆粒層および角化層に相当する層構造を形成した。

 分化マーカーの発現は、ケラチンK1/K10、インボルクリン共に基底層より上の層全体に、ケラチンK14は基底層を含め全層に、トランスグルタミナーゼは顆粒層に、タイプIVコラーゲンは、表皮角化細胞・真皮モデル境界部に発現した。またDNA合成細胞は、基底層に相当する最下層に限局して存在した。

(2)皮膚三次元培養創傷治癒モデル

 創傷治癒モデル作成後、6時間目には表皮角化細胞は遊走を開始し、1日目で欠損部底面に達した。3日目には欠損部底面全体を細胞が2〜3層に覆ったが、角化層は形成していなかった。5日目には重層化がすすんで角化層の形成が始まり、7日目には欠損部全体に7〜8層の表皮層を形成した。分化マーカーは、インボルクリンが層形成開始後4〜5日目、トランスグルタミナーゼが6日目、タイプIVコラーゲンが4〜5日目に発現した。

 表皮層再生過程に対する増殖因子の作用を検討した結果、TGF-1は欠損部の表皮化を抑制した。また再生表皮層の基底細胞におけるのDNA合成細胞の割合を、TGF-、IL-6、KGFは促進し、TGF-1は抑制することが明らかとなった。

(3)二次元培養創傷治癒モデルの表皮化

 欠損部の表皮化に平均6.4日を要した。馴化培地、コラーゲンコートしたシャーレ、およびその両者を使用したモデルではそれぞれ5.4日/5.5日/5.0日を要した。いづれも表皮化を促進する傾向がみられたが、有意差は認められなかった。

(4)表皮角化細胞への非増殖型アデノウイルスベクターによる遺伝子導入と皮膚モデルの作成

 単層培養中の表皮角化細胞に、Lac-Zを挿入したアデノウイルスベクターを感染させ、4日後にX-Galで染色した。ほぼ100%の細胞が青く染色され、アデノウイルスベクターを利用することによりヒト表皮角化細胞へ非常に高い効率で遺伝子を導入し発現させることができることが明らかとなった。またウイルス感染による細胞の形態変化や増殖抑制は認めなかった。この細胞を用いた皮膚モデルでは、非感染細胞と同様に重層化・分化した表皮層を形成し、また形成した表皮層全層で導入遺伝子の発現が確認され、この遺伝子導入操作によって三次元構造形成が阻害されることはないと考えられた。皮膚三次元培養4日目の組織にウイルスを感染したところ、7日目の皮膚モデルの表皮層全層に導入遺伝子の発現を認めた。また7日目の皮膚モデルにウイルス感染をおこない作製した創傷治癒モデルでは、5日目の再生表皮層にその発現が認められた。

考察

 皮膚三次元培養法は、皮膚類似の組織をin vitroで再構築する方法である。表皮角化細胞播種後、細胞の多層化・分化の過程を経時的に観察することによって、表皮層形成の過程を追うことは可能である。しかし、表皮の欠損部に細胞が集団として忽然と出現することは、生体ではあり得ない。これに対し、皮膚モデルに欠損部を作製した本実験の培養法では、健常な表皮層より細胞が遊走し重層化することより、形態として皮膚類似の構造を再現するのみならず、創傷治癒に伴う動的な表皮層の形成・再生過程をより生体に近い形で再現していると考えられる。

 この創傷治癒モデルにおける欠損部の表皮化を、TGF-、IL-6、KGFは有意に促進し、TGF-1は有意に抑制した。HGF、PDGFによる影響は特に認めなかったが、三次元培養系における影響に関しては今後さらに検討する必要がある。またこのモデルで、欠損部底面を遊走・増殖した細胞が被覆するまでの時間はほぼ3日間であった。この時間は同じ大きさの欠損を作製した単層培養創傷治癒モデルと比較して有意に短かった。単層培養系で、線維芽細胞の馴化培地やコラーゲンコーティングシャーレを用いると、被覆時間は短縮する傾向を示したが有意ではなかった。従って、三次元培養系における速やかな欠損部の被覆は、コラーゲンゲルの存在と線維芽細胞由来の液性因子の関与が示唆されるものの、表皮角化細胞と線維芽細胞の直接の細胞間相互作用などの要因が重要な働きをしていると推察された。

 細胞生物学が盛況である今日、細胞の機能を解析する一方法としての遺伝子導入法は、必要不可欠な手技といえる。表皮角化細胞に遺伝子導入を行える物理的な方法では、その効率は数%〜多くて20%程度である。目的遺伝子を導入した細胞が比較的多く必要な場合、継代培養の期間・回数が短く限定される表皮角化細胞ではその解析が困難となる。そこで本研究では、非増殖型アデノウイルスベクターを用いた遺伝子導入を試みたが、単層培養系および皮膚モデルで細胞及び組織の形態や増殖に影響を及ぼすことなく、ほぼ100%の細胞に導入遺伝子を発現することができ、皮膚機能の新しい解析方法としての高い可能性を示した。また表皮層では、分化の程度により部位特異的に発現するタンパクが存在するため、K14のプロモーターを用いて基底層に、K1/10やインボルクリンのプロモーターを用いて基底上層に特異的に発現させること等の遺伝子発現調節も可能と思われる。モデル作成の簡便性、ヒトの細胞を使用することができる利点から、皮膚モデルへの非増殖型アデノウイルスベクターを用いた遺伝子導入法は、トランスジェニックマウスと並んで皮膚の遺伝子レベルでの解析方法として重要性を持つようになると思われる。

審査要旨

 本研究は、皮膚の機能をよりヒトの生体に近い状態で、かつ分子レベルで解析することができる方法の確立を試みたものである。

 まず、ヒト由来の細胞を使用した皮膚三次元培養を行い、生体皮膚類似の組織である「皮膚モデル」作製の再現性を向上した。次いで皮膚モデルに欠損部を作成することにより、in vitroで表皮角化細胞の増殖と分化の過程を検討することのできる「創傷治癒モデル」の樹立を試みた。さらに、構成細胞の修飾操作ができるという本実験系の特長を生かして、表皮角化細胞および皮膚モデルに遺伝子導入を行い、形態形成を操作する可能性を検討した。本研究により下記の結果を得ている。

1.皮膚三次元培養および創傷治癒モデルの樹立

 (1)皮膚三次元培養法の培養条件を最適化した。培地は、KGMと10%FCS添加DMEMを1:1に等量混合し、カルシウム濃度を2日間0.9mM、3日目より1.8mMとした培地を用いた。表皮角化細胞培養面の空気層への露出は4日目とし、また露出後も培地面を真皮モデルより上に設定した。以上により皮膚モデル作製が安定し再現性が向上した。

 (2)皮膚三次元培養法を用いた創傷治癒モデルを樹立した。皮膚モデルの中央に欠損部を作製し、別の真皮モデル上に載せて培養を継続すると、欠損部作製直後より表皮層断端から細胞が遊走・増殖を開始した。3日目までに幅4mmの欠損部の底面を被覆し、7日間で分化・重層化した表皮層が再生した。この再生表皮層では、順次表皮角化細胞の分化マーカーが発現し、最終的に元の表皮組織構造を回復した。

 再生過程の表皮角化細胞に対する増殖因子の作用を検討したところ、TGF-、IL-6、KGFは増殖を促進し、TGF-1は抑制することが明らかとなった。

 また三次元培養の創傷面は、単層培養の表皮角化細胞シートに新しい方法で作製した創傷面に比べて早く表皮化した。この作用には、線維芽細胞由来の液性因子及びコラーゲンゲルの要因に加え、表皮角化細胞と線維芽細胞の直接の細胞間相互作用の関与が示唆された。

II.表皮角化細胞への非増殖型アデノウイルスベクターによる遺伝子導入とその皮膚モデルの作製

 (1)非増殖型アデノウイルスベクターを用いて正常表皮角化細胞へ遺伝子導入を行った。この方法による遺伝子導入効率はほぼ100%と高く、表皮角化細胞の形態および増殖に影響を及ぼさなかった。

 (2)遺伝子導入を行った表皮角化細胞を用いて皮膚モデルを作製した。表皮層の形態に変化はなく、表皮層の全層で導入した遺伝子の発現が確認された。また皮膚三次元培養途中でのウイルス感染により、皮膚モデルの表皮角化細胞への遺伝子導入が可能であった。

 以上、ヒトの細胞を用いた皮膚三次元培養法を用いて「皮膚モデル」および「創傷治癒モデル」を作製し、生体皮膚との類似性、創傷治癒に及ぼす増殖因子および線維芽細胞の影響を明らかにした。また、従来比較的難しいとされてきた正常表皮角化細胞への遺伝子導入が、非増殖型アデノウイルスベクターを用いることによって高い効率で行えることを示した。

 本研究は、表皮角化細胞の増殖・分化の制御機構を分子レベルで解析するための新しい有力な手段を提供し、皮膚の形態形成や創傷治癒過程という高次の生命現象を分子生物学的に解析することに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク