緒言 癌患者の生存期間は、種々の外科的切除術や補助療法の発展の成果によって、著しく延長されてきた。しかし、すべての患者が身体の回復とともに心理的にも回復を果たしているわけではなく、退院後も長期にわたり問題を解決できずに過ごしている患者も少なからず存在することが指摘されている。そこで退院後の適応問題としてもっとも大きな問題のひとつである不安、抑うつを取り上げ、諸要因の影響するメカニズムを明確化することを目的として研究を行う。さらにこれにより具体的な介入への基礎資料を提供することを目指すものである。 近年癌患者の心理学的アプローチにおいて、心理的適応に影響を与える重要な要因として人がストレス事態で行う対処行動すなわちコーピングが注目されている。しかしコーピング研究をめぐっては、すでに概念上、方法論上の多くの問題点が指摘されており、癌患者のコーピングへの介入の困難さを示している。そこで、本研究ではコーピングを規定している要因として個人の能力認知に注目した。Bandura(1977)は人の行動について、「その行為を行えばよい結果が得られる」という結果への期待に加え、「自分にはその行為ができる」という「自信」すなわち自己効力感がともなってはじめて実行に移されることを示し、特に後者の重要性を指摘している。回復過程において「自分には癌を克服することができる」という高い自己効力感を持つことが、適応的なコーピングを促進し、同時に不適応的なコーピングを抑制し、これにより不安、抑うつに影響を及ぼしていると予測される。またBandura(1977)はすでに自己効力感の4つの規定因を明確化している。以上の概念的枠組みに従って、図1のような「自己効力感モデル」を設定した。このようなモデルを構築しその妥当性を検証することは、介入の具体的可能性を示す上で極めて重要である。 図1 退院後癌患者の心理的適応を予測するために設定した「自己効力感」モデル方法 1.対象:都内の国立癌専門病院において過去1年間に消化器系癌(具体的には食道・胃・大腸及び肝胆膵癌)の初発で外科的切除術を1回受け、現在も通院中の20歳以上80歳未満の患者のうち、主治医より調査への承認を得られた患者417名(男293名・女性124名)の対象に、質問紙による郵送調査を行った。 2.質問紙は以下の10の変数より構成されている。 (1)個人的背景要因 (2)身体症状 (3)活動度 (4)モデリング (5)状態不安:State-Trait Anxiety Inventory(水口ら,1991)の状態不安検査。 (6)抑うつ:Todai Health Index:東大式自記健康調査票(鈴木ら,1989)の抑うつ尺度。 (7)ストレス・コーピング:Dunkel-Schetterら(1992)を参考にして、5因子を想定し26項目からなるストレス・コーピング尺度を作成した。『病気についての心配や不安などでストレスを感じる時』という教示を用いてストレスを限定し、意識せずに行っている患者からも癌への罹患によって生じている情動的ストレスへの対処を引き出せるようにした。それぞれの項目について4段階評定とした。 (8)自己効力感:自己効力感はBandura(1977)によるもので、目標行動を遂行する上で重要な役割を担うとされる。面接調査、先行研究の結果より「感情の統制」、「日常生活行動の統制」の2つを癌患者の適応にとって有効な行動目標として設定し、2因子を想定した13項目から成る4段階評定の「自己効力感尺度」を作成した。本尺度は女子専門学校生122名を対象に自尊感情尺度、状態不安尺度と共に実施し、自尊感情尺度の間に「感情統制の効力感」はr=.40(p<.001)、「日常生活行動の効力感」はr=.34(p<.001)の相関、状態不安との間にそれぞれr=-.37(p<.001)、r=-.37(p<.001)の負の相関が確認され、ある程度の妥当性を示した。 (9)ソーシャル・サポート:山本(1994)が乳癌患者を対象に作成したソーシャル・サポート尺度。 (10)健康制御の信念:日本語版Health Locus of Control尺度(堀毛,1991)。 結果 297名(男性210名:女性87名)から有効な回答が得られた(有効回答率71.2%)。対象者の平均年齢は60.6歳(SD9.91)であった。疾患部位は胃癌が全体の45.5%でもっとも多く、次いでS状結腸癌(12.5%)、直腸癌(12.1%)、肝臓癌(11.8%)の順であった。 パス解析に先だって各尺度について検討し、変数の合成を行った。不安尺度、抑うつ尺度は各項目の評定値を単純加算しそれぞれの尺度得点とする。その他の尺度についてはいずれも因子分析を行い、各因子が一定の内的整合性を有していることを確認し、下位尺度を構成した。自己効力感尺度では「感情統制の効力感」、「日常生活行動の効力感」の2つの下位尺度、コーピング尺度では「自己抑制的方略」「認知的に距離を置く方略」「積極的方略」「他者依存的方略」の4つの下位尺度を構成した。ソーシャル・サポート尺度では医師、看護婦、家族、友人・知人の4つのサポート源ごとに「情緒的サポート」「情報的サポート」の2つの下位尺度を構成した。Health Locus of Cotnrol尺度はすでに同定されているのと同様の5因子構造を確認し、「自分自身」「専門職」「家族」「超自然」「偶然」Cotnrolの5つの下位尺度を構成した。 これらの合成した変数を用いてパス解析を行った。 はじめにモデルの中心部分である、自己効力感がコーピングを媒介として不安、抑うつに影響するという仮説について2段階のパス解析を用いて検証した。この結果、「感情統制の効力感」「日常生活行動の効力感」は不安、抑うつに直接的な強い負のパス係数(標準偏回帰係数、以下パスと呼ぶ)を示した。一方コーピングを媒介とした影響は「感情統制の効力感」から「認知的に距離を置く方略」を介して不安に影響するというごく弱い効果のみであった。これによりモデルを一部修正しコーピングを除外した。 次に新たなモデルに基づいて2段階のパス解析を実施し妥当性を検証した。不安、抑うつには自己効力感からの強い有意なパスと同時に、身体症状、ステージなどの病態要因からの直接の有意なパスも示された。術後期間別に分析を行うと、術後6ヶ月未満では、不安、抑うつは身体症状から強い影響を受けており、一方術後6ヶ月以降では、大部分が自己効力感を介しての影響であった。自己効力感の規定因としては、病態要因、特性要因とともに介入可能性の高い「看護婦からの情緒的サポート」「モデリング」が有意なパスを示した。 考察 本研究の結果、自己効力感の2つの因子、すなわち「感情統制の効力感」「日常生活行動の効力感」はいずれも退院後癌患者の不安、抑うつを強く規定している要因であることが確認された。「感情統制の効力感」「日常生活行動の効力感」が高いほど不安、抑うつが低くなっている。この結果から、本研究の仮説モデルの中心部分として導入した自己効力感は、有効に不安、抑うつを説明する要因であるということができる。ただし自己効力感から不安、抑うつへの影響は、仮説に反してコーピングを媒介としない直接的なものであった。このことからコーピングは不安、抑うつに対して説明率の低い変数であることが示唆された。そこでコーピングを除いてモデルを再構成し、妥当性の検証を行った。この結果、不安、抑うつは自己効力感と同時に、病態要因からも強い影響を受けていた。術後期間別にみると不安、抑うつは術後6ヶ月未満は病態要因によって規定されており、自己効力感が強く影響するのは術後6ヶ月以降であることが明らかになった。この結果から、長期的な不安、抑うつには自己効力感が重大な役割を担っており、長期にわたる不安、抑うつには自己効力感への介入が有効であると考えることができる。 自己効力感の規定因には「看護婦の情緒的サポート」「モデリング」といった介入可能性の高い変数が捉えられ、看護介入の具体的可能性を示したといえる。 |