学位論文要旨



No 112063
著者(漢字) 松田,修
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,オサム
標題(和) アルツハイマー型痴呆と血管性痴呆の認知障害に関する比較研究
標題(洋) A comparative study of congnitive impairments between dementia of Alzheimer’s type and vascular dementia.
報告番号 112063
報告番号 甲12063
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1119号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 桐谷,滋
 東京大学 教授 小島,通代
 東京大学 助教授 貫名,信行
内容要旨 目的

 老年期の主要な痴呆性疾患は、アルツハイマー型痴呆と血管性痴呆である。これらの中核症状は、記憶障害を中心とする認知機能の障害である。これまで何人かの研究者が、記憶や知能に関するウエクスラー式検査を用いて、アルツハイマー型痴呆と血管性痴呆の認知障害について検討してきた。最近のいくつかの研究では、血管性痴呆患者はアルツハイマー型痴呆患者よりも注意や視空間能力に関する検査の成績が低いことが報告されている。しかしながら、これらの研究は、軽度から重度の痴呆患者をすべて含む2群を比較したものであり、痴呆の早期診断や介護方針の企画という点で重要と思われる、軽度痴呆段階における両群の認知障害の特徴を示していない。

 軽度痴呆に関してAlmkvistらが1993年に報告した研究では、軽度血管性痴呆患者は、軽度アルツハイマー型痴呆患者よりも、運動機能や視空間能力に関する心理学的検査の成績が悪いことが示されている。しかし、この研究では、両群の平均年齢に有意差があり、加齢の影響が研究結果に影響している可能性がある。1994年に星野らは、ウエクスラー成人知能検査(WAIS)の言語性検査を用いて、平均年齢に有意差のない軽度アルツハイマー型痴呆患者と軽度血管性痴呆患者の検査成績を比較した。しかし、この研究では、両群の障害パターンを明らかにする上で重要と思われる動作性検査の検討を行っていない。さらにいえば、これら2つの研究は、軽度痴呆患者のみの比較を行っており、非痴呆性老人との比較がなされていない。認知機能の中でも特に記憶や視空間能力は加齢の影響を受けやすいことが知られている。それ故、軽度痴呆患者の認知障害を検討するには、正常老人との詳細な比較が必要である。

 そこで、本研究では、正常老人との比較により、軽度アルツハイマー型痴呆患者および軽度血管性痴呆患者の認知機能の障害パターンを検討した。

対象と方法1.対象

 対象は、東京都、秋田県、神奈川県、新潟県の5つの病院・施設の外来患者と入院・入所中の患者、都内のボランティア・グループに参加する健常老人である。

 被検者となる痴呆患者の選択に際し、視聴覚障害、麻痺、言語的コミュニケーションがとれない等のために、検査を行うことが困難と思われる患者、卒中発作の直接的な結果として痴呆を来した患者、精神分裂病や大うつ病などの精神障害の既往のある患者は、対象から除外された。

 患者の診断は、経験ある医師によって、アメリカ精神医学会の診断統計マニュアル第4版(DSM-IV)のアルツハイマー型痴呆(AD)または血管性痴呆(VD)の診断基準に基づいて行われた。その結果、17人の患者がAD(平均年齢75.9才,SD=6.1:女性11人、男性6人:平均教育年数9.3年,SD=3.2)、19人の患者がVDと診断された(平均年齢76.6才、SD=6.2:女性12人、男性7人:平均教育年数9.5年,SD=2.7)。CTやMRIなどの画像診断により、全てのVD患者に痴呆と関連すると思われる脳血管障害が確認された。今回の対象としたVD患者の中には、脳卒中の発作の後に引き続いて痴呆を来した患者は含まれていない。

 患者の痴呆の重症度はClinical Dementia Rating(CDR)とMini Mental State Examination(MMSE)を用いて評価した。CDRは、患者の行動観察または患者の日常生活をよく知る人から得た情報を基に、患者の「記憶」、「見当識」、「判断力と問題解決能力」、「社会適応」、「家庭状況および興味・関心」、「介護状況(セルフケア)」の6領域について評価する行動観察評価スケールである。CDRに基づいて痴呆患者を軽度痴呆群(AD群11人、VD群12人)と中等度痴呆群(AD群6人、VD群7人)の2群に分類した。AD群とVD群のCDRに基づく痴呆の重症度に有意差はなかった。またAD群とVD群のMMSE得点にも有意差はなかった。軽度痴呆群のMMSE得点(M=20.3,SD=3.5)は、中等度痴呆群(M=14.6,SD=2.4)よりも有意に高かった。

 統制群である健常老人の募集は、東京都内の2つのボランティア・グループを通じて行った。今回の被検者は、いずれも頭部外傷、脳血管障害、そして精神分裂病、気分障害、物質関連障害などの精神障害の既往がなく、CDRで「健康」と評価された23人の老人である(平均年齢73.2才,SD=5.2:女性15人、男性8人:10.7年,SD=2.3)。

 これら3群の平均年齢、性比、平均教育年数に有意差はなかった。

2.方法

 本研究では、被検者の知能、記憶、注意に関する定量的なデータを得た。知能の評価には、日本版ウエクスラー成人知能検査改訂版(WAIS-R)に含まれる10個の知的機能検査(知識、単語、算数、理解、類似、絵画完成、絵画配列、積み木模様、組み合わせ、符号)を用いた。記憶の評価には、ウエクスラー記憶検査改訂版(WMS-R)に含まれる5つの記憶検査(論理的記憶、言語性対連合、図形の記憶、視覚性対連合、視覚性再生)を用いた。注意の評価には、WMS-Rの5つの注意検査(精神統制、順唱、逆唱、視覚性記憶範囲同順序、視覚性記憶範囲逆順序)を使用した。

3.分析方法

 はじめに、一元配置の分散分析を用いて、AD群、VD群、統制群の各検査得点を比較した。その後、中等度痴呆患者を除いて、軽度AD群、軽度VD群、統制群のデータを同様の手法を用いて解析した。これら3群の年齢、性比、教育年数に有意差はなかった。軽度AD群(21.5,SD=3.6)と軽度VD群(19.3,SD=3.3)のMMSE得点に有意差はなかった。

結果(1)AD群、VD群、統制群の比較

 AD群およびVD群の記憶および知的機能に関する全ての検査得点は、統制群よりも有意に低かった。さらにVD群の積み木模様の得点は、AD群よりも有意に低かった。

 AD群およびVD群は、全ての注意検査の得点が、統制群よりも有意に低かった。さらに、VD群の精神統制の得点は、AD群よりも有意に低かった。

(2)軽度痴呆群と統制群の比較

 全ての記憶検査において、軽度AD群および軽度VD群の得点は、統制群よりも有意に低かった。軽度AD群は、10個の知的機能検査のうち、4つの知能検査(知識、理解、類似、符号)において、統制群よりも有意に得点が低かった。これに対して、軽度VD群は、全ての知能検査の得点が、統制群よりも有意に低かった。さらに、軽度VD群の積み木模様と組み合わせの得点は、軽度AD群よりも有意に低かった。

 軽度AD群の逆唱の得点は、統制群よりも有意に低かったが、その他の注意検査の得点は、統制群との間に有意差はなかった。これに対して、軽度VD群では、4つの注意検査(精神統制、逆唱、視覚性記憶範囲同順序、視覚性記憶範囲逆順序)の得点が、統制群よりも有意に低かった。さらに軽度VD群の精神統制と視覚性記憶範囲逆順序の得点は、軽度AD群よりも有意に低かった。

考察

 本研究は、軽度アルツハイマー型痴呆では注意や構成能力は比較的よく保たれているが、軽度血管性痴呆ではこれらの認知機能が障害されていることを示唆した。重度の患者を対象に含む従来の研究においても、血管性痴呆ではこれらの認知機能に問題のあることが示唆されている。しかしながら、本研究は、従来の研究とは異なり、痴呆が軽度な段階においても、血管性痴呆患者は注意や構成能力に関する検査で困難を示すことを示唆した。

 Almkvistらは、WAIS-Rの積み木模様や組み合わせは、認知過程の速度に関する検査であると述べている。こうした速度に関する検査の成績低下は、日常生活における活動性の低下と関係することが指摘されている。患者の活動性の低下は、彼らの生活の質を低下させる可能性がある。本研究が示すように積み木模様や組み合わせの成績は、軽度アルツハイマー型痴呆群よりも軽度血管性痴呆群の方が悪かった。それ故、患者の生活の質を保つには、たとえ痴呆の程度が軽度であっても、速度が問題となるような課題を血管性痴呆患者に課したり、課題の遂行を急かせたりしないことが重要と考えられる。

審査要旨

 本研究は、老年期痴呆の大部分を占めるアルツハイマー型痴呆と血管性痴呆の認知機能の障害プロフィールを明らかにするために、記憶、注意、知能に関する神経心理学的検査を通じて得られた定量データを統計解析によって比較・検討したものである。特にこの研究は、痴呆の早期診断や治療・介護方針の企画において重要な意味を持つと考えられる軽度痴呆段階におけるアルツハイマー型痴呆と血管性痴呆の認知障害について、正常老人との比較により検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.被験者の言語性および視覚性記憶、言語性および動作性知能、そして注意力を、ウエクスラー成人知能検査改訂版およびウエクスラー記憶検査改訂版を用いて評価し、得られた定量的データを一元配置の分散分析によって解析した。その結果、アルツハイマー型痴呆と血管性痴呆は、正常老人に比して、記憶、知能、注意力に関する全ての検査得点が有意に低いこと、また、血管性痴呆は、アルツハイマー型痴呆よりも、注意力に関する検査である精神統制と、構成能力に関する積木模様の検査得点が有意に低いことが示された。

 2.軽度痴呆におけるアルツハイマー型痴呆と血管性痴呆の認知機能の障害プロフィールの違いを検討するために、軽度痴呆患者と正常老人の検査データを解析した結果、アルツハイマー型痴呆は、痴呆が軽度な段階には、注意や構成能力がよく保たれていることが示された。しかしながら、血管性痴呆は、たとえ痴呆の重症度が軽度であっても、注意や構成能力に関する神経心理学的検査において困難を示すことが示唆された。

 以上、本論文は、痴呆が軽度な段階において、血管性痴呆はアルツハイマー型痴呆に比べて注意や構成能力に関する神経心理学的検査において困難を示すことを明らかにした。本研究は、これまで十分に検討されていなかった、軽度痴呆におけるアルツハイマー型痴呆と血管性痴呆の認知機能の障害プロフィールの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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