学位論文要旨



No 112064
著者(漢字) 水野,道代
著者(英字)
著者(カナ) ミズノ,ミチヨ
標題(和) 地域社会で生活するがん体験者にとっての健康の意味とその構造
標題(洋)
報告番号 112064
報告番号 甲12064
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1120号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 教授 金沢,一郎
 東京大学 教授 小島,通代
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
内容要旨 はじめに

 地域社会で生活するがん体験者の健康には病気体験と日常生活とが、密接に関わり合っており、彼らは、日々の生活のなかでがんにより生じるさまざまな問題に対処していかなくてはならない。人の健康行動は、その人の健康に対する解釈が強く影響する。がん体験者が自らの力を活かし、自らのケアに適切に参加していけるような継続的なケアを提供するためには、彼らのさまざまなものの見方、考え方、生活の仕方にあらわされる健康に対する解釈を充分に理解している必要があると考える。ある集団に属する人々の経験に基づいたデータを用いて、その人たちの文化と結びついた理論を形成し、人間の行動を理解することのできる方法論にエスノグラフィーがある。そこで、この方法論を用いて、地域社会で生活するがん体験者にとっての健康の意味を導き出し、その構造を明らかにするという研究をおこなった。

方法1.情報収集方法

 インタビューを目的とした家庭訪問や職場訪問をおこなうなかで参加観察を実践し、情報を収集していった。またインタビューという形態をとらずに、外来や患者会を参加観察することによっても情報を得た。

 インタビューの対象者は、つぎの5つの選択条件を満たす者とした。その条件とは、(1)「自分はがんに対する治療を受けた」と認識していう、(2)がんの初発年齢が35歳以上65歳以内である、(3)生活および医療の場が首都圏内にある、(4)終末期でなく調査の時点で明らかな再発も認められていない、(5)入院治療終了後5ヶ月以上経過しているである。

 総合病院の看護部長および外科系医師と患者会の代表者に本研究への協力を依頼し、研究の趣旨に同意を得られた3病院、3患者会の代表者より、患者あるいは会員の紹介を得た。そして研究の趣旨を説明した上で、インタビューへの協力を依頼し、同意が得られた者を対象者とした。

 インタビューの対象となったのは、男性:16名、女性:14名、計30名のがん体験者であった。インタビュー実施時の平均年齢は56.7歳で、発病時(治療開始時を発病時とする)の平均年齢は52.6歳であった。発病後の経過年数は5ヶ月から16年の幅があった。がん発生部位は呼吸器が最も多く9名で、ついで女性生殖器:8名、以下、下部消化管、上部消化管と続いた。また15名は何らかの患者会に入会していた。

 研究者自身が、1994年7月10日〜1995年1月15日までの期間に、30名に対して計34回の非構成的インタビューを実施した。インタビューの実質時間は1回平均110分であった。まず、健康に関連する「出来事」についてたずねた。そして、インタビューと分析が繰り返され、出来事を構成している具体的なカテゴリやカテゴリ間の関係が明らかになってくるのに応じて、明らかになったカテゴリやその関係に対する具体的な質問をおこなっていった。

 なお、インタビュー期間中に、外来で2回、患者会で5回の参加観察をおこなった。患者会への参加は、インタビュー対象者以外からの情報が得られるだけでなく、インタビューのみでは得られなかった、がん体験者たちどうしの関係の持ち方を参加観察することができた。

2.分析方法

 分析は、Spradleyが示す9種類の意味関係semantic relationships(完全な包含、空間、因果関係、理論的根拠、活動の場、機能、目的と手段、連続・順序、特徴)を用いて、カテゴリを発見することからはじめた。カテゴリとは、一つの何らかの共通な意味をもつ構成単位の集まりをいい、発見を助けかつ単独で理解することが可能な情報の最小の単位を、データの一構成単位として扱った。

 カテゴリの発見が進み、カテゴリ間のつながりが見えはじめてきた段階で、分析の中心を、がん体験者の健康に対する解釈のなかに主張されているテーマの発見に移行させた。テーマとなるカテゴリを選択し、そのカテゴリを中心に全カテゴリを統合していった。そして発見されたカテゴリがすべてテーマを中心につながり、カテゴリ間の関係が不動のものとなった段階で、分析が飽和に至ったと判断した。

結果

 インタビューをおこなうごとに、がん体験者の健康に対する解釈を構成する情報として、データから毎回50以上の構成単位を取り出し、それらを意味関係の共通性によってカテゴリとして結びつけていった。これらのカテゴリが、それぞれその抽象度をあげながら最終的に8種類の意味関係の型よりなる17領域に統合されるまでには、合計で1500の構成単位間の結びつきが必要であった。また最終的な統合に至るまでに、各領域をあらわすカテゴリは、3階層以上のサブカテゴリを形成していた。

 テーマとなるカテゴリを核とした統合は、各領域をあらわすカテゴリ名とその構成単位およびそれらを結びつけている意味関係とを検討しながら、17領域のカテゴリ間の関係を発見していくことによりおこなった。なお、以後カテゴリに関する言葉をあらわす際、カテゴリ名になった言葉を示すときには強調文字を、カテゴリに含まれる構成単位となった言葉を示すときには斜体文字を使用する。

 結局は自分だという思いの種類を、本研究のテーマをあらわすカテゴリとして抽出し、このカテゴリを核に17領域のカテゴリ間の構造を導き出した。まず、結局は自分だという思いを必要とする状況を引き起こしている構成単位の集まりとして、がんの特徴と普通に生活しているとはいえない理由のカテゴリを選択した。そして、結局は自分だという思いが生じている文脈をあらわすカテゴリとして普通の生活の部分を、その各段階をあらわすカテゴリとしてつらい段階とがんのことが心の片隅にあっても普通でいられる段階を選択した。それ以外のカテゴリは、結局は自分だという思いと状況との相互作用をあらわしていると判断し、相互作用の向きによりさらに二組に分類した。一方は、がん体験者が状況を解釈するさいに働く、結局は自分だという思いの作用をあらわすカテゴリで、甘えちゃいけない理由、今を大切に生きる理由、開き直る理由、心を安定させる方法、自信をつける方法、自律する方法がそれにあたった。もう一方は、結局は自分だという思いが機能するときの状況側の作用をあらわすカテゴリで、生活の基盤の種類、心のよりどころとなる作用のあるもの、がんによる切実な恐怖を惑じさせない作用のあるもの、病気のことが頭に浮かぶ原因、言葉を呑み込む原因がそれにあたった。

 その結果として、結局は自分なんだという思いを核とした、がんの体験の健康に対する解釈は、「病気体験と普通の生活との関係」と「結局は自分だという自覚構造」の二側面から示すことができた。

考察

 結局は自分だという思いがテーマとなるカテゴリーとして抽出されたという結果は、地域で生活するがん体験者が自分自身のなかで健康をつかもうとしていることを示唆している。がんの特徴としてあげられたことは、Antonovskyのいう一貫性のある健康な状態とは相対するもので、そこには予測や期待の可能性とか安心感といったものはなかった。彼らがいうがんの特徴は、不確かで不安定なものであり、がんの体験は大きなストレスの経験であった。しかし、がん体験者は結局は自分だという思いを用いて、つらい状況を糧とし、その中に意味を見いだし、時には困難をそのまま肯定してしまうことによって状況に対処していくことができた。そして気持ちを安定させ、自信をつけ、自律しようとする行為が達成されたとき、彼らにとって自分あるいは自分の生活が普通であるか否かは問題ではなくなっていた。彼らには、がんのもつ特徴にも動じない自己、あるいは安定した外界が必要であった。

 結局は自分だという自覚構造は、がん体験者と状況との円滑な相互作用の結果として得られるものといえる。看護婦は患者との関係を築くなかでケアを実践していかなくてはならない。結局は自分だという自己を求めているがん体験者の内面に、周りの者が入り込み、彼らの解釈そのものを操作することはできない。看護には、その知識や技術を用いてがんによる切実な恐怖を感じさせない状況を提供することが求められている。ところが、日本ではこのような看護を実践する場や機会が充分に確保されているとはいえない。話しを聞いてくれる相手や場がない、医学上の事実に関する単なる伝達といったことが本研究で言葉を呑み込む原因としてあがったことは、そのあらわれともいえる。地域で生活するがん体験者には、言葉を呑み込むことなく自分自身のケアに参加できるための看護が求められている。そのとき、本研究で導き出された17領域のカテゴリとその意味、そしてカテゴリ間の関係構造が、がん体験者の健康に対する態度、強いては彼らが本当に必要としているケアの理解を助ける役割をなすと考える。

まとめ

 本研究結果は、がん体験者は普通の生活をするという文脈のなかで健康をとらえており、結局は自分だという思いが、その文脈の意味を左右する鍵をにぎっているということを示している。さらに、人は本来がんを体験した後も、結局は自分だと思い、普通の生活をしていくことができる力をもっていることが確認できた。

 しかし、このことがケア実践の場で利用可能な理論としての普遍性をもった体系的知識となるためには、研究の限界として標本抽出等の方法論上の課題を残している。したがって、今後も研究を積み重ね追認していくことにより、本研究は、がん体験者の健康に関する一つの理論としての役割を得ていくものと考えている。

審査要旨

 本研究はエスノグラフィの手法を用いて、地域社会で生活するがん体験者にとっての健康の意味を導き出し、その構造を明らかにしたものであり、下記の結果を得ている。

 1.インタビューと参加観察により収集したデータを、言語間の関係と差異の体系を発見することにより分析し、地域社会で生活するがん体験者にとっての健康を構成する17領域のカテゴリを導き出した。その17領域とは、(1)結局は自分だという思い、(2)がん、(3)普通に生活しているとはいえない、(4)普通の生活、(5)つらい、(6)がんのことが心の片隅にあっても普通でいられる、(7)甘えちゃいけない、(8)今を大切に生きる、(9)開き直る、(10)気持ちを安定させる、(11)自信をつける、(12)自律する、(13)病気のことが頭に浮かぶ、(14)言葉を呑み込む、(15)生活の基盤、(16)心のよりどころとなる、(17)がんによる切実な恐怖を感じさせないである。

 2.結局は自分だという思いを、本研究のテーマをあらわすカテゴリとして抽出し、このカテゴリを核に17領域のカテゴリ間の構造を導き出した結果、がん体験者にとっての健康は、『病気体験と普通の生活との関係』と『結局は自分だという自覚構造』の2側面から示すことができた。

 3.『病気体験と普通の生活との関係』では、病気(がん)の体験により特別なことになってしまった普通の生活が、結局は自分だという自己をつかむことで再び日々の生活の一部となるプロセスのなかに、がん体験者の健康があらわされていることを説明した。

 4.『結局は自分だという自覚構造』では、がん体験者は結局は自分だという思いを用いて、つらい状況に対処していけることを説明した。結局は自分だという思いによって、甘えちゃいけない、今を大切に生きる、開き直るという態度や、気持ちを安定させ、自信をつけ、自律しようとする行為が生じていた。ただし、病気のことが頭に浮かび、言葉を呑み込むような状況下では、普通であることが一層特別なこととなってしまっていた。がん体験者が結局は自分だという思いをつかむためには、生活の基盤や心のよりどころとなるものがあり、がんによる切実な恐怖を感じないといった状況に対する解釈が必要であった。

 以上、本論文は、地域社会で生活するがん体験者は普通の生活をするという文脈のなかで健康をとらえており、結局は自分だという思いがその文脈の意味を左右する鍵をにぎっていることを明らかにした。さらに、人は本来がんを体験した後も、結局は自分だと思い、普通の生活をしていくことができる力をもっていることを確認した。本研究は、がん体験者の健康という現象を帰納的方法によって明らかにしたものであり、今後がん体験者の健康に関する理論の構築に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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