学位論文要旨



No 112068
著者(漢字) 井上,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ケンタロウ
標題(和) ステロイドサポニンの代謝に関与する特異的-glucosidaseの研究 : 植物におけるステロイド配糖体の役割解明をめざして
標題(洋)
報告番号 112068
報告番号 甲12068
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第733号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 助教授 長野,哲雄
内容要旨

 高等植物は、テルペノイド、ステロイド、フラボノイド、キノン類といった二次代謝産物や、オーキシン、サイトカイニンといった植物ホルモンなど、様々な成分を配糖体の形で蓄積している。同時に、植物内には、これら配糖体を加水分解する酵素も存在している。加水分解の結果生じるアグリコンは、生理活性を持つことが多い。植物の配糖体と、それを加水分解する酵素は、協調して何らかの生理的な役割を果たしていると考えられる。しかし、青酸配糖体の代謝を例外として、その反応の詳細について解明されているものは、ほとんどない。

 ステロイドホルモンの合成原料diosgeninは、供給源である植物生体内では、フロスタン型、あるいはスピロスタン型の配糖体として存在する(Fig.1.)。これらに関する研究は、専ら構造決定と薬理活性に関するものであり、その植物内での存在意義が興味の対象となることは、殆どなかった。スピロスタン型配糖体は、抗カビ、溶血といった、いわゆるサポニン活性を持つが、植物体を収穫した後、乾燥などの処理を行っている間に、フロスタン型配糖体から生成する。フロスタン型配糖体には上述のサポニン活性がないことから、この変換を生体防御反応の一つとみなすこともできる。しかし、その反応を触媒する酵素の実体については不明であった。

Fig.1.

 私は、サポニン生産植物に広く存在する、フロスタン型配糖体からスピロスタン型配糖体への変換を、これら配糖体の植物内での生理的存在意義解明につながる鍵反応ととらえた。そして、この変換反応を触媒する特異的-glucosidase、furostanol glycoside 26-O--glucosidase(F26G)の実体を捕らえることを目的として、以下の研究を行った。

結果および考察

 多様なアグリコンを生産すると、その代謝機構も多岐にわたる可能性があり、本研究の実験材料としては不適当である。そこで、サポゲニン成分がdiosgeninのみである熱帯産ショウガ科植物Costus speciosusを用いて研究を展開した。

1.F26G活性の検出

 順相HPLCを用いたF26G活性の評価系を新たに確立した。本植物の主なフロスタン型配糖体であるprotogracillinを基質として、生成するスピロスタン型配糖体gracillinを、分離、定量した。この系で定量した生成gracillin量は、glucose oxidase-peroxidase法により定量した遊離D-glucose量と一致した。

 本植物において、フロスタン型配糖体は、栽培植物では根茎に、また、栽培植物の茎頂より誘導したin vitro培養植物体では葉、根、茎の全草に蓄積する。一方、F26G活性は、フロスタン型配糖体が蓄積する器官にのみ検出された(Table 1)。青酸配糖体を含む植物では、配糖体とその加水分解に関与する酵素は同一器官に存在するが、組織あるいは細胞レベルで局在化していることが明らかになっている。物理的損傷を受けることで両者が接触し、加水分解反応と、その結果としてのシアン化水素酸の発生が引き起こされる。F26Gとフロスタン型配糖体も、細胞内で局在化している可能性が想定された。

Table 1.Furostanol glycosides and F26G activity in Costus speciosus.
2.F26Gの精製および諸性状

 栽培植物根茎から、ポリクラールATとイソアスコルビン酸ナトリウムを添加したリン酸緩衝液を用いて、粗酵素液を抽出した。硫酸アンモニウム沈殿(30〜60%)、DE52による陰イオン交換カラムクロマトグラフィー、疎水性および陰イオン交換HPLC(Ether-5PW、DEAE-5PW)により、比活性が約25倍上昇し、SDSポリアクリルアミドゲル上、銀染色で二本のバンド(54000、58000)を与える精製酵素標品を得た(Fig.2.)。ゲルろ過HPLC(G3000SWXL)において、分子量110000に相当する画分に280nmの吸収、酵素活性ともに対称な単一ピークとして溶出することから、本酵素は二量体構造を持つことが明らかになった(Fig.3)。

図表Fig.2.SDS-PAGE.1,MW marker;2,the purified F26G. / Fig.3.Gel filtration HPLC.

 SDSポリアクリルアミドゲル上で検出された、2本のバンドそれぞれに含まれるタンパクのN末アミノ酸配列の決定を試みた。58000タンパクからはシグナルが得られなかったのに対し、54000タンパクからは、既知植物-glucosidaseのN末領域と高い相同性を示す、ただ一種のペプチド配列が得られた。この配列の一部に対する抗ペプチド抗体を調製し、その反応性を調べたところ、54000タンパクのみならず、58000タンパクも認識した。このことから、これら二つのタンパクは、そのN末近傍の配列が類似している、また、同一の遺伝子産物に由来するものである可能性が予想された。

 精製酵素の諸性状を検討した。protogracillinに対するKm値は53M、至適pHは5.0から5.5であった。代表的-glucosidase阻害剤であるglucono-1,5-lactoneは250M、スピロスタン型配糖体のアグリコンdiosgeninは80Mで、それぞれF26G活性を50%阻害した。また、精製F26G、および市販-glucosidaseの加水分解酵素活性を比較検討した。その結果、F26Gは、フロスタン型配糖体の26位グルコシド結合の開裂を、非常に特異的に触媒する -glucosidaseであることが明らかになった(Table 2)。

Table 2.Substrate specificity of the purified F26G and commercia1 -glucosidases.

 In vitro培養植物体の根、茎、葉から得られた粗酵素液中のF26G活性は、陰イオン交換およびゲルろ過HPLCで同様の溶出挙動を示した。そこで、全草をまとめて酵素源とし、栽培植物根茎を酵素源とした場合と同様な方法により、精製を行った。その結果、比活性が約40倍に上昇し、SDSポリアクリルアミドゲル電気泳動およびゲルろ過HPLCでの挙動、N末アミノ酸配列を含め、根茎由来のF26Gと諸性状が一致する精製酵素標品が得られた。植物の形態が異なるが、共通した酵素がフロスタン型配糖体からスピロスタン型配糖体への変換反応を触媒していることが強く示唆された。また、最終精製標品の比活性の値から考え、F26Gは、栽培植物根茎、in vitro、培養植物体いずれにおいても、全可溶性タンパクの2〜5%を占め、比較的大量に存在していることが示唆された。

3.F26Gの構造解析 〜cDNAクローニング、および塩基配列の決定〜

 栽培植物根茎から精製したF26Gは、逆相HPLC(Phenyl-5PW RP)において1本のピークとして溶出した。これを分取し、さらにLys-Cで消化して数種のペプチド断片を得た。この中の5種についてアミノ酸配列を決定したところ、いずれも既知-glucosidaseの異なる領域の内部配列と、高い相同性を持つことが明らかになった。そこで、まずin vitro培養植物体(全草)からRNAを抽出し、それを逆転写して得られたcDNAを鋳型として、以下の手順でPCR法により本酵素遺伝子のクローニングを行った。i.部分アミノ酸配列それぞれに対応する合成オリゴヌクレオチドをプライマーとして部分断片を増幅した。ii.それをもとに新たに構築したプライマーを用いてRACE法を行い、5’翻訳開始部位および3’翻訳終止部位を含む断片を得た。iii.それぞれの塩基配列に基づき設計したプライマーを用いてPCRを行い、ORFの全長に相当する大きさ(約1.7 kb)のクローンを数種得た。その中で、ベクターpT7Blue(R)に組み込み大腸菌NovaBlueを形質転換した際、F26G活性を有するタンパクの発現が確認されたクローン(CSF26G1)の全長の塩基配列を決定したところ、ORF1686bpで562個のアミノ酸よりなる分子量63.5kDaのタンパクをコードしていることが明らかになった。予想されるアミノ酸配列の中には、精製F26G の部分消化によって得られたペプチド全てに相当する配列が含まれていた。しかし、精製酵素から決定した156残基中、18残基が一致しなかった。そこで、得られたcDNAクローンは、F26Gのアイソザイムの一つをコードするものであると結論した。また、相同性検索から、広い範囲の生物種の加水分解酵素によって構成される、BGAファミリーに属することが明らかになった。さらに、N末メチオニン以下83個のアミノ酸残基は、シグナルペプチドを構成していることが予想された。

総括および今後の展望

 本研究により、植物中でのステロイドサポニンの変換反応を触媒する特異的な加水分解酵素の実体が、初めて明らかになった。植物において、配糖体とその加水分解酵素は、同一器官に比較的大量に存在する。両者は、普段は局在化しているが、生理環境が変化することで接触し、大規模な加水分解反応が一挙に引き起こることが想定される。本研究で得られた知見をもとに、配糖体とそれに対する加水分解酵素の生理的役割の解明に向けて、飛躍的な研究の展開が期待される。

審査要旨

 高等植物内には、様々な配糖体と、これらに対する加水分解酵素が共存している。加水分解酵素に対する研究は、配糖体の植物内での存在意義解明につながることが期待される。しかし、青酸配糖体の代謝に関する-glucosidaseを例外として、その実体が詳細に解明されている植物加水分解酵素はほとんどない。

 代表的植物配糖体の一つであるスピロスタン型配糖体は、ステロイドサポニンの一種であり、抗真菌、溶血といった薬理活性を持ち、植物体を収穫した後、乾燥などの処理を行っている間に、不活性なフロスタン型配糖体から生成する。グルコース1分子の遊離を伴うこの変換反応は、外界からの真菌の侵入に対する植物の防御反応の一つであるとも考えられる。しかし、その反応を触媒する酵素の実体については不明であった。サポニンに関する研究は、構造決定と薬理活性に関するものに限られ、その植物内での存在意義が興味の対象となることは殆どなかった。

 本研究は、フロスタン型からスピロスタン型への変換を、これら配糖体の植物内での生理的存在意義解明につながる鍵反応ととらえ、その触媒酵素[furostanol glycoside 26-O--glucosidase(F26G)]の実体を解明することを目的としたものである。

F26G活性の検出

 実験材料として、サポゲニン成分がdiosgeninのみである熱帯産ショウガ科植物Costus speciosusを用い、まず本植物の主なフロスタン型配糖体であるprotogracillinを基質として、生成するスピロスタン型配糖体gracillinを、順相HPLCにより分離、定量するF26G活性の評価系を新たに確立した。この系で定量した生成gracillin量とglucose oxidase-peroxidase法により定量した遊離D-glucose量が一致することを確認している。

 本植物において、フロスタン型配糖体は、栽培植物では根茎に、また、栽培植物の茎頂より誘導したin vitro培養植物体では葉、根、茎の全草に蓄積するが、F26G活性の存在部位が、これらフロスタン型配糖体の蓄積器官に一致することを確認した。すなわち、青酸配糖体とその加水分解酵素の場合と同様に、F26Gとフロスタン型配糖体も、生理的条件下の細胞内では局在化している可能性が想定された。

F26Gの精製および諸性状の検討

 栽培植物根茎を酵素源として、硫酸アンモニウム沈殿(30〜60%)、陰イオン交換カラムクロマトグラフィー、疎水性および陰イオン交換HPLC(Ether-5PW、DEAE-5PW)を用いて、SDSポリアクリルアミドゲル上、銀染色で二本のバンド(54000、58000)を与える精製酵素標品を得た。G3000SWXLを用いたゲルろ過HPLCにおいて、分子量110000に相当する画分に、タンパク、酵素活性いずれも対称な単一ピークとして溶出することから、本酵素は二量体構造を持つことを明らかにした。また抗ペプチド抗体を用いた実験から、SDSポリアクリルアミドゲル上で検出された2本のバンドそれぞれに含まれるタンパクは、そのN末近傍の配列が類似している、また、同一の遺伝子産物に由来するものである可能性を指摘している。

 次いで精製酵素の諸性状を検討し、protogracillinに対するKm値53M、至適pHは5.0から5.5、代表的-glucosidase阻害剤であるglucono-1,5-lactone、および、スピロスタン型配糖体のアグリコンdiosgeninにより、効果的に活性が阻害されることなどを明らかにしている。また、精製F26Gは、各種市販-glycosidaseの加水分解酵素活性と比較し、フロスタン型配糖体の26位グルコシド結合に対し非常に特異的であることを明らかにした。

 培養植物全草からも、栽培植物根茎の場合と同様な方法により、諸性状が一致する精製酵素標品を得、植物の形態は異なるが、共通した酵素がフロスタン型配糖体からスピロスタン型配糖体への変換反応を触媒していることを示した。

F26Gの構造解析 〜cDNAクローニング、および塩基配列の決定〜

 逆相HPLCにより一本のピークとして溶出した精製酵素から、数種の部分アミノ酸配列を得、これらがいずれも既知-glucosidaseの内部配列と高い相同性を持っており、それぞれのポリペプチド上の相対位置を推定した。このアミノ酸配列の情報をもとにオリゴヌクレオチドプライマーを設計し、培養植物体全草から調製したcDNAを鋳型として、PCR法により本酵素遺伝子の部分断片を増幅した。さらに、RACE法を組み合わせ、最終的に、ORFの全長に相当する約1.7kbのcDNAクローンを数種得た。その中で、ベクターに組み込み大腸菌を形質転換した際、F26G活性を有するタンパクの発現が確認されたクローンにつき全長の塩基配列を決定し、ORFが1686bp、562個のアミノ酸よりなる分子量63.5kDaのタンパク(CSF26G1と名付けた)をコードしていることを明らかにした。

 CSF26G1の予想されるアミノ酸配列の中には、精製F26Gの部分消化によって得られたペプチド全てに相当する配列が含まれていたが、精製酵素から決定した156残基中、18残基が一致しなかったことから、得られたcDNAクローンはF26Gのアイソザイムの一つをコードするものであると結論している。

 以上本研究は、植物中でのステロイドサポニンの変換反応を触媒する特異的な加水分解酵素につき、その検出・精製・遺伝子クローニング・大腸菌での発現を行い、植物配糖体およびその加水分解酵素の生理的役割の解明に向けて重要な手がかりをもたらしたものであり、植物生化学、天然物化学の発展に寄与するところが多く博士(薬学)の学位に値するものと認めた。

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