学位論文要旨



No 112073
著者(漢字) 澤田,孝之
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,タカユキ
標題(和) フォスファチジルイノシトール3、4、5-トリスフォスフェートおよびその新規類縁体の合成
標題(洋)
報告番号 112073
報告番号 甲12073
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第738号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 助教授 橋本,祐一
内容要旨

 Phosphatidylinositol(PI)は、細胞内情報伝達に関わる重要な化合物として知られている。PIの一種であるphosphatidylinositol 4,5-bisphosphate(PI4,5-P2:1)は、様々な増殖刺激により活性化された phospholipase C(PLC)により加水分解をうけ、diacylglycerol(DG:2)とinositol 1,4,5-trisphosphate(Ins 1,4,5-P3:3)を生成する。2はprotein kinase C(PKC)を活性化し、3は細胞内Ca2+ストアからのCa2+の放出を行い、その結果細胞内で情報が伝達される。一方近年1の3位をリン酸化しphosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate(PI3,4,5-P3:4)を生成するPI-3 kinaseが発見された。 PI-3 kinaseは細胞増殖刺激により活性化され、一過性の4の濃度の上昇をもたらす。現在までに4を加水分解するPLCは発見されておらず、また4は5-phosphataseによりphosphatidylinositol3,4-bisphosphate(PI 3,4-P2)に分解されることが知られている。このことは4が従来の代謝経路とは全く違った経路により作用を発現するということを示しているとともに、4自身が細胞内情報伝達のセカンドメッセンジャーとなっている可能性を示唆するものである。いくつかのグループにより4の作用の研究がなされており、ある種のPKCを活性化することが分かってきた。しかし現在でも4の細胞内での役割は分かっていない。これは細胞中の4が微量のために単離困難であり、また酵素による合成を行っても充分な量を得ることが不可能であることに起因する。そこでPI3,4,5-P3の機能に関する情報を得るためにPI3,4,5-P3とその誘導体を合成することを計画した。

Scheme 1 Classical pathway

 また種々の誘導体合成に向けての効率的な合成法を確立すべく、inositol誘導体の新規不斉合成法を開発した。

I1--Alkylおよび1--Acyl誘導体の合成1)

 PI3,4,5-P3は細胞内に存在しているとき、DG部分は細胞膜に入り込んでおり、イノシトールリン酸部分は細胞膜上であらわになっていると考えられる。従ってDG部分の構造は標的タンパクに認識されないと思われ、イノシトールリン酸部分が活性発現に非常に重要な役割を担っている可能性がある。そこでDG部分を直鎖のalkylまたはacyl側鎖に置き換えた、1--alkylおよび1--acyl誘導体をデザインした(Scheme 2)。

Scheme2

 これらの誘導体の合成は Scheme 3に従って行った。 すなわち、mehtyl--D-glucopyranosideを出発原料とし文献既知の方法2)によりinositol誘導体7を得、これをalkylhalideによりアルキル化6、または無水ステアリン酸によりアシル化し8を得た。一方1--acetyl体は合成中間体6より直接合成した。8はDDQによるMPM基の除去、dibenzyl N,N-diethylphosphoramiditeによるリン酸化により9とした後、接触還元によりすべての保護基を除去し1--alkylおよび1--acyl誘導体10に導いた。

Scheme3

 (1--Alkylおよび1--acyl誘導体のPI3,4,5-P3誘導体としての有効性の確認)

 1--Alkylおよび1--acyl誘導体の、3種の酵素PI-3 kinase、PI-4 kinase、PI3,4,5-P3 5-phosphataseに対する影響を調べた。1--octadecyl、1--hexadecyl、1--stearoyl体はこれらの酵素を完全に阻害した。しかし1--dodecyl誘導体はわずかな阻害しか観察されず、またそれより短い側鎖をもつ誘導体に関しては全く阻害活性が認められなかった。このことはPI3,4,5-P3誘導体として有効に作用するためには、長い脂溶性の側鎖が必要であることを示している。ここで用いた3種の酵素の基質はミセルを形成している可能性があり、1--alkyl、1--acyl誘導体がそのミセルに取り込まれることが作用発現の条件と考えると、側鎖にはある程度の脂溶性が必要なのではないかと考察できる。以上の結果より脂溶性側鎖をもつ1--alkyl、1--acyl誘導体はPI3,4,5-P3の新規アナログとして利用可能であると判断した。

図表
II1--Alkylおよび1--acyl-myo-inositol 3,4,5-trisphosphateのデザインを利用したBiological Toolの創製

 1--Alkylおよび1--acyl誘導体がPI類のアナログとして利用可能であることが確認されたので、このデザインを利用してPI-3 kinase pathwayの解析のためのアフィニティーゲルを作製した。

Scheme4

 このゲルを用いて結合タンパクの解析を行ったところ、数種の結合タンパクが観察され、その内の一種はシビレエイのシナプス小胞のタンパクとホモロジーがあることが分かった。

 またPI-3 kinase pathwayの解析をより進めるために、phosphatase耐性が期待されるチオリン酸体の合成が進行中である。

IIIPI3,4,5-P3(4)の合成

 PI3,4,5-P3は上記誘導体のpositive controlとなる化合物である。

 PI3,4,5-P3の合成はScheme5に従って行った。アルコール7に2つのstearoyl基をもつdiacylglycerol-phosphoramidite 14をカップリングさせて15を得た。15はDDQによるMPM基の除去、dibenzyl N,N-diethyl phosphoramiditeによるリン酸化により 16とし、接触還元による脱保護反応を経て、4とした。

Scheme5
IV効率的不斉合成法の開発3)

 I、IIで用いたmethyl--D-glucopyranosideからの合成法は、3、4、5位に同時にリン酸基を導入するには優れた方法である。しかしPI3,4,5-P3の機能を調べるためには、それ以外のinositol誘導体、すなわちリン酸の位置異性体やdeoxy体やPIns-3,4,5-P3の対掌体等を合成することが必要と思われる。そこで我々は、種々の誘導体合成のためにより効率的な不斉合成法の開発を行った。

 1994年にChiaraらによって報告されたSmI2用いたpinacolcoupling反応によるイノシトールの不斉合成4)は非常に優れている。しかし前駆体のdialdehydeに誘導するまでに多くの工程を必要としている。そこでこの反応を利用し、より効率的な合成法を考案した。出発原料としては容易に入手可能なdiethyl2,3-O-isopropylidene-D-tartrate(17)を用いた。17の2つのエステル基を同時に増炭しbisallylalcohol 18 とした。18をSharpless不斉エポキシ化によりbisepoxy alcohol 19 へと導いた。19をヨウ素化後、還元的にcpoxideを解裂して望みの立体をもつbisallylalcohol 20 とした。水酸基をTBDPS基により保護した後、オゾン分解によりdialdehyde 21 とした。このように我々は17の2つのエステル基を同時に変換していくことにより方法より3工程短縮された不斉合成法を確立した。21からはChiaraらの方法によりmyo-inositolへ変換した。

 

Scheme6

 次にinositolの3位と6位に異なる保護基を導入した化合物を得ることを考えた。そしてそのために21の二つのTBDPS基のうち1つをBenzyl基に置き換えた非対称dialdehyde 24のpinacol-coupling反応を行った。この反応を行った結果、inositol誘導体25と26が2:1の比で生成した。これらの方法により合成したinositol誘導体22、25および26は、1--alkylや1--acyl誘導体等の合成に適用できるだけでなく、Ins 1,2,4,5-P4、Ins 1,4,5-P3、Ins 1,3,4,5-P4等のinositol誘導体への合成も容易である。したがって本合成法は既知の合成法に比べてはるかに効率的であり今後の各種誘導体の合成に非常に有用である。

Scheme7
総括

 PI3,4,5-P3の作用解析を目的として、2つのstearoyl基を有するPI 3,4,5-P3、1--alkylおよび1--acyl類縁体の合成を行った。1--alkylおよび1--acyl類縁体はPI-3 kinase、PI-4 kinase、PI 3,4,5-P3 5-phosphataseに対して阻害活性を有する。このことからこれら類縁体はPI類として認識されていると結論でき、PI 3,4,5-P3機能解析のツールとして有効であることが確認された。このデザインを利用しアフィニティーゲルを作成した。またリン酸位置異性体等の合成に有効な、効率的なmyo-inositolの不斉合成法を開発した。この方法は多くの類縁体への誘導が可能であり、今後この反応を用いて多くの類縁体が合成され、inositolの関わる様々な生物作用の解析に大きく貢献すると思われる。

文献1)Sawada,T.,Shirai,R.,Matsuo,Y.,Kabuyama,Y.,Kimura,K.,Fukui,Y.,Hashimoto,Y.,Iwasaki,S.BioMed.Chem.Lett.,5,2263-2266,1995.2)Esteves,V.A.;Prestwich,G.D.J.Am.Chem.Soc.,113,9885-9886,1991.3)Sawada,T.,Shirai,R.,Iwasaki,S.Tetrahedron Lett.,in press.4)Chiara,J.L.;Martin-Lomas,M.Tetrahedron Lett.,35,2969-2972,1994.
審査要旨

 従来から,Phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate(PI 4,5-P2)が,代謝過程で細胞内情報伝達系に関与することが知られているが,近年,PI 3,4,5-trisphosphate(PI 3,4,5-P3)を生成するPI-3 kinaseが発見され,しかも,これの分解代謝経路が不明なことから,自身が情報伝達系に関与する可能性も示唆されている.しかし,機能解析に十分な量のPI 3,4,5-P3の供給がないため未だ細胞内の役割は不明である.

 本研究は,PI 3,4,5-P3と類縁体の合成的な供給,活性評価とその利用,および,類縁体の効率的な合成法の開発を目指している.

1-0-アルキル,1-0-アシル-D-ミョイノシトール 3,4,5-トリスフォスフェートのA成と活性評

 PI 3,4,5-P3は,イノシトール燐酸部分で標的蛋白に認識され,ジアシルグリセロール部分で膜脂質と相互作用すると仮定し,種々の鎖長の1-0-alkyl,1-0-acyl誘導体を2,6-di-0-BOM-3,4,5-tri-0-PMB-D-myo-inositolを鍵中間体として合成し,PI-3 kinase,PI-4 kinase,PI 3,4,5-P3 5-phosphatase阻害活性を検定した.短い側鎖の誘導体は活性が無いが,C16,C18-アルキル体,C18-アシル体はこれら酵素を完全に阻害した.この結果は,長鎖のアルキル,アシル誘導体は,PI 3,4,5-P3のアナログとして利用可能であることを示す.次いで,1-0-アルキル鎖を介して Ins 3,4 5-P3をアガロースゲルに結合したアフィニティーゲルを作成し,酵素精製への利用を検討した.

フォスファチジルイノシトール 3,4,5-トリスフォスフェートの合成

 上記アナログのpositive controlとなるPI 3,4,5-P3を,上記鍵中間体にdistearoylglycerol-phosphoramiditeをカップリンッグさせ,DDQによるPMB基の除去,diben-zyl N,N-diethylphosphoramiditeによるリン酸化,接触還元による BOM基の脱保護を経て合成した.

イノシトール類の効率的不斉合成法の開発

 PI 3,4,5-P3の機能の解析のために,各種のリン酸基位置異性体,deoxy体,対掌体などの合成と,それらの活性の解析が有効であるが,それらを得るために,各種イノシトールの効率的合成法の開発が必要である.本研究では,Chiara らにより報告された2,3,4,5-tetrahydroxyhexa-1,6-dial誘導体の,SmI2を用いた分子内ピナコール・カップリング反応が,イノシトール類の不斉合成法として優れていることに着目し,種々の立体異性や異なった保護基の導入した上記ジアルデヒド誘導体の,効率的な合成が可能な方法を開発した.

 即ち,種々な立体異性体の入手容易な酒石酸を出発原料とする方法で, diethyl 2,3-0-isopropylidene D-tartarate から出発して,DIBALH還元,Horner-Emmons反応,DIBALH還元により bisallyl alcoholとし,不斉エポキシ化,末端水酸基のヨー素化に続く還元的エポキシ開裂を経て,末端オレフィン基を持つbisallyl alcoholに導き,これのオゾン分解により上記ジアルデヒドに導いた.

 この方法は,既知の方法よりステップ数も短く,最終段階前のbisallyl alcoholに異なった保護基を架けることにより,リン酸基の位置異性体や, 2リン酸, 3リン酸,4リン酸誘導体などの合成も可能である.

 以上,本研究は,新しい細胞内情報伝達物質として注目されている Phosphatidylinositol-3,4,5-trisphosphateおよびその類縁体の新合成法を開発して供給の道を開くと共に,その役割解明のための道具として,新規な機能性類縁体の創製に成功した研究で,薬学の進歩に貢献するものであり,博士(薬学)の学位に価するものと判断した.

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