学位論文要旨



No 112074
著者(漢字) 志鷹,義嗣
著者(英字)
著者(カナ) シタカ,ヨシツグ
標題(和) 海馬神経細胞における電位依存性Ca2+チャネル発現に対するサイトカインの作用とその生理的意義
標題(洋)
報告番号 112074
報告番号 甲12074
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第739号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 小野,秀樹
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 客員助教授 岩坪,威
内容要旨 第1章序論

 電位依存性Ca2+チャネルは多くの興奮性、非興奮性細胞に見出されているが、神経細胞には特に多種類のCa2+チャネルが共存しており、その電気生理学的、薬理学的性質によりT、L、N、P、Q、Rの各タイプに分類されている。成体において、異なるタイプのCa2+チャネルはその相対的発現量や細胞内分布が神経細胞の種類によって大きく異なっており、それぞれ伝導、シナプス伝達、シナプス可塑性などに重要な生理的役割を果たしていると考えられている。一方、発生初期の神経細胞では、電位依存性Ca2+チャネルが膜の興奮性の主体を成し、細胞死あるいは神経突起の形態分化などの神経回路の形成過程に関与していると考えられている。しかし、各タイプCa2+チャネルの発現量や特徴的な細胞内分布を、どのような生体内因子が制御しているかに関しては殆ど報告がない。以上より、私はラット胎仔海馬神経細胞を用い「Ca2+チャネルの発達を制御している因子の同定、およびその生理的意義の解明」を目的として研究を行い、basic fibroblast growth factor(bFGF)を初めいくつかのサイトカインにCa2+チャネルの発達を制御する作用があることを見出した。bFGFによりその発達を制御されるCa2+チャネルの特性、作用発現までの細胞内情報伝達機構、細胞内分布の特性を中心に検討した。

第2章海馬神経細胞におけるCa2+チャネル応答に対するbFGFの影響(その1)-細胞内Ca2+濃度測定系を用いた検討-

 培養海馬神経細胞においてhigh K+による脱分極刺激で誘発される細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)上昇を指標にbFGFのCa2+チャネル応答に対する影響を検討した。

 海馬神経細胞は胎生18日齢Wistar系ラットよりトリプシン処理により単離し、10%牛胎仔血清を含む培地中、15mm-coverglassに2.5×104cells/cm2の細胞密度で播種した。培養開始後12時間以内に無血清培地に培地を交換した。[Ca2+]iは蛍光色素fura-2を用いて細胞体での蛍光強度変化を測定し算出した。無血清培地中、海馬神経細胞における、high K+(50mM)により誘発される[Ca2+]i上昇応答は経時的に増大する傾向を示したが、bFGF(10 ng/ml)を培地に添加(24-84 hr)することにより、その[Ca2+]i上昇応答は対照群に比べて有意に増大した(図1)。この効果は濃度依存的であり(図2)、bFGF添加後24時間でも観察された。このhigh K+により誘発される[Ca2+]i上昇応答は対照群、bFGF群ともに高閾値活性化型Ca2+チャネルを阻害するCd2+(20M)、あるいはLタイプCa2+チャネルを阻害するnicardipine(10M)によりブロックされた。また、小胞体Ca-ATPaseの特異的阻害剤であるthapsigargin(1M)前処理により細胞内Ca2+ストアを枯渇させた後でも、bFGF群における[Ca2+]i上昇応答は対照群に比べて有意に増大していたこと、caffeine(50 mM)急性適用により対照群、bFGF群ともに[Ca2+]iの上昇が殆ど観察されなかったことから、このhigh K+誘発[Ca2+]i上昇応答に対する細胞内Ca2+ストアの寄与は非常に少なく、bFGFはnicardipine感受性のCa2+チャネル応答を増大させることが示唆された。また、この増大作用はbFGF(20ng/ml)の急性適用では認められず、タンパク合成阻害剤cycloheximide(0.1M)あるいはRNA合成阻害剤actinomycin D(1nM)の共添加により抑制されたことからタンパク合成を介するものであることが示唆された。

図表図1 培養海馬神経細胞におけるhigh K+誘発[Ca2+]i上昇応答の経時的変化に対するbFGFの影響 / 図2 bFGFによるhigh K+誘発[Ca2+]上昇応答増大作用の濃度依存性(培養4日目)
第3章海馬神経細胞におけるCa2+チャネル応答に対するbFGFの影響(その2)-whole cell patch-clamp法を用いた検討-

 第2章で観察されたbFGFにょるCa2+チャネル応答の増大作用をより詳細に検討するためにwhole cell patch-clamp法を用いて検討を加えた。海馬神経細胞を35mm-dishに1×104cells/cm2の細胞密度で播種し、培養開始12時間後にbFGFを添加した。培養4日目に神経突起形成細胞から、whole cell patch-clamp法を用いてCa2+電流を測定した。測定は1 cycle 15 sとし、記録細胞をresting potential-60mVに13s維持し、-100mV、1.75sのholding potentialをかけた後、250 ms、-60 〜 +60 mVのtest potentialをそれぞれ与えCa2+電流のピーク値を測定した。bFGF(10ng/ml)添加群において、高閾値活性化型Ca2+電流応答の増大が観察された(図3-A、B)。また、記録細胞の膜容量に対照群との差は認められず、test potential 0 mVにおける膜容量当たりの電流密度は濃度依存的に増大していた(図3-C)。また持続性Ca2+電流の顕著な増大が観察された。以上、第2、3章の結果を合わせて考えると、bFGFによって増大されるCa2+チャネル応答は、LタイプCa2+チャネルを介した応答と薬理学的、電気生理学的性質が類似していることが明らかになった。

図3 電位依存性Ca2+チャネル電流に対するbFGF clmonic treatmentの影響A:典型的Ca2+電流(test potential 0mV)B:電流-電圧曲線C:電流密度への影響(test potential 0mV)
第4章培養海馬神経細胞のCa2+チャネル応答に対する各種サイトカインの影響とbFGFのCa2+チャネル応答増大作用発現に関与する細胞内情報伝達機構

 第2章より本研究で用いた培養海馬神経細胞では、high K+誘発[Ca2+]i上昇に対する細胞内Ca2+ストアの寄与は殆どないことが示された。また第3章のwhole cell patch-clamp法による結果ともよい対応が観察されたことから、第2章で用いた実験系はCa2+チャネル応答を評価する簡便なスクリーニング系となることが示唆された。そこで第2章と同様の実験系を用いて、先ず各種サイトカインのCa2+チャネル応答に対する影響を検討した。その結果、interleukin-2(IL-2)、neurotrophin-3(NT-3)、activinにbFGFと同様のCa2+チャネル応答の増大作用があることを見出した。Nerve growth factor(NGF)、brain-derived neurotrophic factor(BDNF)、epidermal growth factor(EGF)はCa2+チャネル応答に影響を与えなかった。次に、bFGFによるhigh K+誘発[Ca2+]i上昇増大作用の発現に関与している細胞内情報伝達系について薬理学的検討を加えた。bFGF(10ng/ml)の作用はチロシンキナーゼ阻害剤のgenistein(10M)により抑制された。また、Rasを介する情報伝達系を阻害するN-Acetyl-S-farnesyl-L-cysteine(20M)によっても抑制された。他の情報伝達系を阻害するU-73122(1M)、wortmannin(100nM)、Li+(3mM)あるいはrapamycin(1M)の共添加では抑制されなかった。更にbFGFの作用はforskolin(100M)、または8-Br-cAMP(1M)の共添加によって抑制された(図4)。PKC阻害剤のcalphostin CはbFGFの作用に影響を与えず、アラキドン酸(1M)、PMA(100nM)単独適用ではhigh K+誘発[Ca2+]i上昇応答は影響を受けなかった。bFGFは多くの細胞内情報伝達系を活性化することが知られているが、本章の結果からbFGFが受容体チロシンキナーゼを活性化した後、Ras、Rafの活性化を介して[Ca2+]i上昇応答の増大作用を発現していることが示唆された。今後、bFGF以外の[Ca2+]i上昇応答の増大作用が見出されたサイトカインについて作用発現に関与する細胞内情報伝達系を解析することにより、神経細胞におけるCa2+チャネル発現制御機構の解明に重要な知見が得られるものと期待される。

第5章培養海馬神経細胞におけるCa2+チャネル発現量と細胞内局在性に対するbFGFの影響

 第2、3章の結果からbFGFによりLタイプCa2+チャネルの発現が増大している可能性が示唆された。そこで、LタイプCa2+チャネルの特異的蛍光プローブである(―)-STBodipy-DHPにより、bFGF(10ng/ml)で処理した海馬神経細胞における、LタイプCa2+チャネルの発現量の変化と細胞内の局在を共焦点レーザー顕微鏡を用いて検討した。対照群、bFGF群ともに細胞体の神経突起起始部に強い蛍光が局在して観察され、bFGF群では対照群と比較してその蛍光強度が有意に増大していた(図5左)。同一細胞におけるhigh K+誘発[Ca2+]i上昇応答がbFGF群において増大していた(図5右)ことから、bFGFによるhigh K+誘発[Ca2+]i上昇応答の増大は細胞膜上のLタイプCa2+チャネル量の増加に起因することが示唆された。更に、神経突起部での発現を検討したところ、bFGF群では神経突起の分岐点に強い蛍光のclusterが観察され、以前より当教室で報告してきたbFGFの強力な神経突起分岐形成能との関連が推察された。

第6章bFGFによる神経突起分岐形成促進作用におけるCa2+チャネルの関与

 第5章の結果から、bFGFの分岐形成促進作用とLタイプCa2+チャネルの関連が推察された。そこでLタイプCa2+チャネルの阻害剤であるnicardipineのbFGF分岐形成促進作用への影響を検討した。5 M の nicardipineの共添加によって、bFGFの分岐形成促進作用は完全に抑制された(図6)ことから、bFGFによる分岐形成促進機構にLタイプCa2+チャネルが関与していることが示唆された。

図表図4 bFGFのhigh K+誘発[Ca2+]上昇応答増大作用に対するforskolin、8-Br-cAMPの抑制作用 / 図5 Lタイプ電位依存性Ca2+チャネルの発現量に対するbFGFの影響 / 図6 bFGFの神経突起分岐形成促進作用に対するnicardipineの影響
第7章総括・結論

 本研究の結果、bFGFが培養海馬神経細胞に対して、LタイプCa2+チャネルの細胞体における発現量を増大させ、Ca2+チャネル応答の発達を促進することが明らかになった。また、その作用発現にはチロシンキナーゼ、Ras、Rafを介した細胞内情報伝達系が関与していることが示された。更に、bFGFがLタイプCa2+チャネルの神経突起分岐点への特徴的な局在化をもたらすことにより、神経突起の分岐形成を促進している可能性が示唆された。IL-2、NT-3、activinにもCa2+チャネル応答の発達促進作用を見出されたことから、神経細胞におけるCa2+チャネルの発達が多様なサイトカインによって制御されている可能性が示唆された。

 本研究の結果は神経細胞におけるCa2+チャネル発現制御機構の解明に重要な手がかりを与えるとともに、発達期におけるCa2+チャネルの生理的役割について重要な知見を与えるものと考えられた。

審査要旨

 電位依存性Ca2+チャネルは多くの興奮性、非興奮性細胞に見出されているが、神経細胞には特に多種類のCa2+チャネルが共存しており、その電気生理学的、薬理学的性質によりT、L、N、P、Q、Rの各タイプに分類されている。成体において、異なるタイプのCa2+チャネルはその相対的発現量や細胞内分布が神経細胞の種類によって大きく異なっており、それぞれ伝導、シナプス伝達、シナプス可塑性などに重要な生理的役割を果たしていると考えられている。一方、発生初期の神経細胞では、電位依存性Ca2+チャネルが膜の興奮性の主体を成し、細胞死あるいは神経突起の形態分化などの神経回路の形成過程に関与していると考えられている。しかし、各タイプCa2+チャネルの発現量や特徴的な細胞内分布を、どのような生体内因子が制御しているかに関しては殆ど報告がない。本論文は中枢神経細胞において電位依存性Ca2+チャネルの発達を制御している因子の同定、およびその生理的意義の解明を目的としており、basic fibroblast growth factor(bFGF)(こよりその発達を制御されるCa2+チャネルを中心に、薬理学的・電気生理学的特性、作用発現までの細胞内情報伝達機構、細胞内分布の特性とその生理的意義について研究した結果をまとめたものである。

 本研究では、まず、脱分極刺激で誘発される細胞内Ca2+濃度([Ca2+]i)上昇とwhole cell patch-clamp法を用いて測定したCa2+電流を指標に、培養海馬神経細胞における電位依存性Ca2+チャネルの発達を機能的側面から詳細に検討した。その結果、最近、神経細胞の分化を制御する因子として注目されているbFGFに、Ca2+チャネルの発達を促進する作用があることを見出した。また、bFGFによりその発達が促進されるCa2+チャネルは、LタイプCa2+チャネルと薬理学的、電気生理学的性質が類似していること、及びbFGFによるCa2+チャネルの発達促進作用には新たな蛋白質の合成が関与していることを明らかにした。更に、[Ca2+]i測定系を用いて、神経細胞におけるCa2+チャネルの発現を簡便に評価するスクリーニング系を確立した。

 次に、この評価系を用いて、各種サイトカインのCa2+チャネル発達に対する影響を検討した。その結果、interleukin-2(IL-2)、neurotrophin-3(NT-3)、activinにもbFGFと同様のCa2+チャネル発達の促進作用があることを見出した。また、bFGFによるCa2+チャネル発達促進作用に関与している細胞内情報伝達系について詳細に薬理学的検討を加えた。bFGFは多くの細胞内情報伝達系を活性化することが知られているが、本研究の結果からbFGFが受容体チロシンキナーゼを活性化した後、Ras、Rafの活性化を介してCa2+チャネルの発達を促進していることが示唆された。

 更に、LタイプCa2+チャネルの発現量の変化と細胞内での局在を、LタイプCa2+チャネルの特異的蛍光プローブである(―)-STBodipy-DHPにより、共焦点レーザー顕微鏡を用いて検討した。bFGF処理した神経細胞では細胞体と神経突起遠位部の分岐点に顕著なLタイプCa2+チャネルの発現が観察された。

 最後にbFGFの分岐形成促進作用とLタイプCa2+チャネルの関連について検討を加え、bFGFによる分岐形成促進機構にLタイプCa2+チャネルが関与していることを示唆した。

 本研究の結果、bFGFが培養海馬神経細胞に対して、LタイプCa2+チャネルの細胞体における発現量を増大させ、Ca2+チャネル応答の発達を促進することが明らかになった。また、その作用発現にはチロシンキナーゼ、Ras、Rafを介した細胞内情報伝達系が関与していることが示された。更に、bFGFがLタイプCa2+チャネルの神経突起分岐点への特徴的な局在化をもたらすことにより、神経突起の分岐形成を促進している可能性が示唆された。IL-2、NT-3、activinにもCa2+チャネル応答の発達促進作用を見出されたことから、神経細胞におけるCa2+チャネルの発達が多様なサイトカインによって制御されている可能性が示唆された。

 本研究の結果は神経細胞におけるCa2+チャネル発現制御機構の解明に重要な手がかりを与えるとともに、発達期におけるCa2+チャネルの生理的役割について重要な知見を与えるものと考えられ、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判定した。

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