学位論文要旨



No 112075
著者(漢字) 浜瀬,健司
著者(英字)
著者(カナ) ハマセ,ケンジ
標題(和) D-アミノ酸の微量分析法の確立及びラット脳内における分布と動態の解析
標題(洋)
報告番号 112075
報告番号 甲12075
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第740号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 松木,則夫
 東京大学 客員助教授 岩坪,威
内容要旨

 従来生体を構成するアミノ酸はL体のみであり、D体は存在しないと考えられてきた。しかし近年光学分割と微量定量技術の発達により、多くの生物中からD-アミノ酸の存在が報告され、その生理的意義に関心が持たれている。しかし、一般に生体内ではD-アミノ酸はL体と比較して微量にしか存在しないこと、生体由来の様々な夾雑物によりその定量が妨害されること等から全てのD-アミノ酸を対象とした分析は困難であるとされてきた。筆者は生体内D-アミノ酸を総合的に解析するためには、全てのD-アミノ酸について高感度かつ正確に定量可能な分析法を確立することが不可欠であると考え、まずこの分析法の検討を行った。次にこの分析法を用いて、近年D-アミノ酸の働きに興味が持たれているラット脳組織についてD-アミノ酸の分布、並びに動態の解析を行った。

【1】D-アミノ酸微量分析法の確立

 アミノ酸は4-fluoro-7-nitro-2,1,3-benzoxadiazole(NBD-F)を用いて蛍光誘導体化し、重要性の高い20種のアミノ酸のうちTrp、Cys、Glyを除く17種を分析対象とした。まず標品により各アミノ酸の光学分割を試み、Pirkle型キラル固定相カラムであるSumichiral OA-2500を用いて上記17種のアミノ酸を良好に光学分割する系を確立した(Table 1)。しかしこれを直接生体試料中のD-アミノ酸定量に適用することは、その量がきわめて微量である為に夾雑物による妨害を受けることが分かった。そこで光学分割を行うに先立って各NBD-アミノ酸を逆相カラムで分離し、D、L混合物として分取精製を行った後、先のキラル固定相法により光学分割を行った。Figure 1に、例としてラット松果体におけるAla、Pro、Aspを光学分割した時のクロマトグラムを示す(Fig.1)。このキラル固定相を用いて求めたD/L比と逆相カラムでのアミノ酸の定量値からD-アミノ酸量を求め、更に逆の立体配置のキラル固定相を用いてD,L-アミノ酸のピークを反転させ、D-アミノ酸の存在を確認した。この方法により、上記17種のD-アミノ酸について微量分析が可能となった。

Table1 Capacity factors(k’)and separation factors()of NBD-D,L-amino acidsFig.1 Determination of ratios of D-amino acids in rat pineal glandColumn ; Sumichiral OA-2500(R), ambient Precolumn ; ODS-80TM Mobile phase(flow rate) ; 5 mM citric acid / MeOH(1ml/min) Detection ; fluorometry ex. 470nm, em. 530nm
【2】ラット脳内におけるD-アミノ酸の分布

 上記の方法を用い、ラット脳組織についてD-アミノ酸の分布を調べた。エーテル麻酔下、Sprague-Dawley系6週齢ラットの脳組織を摘出し、大脳、小脳、海馬、下垂体、延髄、視床下部、松果体に分画した。各部位におけるD-アミノ酸を分析した結果、D-Aspが松果体、下垂体に、D-Serが小脳、延髄を除く全域に、D-Alaが下垂体に、D-Leuが松果体、海馬に存在することが明らかになった。これらのアミノ酸のうちD-AspとD-Serは比較的量も多く、現在までにいくつか報告があるが、D-Ala、D-Leuについては極めて微量な成分であり、D-Alaに関しては初めてラット脳内における分布が明らかにされた。また、D-Leuは本研究により初めてラット脳内における存在、及び分布が明らかにされた。今回検討した部位のうち、二種以上のD-アミノ酸が認められた松果体、下垂体、海馬の結果をTable 2に示す。このうち、松果体のD-Aspは約3mol/gwettissueであり、今回ラット脳中に認められたD-アミノ酸のうち、最も高濃度であることが示された。また、松果体D-Leu、D-Ser、下垂体D-Asp、D-Ala、海馬D-Leuには性差が認められた。これらの結果は特定の脳部位に特定のD-アミノ酸が性依存的に局在することを示している。

Table2 D-Amino acids in rat pineal gland,pituitary gland and hippocampus
【3】ラット脳内D-アミノ酸の含量変化

 今回D-アミノ酸が最も高濃度に存在した松果体について、D-アミノ酸含量の週齢変化、及び種々の薬物投与時の動態を調べた。D-Asp含量の週齢変化を調べた結果をFig.2に示す。松果体D-Aspは生後2週齢ではほとんど存在せず、4週から10週齢において有意に高濃度に存在した。また20週齢以降は減少する傾向が認められた。D-Asp含量は様々な組織でその成熟に伴い一過性の上昇を示すという報告もあり、松果体においてもその成長の一時期において何らかの原因で増加したものと考えられる。松果体D-Serに関しては加齢に伴う有意な変化は認められず、D-Leuは2週齢と比較し、生後6週で有意に増加した後、20週以降は有意に減少した。なおD-Leuの含量変化はL-Leuの変化とは全く異なっており、D-アミノ酸がL体とは異なる調節機構を持つことを示唆した。また、下垂体D-Alaについても調べたところ、生後2週齢においてはほとんど存在せず、4週齢で有意に増加し、以降ほぼ一定の値を示した。以上の結果はD-アミノ酸含量がそれぞれの脳部位でそれぞれのアミノ酸特有の調節を受けていることを示していると考えられる。次に種々の薬物投与時の動態を調べた。松果体は交感神経の支配を受け、夜間に受容体を介したメラトニンの合成、分泌を司ることが知られている。そこでラットをウレタンで麻酔し、アゴニストである(-)-isoproterenolの投与による各D-アミノ酸量の変化を調べた。その結果D-Asp含量はほとんど変化しなかったが、D-Leuは有意に増加した。またether、pentobarbital、urethaneの各麻酔時における松果体D-Asp、D-Leu含量を調べたところ、D-Asp含量は無麻酔時と比較して各麻酔時に有意に高濃度であることが示された。D-Leuに関しては、無麻酔時と比較してウレタン麻酔時に有意に減少した。

Fig.2 Developmental changes of D,L-Asp contents in rat pineal gland
【4】松果体microdialysisを用いたD-Aspの動態

 松果体D-Aspの動態を更に詳細に検討するため、同一ラットを用いた経時変化を追跡した。すなわち松果体microdialysisを行い、そのD-Asp量の変化を測定した。一般にmicrodialysisでは組織摘出による含量分析時よりも少量かつ低濃度の試料しか得られないが、今回のNBD-誘導体化を用いた高感度分析法によりD-Aspの測定が可能であった。まず日中から夜間における変化を調べたところ、先に述べたメラトニンの分泌亢進は認められたものの、D-Asp、L-Asp量はほとんど変化しなかった(Fig.3)。特にD-Aspはほとんど存在せず、松果体における細胞外濃度は極めて低いことが明らかになった。また、(-)-isoproterenol投与時においてもほぼ同じ現象が認められた。更に予試験的に非特異的に神経細胞を脱分極させるKCl刺激と、細胞間隙から細胞内へのグルタミン酸(アスパラギン酸)の取り込みを阻害するdihydrokainate投与を試みたが、いずれも細胞外D-Asp濃度に変化が見られなかった。この結果より、松果体内において通常はD-Aspの細胞外濃度は極めて低く、大部分が細胞内に存在することが示された。また受容体を介した刺激は、D-Aspの分泌にほとんど影響を与えないものと考えられる。

Fig.3 Extracellular D,L-Asp and melatonin levels over the transition from the light phase to the dark phase determined by pineal microdialysis
まとめ

 1)逆相カラムによるアミノ酸分離とキラル固定相による光学分割を組み合わせることにより、生体試料中から17種のD-アミノ酸について微量定量が可能となった。

 2)この方法を用いてラット脳内におけるD-アミノ酸の分布を明らかにし、既に報告されているD-Asp、D-Serの他、松果体、海馬においてD-Leu、下垂体においてD-Alaを新たに発見した。

 3)松果体のD-Asp、D-Leu含量は麻酔薬により大きく影響を受けることが示された。またウレタン麻酔下におけるD-Leu含量は、アゴニストであるイソプロテレノールの投与により有意に増加した。これに対し、D-Asp含量には変化が認められなかった。

 4)マイクロダイアリシスを用いた検討により、松果体のD-Aspは通常の細胞外濃度は極めて低く、大部分が細胞内に存在することが示された。更に受容体を介した刺激は、その分泌にほとんど影響を与えないことが示唆された。

 本研究を通してラット脳内D-アミノ酸の分布及びその動態の一端が明らかになった。今回得られた知見はラット脳内D-アミノ酸含量がどのように制御されているかを解明するための手掛かりになると考えられ、更にはD-アミノ酸の生理的役割を明らかにするための基礎的研究になると期待される。

審査要旨

 従来、高等動物の生体を構成するアミノ酸はL体のみであり、D体は存在しないと考えられてきたが、最近、ラット、人などの生体組織中にD-アミノ酸の存在が報告され、その生理的意義に関心が持たれている。しかし、D-アミノ酸の存在量はL体と比較して微量である上、生体由来の夾雑物によりその定量が妨害されるため、生体内D-アミノ酸の分析は困難を極めていた。

 本論文は、生体内アミノ酸を4-fluoro-7-nitro-2,1,3-benzoxadiazole(NBD-F)を用いて蛍光誘導体とし、Pirkle型光学活性固定相(Sumichiral OA-シリーズ)を用いるHPLCにてD,L分割分離、蛍光検出する既存の方法を、詳細に検討し直し、D-アミノ酸の高感度かつ選択的な分析法を確立し、ついで、これをラット脳組織中D-アミノ酸の分布、並びに動態解析に応用したものである。

 第一章では、D-アミノ酸微量分析法の確立について記述している。即ち、まず、Trp,Cys,Glyを除く17種のアミノ酸標品をNBD化し、逆相カラムで分離し、各々のNBD-アミノ酸のD, L混合物として分取精製を行った後、Sumichiral OA-2500による光学分割を行う方法を確立した。この逆相カラムでのアミノ酸の定量値と、キラル固定相により求めたD/L比とからD-アミノ酸値を求めた。これにより、ラット各組織のメタノール除蛋白試料中上記17種D-アミノ酸の微量分析が可能となった。また、生体試料中D-アミノ酸の同定は逆の立体配置のキラル固定相を用いてD,L-アミノ酸のピークを反転させて行った。

 第2章では、本方法を用い、ラット脳内におけるD-アミノ酸の分布を調べている。ラット(Sprague-Dawley系6週齢)の脳分画(大脳、小脳、海馬、下垂体、延髄、視床下部、松果体)の各部位におけるD-アミノ酸は、D-Aspが松果体、下垂体に、D-Serが小脳、延髄を除く全域に、D-Alaが下垂体に、D-Leuが松果体、海馬に存在することが明らかになった。これらのうち、D-Ala、D-Leuについては極めて微量なため、本法により初めてラット脳内における分布(D-Ala)、存在(D-Leu)が明らかにされたものである。松果体のD-Aspは約3mol/gwet tissueであり、最も高濃度であり、また、松果体D-Leu、D-Ser、下垂体D-Asp、D-Ala、海馬D-Leuには性差が認められた。これらの結果は特定の脳部位に特定のD-アミノ酸が性依存的に局在することを示唆している。

 第3章では、ラット脳内D-アミノ酸の週齢変化を追跡している。松果体中D-Aspは生後2週齢ではほとんど存在せず、4週から10週齢において有意に高濃度に存在し、20週齢以降は減少する傾向が認められた。D-Ser含量は加齢に伴う有意な変化は認められず、D-Leuは2週齢と比較し、生後6週で有意に増加した後、20週以降は有意に減少し、L-Leuの変化とは全く異なっており、D-アミノ酸がL体とは異なる調節機構を持つことを示唆した。また、下垂体D-Alaは、生後2週齢においてはほとんど存在せず、4週齢で有意に増加し、以降ほぼ一定の値を示した。以上の結果はD-アミノ酸含量が各脳部位で各アミノ酸特有の調節を受けていることを示唆している。ラットをウレタンで麻酔し、(-)-isoproterenolを投与したところ、D-Asp含量はほとんど変化しなかったが、D-Leuは有意に増加した。また各種麻酔薬投与による変化も調べている。

 第4章では、松果体microdialysisを用いたD-Aspの動態を調べた。本方法は高感度であるため、松果体D-Aspの動態をmicrodialysisにて検討することが出来た。透析外液中D-Aspは微量であり、細胞外濃度は極めて低いことが明らかになった。また、-agonist、KCL刺激、グルタミン酸(アスパラギン酸)取り込み阻害薬投与などを試みたが、いずれも細胞外D-Asp濃度に変化が見られなかった。

 以上、本論文は、生体試料中の微量の17種D-アミノ酸を正確に分離定量する方法を確立し、かつ、D-アミノ酸のラット脳内での存在、週齢変化、動態など、今後のD-アミノ酸研究の展開に有用な知見を見いだしていることなどから、D-アミノ酸の分析化学、生化学に寄与すること大であり、薬学博士の学位論文に相応しいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54536