学位論文要旨



No 112082
著者(漢字) 大嶋,孝志
著者(英字)
著者(カナ) オオシマ,タカシ
標題(和) 不斉Heck反応を鍵反応とするカプネラン類の触媒的不斉全合成研究
標題(洋)
報告番号 112082
報告番号 甲12082
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第747号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 古賀,憲司
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 笹井,宏明
内容要旨 はじめに

 遷移金属を用いる有機化学は、その多様な反応性から様々な反応に適用され、数多くのすばらしい成果を残している。これらの反応は、遷移金属を触媒量用いるだけで進行するものも多く、この特性を利用し、光学活性な配位子と組み合わせることで、触媒的不斉合成へと展開されている。

 当研究室でも、パラジウムを触媒とする不斉Heck反応の開発に成功して以来、種々の二環式化合物の触媒的不斉合成を達成している。この閉環反応は、生成する二環式化合物の両方の環に種類の違う二重結合が残るため、後の官能基化が容易であり、生物活性天然物の触媒的不斉合成にも利用されている。

 また筆者らは、このHeck反応と、パラジウム触媒のもう一つの基本反応である-アリル型の反応とを組み合わせることにより、不斉閉環反応と同時に、酸素及び窒素官能基を位置及び立体特異的に導入することに成功している1)。(Scheme1)

Scheme1

 そこで筆者は、求核剤としてカルバニオンを用いるならば、ワンポットで二度の炭素-炭素結合生成反応が起こり、一度に三つの不斉炭素を制御しつつ、閉環反応と同時に、様々な官能基を有する炭素鎖を、一挙に導入することができるのではないかと考え、本研究に着手した。またこの場合、新たに導入された炭素鎖をうまく利用することで、生物活性天然物の短工程合成ルートの開発も可能であると考え検討を行った。

閉環基質1の改良合成法の開発

 不斉Heck反応の基質となるトリフレート体1の合成は、従来Scheme2に示すルート(3→4→8→1)に従って合成していたが、大量に合成しようとすると、野依法によるケトンの選択的保護のステップにおいて、4が熱力学的に安定な化合物5に異性化してしまい、再現性がとれないという問題が生じてきた。

 そこでこの問題を解決すべく種々検討を行った結果、エチレングリコールのTMSエーテルの代わりに2,3-ブタンジオールのTMSエーテルを用いると、molスケールの反応でもこの異性化を抑えられることが分かり、収率も95%にまで向上させることができた。このケタール体6は、反応条件を若干改良することで収率よく閉環基質1へと導くことができ、大量にトリフレート体1を供給することが可能となった。なお、この2,3-ブタンジオールは、meso体がdl体に比べて多少異性化しやすいことが分かっているが、安価なmeso:dl=1:3程度の混合物を用いても、十分再現性良く反応は進行する。

Scheme2
不斉Heck反応の検討

 まず、ジアステレオマーの生成しないジメチルマロン酸エステルのナトリウム塩をカルバニオンとして用いて反応の条件検討を行ったところ、DMSOを溶媒とし、(S)-BINAPを配位子とする系が最も良い結果を与えることが分かった。そこで、この条件下で種々のカルバニオンを反応させたところ、いずれの場合も反応は収率良く進行し、位置及び立体選択的に求核剤が導入された閉環体9を得ることができた。その結果をTable1にまとめる。

Table1

 さて、run4と5を比べると、ケトンの位に塩素が存在すると、不斉収率が6%ではあるが向上していることが分かる。このrun5の反応は、普通に求核剤を作ろうとすると、求核剤同士が二量化反応を起こしてしまうため、系内で求核剤を作るという方法で反応を行っている。この二量化反応にともない、NaClが副生してくると考えられるが、このクロルアニオンが、カルバニオンの代わりにカウンターアニオン(10)となり反応が進行し、それが不斉誘導に好影響をもたらしているのではないかと考えた。

 

 そこで、種々の塩を添加してカウンターアニオンの効果を検討したところ、ハロゲン系の塩を添加すると確かに不斉収率が向上し、中でもNaBrを添加すると83%eeにまで不斉収率が向上することが分かった。(Table2)

Table2

 このカウンターアニオンがどのように作用しているかの詳細は不明であるが、Pdとの親和性の高いアニオンで、その効果が大きいことから、Pdと直接何らかの作用をしているものと考えられる。

海洋産天然物カプネレンの触媒的不斉全合成

 不斉Heck反応により高度に官能基化された閉環体を用いれば、より短行程で様々な化合物を不斉合成することが可能であると考えられる。そこでまず海洋産天然物カプネレンの触媒的不斉合成を行うことを計画した。

 カプネレンは、軟体サンゴCapnella imbricataより単離、構造決定されたカプネラン類の一つで、サンゴが外敵から身を守るための化学的防御物質ではないかと報告されている化合物である。カプネレンは今までに多くの研究者によって全合成が達成されているが、その不斉合成は、不斉源を化学量論量用いた例が2例報告されているだけで、触媒的不斉合成は未だ達成されていない。

 そこで筆者は、光学活性な閉環体9bを合成中間体とすることで、カプネレンの触媒的不斉全合成を達成できるのではないかと考え検討を行った。カウンターアニオンの効果が明らかになったので、この系にもNaBrの添加を試みたところ、Table1に比べて20%以上不斉収率を向上させることができた。続いて分子内ラジカル環化反応によってC環を構築し、更にシクロプロパン化、シクロプロパン環の還元的開裂反応、オレフィン化を行うことで、初めてカプネレンの触媒的不斉全合成を達成することに成功した。(Scheme3)

Scheme3
3価のマンガンによる―電子酸化的ラジカル反応

 不斉Heck反応によって合成した光学活性な閉環体の、更なる有用性を示すため、種々検討を行ったところ、化合物9dに対し3価の酢酸マンガンと2価の酢酸銅とをメタノール溶媒中作用させることで、今までに知られていない、新しい酸化的官能基変換反応が起こることを見いだした2)。(Scheme4)

Scheme4

 更にこの反応は、-アリル--ケトエステル部位を持つ種々の化合物にも応用可能であり、有機合成化学的にも有用な反応であることが分かった。そこで、この反応のメカニズムを解明するために、他の基質を用いたモデル実験等も含め、種々検討したところ、この反応には分子状酸素が必須であり、3価のマンガンによって生成した活性メチンラジカルが、分子状酸素と反応することで進行していることが分かってきた。予想されるメカニズムをScheme5に示す。

Scheme5
新規不斉配位子SSOPの開発

 さて、先に述べたHeck反応のように、遷移金属を触媒とする反応は、その反応の過程で実に様々な素反応を経て進行している。そのためこれらの反応を不斉触媒化しようとすると、用いる不斉配位子には、不斉空間を強固に構築するだけではなく、すべての素反応に対応できるだけの自由度が要求される。野依らの開発したBINAPを例に取ると、BINAPは二つのナフチル環を結ぶ炭素-炭素結合のねじれ角を変化させることで、この自由度を獲得している。そこで筆者は、BINAPの長所を残したままで、よりよい不斉空間を構築しうる、新規不斉配位子の開発に着手した。

Figure1

 筆者らがデザインした新規不斉配位子SSOPは、BINAPに比べるとバイトアングル()がかなり大きくなると予想され、そのためPh基がより反応点の近傍に位置し、不斉認識において、よりよい効果をもたらすのではないかと考えた。また、アルコールの保護基や母核の環の数を変化させることで、このバイトアングルを自由に変化させることができ、バイトアングルの変化と反応性との相関関係などを、系統的に調べることも可能となると考えた。

 まずメチルエーテル体であるSSOP-Meを合成することとした。

 文献既知のジオール体17を合成し、文献に従って光学分割を行った。このうち不斉収率の高かったR体を用い、トリフレート体19へと変換し、Ni触媒によるホスフィン化を行うことで、低収率ではあるが新規不斉配位子(R)-SSOP-Meを合成することに成功した。(Scheme6)

Scheme6

 今後、反応条件を検討して収率の改善を行い、Heck反応及び、その大きなバイトアングルを生かした他の反応系への適応を検討していく予定である。

参考文献1) Kagechika,K.;Shibasaki,M.J.Org.Chem.1991,56,4093.Kagechika,K.;Ohshima,T.;Shibasaki,M.Tetrahedron,1993,49,1773.2) Ohshima,T.;Sodeoka,M.;Shibasaki,M.Tetrahedron Lett.,1993,34,8509.
審査要旨

 本論文は、不斉Heck反応とその中間生成物の-アリルパラジウムへの炭素求核剤の反応をワンポット中で実現させたこと、さらにはその生成物を基質とする効率的なラジカル環化反応により、カプネレンの初の触媒的不斉合成を達成したことを骨子としている。また、3価のマンガンによる新規―電子酸化的ラジカル反応の開発及び新規不斉配位子SSOPの開発も重要な研究成果として議論されている。以下にそれらの結果の概略を記す。

1.連続型触媒的不斉炭素-炭素結合生成反応の開発

 遷移金属を用いる有機化学は、その多様な反応性から様々な反応に適用され、数多くのすばらしい成果を残している。これらの反応は、遷移金属を触媒量用いるだけで進行するものも多く、この特性を利用し、光学活性な配位子と組み合わせることで、触媒的不斉合成へと展開されている。

 当研究室でも、パラジウムを触媒とする不斉Heck反応の開発に成功して以来、種々の二環式化合物の触媒的不斉合成を達成している。この閉環反応は、生成する二環式化合物の両方の環に種類の違う二重結合が残るため、後の官能基化が容易であり、生物活性天然物の触媒的不斉合成にも利用されている。

 また大嶋孝志らは、このHeck反応と、パラジウム触媒のもう一つの基本反応である-アリル型の反応とを組み合わせることにより、不斉閉環反応と同時に、酸素及び窒素官能基を位置及び立体特異的に導入することに成功していた。

 そこで大嶋孝志は、求核剤としてカルバニオンを用いるならば、ワンポットで二度の炭素-炭素結合生成反応が起こり、一度に三つの不斉炭素を制御しつつ、閉環反応と同時に、様々な官能基を有する炭素鎖を、一挙に導入することができるのではないかと考え、本研究に着手した。またこの場合、新たに導入された炭素鎖をうまく利用することで、生物活性天然物の短工程合成ルートの開発も可能であると考え検討を行った。

 まず、ジアステレオマーの生成しないジメチルマロン酸エステルのナトリウム塩をカルバニオンとして用いて反応の条件検討を行ったところ、DMSOを溶媒とし、(S)-BINAPを配位子とする系が最も良い結果を与えることが分かった。そこで、この条件下で種々のカルバニオンを反応させたところ、いずれの場合も反応は収率良く進行し、位置及び立体選択的に求核剤が導入された閉環体3を得ることができた。その結果をTable1にまとめる。

Table1

 さて、run4と5を比べると、ケトンの位に塩素が存在すると、不斉収率が6%ではあるが向上していることが分かる。このrun5の反応は、普通に求核剤を作ろうとすると、求核剤同士が二量化反応を起こしてしまうため、系内で求核剤を作るという方法で反応を行っている。この二量化反応にともない、NaClが副生してくると考えられるが、このクロルアニオンが、カルバニオンの代わりにカウンターアニオン(4)となり反応が進行し、それが不斉誘導に好影響をもたらしているのではないかと考えた。

 そこで、種々の塩を添加してカウンターアニオンの効果を検討したところ、ハロゲン系の塩を添加すると確かに不斉収率が向上し、中でもNaBrを添加すると83%eeにまで不斉収率が向上することが分かった。(Table2)

Table2

 このカウンターアニオンがどのように作用しているかの詳細は不明であるが、Pdとの親和性の高いアニオンで、その効果が大きいことから、Pdと直接何らかの作用をしているものと考えられる。

 次に大嶋孝志は、光学活性な閉環体3bを合成中間体とすることで、カプネレンの触媒的不斉全合成を達成できるのではないかと考え検討を行った。カウンターアニオンの効果が明らかになったので、この系にもNaBrの添加を試みたところ、Table1に比べて20%以上不斉収率を向上させることができた。続いて分子内ラジカル環化反応によってC環を構築し、更にシクロプロパン化、シクロプロパン環の還元的開裂反応、オレフィン化を行うことで、初めてカプネレンの触媒的不斉全合成を達成することに成功した。

 112082f02.gif

2.3価のマンガンによる―電子酸化的ラジカル反応

 不斉Heck反応によって合成した光学活性な閉環体の、更なる有用性を示すため、種々検討を行ったところ、化合物3dに対し3価の酢酸マンガンと2価の酢酸銅とをメタノール溶媒中作用させることで、今までに知られていない、新しい酸化的官能基変換反応が起こることを見いだした。

 更にこの反応は、-アリル--ケトエステル部位を持つ種々の化合物にも応用可能であり、有機合成化学的にも有用な反応であることが分かった。

3.新規不斉配位子SSOPの開発

 さて、先に述べたHeck反応のように、遷移金属を触媒とする反応は、その反応の過程で実に様々な素反応を経て進行している。そのためこれらの反応を不斉触媒化しようとすると、用いる不斉配位子には、不斉空間を強固に構築するだけではなく、すべての素反応に対応できるだけの自由度が要求される。このような観点から、大嶋孝志はSSOPの開発に成功した。

 112082f03.gif

 以上ここに記された種々の反応及び化学合成は、種々の医薬合成に多大な貢献をすることが予想される。よって博士(薬学)を与えるに十分な実績であると判断した。

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