学位論文要旨



No 112086
著者(漢字) 得能,僚資
著者(英字)
著者(カナ) トクノウ,リョウスケ
標題(和) 遷移金属錯体を用いた触媒的不斉反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 112086
報告番号 甲12086
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第751号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 古賀,憲司
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 助教授 笹井,宏明
内容要旨 第1章新規光学活性配位子BTSBの開発

 触媒的不斉合成の著しい進展に伴い、光学収率の向上および新規反応の開発を志向した光学活性配位子が現在まで数多く発表されている。しかしながらその多くは配位原子としてリン、窒素、酸素などを利用したものであり、また配位する原子がキラリティーをもたないものがほとんどである。今回我々はこれまで注目されることの少ながった硫黄原子を配位子とし、配位原子上に不斉を有する光学活性スルホキシドを用いた新規不斉リガンド(BTSB3)の合成に成功した(Scheme 1)1)。スルホキシドはソフトな硫黄原子とハードな酸素原子を併せもち、S、Oどちらの原子での配位も可能である点、またS-配位した場合には金属からの電子の逆供与をうけることも可能である点など錯体化学研究の観点からも興味深い配位子である。実際BTSBはソフトな硫黄原子上でソフトな遷移金属であるPd、Rh、Rhと容易に錯体を形成することを確認し(錯体4、5、6)さらにPd錯体4についてX線結晶構造解析を行った。この新規不斉リガンド2及び3を-アリルパラジウムに対する不斉アルキル化反応に適用すると他の光学活性配位子では見られない特異な立体選択性を示すことがわかった(Table 1)。一般にC2対称な配位子を用いた場合、この反応の立体選択性は、遷移状態におけろ立体反発を避ける方向(a)で進行することが知られているが、BTSBを用いた場合(b)方向からの反応が優先する(Scheme 2)。本結果は、この新規配位子が他の既存の配位子とは異なる特徴をもち、さらに他の多くの不斉合成への適用の可能性も示しており、触媒的不斉合成における光学活性配位子に関する研究に重要な寄与を行ないうるものと考えている。

Figure 1.図表Scheme 1.Synthesis of BTSB and its transition metal complexes. i)NaNO2,cHCl,0℃,then p-Tol-SNa,aq.NaOH,reflux;ii)n-BuLi,THF-78℃,then(S)-Mentyl-p-toluenesulfinate,rt;iii)MCPBA,CH2Cl2,-30℃;iv)PdCl2(CH3CN)2,EtOH,rt;v)[Rh(cod)Cl]2,AgClO4,acetone,rt;vi)RuCl2(dmso)4,CHCl3,reflux; / Table 1. / Scheme 2.
第2章アクアパラジウム錯体を用いた触媒的不斉アルドール反応のメカニズムの解明

 アルドール反応は、生合成的にも合成化学的にも重要な炭素-炭素結合生成反応であり、特に新たに生成する不斉炭素の立体化学をコントロールする不斉アルドール反応に関しては数多くの研究がなされてきている。中でも不斉源を基質と共有結合させることなく不斉を誘起する方法としては、光学活性な配位子を持つ金属エノラート経由の不斉アルドール反応と不斉なルイス酸を用いる方法に大別できる。触媒量のキラル遷移金属錯体を用いた金属エノラート経由のアルドール反応において高い不斉誘起に成功した例は今までになく、ルイス酸を用いた場合に伴う欠点(一般に低温、無水の条件が必要であり、多くの官能基に親和性をもつことからコンプレックスモレキュールへの適応に困難を伴う場合があること)を克服する優れた反応の開発は天然物合成の見地からも極めて重要な課題のひとつである。

Scheme 3.

 既に我々の研究室では、種々の遷移金属を検討した結果、含水DMF中、PdCl2[(R)-binap]錯体12に一当量の銀塩とモレキュラーシーブス4Aを作用されて得られる触媒を、式(1)の反応に作用させるとほぼ定量的な化学収率で、70%を越える光学純度のアルドール成績体が得られ、NMR実験の結果この反応が金属エノラートを経由するユニークな反応であることを見いだしている2)

Scheme 4.

 私はこの反応のメカニズムをさらに明かにすべく種々検討を行った結果、この反応において当量の銀塩を12に対して作用させると反応が加速することを見いだした(Table 2)。

Table 2.

 そこで重DMF中で二当量の銀塩を作用させて錯体調製を行い、8を加えてプロトンNMRの観測を行ったところ、シリルエノールエーテルのピーク(H)のそばにO-エノラートであることを示す2本のピーク(H2)と9.54ppmに1本のピーク(H1)が観測されることがわかった(Fig.2)。このピークは、反応系内にアルデヒドを添加するとアルドール成績体をあたえながら徐々に減少し、得られたアルドール体の光学純度は式(1)における結果と変わらなかった。ピーク(H1)は重水における置換を受けることから、この金属エノラートの構造として13を推定した。これらの実験結果からこの触媒調製条件下、活性種としてヒドロキシパラジウム種が生成し、そのパラジウム上の水酸基がSi原子を活性化することによりトランスメタル化を促進しているのではないかと考えている以上の結果からヒドロキシパラジウム錯体の合成とその触媒活性に我々は興味をもった。式(2)に示した条件で、化学的に安定で取り扱いの容易な結晶として、数分子の水を含むパラジウム錯体14の合成に成功した(Scheme 5)。この錯体の構造をX線により解析したところ、水を配位子とするジアクアパラジウム錯体14であることが明らかになった(Fig.3)。

Figure 2.図表Scheme 5. / Figure 3.ORTEP diagram of 14.

 この錯体を上記のアルドール反応に適用すると、円滑に反応が進行し、触媒量を1mol%まで減らしても光学純度を低下させることなくアルドール成績体が得られることがわかった。この高活性なジアクアパラジウム錯体を用いた場合モレキュラーシーブスの添加や錯体調製後の濾過といった煩雑な操作は不要である(Scheme 6)。

Scheme 6.

 14を用いてNMR実験を行ったところ、やはり同じ活性種が確認された。またNMR実験において水とパラジウムエノラート13の関係を精査したところ、13の形成が水により促進されることがわかった これらの事実から現在考えられるこの反応のメカニズムをScheme 7に示した。

Scheme 7.Proposed Mechanism

 すなわち銀2当量と錯体12から調製したジアクアパラジウム錯体14は、配位性溶媒であるDMF中シリルエノールエーテル8と反応し、極性溶媒中で働きの弱いルイス酸であるTMSBF4とパラジウムエノラート13を形成する。この中間体からシラノールとアルデヒドが交換することによって、カチオニックなパラジウムがアルデヒドを活性化する遷移状態を通リアルドール反応が進行する。そして炭素-炭素結合が形成したあとに、シリルエノールエーテルとのトランスメタル化か、少量混在する水による加水分解によって再びパラジウムが触媒サイクルに戻るメカニズムを考えている3)

第3章ホルボールエステルCD環部の触媒的不斉合成研究

 強力な発癌プロモーターとして知られるホルボールエステル(PMA)類15は、細胞内情報伝達の鍵を握るプロテインキナーゼC(PKC)の選択的な活性化剤である。近年PKCには数多くのサブタイプが存在することが明かになっており、その個々の細胞内での役割の解明の為に、サブタイプを区別しうる新しい活性化剤の開発が求められている。またホルボール骨格12位に水酸基をもたないプロストラチン16は、抗HIV活性を持ちながら種瘍プロモーター活性を示さないという興味深い性貿をもっていることが報告されている。これらホルボールアンタゴニストとなりうるPMA類縁体の光学活性体としての合成研究は細胞内情報伝達系の機構解明に極めて有効なバイオロジカルツールを提供しうる。当研究室では天然の(+)-3-careneを原料とする13-デオキシホルボールエステル類の光学活性体としての合成ルートを既に確立している4)。そこで我々は(+)-3-careneを原料とした場合導入に困難が予想される13位の酸素官能基を含んだCD環部分を、触媒的不斉分子内シクロプロパン化反応により構築し、PMA類の光学活性体として合成法を開拓することにした。まずは単純な骨格合成から検討を始め、式に示した反応を試みた.Ethyl 5-oxohexanoate17を出発原料として13ステップで基質18を合成し銅を用いたシクロプロパン化反応に賦した。光学活性配位子として正宗らのビスオキサゾリン19を用いると、77%eeの閉環体20が単一の成績体として収率85%で得られた。また円2色性スペクトルの測定からこの閉環体の絶対配置が天然のPMA類と同じであることを確認した(Scheme 8)共同研究者の冨山らは配位子の測鎖を嵩高くすることでこの反応における光学収率を92%eeまで高めることに成功している。閉環体の官能基変換も含め今後の進展に期待したい。

Fig 4Scheme 8

 まとめ 新規不斉配位子BTSBを開発し-アリルパラジウムに対する不斉アルキル化反応においてBTSBの示す特異な立体選択性を明らかにした。また触媒量のパラジウムをもちいた金属エノラート経由の不斉アルドール反応において、反応機構解明の過程からジアクアパラジウム錯体が不斉アルドール反応を触媒することを初めて見出した。ホルボールエステルCD環部の触媒的不斉合成研究においては鍵反応である分子内不斉シクロプロパン化反応が円滑に進行することを明らかにした。

Reference1)Tokunoh,R.;Sodeoka,M.;Aoe,K.;Shibasaki,M.Tetrahedron Lett.,1995,36,8035.2)Sodeoka,M.;Ohrai,K.;Shibasaki,M.J.Org.Chem.,1995,60,2648.3)袖岡幹子、生頼一彦、得能僚資、柴崎正勝 第42回有機金属討論会(1995年)講演要旨集p3424)Sugita,K.;Shigeno,K.;Neville,C.F.;Sasai,H.;Shibasaki,M.Synlett,1994,325.and references cited therein.
審査要旨

 本論文は数種の触媒的不斉炭素・炭素結合生成反応の開発について記載している。具体的には、1.新規光学活性配位子BTSBの開発と-アリルパラジウム化学への応用、2.パラジウムを用いる触媒的不斉アルドール反応の機構解析、3.銅カルベノイドを用いるホルボールエステルCD環部の触媒的不斉合成が記載されている。以下その概略を記す。

1.新規光学活性配位子BTSBの開発

 触媒的不斉合成の著しい進展に伴い、光学収率の向上および新規反応の開発を志向した光学活性配位子が現在まで数多く発表されている。しかしながらその多くは配位原子としてリン、窒素、酸素などを利用したものであり、また配位する原子がキラリティーをもたないものがほとんどである。今回得能僚資はこれまで注目されることの少なかった硫黄原子を配位子とし、配位原子上に不斉を有する光学活性スルホキシドを用いた新規不斉リガンド(BTSB 1)の合成に成功した。スルホキシドはソフトな硫黄原子とハードな酸素原子を併せもち、S,Oどちらの原子での配位も可能である点、またS-配位した場合には金属からの電子の逆供与をうけることも可能である点など錯体化学研究の観点からも興味深い配位子である。実際、得能僚資はBTSBがソフトな硫黄原子上でソフトな遷移金属であるPd、Rh、Ruと容易に錯体を形成することを確認し、Pd錯体についてはX線結晶構造解析を行った。この新規不斉リガンド1を-アリルパラジウムに対する不斉アルキル化反応に適用すると他の光学活性配位子では見られない特異な立体選択性を示すことがわかった。

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2.パラジウムを用いる触媒的不斉アルドール反応の機構解明

 アルドール反応は、生合成的にも合成化学的にも重要な炭素-炭素結合生成反応であり、特に新たに生成する不斉炭素の立体化学をコントロールする不斉アルドール反応に関しては数多くの研究がなされてきている。中でも不斉源を基質と共有結合させることなく不斉を誘起する方法としては、光学活性な配位子を持つ金属エノラート経由の不斉アルドール反応と不斉なルイス酸を用いる方法に大別できる。触媒量のキラル遷移金属錯体を用いた金属エノラート経由のアルドール反応において高い不斉誘起に成功した例は今までになく、ルイス酸を用いた場合に伴う欠点(一般に低温、無水の条件が必要であり、多くの官能基に親和性をもつことから複雑な構造の基質への適用に困難を伴う場合があること)を克服する優れた反応の開発は天然物合成の見地からも極めて重要な課題のひとつである。

 既に当研究室の生頼らは、種々の遷移金属を検討した結果、含水DMF中において、PdCl2[(R)-binap]錯体に一当量の銀塩とモレキュラーシーブス4Aを作用されて得られる触媒を、以下の反応に作用させるとほぼ定量的な化学収率で、70%を越える光学純度のアルドール成績体が得られ、NMR実験の結果この反応が金属エノラートを経由するユニークな反応であることを見いだしている。

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 得能僚資はこの反応のメカニズムをさらに明かにすべく種々検討を行った結果、この反応における真の不斉触媒構造をパラジウムアクア錯体8であることを明らかにした。

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 この錯体を上記のアルドール反応に適用すると、円滑に反応が進行し、触媒量を1mol%まで減らしても光学純度を低下させることなくアルドール成績体が得られることを認めた。なおこの高活性なジアクアパラジウム錯体を用いた場合モレキュラーシーブスの添加や錯体調製後の濾過といった煩雑な操作は不要である。

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3.ホルボールエステルCD環部の触媒的不斉合成研究

 ホルボールエステル9のCD環部分に相当する10を、以下に記すルートで触媒的に不斉合成することに成功した。

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 以上、本論文は種々の触媒的不斉炭素-炭素結合生成反応の開発に関するものであり、ここに記された反応は医薬品合成に多大な貢献をすると考えられる。よって博士(薬学)に値する十分な研究成果であると認めた。

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