学位論文要旨



No 112098
著者(漢字) 鈴木,詔子
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ノリコ
標題(和) ヒトマクロファージに由来するGal/GalNAc特異的C型レクチンの構造および特性に関する研究
標題(洋) Human macrophage C-type lectin:cloning,structure,and its biological properties
報告番号 112098
報告番号 甲12098
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第763号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 高崎,誠一
内容要旨

 癌は形質を異にする不均一な細胞集団から成ることが知られている。この不均一性はしばしば癌の進行に伴う様々な形質変化によって生じ、浸潤性や転移性に強い影響を与える。癌細胞集団において不均一な分布を示す糖鎖構造も多くの臨床例から癌の進行に伴う形質変化のマーカーであると見なされている。一方、糖鎖とそれを認識するレクチンとの相互作用が生体内において細胞間のコミュニケーションに重要な役割を果たしていることが広く認められているにも関わらず、癌細胞の糖鎖が生体内でどのように認識され、癌細胞の挙動に関与するのかは特に臨床応用の可能なヒトの系においてはあまり知られていなかった。本研究は、ヒトのマクロファージに発現するGal/GalNAc特異的C型レクチンのcDNAクローニングを行い、発現させたタンパク質が腫瘍関連抗原と見なされている糖鎖構造を認識することを明らかにしてこのレクチンが腺癌細胞を認識する可能性を示した。さらに、ヒトマクロファージレクチンによって認識される分子の分布を臨床病理学的に解析した。

1.ヒトマクロファージレクチンのcDNAおよびゲノムDNAクローニング

 ヒト末梢血由来単球をIL-2存在下、一週間培養して誘導したマクロファージのmRNAからgt10に組み込んだcDNAライブラリーを作製した。マウスやラットマクロファージレクチンと特に相同性の高いヒト肝レクチンのcDNA構造をもとに作製した21merの合成オリゴヌクレオチドをプローブとしてプラークハイブレダイゼーション法によりスクリーニングを行ったところ長さの異なる3種類のcDNAクローンを得た(Fig.1)。これらのクローン間では非翻訳領域を含むほとんど全ての配列が一致していたが、翻訳領域の特定の部分において欠損している配列が存在した。これらのクローンのコードするタンパク質はマウスマクロファージレクチンと糖認識部位において60%の相同性があった。これら3種類のcDNAクローンが単一遺伝子に由来するのか、あるいは複数の遺伝子が存在するのか否かを検討するため、ヒトマクロファージレクチンのゲノム遺伝子の構造解析を行った。ヒトマクロファージレクチンcDNAをプローブとし、コスミドベクターLorist6に挿入されたヒトゲノムのライブラリーからヒトマクロファージレクチン遺伝子を含むクローンを単離し、塩基配列およびエキソン-イントロンの境界線を決定した。その結果、ヒトマクロファージレクチンの3種類のcDNAは、単一の遺伝子からGT-AGルールに従い選択的スプライシングによって生じたものと考えられた。

Fig.1 Comparison of structural characteristics of human macrophage lectins,HML-1,-2,and-3
2.ヒトマクロファージレクチンの糖結合特異性の解析2-1.単糖レベルの結合特異性の解析

 ヒトマクロファージレクチンcDNAを動物細胞発現用ベクターpRc/CMVに挿入し、COS-1細胞にリン酸カルシウム法を用いてトランスフェクションを行った。60時間後に回収した細胞をTritonX-100で可溶化し、可溶性画分をGal-Sepharoseと反応させた。吸着画分をEDTAあるいは各種単糖類で溶出させ、糖結合特異性を調べた。その結果、Gal-Sepharoseに結合したこの発現タンパク質はEDTA、Gal、GalNAcによって溶出されることから、Ca2+依存的(C型)、Gal/GalNAc特異的レクチンであることが証明された。

2-2.オリゴ糖、糖ペプチドレベルの結合特異性の解析

 ヒトマクロファージレクチンの細胞外部位を発現ベクターpET-8cに組み込み、大腸菌BL21(DE3)にて発現させた。Gal-Sepharoseでアフィニティー精製したこの組換体をホルミルセルロファインに固定化しヒトマクロファージレクチンカラムを作製した。このカラムに放射線標識した各種オリゴ糖、糖ペプチドを流し、その溶出位置の違いから親和性を比較した(Fig.2)。その結果、Ser/Thr結合型糖鎖を持つヒトグリコホリンA由来のCB-II糖ペプチドおよびシアル酸を除去してGal末端にしたもの(T抗原)では親和性が見られなかった。ところがさらにGal残基を除去してGalNAc末端にしたもの(Tn抗原)では親和性は著しく上昇した。また、NeuAc2-6GalNAcを持つCB-II様の合成糖ペプチド(sTn抗原)においても強い親和性が見られた。一方、Asn結合型糖鎖としてManを非還元末端に持つ高マンノース型糖鎖およびGalを非還元末端に持つ二本鎖、三本鎖、四本鎖の複合型糖鎖はいずれも親和性が見られなかった。したがってヒトマクロファージレクチンは腺癌の腫瘍関連抗原として知られているムチン関連糖鎖抗原に結合することが示された。

Fig.2 Elution profiles of radiolabeled glycopeptides on a column of immobilized HML.(A)Glycopeptide CB-II(the amino terminal portion of glycophorin A)bearing carbohydrate chains as indicated below. a:NeuAc2-3Gal1-3(NeuAc2-6)GalNAc-, b:Gal1-3(NeuAc2-6)GalNAc-, c:Gal1-3GalNAc-, d:GalNAc-, e:none (B)Synthetic glycopeptide corresponding to the amino terminal portion of glycophdrin A bearing carbohydrate chains as indicated below. a:GalNAc-, b:NeuAc2-6GalNAc-
3.ヒトマクロファージレクチンの大腸癌細胞株への結合性

 ヒト大腸癌細胞株としてKM12C、HT29、LS174Tの3種類の細胞株を用いた。培養用のプレートに付着したこれらの細胞株を酢酸-エタノールで固定した後、ビオチン標識した組換体ヒトマクロファージレクチンを結合させ、その結合量をアルカリフォスファターゼ-ストレプトアビジンで検出した。その結果、ヒトマクロファージレクチンの結合量は、LS174T>>HT29>KM12Cの順に多く、これはTn抗原の発現量と相関していた。Tn抗原およびsTn抗原を多く発現しているLS174T細胞にあらかじめ組換体ヒトマクロファージレクチンを結合させておくと抗Tn抗体1E3、抗sTn抗体B72.3の細胞への結合は阻害された(Fig.3)。また、逆にヒトマクロファージレクチンのLS174T細胞への結合はこれらの抗体の共存下で阻害された。したがってヒトマクロファージレクチンは、大腸癌細胞株に対してTn、sTn抗原を介して結合することが示唆された。

Fig.3 Effects of human macrophage lectin on the binding of mAbs to LS174T human colon carcinoma cells.

 ストレプトアビジン-アガロースに吸着させたビオチン化ヒトマクロファージレクチンを用いてLS174T細胞のTritonX-100による可溶性画分をヒトマクロファージレクチンとの結合画分および非結合画分に分離した。結合画分は、抗Tn抗体1E3、抗sTn抗体B72.3によって認識される200kDa以上のタンパク質を含むことがイムノブロット法により明らかになった。すなわちヒトマクロファージレクチンはヒト大腸癌細胞のTn、sTn抗原を含むムチン型糖タンパク質を認識することが示された。

4.ヒトマクロファージレクチンの胃癌組織に対する結合性

 胃腺癌35症例のホルマリン固定パラフィン包埋切片にビオチン標識した組換体ヒトマクロファージレクチンを反応させ、ABC-DAB法で検出した。また、同症例の連続切片を用いて胃癌組織におけるsTn抗原(モノクローナル抗体TKH2)およびTn抗原(モノクローナル抗体1E3およびVVA-B4レクチン)の発現をABC-DAB法により免疫組織化学的に検出した。その結果、ヒトマクロファージレクチンの結合は非癌部腺窩細胞、胃底腺細胞と胃癌細胞に認められた。結合は20症例(57%)で認められたが、癌細胞への結合はこの20症例中の12症例(60%)であった。癌細胞へ結合した症例の組織型に特徴は認められなかったが、印環細胞癌の場合は細胞質に、腺管形成性の場合は細胞質よりも分泌物や腺腔内側部に強く結合する傾向が見られた。ヒトマクロファージレクチンの結合部分は、Tn抗原を認識するモノクローナル抗体1E3およびVVA-B4レクチンの組織染色陽性部と大部分一致していたが、sTn抗原を認識するモノクローナル抗体TKH2による組織染色では主に腸上皮化生杯細胞の粘液が陽性となりヒトマクロファージレクチンの結合部分とは異なっていた。

結語

 従来のモノクローナル抗体や植物レクチンを用いた研究からTn抗原、sTn抗原は、ヒトの腺癌細胞にしばしば発現する腫瘍関連抗原であることが知られていた。本研究により、ヒトマクロファージの細胞表面分子と考えられる内在性のレクチンによってこれらの腫瘍関連抗原が認識されることが明らかとなった。マクロファージはエフェクター細胞としてだけでなく、抗原提示細胞として、またサイトカインの産生を通して癌に対する免疫学的な防御機構の重要な役割を担っていると考えられており、レクチンによる腫瘍関連抗原の認識が示された意義は大きいと考えられる。

参考文献1)Suzuki,N.et al.,J.Immunol.,(1995),156:128-135
審査要旨

 本研究は、ヒトのマクロファージに発現するガラクトース/N-アセチルガラクトサミン特異的C型レクチンのcDNAクローニングを行い、発現させたタンパク質が腫瘍関連抗原と見なされている糖鎖構造を認識することを明らかにして、このレクチンが腺癌細胞を認識する可能性を示したものである。さらに、このレクチンのゲノム遺伝子を得てその解析を行う一方、このレクチンによって認識される分子の分布を臨床病理学的に解析した。このようにユニークな広がりをもつ本研究は、基礎生物学と臨床医学の両面に大きく貢献するものである。

 第一章は、ヒトマクロファージレクチンのcDNAクローニングに関する研究結果である。ヒト末梢血由来単球をIL-2存在下、一週間培養して誘導したマクロファージのmRNAから、ヒト肝レクチンのcDNA構造をもとに作製した合成オリゴヌクレオチドをプローブとしてプラークハイブレダイゼーション法によりスクリーニングを行い、3種類のcDNAクローンを得た。この成果は、新しいヒトの免疫細胞分化マーカーの発見と捉えることができる。

 第二章では、リコンビナント型のヒトマクロファージレクチンの糖結合特異性を解析した結果が述べられている。単糖、オリゴ糖、及び糖ペプチドの結合特異性が解析された。その結果、セリン/スレオニン結合型糖鎖を持つヒトグリコホリンA由来の糖ペプチドおよびその糖鎖末端のシアル酸を除去して末端をガラクトースにしたもの(T抗原)では親和性が見られなかった。ところがさらにガラクトース残基を除去して末端をN-アセチルガラクトサミンにしたもの(Tn抗原)では親和性は著しく上昇した。また、NeuAc2-6GalNAcを糖鎖として持つ糖ペプチド(シアリルTn抗原:ここでは合成品を用いた)においても強い親和性が見られた。したがってヒトのマクロファージレクチンは、腺癌の腫瘍関連抗原として知られているこれらのムチン糖鎖に強く結合することが示された。

 第三章では、ヒトマクロファージレクチンのゲノム遺伝子の構造解析を行った結果が述べられている。ヒトマクロファージレクチンcDNAをプローブとし、コスミドベクターに挿入されたヒトゲノムのライブラリーからヒトマクロファージレクチン遺伝子を含むクローンを単離し、塩基配列およびエクソン-イントロンの境界線を決定した。その結果、ヒトマクロファージレクチンの3種類のcDNAは、単一の遺伝子からGT-AGルールに従い選択的スプライシングによって生じたものであることが明らかとなった。

 第四章では、リコンビナント型のヒトマクロファージレクチンのヒト大腸癌細胞への結合性が査定された。結合性は、Tn抗原の発現量と相関していた。Tn抗原およびシアリルTn抗原を多く発現しているヒト大腸癌細胞にあらかじめ組換体ヒトマクロファージレクチンを結合させておくと抗Tn抗体、抗シアリルTn抗体の細胞への結合は阻害された。また、逆にヒトマクロファージレクチンの結合はこれらの抗体の共存下で阻害された。したがってヒトマクロファージレクチンは、ヒト大腸癌細胞株に対してTn抗原とシアリルTn抗原を介して結合することが示唆された。ヒトマクロファージレクチンはヒト大腸癌細胞のTn、シアリルTn抗原を含むムチン糖タンパク質を認識することが示された。

 第五章では、 ヒトマクロファージレクチンのヒト胃癌組織に対する結合性を、組織化学的に検出するという新しい方法に基づく実験の結果が示されている。ヒトマクロファージレクチンの結合は非癌部腺窩細胞、胃底腺細胞と胃癌細胞に認められた。結合は57%の症例で認められたが、癌細胞への結合はこの症例中の60%であった。癌細胞へ結合した症例の組織型に特徴は認められなかったが、印環細胞癌の場合は細胞質に、腺管形成性の場合は細胞質よりも分泌物や腺腔内側部に強く結合する傾向が見られた。ヒトマクロファージレクチンの結合部分は、Tn抗原を認識するモノクローナル抗体およびレクチンの組織染色陽性部と大部分一致していた。これらの結果は、ヒトマクロファージレクチンが特定の糖鎖抗原を発現した胃癌細胞を認識して結合することを明白に示していた。

 従来のモノクローナル抗体や植物レクチンを用いた研究からTn抗原、シアリルTn抗原は、ヒトの腺癌細胞にしばしば発現する腫瘍関連抗原であることが知られていたが、学位申請者鈴木詔子による本研究の結果、ヒトマクロファージの細胞表面分子と考えられる内在性のレクチンによってこれらの腫瘍関連抗原が認識されることが明らかとなった。マクロファージはエフェクター細胞としてだけでなく、抗原提示細胞として、またサイトカインの産生を通して癌に対する免疫学的な防御機構の重要な役割を担っていると考えられており、その表面分子であるレクチンによって腫瘍関連抗原が認識されることが示された意義は大きい。癌は形質を異にする不均一な癌細胞集団から成ることが知られているが、この不均一性はしばしば癌の進行に伴う様々な形質変化によって生じ、浸潤性や転移性に強い影響を与える。癌細胞集団において不均一な分布を示すTn抗原、シアリルTn抗原の様な糖鎖構造も多くの臨床例から癌の進行に伴う形質変化のマーカーであると見なされている。本研究の成果は、ヒトの癌細胞が内在性のエフェクター細胞によって認識されて排除される場合と、この認識から逃れて播種と転移を引き起こす場合とで、何が異なるかを知る上で重要な知見を与えると考えられる。これらの研究成果は腫瘍学及び免疫学に資するところが大であり、学位申請者は博士(薬学)の学位を受けるに十分であると判断した。

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