学位論文要旨



No 112100
著者(漢字) 名取,修
著者(英字)
著者(カナ) ナトリ,オサム
標題(和) ムチンに特異的なグリコシレーションの制御
標題(洋)
報告番号 112100
報告番号 甲12100
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第765号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 辻,勉
内容要旨

 細胞表面や細胞外にレクチンによって認識される糖鎖が表出している場合しばしばムチンがその役割をはたす分子である。ムチンとは多くのセリン/スレオニン結合型糖鎖をもつ高分子量の糖蛋白であり消化管などの粘膜の上皮細胞や血管内皮細胞、白血球などによって産生されている。現在までにヒトにおいて8種の上皮性ムチンコア蛋白質に対するcDNAがクローニングされている。その分布は臓器によりまた上皮の種類により極めて特徴的であり、種々の異なる粘膜上皮ではムチンに含まれる糖鎖構造も極めて特異的であると考えられいる。さらに悪性腫瘍組織においてムチンのコア蛋白質部分および糖鎖部分の発現パターンと腫瘍細胞の悪性挙動とに関係があるという報告が多くなされている。ムチンの生合成において蛋白部分と糖鎖部分とが独立に制御されているのかあるいは糖鎖の発現はコア蛋白質部分の構造によって左右されているのかは明らかになっていなかった。私は上皮性ムチンのひとつであるMUC1ムチンに提示される糖鎖抗原に着目し、ヒト培養細胞のムチンあるいは白血病細胞へのMUC1遺伝子導入により得たMUC1ムチン安定発現細胞上のMUC1ムチンについて糖鎖抗原の構造を糖鎖特異的モノクローナル抗体やレクチンの結合性に基づいて検討した。また、MUC1ムチンの機能を探る試みのひとつとしてナチュラルキラー細胞の細胞障害性との関係について検討した。

[1]培養ヒト上皮細胞株で発現するムチンのグリコシレーション

 [目的]1種類のムチンが複数種の細胞株で発現する場合、また1種類の細胞が2種類以上のムチンを発現する際にそれらのグリコシレーションの異同について検討する。

 [方法]細胞株はヒト大腸癌細胞株HT29、ヒト喉頭癌細胞株H.Ep.2、ヒト膵癌細胞株Capan1を用いた。細胞の可溶化物をSDS電気泳動し、ゲルに対し直接ビオチン標識したレクチンまたはモノクローナル抗体(mAb)次いで125I標識ストレプトアビジンを反応させ、結合するムチンおよび糖鎖をもつ糖蛋白質を検出した。また、細胞可溶化物をビオチン標識レクチンに次いでストレプトアビジンアガロースと反応させ、その上清および沈降物をSDS電気泳動し、抗MUC1抗体を用いたウェスタンブロット解析を行った。

 [結果と考察]今回用いた3種の細胞株の産生するMUC1ムチンはいずれもレクチン結合のパターンが異なっており、MUC1ムチンが提示する糖鎖構造は発現する細胞により異なることが判明した。これはそれぞれの細胞のもつ糖転移酵素に依存すると考えられる。

 次にひとつの細胞が複数種のムチンを発現している場合について検討した。HT29細胞はMUC1ムチンおよびMUC2ムチンを産生しているが、抗体の結合性から分子量450kDaおよび740kDaの成分はMUC1ムチンと考えられ、分子量>900kDaの成分はMUC2を含むムチンと考えられた。MUC1ムチンにはWGA(シアル酸のクラスターに結合)およびMAL(NeuNAc2-3Gal1-4GlcNAcに結合)が結合したがMUC2ムチンには結合しなかった。一方MUC2ムチンにはACA(NeuAc2-3Gal1-3GalNAcSer/ThrおよびGal1-3GalNAc Ser/Thrに結合)およびmAb TKH2(NeuAc2-3GalNAcSer/Thrに結合)が結合したがMUC1ムチンには結合せずMUC1ムチンとMUC2ムチンとで提示する主要な糖鎖構造が異なっていた(Table 1)。このようにひとつの細胞が複数のムチンを発現した場合それらの間で主要な糖鎖構造が異なるという現象が明らかになった。しかし細胞はクローンとなっておらず異なる細胞集団によりそれぞれのムチンが産生されているため糖鎖構造が異なるという可能性が残った。そこでMUC1遺伝子導入株を作成し、クローニングの後ムチン上の糖鎖について調べることにした。

TABLE 1:CARBOHYDRATE ANTIGENS DETECTED ON MUCINS FROM HT29 CELLS
[2]ヒト赤白血病細胞株K562へのMUC1遺伝子導入とMUC1ムチン安定発現クローン2B4上の糖鎖抗原

 [目的]ヒト白血病細胞にMUC1ムチン遺伝子を導入した際のグリコシレーションにどのような特徴があるか、また内在性のムチン糖蛋白の糖鎖との異同について検討する。

 [方法]発現ベクターpDKOFにMUC1遺伝子全長を組み込むことにより作成したプラスミドpDKOF.muc1をエレクトロポレーション法を用いてK562細胞に導入した。400g/mlのgeneticinによりセレクションを行い、限界希釈法によりクローン化を行った。クローン化した細胞表面にMUC1ムチンやムチン関連糖鎖抗原が発現しているかどうか確かめるため、当研究室で樹立したシアル酸を含む成熟型糖鎖をもつMUC1ムチンを認識するmAb MY.1E12あるいはMUC1ムチンコアペプチドを認識するmAbHMFG2を用いたフローサイトメトリー法(FCM)およびwestern blot法による解析を行った。[3H]グルコサミンを30分取り込ませた後一定時間培養した細胞の可溶化物をMY.1E12あるいは抗CD43 mAb DFT1で免疫沈降しSDS電気泳動後オートラジオグラフィーを行った。

 [結果と考察]geneticin耐性細胞より、細胞表面にMUC1ムチンを安定に強く発現する細胞クローン2B4を得た。western blot法により発現したMUC1ムチンは分子量約300kDaであることが確認された。MY.1E12抗体が反応することから、発現したMUC1ムチンはシアル化された糖鎖も含むことが考えられた。FCMによる解析により2B4細胞表面にシアル酸をもたないT抗原(Gal1-3GalNAcSer/Thr;PNAで検出)の顕著な発現上昇が認められ、MUC1ムチン上に高い発現があることが示唆された(Fig 1)。Tn抗原(GalNAcSer/Thr;VVAB4で検出)、Sialyl-Tn抗原(NeuAc2-6GalNAcSer/Thr;mAb TKH2で検出)の発現の上昇は見られたが、Sialyl Lewis x抗原(mAb KM93で検出)の発現は見られなかった。

 K562細胞が発現している白血球ムチン糖蛋白質としてLeukosialin(CD43)が知られているが、FCMによる解析から発現したMUC1ムチンとCD43との間でT抗原の発現状況が異なることが考えられたため、これを確認した。2B4の膜画分のMY.1E12およびDFT1による免疫沈降物をSDS電気泳動後PVDF膜にブロットしPNAによる染色を行った。その結果MUC1ムチンはT抗原陽性であったが、CD43はT抗原陰性であった。この違いはCD43ではT抗原がシアル酸でマスクされているためであると予想された。そこでブロット後のPVDF膜を10%酢酸中80℃1時間処理しシアル酸を除去した後、同様にPNAで染色した。脱シアル酸処理した結果、CD4もT抗原陽性となったため2B4で発現しているMUC1ムチンではシアル酸が付加される程度が低いことが考えられた(Fig 2)。このシアル酸の付加の程度の違いにそれぞれのムチンの発現速度が影響するのではないかと考え[3H]グルコサミン標識によるパルスチェイス実験を行った。その結果MUC1は標識から9-11時間後、CD43は標識から11時間以降に標識グルコサミン取り込みのピークをもつことが判明したことから、MUC1ムチンとCD43のプロセシングの速度の差がシアル酸付加の度合いに反映しているのではないかと考えられた。

図表FIG 1:EXPRESSION OF CARBOHYDRATE EPITOPES ON 2B4 CELLSAS DETERMINED BY FLOWCYTOMETRIC ANALYSIS / FIG 2:PNA BINDING TO ELECTROPHO RETICALLY SEPARATED IMMUNOPRECIPITATES OF 2B4 CELL LYSATES
[3]MUC1ムチン安定発現株2B4のナチュラルキラー(NK)細胞感受性

 [目的]2B4細胞のMUC1ムチン発現による細胞特性の変化のひとつとしてNK活性に対する感受性について調べた。

 [方法]ヒト末梢血よりFicoll-paqueを用いた遠心分離により白血球を得、ナイロンウールカラム非吸着画分をeffector細胞としNK活性を測定した。51Crで標識したtarget細胞とeffector細胞とをさまざまな比率で混合し、37℃で4時間反応させた。反応後の培養上清を回収し放射活性を-カウンターで測定した。細胞障害性は以下の式により算出した。細胞障害性(%)=(サンプル放射活性-自然放射活性)×100/(最大放射活性-自然放射活性)

 [結果と考察]MUC1ムチン発現クローン2B4の細胞障害性は親株であるK562細胞および対照株に比べ有意に低下していた(Fig 3)。2B4細胞をシアリダーゼ処理して糖鎖末端のシアル酸を除去あるいはBenzyl-GalNAc処理しO-結合型糖鎖の伸長を阻害した後NK細胞に対する感受性を測定したところNK感受性のパターンに大きな変化はみられなかった。MUC1ムチン全体の構造がNK細胞との相互作用に影響を与えるためと推定される。

Fig 3

 [まとめ]MUC1ムチンと他のムチンとを同一の細胞が産生している際にそれぞれの糖鎖構造が異なることが確認された。差異が生じる原因は糖転移酵素の違いだけでなく種類の異なるムチンの細胞内でのプロセッシングの速度の違いである可能性が示唆された。MUC1ムチンはsialyl-Tn抗原、Tn抗原、T抗原など腫瘍関連抗原を提示しうることが確認された。MUC1ムチンの遺伝子導入による強制発現がNK細胞に対する抵抗性を産み出すことが示され、生体の癌細胞の排除の阻害に関与している可能性が示唆された。

審査要旨

 本論文は、細胞表面ムチンのグリコシレーション(糖蛋白の糖鎖部分の生合成)の多様性を明らかにし、さらにグリコシレーションがどのように制御されているかを、分子細胞生物学的な手法を駆使して解明した結果をまとめたものである。細胞表面にレクチン(糖鎖結合分子)によって認識される糖鎖が表出している場合しばしばムチンという形をとる。細胞表面のムチンと内在性レクチンとの相互作用は、癌細胞による転移形成、白血球の炎症部位への集積などの生体内の細胞交通を制御するメカニズムの分子レベルでの基盤となっている。ムチンとは多くのセリン/スレオニン結合型糖鎖をもつ高分子量の糖蛋白であり、その分布は臓器によりまた細胞の種類により極めて特徴的である。ムチンのコア蛋白の発現及びムチンに含まれる糖鎖構造の発現は極めて多様で、細胞種に特異的であると考えられいる。ムチンの生合成において蛋白部分と糖鎖部分とが独立に制御されているのかあるいは糖鎖の発現がコア蛋白質部分の構造によって左右されているのかは明らかになっていなかった。

 学位申請者は上皮性ムチンのひとつであるMUC1ムチンに提示される糖鎖抗原に着目し、ヒト培養細胞のムチンあるいは白血病細胞へのMUC1遺伝子導入により得たMUC1ムチン安定発現細胞上のMUC1ムチンについて糖鎖抗原の構造を糖鎖特異的モノクローナル抗体やレクチンの結合性に基づいて検討した。また、MUC1ムチンの機能を探る試みのひとつとして、自然免疫を担うナチュラルキラー(NK)細胞の細胞障害性に対するMUC1ムチン発現細胞の感受性について検討した結果も示されている。

 第一部では、一種類のムチンつまりこの場合はMUC1遺伝子産物をコアに持つムチンが、複数種の細胞株で発現した場合、それらのグリコシレーションがどのように異なるかについて検討されている。糖鎖の検出には、モノクロナル抗体と植物レクチンとが用いられた。三種の上皮性細胞株の産生するMUC1ムチンはいずれもレクチン結合のパターンが異なっており、MUC1ムチンが提示する糖鎖構造は発現する細胞により異なることが判明し、それぞれの細胞のもつ糖転移酵素に依存すると考えられた。次にひとつの細胞が複数種のムチンを発現している場合について検討した。レクチン及びモノクロナル抗体を駆使した実験結果より、ひとつの細胞がMUC1とMUC2ムチンを発現した場合それらの間で主要な糖鎖構造が異なるという現象が明らかになった。

 第二部では、ヒト赤白血病細胞株K562にMUC1遺伝子を導入しMUC1ムチン安定発現クローンを得て、内在性のムチン様分子の一つであるロイコシアリン(CD43)と強制発現されたMUC1ムチンとの間でグリコシレーションの違いがあるかどうか査定した。レクチンやモノクロナル抗体を用いた検出の結果、強制発現されたMUC1ムチンではシアル化の度合の低い糖鎖がCD43に比較すると主要部分を占めていることが確かめられた。MUC1ムチンは細胞内でのプロセシングの速度がCD43よりも速いことがその原因として示唆され、ムチンの糖鎖構造がコアペプチドによって強い影響を受けることが明らかになった。

 第三部では、ヒト赤白血病細胞にMUC1ムチン遺伝子を導入した際に、この細胞のNK細胞に対する感受性にどのような変化が起こっているかを査定した。MUC1ムチン発現クローンの細胞障害性は親株細胞および対照株に比べ有意に低下していた。MUC1ムチン発現細胞をシアリダーゼ処理して糖鎖末端のシアル酸を除去した後、あるいはN-アセチルガラクトサミンのベンジルグリコシドで処理しO-結合型糖鎖の伸長を阻害した後NK細胞に対する感受性を測定したが、NK感受性のパターンに大きな変化はみられなかったことから、MUC1ムチン全体の構造がNK細胞との相互作用に影響を与えるためと推定された。

 要約すると、MUC1ムチンと他のムチンとを同一の細胞が産生している際にそれぞれの糖鎖構造が異なることが確認された。また、MUC1ムチンがシアリルTn抗原、Tn抗原、T抗原など腫瘍関連抗原を提示しうることが確認された。MUC1ムチンの遺伝子導入による強制発現が神細胞に対する抵抗性を産み出すことが示され、担癌生体が癌細胞の排除をしようとするメカニズムを阻害している可能性が示唆された。

 以上の様に、学位申請者名取修は、非特異的及び特異的な癌に対する免疫応答の際の認識分子として重要なMUC1ムチンのグリコシレーションの制御機構と、MUC1ムチンを発現した細胞の非特異的自然免疫に対する感受性に関する新しい知見を得た。これらの研究成果は腫瘍生物学及び免疫学に資するところが大であり、学位申請者は博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと判断した。

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