完全変態昆虫の発生過程においては、ドラスティックな遺伝子発現の変化が起きるが、これらの遺伝子のなかには発生に重要な働きをするものが存在する。我々はこれまでに、完全変態昆虫であるセンチニクバエ(Sarcophaga peregrina)の蛹の時期に、脂肪体で大量に、かつ一過的に発現する分子量25kDaの蛋白(25kDa蛋白)をコードする遺伝子を単離している。この蛋白はショウジョウバエのアルコールデヒドロゲナーゼ(以下ADHと略す)と一次構造上約40%のホモロジーを示し、ADHとしての構造上の特徴を保持しているが、メチオニン含量が全アミノ酸の12%にも達するという顕著な特徴を持つ。 私はこれまでに、この遺伝子がコードする蛋白(25kDa蛋白)を脂肪体より精製し、その蛋白が蛹の時期に一過的に発現することを示したが、構造から、持っていることが予想されたADH活性は検出出来なかった。一方、同じ脂肪体から、ADH活性を指標に分子量25kDaのセンチニクバエADH(以下SADHと略す)を精製したことを報告した。このことは、センチニクバエには2種のADH様蛋白が存在し、構造的には類似しながら、異なる機能を担っている可能性を示唆している。そこで、本研究ではこれらの蛋白の構造、発現、機能、および、それらの関連を解明することを目的として実験を行った。 1.SADHの一次構造の決定 まず、25kDa蛋白とSADHについての構造上の関連を調べる目的で、SADHのcDNAクローニングを行った。方法はイムノスクリーニングで、精製したSADH-に対するポリクローナル抗体を調製し、蛹化2日目のwhole body libraryを用いてスクリーニングを行った。その結果、1つの陽性クローンを得、その塩基配列を決定した。決定した配列から推定されたアミノ酸配列は、精製蛋白を酵素消化することにより得られた部分アミノ酸配列を全て含んでいた。このことから、このクローンがSADHのcDNAであると結論した。 この配列を、25kDa蛋白の配列と比較した結果、両者は約40%の相同性を示し、短鎖デヒドロゲナーゼグループに共通に保存されているアミノ酸残基、ドメイン構造も保存されていることが分かった。しかしながら、SADHのメチオニン含量は3.5%と標準的で、この点で25kDa蛋白とは異なっていた。 さて、ショウジョウバエでは食餌中のエタノール代謝に関係すると思われるDADHが同定されており、この他にDADH遺伝子と構造上40%の相同性を示す遺伝子P6が同定されている。このP6遺伝子がコードする蛋白は、25kDa蛋白同様、メチオニンの含量が20%と多い。これら4種の蛋白は互いに40%から60%の相同性を示し、系統発生的に同一の祖先型遺伝子から派生したものと考えられた。 2.SADH遺伝子の発現時期の解析 次に、SADHが発生過程のどの時期に機能するのかを調べる目的で、ノザンブロット解析により、SADH遺伝子の発現時期を調べた。 その結果、SADH遺伝子は1令から3令初期の幼虫と、成虫で強く発現しており、蛹になる直前に一過的に発現する25kDa蛋白とは異なるパターンであった。このことよりSADHは、幼虫期と成虫期に機能することが示唆された。SADH遺伝子の発現は既に報告されているDADH遺伝子と、また、25kDa蛋白遺伝子の発現はP6遺伝子の発現と類似している。構造上の特徴を考えあわせると、SADH-と25kDa蛋白はそれぞれDADHとP6蛋白のセンチニクバエホモログと考えられる。 3.昆虫のADHの普遍的機能の探索 これまで、昆虫ではADHを持つのはショウジョウバエのみであり、それは、アルコールの存在する環境に生息する生物が獲得した特殊な分子であると考えられてきた。しかしながら、センチニクバエはエタノールの存在しない食餌環境に存在することから考えると、ADHは、双翅目昆虫一般について、食餌中のアルコール代謝以外の働きを担っている可能性が考えられる。そこで、SADHを用いて、この分子のADH活性が酵素として至適な活性であるか、pH依存性について調べた。 その結果、ADH活性はpH依存に変化し、極大はpH10.5であったが、脂肪体の細胞内のpHは6.8程度であることから考えると、SADHという酵素にとって、ADH活性は至適な機能とは言えないことが示された。 ところで、dehydrogenaseのつかさどる反応は可逆的であり、この酵素が逆反応をつかさどるreductaseとして機能する可能性があるので、この分子がreductase活性をもつかどうかを調べることにした。 もしSADHがアルコール代謝以外のことをしているとしたら、発現組織の特徴から考えて、脂質合成に関与しているのではないかと考え、脂質合成経路の中でreductase反応の基質となりうるdihydroxyacetone phosphateを選んで、それを基質としてreductase活性の測定を試みることにした。 その結果、 reductase活性は、pH6.5で活性が極大であった。そしてこの周辺のpHでは、ADH活性と同じ程度、あるいは少し強めの活性を持っていることが分かった。つまり生体内pHの条件においては、reductase活性は至適に近いと考えられる。さらに、今回見いだしたSADHのdihydroxyacetone phosphate還元活性を、同様の反応を司るとされているショウジョウバエ等のGPDHと比較しすると、ショウジョウバエでとられている数種のglucose 3-phosphate dehydrogenaseに比べて、SADHの還元活性は同オーダーながら2倍から3倍の値を示している。このことから、SADHのDihydroxyacetone phosphate還元活性は、生体内において実際に意味のある活性であることが強く示唆された。 4.25kDa蛋白のデヒドロゲナーゼ活性について 上述したように、25kDa蛋白はSADHと構造上類似しているが、精製した蛋白にはADH活性は検出されなかった。そこで、精製の過程で失活した可能性を排除するために、25kDa蛋白のcDNAを単離してリコンビナント蛋白を調製し、穏和な条件での精製を行って、ADH活性が検出されるかどうか検討した。リコンビナント蛋白を産生する大腸菌のライゼートを出発材料として、2ステップでSDS-ポリアクリルアミド電気泳動上単一なバンドになるまで精製を行った。その結果、精製したリコンビナント25kDa蛋白についてもADH活性は検出されなかった。SADHのリコンビナント蛋白は全く同様の方法で精製できるが、その場合には活性を保持していたことから考えて、この分子にはADH活性が無いと考えられる。 さらに、この蛋白がデヒドロゲナーゼとして機能しうるかどうが調べるために、デヒドロゲナーゼの補酵素類似のリガンドを持つ、5’AMP-Sepharose 4B カラム (NAD analog)、及び2’,5’ADP-Sepharose 4Bカラム(NADP analog)を用いてその結合性を調べた。その結果、SADHがNAD-analogカラムに吸着するような条件において、リコンビナント25kDa蛋白はどちらのカラムにも吸着しなかった。この結果は、25kDa蛋白がADH活性を持たないばかりではなく、デヒドロゲナーゼとしても機能しないことを示している。 5.まとめと考察 本研究で、私は、センチニクバエのADHを精製、クローニングし、その構造と発現を明らかにした。これは、fruit fly以外の昆虫で初めてADHが精製、構造決定された例である。さらに、私はこの、昆虫のADHという酵素が、単にショウジョウバエのみがローカルに持っているものではなく、脂質合成系にかかわっていることを示し、昆虫一般に共通に存在する可能性が高い酵素であることを示唆した。 今回得られた結果を基に系統樹を作成すると、ADHと、25kDa蛋白・P6といったメチオニンを多く含むADH様蛋白(25kDa蛋白グループ)は、センチニクバエとショウジョウバエの種分岐以前に分かれたものと考えられる。 また、25kDa蛋白は、ADH様の構造を有するにもかかわらず、デヒドロゲナーゼとしての機能を持たないことが示された。25kDa蛋白グループは、ADHグループよりもかなりホモロジーが高いことから考えて、構造上の制約がより強いといえる。このことは、25kDa蛋白グループが単なる栄養蛋白などではなく、構造に起因する何らかの機能を担っていると考えられる。 25kDa蛋白の蛋白の生理機能は現在のところ不明であるが、25kDa蛋白はADHの基本構造を保持しながら酵素活性を持たない分子種と考えられ、分子進化を考える上できわめて興味深い事例である。完全変態昆虫においてはこれらの蛋白が異なる発生段階で機能することにより、その発生が進行するものと考えられる。 |