学位論文要旨



No 112103
著者(漢字) 松崎,洋一郎
著者(英字)
著者(カナ) マツザキ,ヨウイチロウ
標題(和) HTLV-1感染細胞における06-メチルグアニン-DNAメチルトランスフェラーゼ遺伝子の発現制御
標題(洋)
報告番号 112103
報告番号 甲12103
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第768号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 教授 池田,日出男
内容要旨

 ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)は、成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスである。HTLV-1がコードするTax蛋白質は、interleukin-2、IL-2 receptor 、granulocyte/macrophage colony-stimulating factor、c-Fos、c-Junなどの細胞増殖に関わる遺伝子発現を活性化する。また、Taxは細胞をトランスフォームさせる能力を持つ。しかし、Taxの直接作用だけではATL発症に充分ではないことが示唆され、HTLV-1感染後に細胞の遺伝子発現の変化が必要であることが想定されている。

 さて、ATL細胞は高頻度の染色体異常を持つ。しかし、ATLに共通した染色体異常は知られていない。この知見に基づき、私は、HTLV-1感染がゲノムの不安定性を引き起こし、さらなる細胞の遺伝子発現の変化を容易にしているのではないかと考えた。そこで、ゲノムの安定性への関与が知られているDNA修復遺伝子に注目して、それらの発現の異常をHTLV-1感染細胞で検討した。その結果、ほとんど全てのHTLV-1感染細胞株で、O6-メチルグアニン-DNAメチルトランスフェラーゼ(MGMT)遺伝子の発現が検出されないことを見い出した。MGMTは、アルキル化剤を細胞に処理した時に生じる変異原性O6-メチルグアニンからメチル基を除去するDNA修復酵素である。本研究は、HTLV-1感染細胞におけるMGMT遺伝子発現異常の機構を明らかにすることを目的とした。

1.HTLV-1感染細胞におけるMGMT遺伝子発現異常

 MGMT mRNAの発現をノーザンブロット法により、HTLV-1非感染T細胞株(Jurkat、CEM、HSB-2)、HTLV-1感染T細胞株(MT-1、MT-2、HUT102、Hayai、MT-4)、ヒト骨肉腫由来HOS細胞、およびHOS細胞にHTLV-1が感染したHOS/MT-2細胞で調べた。HTLV-1非感染T細胞株ではMGMTの高発現が認められたが、HTLV-1感染T細胞株では、Hayaiを除いて発現が検出されなかった。また、HayaiについてもHTLV-1非感染T細胞株に比べて発現は減少していた。一方、HOS細胞のMGMTの発現は低いレベルで認められたが、HOS/MT-2細胞ではMGMTの発現は検出されなかった。以上の結果から、HTLV-1感染とMGMT遺伝子発現低下との間に高い相関性があることが示された(Table.1)。

2.MGMT遺伝子発現低下のメカニズム

 MGMT遺伝子発現低下のメカニズムとしてMGMTゲノムDNAの構造異常による不活性化、MGMTプロモーター活性の低下、MGMT mRNAの不安定化、の3つの可能性を検討した。

2-1)MGMTゲノムDNAの構造異常による不活性化

 細胞株から取ったゲノムDNAを、様々な制限酵素で消化し、MGMTcDNA、またはMGMT遺伝子の上流約4KbのDNA断片をプローブにしてサザンブロット法により解析した。その結果、発現のある細胞とない細胞との間でパターンの差は認められなかった。このことから、MGMT遺伝子発現のない細胞において、MGMTゲノムDNAに大きな構造異常はないことが示された(Table.1)。

Table.1
2-2)MGMTプロモーター活性の低下

 MGMT遺伝子の上流約4KbのDNA断片をCAT(chroramphenicol acetyltransferase)遺伝子の上流に連結したレポータープラスミドを、MGMT遺伝子発現に差のある細胞株に導入し、MGMTプロモーター活性を比較した。しかし、両者においてMGMTプロモーター活性に差は認められなかった。このことから、MGMTプロモーター活性の低下によって発現低下が生じるわけではないことが示された。

2-3)MGMT mRNAの不安定化

 MGMT cDNAをLuc(luciferase)遺伝子の下流に連結したプラスミドを作製し、MGMT遺伝子発現に差のある2種の細胞株に導入し、ルシフェラーゼ活性を測定した。いずれの細胞でも、MGMT cDNAを含むmRNAによるルシフェラーゼの活性発現は、MGMTを含まないものと差が見られなかった。このことから、MGMTを含むmRNAの不安定化によって発現低下が生じているわけではないことが示された。

 上記のように、当初予想した可能性はいずれも正しくないことが示された。従って、単純には予想しえない新しいメカニズムが機能していることが推定されたので以下の解析を行なった。

3.MGMT遺伝子の発現低下を起こすHTLV-1遺伝子の同定

 MGMT遺伝子の発現低下を生じるHTLV-1遺伝子を同定する目的で、HTLV-1遺伝子のstable transformantを作成し、解析した。HTLV-1調節遺伝子であるTax、またはRexの発現プラスミドとネオマイシン耐性遺伝子の発現プラスミド(Neo)をHOS細胞に共導入した後に、ネオマイシンでコロニーを選択し、ウエスタンブロット法により、MGMTの発現を調べた。その結果、NeoだけのもしくはRexのstable transformantはすべて親株HOS細胞と同程度MGMTの発現が認められた。ところが、Taxのstable transformantは半分のクローンで発現の低下が見られた。そこで、発現低下が見られたstable transformantをサブクローニングし、MGMTの発現を検討した結果、サブクローンの約半分がMGMTを全く発現していなかった(Fig.1)。また、MGMT発現低下のメカニズムとしてMGMTゲノムDNAの構造異常による不活性化、MGMTプロモーターを介する転写抑制、MGMT mRNAの不安定性を検討したが、HTLV-1感染細胞株と同様な結果が確認された。以上の結果から、少なくともHTLV-1遺伝子産物TaxによってMGMT遺伝子発現の抑制が引き起こされることが示された。しかし、Taxの発現下でもMGMTの発現が存続するクローンもあり、かなりユニークなメカニズムを推定した。

Fig.1
4.MGMTゲノムDNAのメチル化と転写の関係

 MGMTの発現とDNAのメチル化との関係が報告されている。そこで、DNAのメチル化の可能性を検討する目的で、細胞株、およびstable transformantから取ったゲノムDNAを、メチル化による影響を受ける制限酵素HapII、または受けないMspIで消化し、MGMT cDNAをプローブにしてサザンブロット法を試みた。その結果、MGMT遺伝子は、MGMT高発現の細胞(HTLV-1非感染T細胞株、Hayai)では高メチル化、MGMT低発現の細胞(HOS、stable transformant)では中程度のメチル化、そしてMGMTの発現が検出されない細胞(HTLV-1感染T細胞株、HOS/MT-2、stable transformant)では低メチル化状態にあることが明らかとなった。つまり、MGMTの発現とMGMT遺伝子のメチル化状態との間に高い相関性が認められた。そこで、MGMT遺伝子の低メチル化がMGMT遺伝子発現抑制の原因になりうるかどうかを調べる目的で、HOS細胞をDNAメチルトランスフェラーゼの阻害剤である5-aza-C(5-azacytidine)で48hr処理し、MGMT遺伝子発現をノーザンブロット法により検討した。その結果、MGMT mRNA量は5-aza-C処理により1/5に減少した。以上の結果から、MGMT遺伝子の低メチル化がMGMT遺伝子発現抑制の原因になりうることが示された。

4.まとめと今後の展望

 本研究において私は、ほとんど全てのHTLV-1感染細胞においてMGMT遺伝子発現が検出されないこと、HTLV-1遺伝子産物TaxによってMGMT遺伝子発現が検出されない細胞が出現してくること、MGMT遺伝子発現とMGMT遺伝子のメチル化状態との間に相関性があり、MGMT遺伝子の低メチル化がMGMT遺伝子発現抑制の原因になりうることを明らかにした。

 MGMTは組織特異的な発現を示すが、造血系、なかでもT細胞で発現が高い。また、健常人の末梢血リンパ球で実際、O6-メチルグアニンの存在が確認されている。さらに、アルキル化剤処理で生じる姉妹染色分体交換や染色体異常をMGMTは防ぐことができる。これらのことから、MGMTはT細胞においてゲノムの安定性に大きく寄与していると予想される。そういう意味で、今後ATL患者の白血病細胞を用いた解析によってMGMT遺伝子発現抑制とATL発症との関係を明らかにしていく必要がある。また、MGMT遺伝子発現抑制の原因としてMGMT遺伝子の低メチル化を示したが、メチル化の変化がこの発現抑制のprimary eventなのかどうかについても検討すべきと考えている。

審査要旨

 ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)は、成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスである。とりわけ、HTLV-1がコードするTax蛋白質は、白血病生成に大きく関わると考えられている。しかし、一方でTaxの直接作用だけではATL発症に充分ではないことが示唆され、HTLV-1感染後に細胞の遺伝子発現の変化が必要であることが想定されている。この論文は、ほとんど全てのHTLV-1感染細胞株で、DNA修復遺伝子であるO6-メチルグアニンーDNAメチルトランスフェラーゼ(MGMT)遺伝子の発現が検出されないという新しい知見を見い出し、MGMT遺伝子発現抑制機構の解析を行なった結果、HTLV-1がコードするTax蛋白質の今までに知られていなかった新しい作用の存在を明らかにした点で評価できる。

 この論文では、まず、ATL細胞が高頻度の染色体異常を持つという知見に着目し、ゲノムの安定性への関与が知られているDNA修復遺伝子の発現異常をHTLV-1感染細胞で検討した。その結果、ほとんど全てのHTLV-1感染細胞株で、MGMT遺伝子の発現が検出されないことが見い出された。MGMTは、変異原性O6-メチルグアニンからメチル基を除去するDNA修復酵素である。従って本論分の知見はHTLV-1感染細胞ではアルキル化反応によって生じるDNA損傷を修復することができないことを意味する。次に、この発現低下のメカニズムを明らかにする目的で、ゲノムの構造異常による不活性化、プロモーター活性の低下、mRNAの不安定化、について検討したが、いずれも正しくないことが示された。

 次にMGMT遺伝子の発現低下をもたらすHTLV-1遺伝子を同定する目的で、HTLV-1各遺伝子を発現する細胞株を作成し解析した結果、Taxを発現するクローンの半分にMGMT遺伝子発現の低下が見られた。さらに、発現低下が見られたTax発現クローンをサブクローニングしたところ、サブクローンの約半分がMGMTを全く発現していなかった。このことから、少なくともHTLV-1遺伝子産物TaxによってMGMT遺伝子発現の抑制が引き起こされることが示された。しかし、Taxの発現下でもMGMTの発現が高レベルで存続するクローンもあり、その効果の一過性が推定された。

 一方で、MGMT遺伝子の高メチル化がその高い発現と相関することが報告されている。そこで、TaxによってMGMTの発現が低下した細胞クローンのDNAのメチル状態を解析した結果、MGMT高発現の細胞では高メチル化、MGMTの発現がない細胞株では低メチル化状態にあることが明らかとなった。そこで、HOS細胞をDNAメチルトランスフェラーゼの阻害剤である5-aza-C(5-azacytidine)で処理し、MGMT遺伝子発現を検討したところ、MGMT mRNA量は著しく減少することがわかった。以上の結果から、MGMT遺伝子の低メチル化がMGMT遺伝子発現抑制の原因になりうることが示された。

 以上、本研究においてほとんど全てのHTLV-1感染細胞においてMGMT遺伝子発現が検出されないこと、HTLV-1遺伝子産物Taxがこの現象を引き起こすこと、MGMT遺伝子発現とMGMT遺伝子のメチル化状態との間に相関性があり、MGMT遺伝子の低メチル化がMGMT遺伝子発現抑制の原因になりうることを明らかにした。このようにこの研究はHTLV-1による発がん機構に、今まで知られていない新しい視点を与えるもので、ウイルス腫瘍学や分子生物学の進展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当すると判断される。

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