完全変態昆虫であるセンチニクバエにおいては、幼虫から蛹への変態時に不要となった幼虫組織の崩壊、成虫組織の形成がなされる。変態時には、種々の遺伝子の発現がおき、それらの多くは転写段階での発現制御がなされている。センチニクバエカテプシンBは、蛹への変態初期に体液細胞から放出され、不要となった幼虫組織である脂肪体の細胞間連結を切ることによってその崩壊を引きおこすことが、当教室の研究により示されている。また、蛹化時におけるカテプシンBのmRNAと蛋白の量の変動をみると、mRNAは3齢幼虫から蛹初期を通じて一定量存在するのに対し、蛋白は幼虫にはほとんど存在せず、蛹初期に急激に増加することが見出されている。カテプシンBは変態期における幼虫組織の排除に必須であるために、厳密に規定された時期に発現することが必要であり、翻訳段階での制御がそれを可能にしていると考えられる。 本研究で私は、カテプシンBの変態時における翻訳段階での制御機構を明らかにすることを目的として解析を行い、mRNAの翻訳が3’非翻訳領域によって抑制されていることを見いだし、3’非翻訳領域結合因子を精製した。 【1】in vitro翻訳系におけるカテプシンBmRNAの翻訳制御配列の同定 カテプシンBが蛹化時に翻訳段階での制御を受けることから、カテプシンB mRNA自身に翻訳制御を担う配列が含まれている可能性を考え、in vitro翻訳系を用いてその制御配列の同定を試みた。カテプシンB mRNAとその5’または3’非翻訳領域、あるいはその両方を欠損したRNAをin vitroで作製し、同量のRNAについてウサギ網状赤血球ライゼート中で[35S]メチオニン存在下翻訳反応を行い、翻訳産物を免疫沈降後、SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動による解析により翻訳効率を比較した。 その結果全長mRNAと比較して3’非翻訳領域を欠損したmRNAではカテプシンBの翻訳産物の量が約3倍上昇した。翻訳反応と同一のサンプルから抽出したmRNAをUrea-ポリアクリルアミド電気泳動により解析したところ、この系においてRNAの分解はほとんど見られず、カテプシンB mRNAは3’非翻訳領域の欠損によって翻訳効率が上昇することが示された。これにより、3’非翻訳領域自身、あるいはそれと相互作用する因子によって翻訳が抑制されていることが示された。 【2】カテプシンB mRNA3’非翻訳領域結合因子の検出 近年、幾つかのmRNAで3’非翻訳領域に結合してその翻訳を制御する因子が報告されているが、カテプシンB mRNAの3’非翻訳領域にはこれまでに報告されている翻訳制御因子の結合配列は含まれていなかった。そこで、カテプシンB mRNAの3’非翻訳領域に結合する因子が体液細胞中に存在するか否かを調べる目的で、蛹化の各ステージの幼虫、蛹の体液細胞をホモジネートし、カテプシンB mRNAの3’非翻訳領域をプローブとしたRNAゲルシフトアッセイを行い、結合因子を検出した。その結果、幼虫から蛹化7時間前までは結合因子が存在するが、蛹化と共に消失が見られた。また、このRNA結合活性は用いたプローブに特異的であった。3’非翻訳領域結合因子の消失時期はカテプシンB蛋白の発現時期に一致し、この結合因子が幼虫体液細胞中でカテプシンB mRNAの翻訳制御を行っている実体である可能性が示唆された。また、幼虫体液細胞中に存在する3’非翻訳領域結合因子とRNAゲルシフトアッセイ上同一の移動度を持つ因子がセンチニクバエ胚由来培養細胞NIH Sape-4にも検出された。 【3】カテプシンB mRNA3’非翻訳領域結合因子の精製と構造解析 次に胚由来培養細胞NIH Sape-4細胞質画分を出発材料とし3’非翻訳領域特異的結合因子を、硫安分画、DE52、phosphocellulose、poly(U)-Sepharose、RNA affinityカラムの各カラムクロマトグラフィーにより精製した。 その結果最終段階のRNA affinityカラムクロマトグラフィーにおいて、SDSゲル電気泳動上単一な分子量90kDaのバンドが3’非翻訳領域結合活性と挙動を一致させていることがわかった。更にUVクロスリンクの実験から、この蛋白は用いたプローブに特異的に結合することが確認された(Fig.3 lane 2-4)。このことは、この分子量90kDaの蛋白が幼虫体液細胞特異的な3’非翻訳領域結合因子であることを示している。 この90kDa蛋白のN末端の1次構造を解析したところ、その配列は既知の蛋白と有意な相同性を有さず、90kDa蛋白が新規な蛋白であることが示唆された。 【4】90kDa蛋白によるカテプシンBの翻訳抑制 90kDa蛋白がカテプシンB mRNAの翻訳を抑制する因子であるかを検討するために、in vitro翻訳系を用いてカテプシンB mRNAの翻訳効率に及ぼす効果を検討した。その結果、90kDa蛋白はカテプシンB mRNAの3’UTR依存的にその翻訳を抑制し、その抑制は量依存的であった。このとき、カテプシンB mRNA翻訳抑制活性のみられた90kDa蛋白の量は、系に加えたカテプシンB mRNAとほぼ同モル数であった。このことは、生成した90kDa蛋白がカテプシンB mRNAの翻訳を抑制する実体であることを示している。幼虫体液細胞にはこの分子量90kDaの蛋白が存在し、カテプシンB mRNAの3’非翻訳領域に結合することによってカテプシンBの翻訳が抑制されており、蛹化と共にこの結合が消失するとカテプシンBの急速な発現がおきる可能性が考えられる。90kDa蛋白は、プロテアーゼの翻訳を、そのmRNAの3’UTRに結合して抑制因子としては初めて精製された例である。 【5】まとめ 本研究で私は、センチニクバエの体液細胞においてカテプシンBが蛹化時に翻訳段階で発現調節されることを初めて見出し、カテプシンB mRNAのin vitroでの翻訳は3’非翻訳領域により抑制されることを示した。また、幼虫体液細胞中に、カテプシンB蛋白の出現時期と一致して消失するカテプシンB mRNAの3’非翻訳領域に特異的な結合因子を検出し、分子量90kDaの結合因子を精製することに成功した。幼虫体液細胞にはこの分子量90kDaの蛋白が存在し、カテプシンB mRNAの3’非翻訳領域に結合することによってカテプシンBの翻訳が抑制されており、蛹化と共にこの結合が消失するとカテプシンBの急速な発現がおきる可能性が考えられる。 近年胚発生においていくつかのmRNAが翻訳制御を受けていることが明らかになってきている。翻訳段階における発現制御は転写制御と比較して蛋白発現までに要する時間が短いことから、より急速な発現制御や、発現量のより厳密な調節に有効であると考えられる。また、複数のmRNAが非翻訳領域に共通の配列を持つことにより、1つの因子が複数の蛋白の量を厳密に規定することが可能であることから、今後の90kDa蛋白の解析は変態という組織の大規模な改変時期における、蛋白量の厳密な発現を理解する重要な手がかりになると考えている。 参考文献Yano,T.,Takahashi,N.,Kurata,S.,Natori,S.Regulation of the expression of cathepsin B in Sarcophagaperegrina(flesh fly)at the translational level during metamorphosis Eur.J.Biochem.243 39-43(1995) |